【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

四十九時限目 約束した夏の思い出のために[前]


 堪え難い暑さで目が覚めた。

 寝る前にエアコンのタイマーをセットしたはずだが、どうして稼働していないのだろう、と窓の上に設置してある最新式のエアコンを睨みつける。エアコンの口はひらいたままの状態で、冷気を発しているようには見えない。今年の三月に故障した先代のエアコンならば、こういうトラブルはよくあったけれど、プラズマクラスター付きの最新鋭機がそう簡単に故障するものか。

 枕元に置いていたリモコンは、正常に動作している。僕が寝ているうちに電池切れを起こしてタイマーが作動しなかった、という可能性はないようだ。リモコンを元の位置に戻して、再びエアコン本体に目を向けたとき、とある可能性がふと頭に浮かんだ。可能性というか、それ以外に原因は考えられない。

 異常が発生した場合、それを知らせるべくランプが点滅する。エアコンの口が開いたままの状態で、尚且つ異常を知らせるランプが点滅している場合の多くの原因は停電。あるいは、ブレーカーが落ちたことを意味する。だが、本日は晴れで、落雷による停電はあり得ない。……ということは、瞬間的に膨大な電力を使用したことによる緊急停止。これこそが『エアコンのタイマーが作動しなかった原因』に他ならないだろう。

 おそらく、タイマーは予約時間に作動した。だが、同時期に、下の階で大量に電力を消費する原因が発生したのだ。エアコンは下の階にもある。電子レンジや電気ケトル、ドライヤーの瞬間電力も高い。そういった要因が重なってブレーカーが落ちたとすれば頷ける。僕は眠っていたからブレーカーが落ちても気がつかない。気がつかなければエアコンは阿呆みたいに口を開けたまま、僕が再起動するまでうんともすんとも動かないだろう。

 つまり、犯人は僕の両親のどちらかだ! ──これにて一件落着。

 寝起きという状態はありとあらゆる感覚が鈍るもので、名探偵よろしくな推理を披露する前にエアコンを再起動すればよかった、と汗だくになりながら窓を開けた。

 息苦しかったと溜息しか出ない、けいめいの目覚めである。




 * * *




 イラストモデルを引き受けた日から数日が経ち、ようやく自分の中で未解決事件として処理できた頃の朝。あの件以来、琴美さんからの連絡がはたと止んだことから鑑みて、迫るサマコミの準備が大詰めを迎えたのだろう。琴美さんのことだ。準備は抜かりはなく執り行われて、僕が心配しなくとも無事完売の大団円を迎えるはずだ。

 気分が晴れない理由は、七月が終わり、夏休みが残り一ヶ月を切ったからではない。




 昨夜、僕はソシャゲのランクアップ戦に挑んでいた。

 勝てばランクが一つ上がるという瀬戸際の状況で挑むバトルは、多少なりとも緊張する。バトルメンバーを募って挑戦すれば臆することもないけれど、フリーマッチングを主にしている僕にとって、味方運は必要不可欠だが、味方にくるユーザーの腕はどうにも信用ならない。

 当然、レベルの差や課金額も勝敗に大きく左右するので、それなりのプレイスキルの持ち主がきてくれることを祈るが、大抵の場合は自分よりもレベルが劣るユーザーがマッチングする。介護システムが起用されているので、活路は自分で開かなければならない。

 バトルは困難を極めた。

 案の定、僕の味方はレベル不足で、溶けたくないという意思がプレイに出ている。攻めてこないならこちらから行くぞ、と強気なプレイをしてくる相手とは対極的だ。防戦一方のままバトルは終盤を迎えた。勝ちを確信して慢心している相手の隙を衝いた僕の操作キャラがこの拠点を制圧すれば大逆転勝利! ……という場面で、無情にも着信が入った。

「そんな、こんなことってあるか……?」

 負け確定なら諦めもつくが、あと一歩のところで勝ちを逃すのは如何ともし難い。ともあれ、悪いのは僕だ。バトルの臨む前に機内モードにしていれば、こんな悲劇は起こり得なかったのだから。

 黒い画面には応答と拒否のボタンが表示されている。いまの精神状態で応答を選ぶのは心苦しくはある。けれど、無下にできない名前が映し出されていた。もし仮に、これが佐竹からの連絡だったら迷わず拒否して、機内モードに切り替えてから次のバトルに挑むだろう。でも、相手方が無視できない名前ならば、応答するのも止むを得ずである。

 心を鎮めてから、応答ボタンを指先でタップした。

『もしもし優志君? 夜分遅くにごめんなさい。いま、大丈夫かしら』

 漏れなく大丈夫になったばかりだよ、なんて嫌味に訊こえそうな返事はやめて、「問題ないよ」と当たり障りない言葉を選ぶ。

 通話相手はクラスメイトの天野恋莉だった。

『そう……、よかったわ』

 安堵した声音に、どこか憂いを感じる。

 夜中に通話を選んだってことは、対処に困る事態に陥ったと思って間違いない。なんらかの問題や疑問、果てはお悩み相談から水回りのトラブルまであたり付けて、馬鹿な振りをしながらすっとんきょうな声で「どうしたの?」と訊ねた。

『ええと、以前に約束した件なのだけれど……』

 以前にした約束、という言い回しだと、前世で誓い合った盟約や、大きくなったら結婚しようね、みたいなアレを連想させる。でも、あいにくながら前世の記憶は引き継いでいないし、天野さんが幼馴染だった事実もない。

 僕が無言でいると痺れを切らしたようで、

『水着を選んでもらった日に約束したでしょ!』

 と一喝されてしまった。

 ああそういえば、たしかにそんな約束をした記憶がある。随分朧げな記憶になってしまっているのは、未解決事件のストックにしまい込んでしまったせいだろう。問題は問題にしなければなんとやら、である。

「ごめんなさい」

 素直に詫びを入れた。決して疎かにしていたわけではない。ただ、あまりにも現実離れしたお誘いだったもので、どう自分の中で処理をすればいいものかがわからなかったのだ。

 僕がもっと、それこそ佐竹然とした性格をしていれば、あの日に交わした約束を放置することもなかったはず。……たが、陰キャで隠キャで員キャ──員に備わるのみという意味で──な僕は、奥手に輪を掛けた難のある性格だ。「あの日に交わした約束、どうしようか」なんて、最近のビジュアル系バンドでも歌詞に書かなそうな台詞を易々と言えるはずがない。

 忘れてたわけじゃなくて、って言葉が出そうになり、咄嗟に呑み込んだ。それを言えばいい訳がましくなる。先に無礼を詫びたならば、大人しくしているべきだろう。どんな罵声も受け入れるべく口を噤み、天野さんの言葉を待った。

『まあいいわ』

 許されて、ほっと胸を撫で下ろした。








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 by 瀬野 或

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