異世界イクメン~川に落ちた俺が、異世界で子育てします~

須方三城

すごいの拾った第4話

「っ……サーガ様には近寄らせない……!」
「……ふん」


 その男は、無表情のままアタシの威嚇を鼻で笑い飛ばした。


 多分、アタシがビビってるのはバレてる。
 自分でも笑えるくらい足が震えてる。


 恐い、でも、逃げる訳にはいかない。
 あのお方との『約束』だ。


 サーガ様は、アタシが絶対に守る。


「…………」


 あのお方の血に汚れた大剣を肩に担ぎ、男はアタシに背を向けた。


「興味が無い」
「……え……?」


 それは、アタシの予想を裏切る言葉だった。


「その赤子を連れて、さっさと俺の前から消えるがいい」


 意味が、わからなかった。
 しかし、アタシはその言葉に従うしか無かった。


 サーガ様はアタシに抱き上げられると、「う?」という不思議そうな声を上げた。


「睡眠の邪魔をしてしまい、申し訳ありません……」


 非常時だ。心苦しいが、仕方無い。


 そして、走り出そうとしたアタシに、男はこう言った。


「……『選択』を、誤るなよ」






 あの男が何故アタシを、サーガ様を見逃したのかはわからない。
 しかし、それを問い質している間に、あの男の気が変わっては不味い。


 腑に落ちない事はあるが、何より優先すべきはサーガ様の安全だ。


 あのお方が倒れ、その配下もほぼ全員が同様。
 それを知れば、これを好機と連中はここに攻めてくる。


 アタシ達の居場所を、侵略するだろう。
 今まで、アタシ達がそうしてきた様に。






 アタシは走った。


 城を抜け、樹海を抜け、人目を忍んで夜の町を抜け。
 そして、何日か走り、限界が来た。


 それもそうだ。
 僅かに持ち出せた水と食料は全てサーガ様のために使い、アタシはその間、絶食絶飲だったのだから。


 余りにも我が身を顧みな過ぎた。


 その結果が、食料や水を探す体力も無く、森の中をフラフラと彷徨い歩くしかないという事態を招いた。


 サーガ様は元々、余り泣かない。
 だが、今はそういう問題では無く、ただただ衰弱して泣けなくなっている。


 まだ1歳と少しなのだ。1日の絶食でも生命に関わるのは当然。


 春が始まったばかりという時期柄のせいで木ノ実の類は見当たらない。
 野草を食えない事も無いが、栄養価は限りなく低い。それを咀嚼する体力を使って一歩分でも進んだ方が効率が良い。
 味が酷いのは言わずもがな、サーガ様は口に含む事も拒むだろう。
 近場に水源も無い様だ。


 お願い、誰か助けて。誰でも良い。
 アタシはいいから、どうか、サーガ様を……


 そんな時、アタシの目に、禍々しい光が見えた。
 魔力、だ。


 アタシは生まれつき、魔力を『見る』事ができる特異な目を持っている。


 向こうに見える、凄まじい魔力。
 あのお方程では無いが、あのお方の側近クラスはある。


 魔人に違いない。
 ならば、サーガ様を助けてくれるはず。


 サーガ様の、心強い味方になってくれるはず。


 薄れる意識の中、アタシはただただその魔力の方へ歩を進めた。




 そして―――












 謎の魔人少女と赤ん坊を抱え、俺とセレナはリビングへと飛び込んだ。


「んお? 何だ何だ?」


 休憩中だったらしいゴウトさんの間の抜けた声。
 その手には、湯気を立てる白い液体の入ったカップ。
 ホットミルクだ。


「丁度良いです、父さん、それを寄越してください」
「ん、まぁいいが、一体何のさわ…………! ……どうしたんだ、その子」


 セレナが抱いている弱りきった赤ん坊に気付き、ゴウトさんも異常事態を察した様だ。


「とにかく栄養摂取です」


 セレナはスプーンを使い、ホットミルクを赤ん坊の口へと流し込む。
 赤ん坊は最初、けほけほと少し咳き込んだが、弱々しくも腕を持ち上げ、おかわりを要求した。


 ……どうやら、赤ん坊の方はギリギリ大丈夫そうだ。


「こっちはどうする?」
「とにかく、ソファーに寝かせておこう……この子もこの子で、かなり衰弱しているな。ロマン、シルビアを呼んで来てくれ。俺は医者を連れてくる」


 彼女の治療魔法で応急処置をするつもりなのだろう。
 俺はゴウトさんの指示に従い、シルビアさんの部屋へ向かった。








「うぶ」


 流石は魔人、という事なのか。


 ミルクを与えて2時間もしない内に、赤ん坊は元気を取り戻していた。
 泣く様子は無いが、先程からセレナの腕の中で「あう」だの「うぶ」だの「うっぷす」だの意味のわからん声を上げている。


 こちらを見据える子供っぽくない落ち着いた目つきが、何となくふてぶてしい。
 なんだろうか、ジト目、というのだろうかアレは。こっちを舐め腐っている様な感じがする。何と言うか、「赤ん坊らしい可愛さ」という物を損なっている。
 まぁそれでも総合的に可愛いか可愛くないかで言えば、断然前者ではあるが。うん。


 一方、少女の方は未だ意識不明だ。


「……まぁ、様子を見るしか無いですねぇ」


 ゴウトさんが急いで、というか半ば拉致する様な勢いで連れてきた町医者はそれだけ言うと、点滴を施して帰ってしまった。
 ただの疲労による気絶では医者の出番は無い、そうだ。


 現在は点滴と並行し、シルビアさんの魔法で少女の身体能力を底上げ、覚醒を促している状態だ。


 そんな中、「だぼん」と今までと毛色の異なる声を上げた赤ん坊。
 ……何やら俺を指差している様に見える。


「だぼん」


 ……俺は「だぼん」なんて名前では無い。
 確かに改名したいと考えた事はあるが、もう少しまともな名前を要求する。


「やう」


 やうでも無い。


「だぼん」


 ………………。


「だぼん、だぼん」


 ……誰か、「だぼん」の意味を教えてくれ。何か無性に気になってきた。


「どうやらロマンさんに興味がある様ですね」
「俺に?」


 変わった赤ん坊だ。


 自慢では無いが、生まれてこの方、特別赤ん坊に好かれた事は無い。
 嫌われる訳では無いが、今まで出会った赤ん坊の中で、あえて俺に寄ってくる奴はいなかった。
 つまり、赤ん坊界共通のセンス的に、俺はナンセンスだという事だ。


 その俺をご指名とは、変わり者以外の何者でも無いだろう。


 まぁ何だ、何が言いたいかと言えば、良いセンスしてるじゃないか。
 不思議と、さっきよりも可愛らしく思えてきた。


「ちゃんとお尻を抑えて抱っこしてくださいよ」
「ああ、何だっけ、足を宙ぶらりんにさせてると、腰が抜けやすくなるとかだっけ?」
「その辺は知りませんが、赤ん坊的にもそれが楽でしょう」


 とまぁそんなやり取りをしながら、俺は赤ん坊を受け取り、抱いてみる。
 思っていたよりも重量感がある。


 どこを触ってもプニプニとしていて何だか心地よい。
 体温も良い具合に暖かいという感じ。
 うん、悪くない。


「…………んぶ」
「……何だ、その『何か思ってたのと違うけど、まぁいいや』的なリアクションは……」


 一体俺に何を期待してたんだこの赤ん坊は。


「のう、だぼん」


 小さい尻尾でぺちぺち俺の手を叩くのやめろ。
 何が望みなんだこの野郎は。


 一応何かを伝える様に「だぼん」とか「んち」とか言っているのだが、何言ってんのかさっぱりわからん。


 その時だった。
 不意に赤ん坊が黙り、小刻みに震えだし、そして、すっきりした様な表情を見せた。


「……んち」


 ……ああ、今回ばかりは何が言いたいかわかった。


 つぅか、どこから排泄物を錬成したんだろうか。
 2時間程前までは餓死寸前だった癖に。


 って、そんな事を気にしている場合じゃない。
 今こいつのケツはスクランブルしてるんだ。さっさとどうにかしてやるべきだろう。
 俺がこいつの立場だったらさっさとどうにかして欲しいはずだ。


「セレナ、紙オムツってあるか?」
「ある訳無いでしょう」


 まぁ、そらそうだ。
 赤ん坊もいない家に普通オムツなんぞあるわけ……


「あるぞ」


 そう言って、ゴウトさんは俺に1枚の紙オムツを差し出して来た。


「……聞いといてあれだが、何であんだよ」


 それもそんなスっと取り出せる状態で。
 まさかゴウトさんが自身のために用意した高齢者用とかか? それにしては小さいが。


「そこのお嬢ちゃんの身元がわかりそうなモン探してたら、出てきた」
「何でまた紙オムツなんて持ち歩いてんだ……?」


 それも出てきたのは1枚や2枚どころじゃ無かったらしく、彼女が眠っているソファーの下に何枚か積まれている。


「そもそも、何でこの子は赤ん坊を抱えて行き倒れなんぞしていたんだ?」
「知らん。が、推測するなら、魔王軍関係者、って所だろうな」
「魔王……」
「魔王を討った連中が、綺麗に魔王だけを潰したとは考えにくい。魔王を討つために、城や、その周辺の戦力も潰したはずだ」
「乗じて、国も動いたはずです。魔王軍を完全に叩き潰すために」
「それから逃げるために、必要なモンを持てるだけ持って飛び出して来た、って所だろう」
「…………」


 魔王は危険。魔王軍も危険。
 間違っても再建などしない様、徹底的に叩き潰す、という事か。


 そうした攻撃から逃げるため、この少女は放浪していた、というのか。
 こんな少女が、赤ん坊を抱いて、怯えながら逃げ回っていたというのか。


 そんな状況を作るのが、『魔王を殺す』という行為だったというのか。


 それが、俺のしようとしていた事なのか。


「……いや、違うか」
「どうしたんですか?」
「こっちの話だ」


 俺の目的は、あくまで『魔王を倒す事』。
 そう、俺は魔王を『倒す』だけで良かった。
 ゼンノウも言っていたが、魔王を殺さずとも「負け」を認めさせてしまえば、俺は元の世界に帰れたはずなのだ。


 というか、魔人と言えど人は人。
 ぶっちゃけ、俺が人を殺せる訳が無いだろう。
 肉体的にはかなり成長したが、精神的には未だ俺は一般的高校生レベルなんだ。


 ビビってトドメなんぞ刺せるかっての。


 とか何とか考えていたら、俺が抱っこしていた赤ん坊が何か暴れだした。


「んち!」
「っと……忘れてた」
「さ、とにかくオムツ替えだ」


 いつまでもケツがクソまみれじゃ、この赤ん坊も落ち着かないだろう。


 忘れて悪かった。
 だから尻尾ですげぇペチペチすんの止めろ。


 とりあえずオムツの替え方はわからんので、ゴウトにパス。


 ……しようとしたのだが……


「……おい、離せ」


 小さな手で俺の服を掴み、更には尻尾を俺の手首に巻きつける赤ん坊。
 離すものか、という気概が伝わってくる。
 何の真似だこの野郎。


「だぼん。てう!」


 ……何だろうか、「1度は抱いたんだから責任取ってよ!」的な目をしているのは気のせいだという事にしたい。
 それだったらセレナだって抱いたじゃないか。
 あれか? 小学生間のお菓子のゴミ的なノリか? 最後に触った奴が責任持つ感じのあれか?


「どうやら、お前にやって欲しいみたいだな」
「いぃ!? 俺オムツなんぞ替えたことねぇぞ?」
「教えてやるから。ほれ、タオルケット敷くから、まずそこにその子寝かせろ」
「えぇー……」


 何が悲しくて見ず知らずの赤ん坊のクソを処理せにゃならんのだ。
 可愛いからでサービスしてやれる範疇を超えている。
 面倒臭いし臭い。勘弁して欲しい。


「あえー」


 頑張れ、と言っている様な気がする。
 やかましいわ。




 そんな訳で無事オムツを替え終わり、赤ん坊は満足げに「なう」と鳴いた。


 何だ、ツイッターか。おニューなうってか。
 中々匂いのキツイもんぶっ放しといていい気なモンだなこの野郎。


「だぼん」


 また俺を指差している。


 だぼんは、俺を差す際、もしくは「お前、俺を抱いてみろよ」のどちらかの意図で使われるらしい。


 断る。
 もうお前への愛情はクソと一緒にオムツに包んで捨ててやったわ。


 お前はまだ知らんだろうがな、高校生が「赤ん坊だから」って何でも許容してくれると思ったら大間違いだ。
 できる事は大人並に増えてきたが、まだ大人として精神が成熟してない。それが俺達高校生だ。


 という訳で、俺は今ご立腹だ。俺にオムツ替えという苦行を強制した罪は重いぞ。
 もう俺はお前を絶対……いや、しばらくは抱っこしない。
 可愛らしいからって何でもかんでも思い通りになると思うなよ。


「だぼん、だぼん」


 えぇい、どれだけ訴えても俺は揺るがないぞ。「あとひと押し」とか思ってんなら正解だ馬鹿野郎。
 それでも、俺にだってガキ臭いけど男らしくくだらない意地というものが……


 ……でもまぁ流石に泣いたらね、そしたら意地を張らずに抱っこせざる負えないけどね。
 高校生だって人間だもの。仕方無いね。女の子と赤ん坊の泣き落としには勝てないね。


「だぼん!」


 ああ、もう、お前もお前でさっさと泣いちまえよ強がるなよ可愛いな全く。
 でもまぁそこまで望むなら、仕方無いから俺の方が折れ…


「だぼんっ!」






 一瞬、何が起きたかわからなかった。


 気付いたら、俺は背中から壁に突っ込んでいた。


「がっ……!?」


 腹を思いっきりブン殴られた様な感触だった。
 しかし、誰もそんな事はしていない。


 視界が点滅する。
 気分が悪い。


「な、何が……」
「だぼん!」
「がふっ!?」


 何か追撃が来た。
 見えない拳的なモノが俺の頬をブン殴る。


「衝撃魔法か……?」
「こんな赤ん坊がですか? いくら魔人とはいえ、そんな……」
「いがっ、ちょ、2人とも一体いばぁっ!? い、今何が起きうぼぉうっ!? 何が起きてぶるぅあっ!?」


 連打だ。
 よくわからんが俺は今連打されている。


 っていうかマジで痛い。
 セレナの鉄拳制裁よりも……いや、まぁどっこいどっこいか……ってぐへぇっ!?


 と、とにかく痛い、何だこれは、透明人間の怒りを買った覚えはないぞ。
 まさかアレか、山本君の呪いか。
 散々俺の方から呪ったから、何か返って来たのか。


「ロマンさん、大人しくこの子の言う事聞いた方がいいですよ」
「な、なん、べぇっ!?」
「今、お前を袋叩きにしてるのはこの子だからだ」
「は、はぁ……? っておぶぅ!?」
「しかしまぁこれだけ衝撃魔法くらっても意識があるとは、流石は俺の娘、良い鍛え方をしてる」
「当然です」
「もうちょっと詳しく説めでふっ!?」
「癇癪の様なモノです。この子が魔法を使ってダダをこねているんですよ」
「う、嘘だろべぇぶっ!?」


 俺が全く使える気配の無い魔法という物を、こんな赤ん坊が、こんなにも連打しているというのか?


 って、もうそんな事気にしてる場合じゃねぇ。
 かなり痛い、色々折れそう。
 そろそろマジでヤバイ。流石に意識が遠のいてきた。


「わ、わかった! 抱く、抱くから! 力の限り抱きしめるから!」
「なばぶ」


 素直でよろしい、そう言う様な雰囲気で赤ん坊はうなづいた。


 ……この野郎……







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