あなたの未来を許さない

Syousa.

第三日:01【御堂小夜子】

第三日:01【御堂小夜子】

 もそもそと朝食を咀嚼する小夜子。
 献立は朝の頻出メニュー、豆乳を使ったコーンフレークだ。
 食べ終えて、洗って、水切りバットへ放り込む。昨日の朝入れたままのボウルにスプーンが当たり、乾いた音を立てていた。

 身支度はもう済ませてある。後は外に出て恵梨香と待ち合わせをするだけ。
 小夜子ははしゃぐ心を抑えきれず、時計が七時四十分になる前に家を出るのだった。



 先に出ても待ち合わせ時間が早まるわけではなく、その分を家の前で待つことに。
 昨晩あれだけの目に遭ったというのに、今の小夜子は機嫌よく鼻歌まで歌っている。
 やがて、

「行ってきます」

 という鈴を転がすような声がして、女神が信者の前へ姿を現した。玄関のドアを閉め、門を開けて、小夜子の前へと歩いてくる。
 すらりとした長身、端正な顔立ち、歩くと揺れる美しい黒髪。
 小夜子の唯一絶対神、長野恵梨香である。

「おはよう、さっちゃん」
「おはよう、えりちゃブフ」

 ブフ、というのは、恵梨香が小夜子の正面に立った途端、小夜子が抱きついて恵梨香の胸に顔を埋めたからである。
 恵梨香が百六十八センチ、小夜子が百四十二センチ。二人の身長差だと、小夜子がやや斜め気味に抱きつけば、上手い具合に恵梨香の胸へ顔を埋めることができるのだ。

「怖い夢をみた」

 と言いながら、埋めた顔をぐりぐりと動かし恵梨香の胸の感触を味わう。
 ぐりぐりぐりぐり、ぐりぐりぐり。もひとつおまけにぐりぐりぐり。まだまだおまけにぐりんぐりん。

「……布の感触だー」

 制服の厚い布地越しなのだから、まあ当たり前ではある。
 だが小夜子は満足であった。体育の準備体操とは比べ物にならぬ気合いの入った深呼吸をして、恵梨香の香りを肺いっぱいに吸い込む。
 これだけでも昨晩の地獄を生き延びた価値はある、と噛み締める信奉者。続いて彼女は制服の裾から手を突っ込んで女神の胸を揉もうとしたが、その前に、

「やだもー、さっちゃんのエロすけ」

 と頭を両手で掴んで引き剥がされた。作戦失敗だ。
 だが恵梨香は小夜子の下心に気付いた様子もなく、手を掴み微笑むのであった。

「行こう、さっちゃん」
「うん」

 そのまま手を繋いで歩き出す。
 途中で小夜子は一度手を離し、「恋人つなぎ」に組み替えた。恵梨香は何の抵抗もなしに、その手と指を受け入れる。
 高校生にもなって手を繋いで登校というのはあまり見かけないし、ましてや恋人つなぎである。普通なら拒まれてもおかしくはないが、恵梨香は小夜子の指を拒んだことは一度もなかった。かといって他の女友達とそんな風に歩いているところも見たことはないので、恵梨香が特段スキンシップに寛容というわけでもない。
 小夜子はこれを、幼馴染みの自分だけに許された特権だと思っている。



 至福の十五分間。
 並んで歩きつつ柔らかな指と掌をじっくりねっとり愉しんでいた小夜子であったが、相手の指の動きや感触、体温から細かな異変を感じ取っていた。
 どうにも恵梨香の元気がないような気がする。そう言えば小夜子の話に相槌をうつ声もやや弱いし、歩く速度もいつもより遅い。

「えりちゃん、具合悪いの?」
「んー、ちょっとね。頭とお腹が痛い、かも?」

 それを聞いた小夜子の表情が曇る。

「えっ!? 風邪? 学校休む? 一緒に帰ろうか? 看病しようか? おばさん今日はフツーに仕事でしょ?」

 恵梨香は小学生の時に父親を亡くしている。年の離れた姉が一人いるが、既に社会人で家を出ているため、今は恵梨香と母親の二人暮らしだ。

「ううん、風邪とかじゃないと思うんだけどね」

 頭を振る恵梨香。
 それを聞いて小夜子は、

「生理……は違うよね? ちょっと前に終わったばっかりだし。私の計算だともっと先だったと思うんだけど」

 と口にしそうになったが、堪えた。
 いくら親友とはいえ生理周期まで把握し、かつ計算しているなど……流石に引かれそうだと気付いたのである。女神の狂信者にも、それくらいの理性はまだ残っていた。

「でもえりちゃん、具合悪いなら無理しないで休んでおきなよ」
「んー、そこまで本格的に体調が悪いわけじゃないの。疲れっていうか寝不足? それも違うかな? まあ、しばらくしたら大丈夫になると思う」
「心配だわ」
「ありがとう。でも今日は生徒会の集まりもあるし、ちょっと休みたくなくて。今度他校の生徒会と交流会があるんで、その準備を手伝うから」

(ああ、生徒会には彼氏もいるしなぁ……)

 小夜子は会計長の吹田先輩を思い出す。
 少し崩れた二枚目半。イマイチ頼りない印象だが、優しくおおらかな性格で下級生からも慕われていた。
 恵梨香の彼氏として釣り合うとは認めていなかったものの、小夜子も彼に対して悪い印象は持っていない。それがまた、少女を惨めな気分にさせる。

「そう……無理はしないでね?」
「ダーイジョブよ」

 茶化しながら恵梨香は微笑んだ。
 そして「ぎゅっ」と小夜子の手を強く握り、重ねてそのことを強調するのであった。

 そうこうしている内に至福の十五分は終わり、他の生徒らと通学路が重なり始める。小夜子は恵梨香の手からゆっくりと指を解き、歩みを緩めて十メートル程の距離をとった。
 やがて恵梨香の周囲にはクラスメイトや他の友人たちが集まり始め、女神の傍らから狂信者の居場所は完全に失われる。小夜子は彼女らの背中をぼんやり眺めながら、後方をとぼとぼと付いていく。

 いつもの光景、いつもの流れ。
 そう。いつもの。

(……でも明日は、この光景を見られるのかしら)

 そう思いながら、小夜子は足を進めるのであった。



 昼休み。
 昨日あさがおマートで買ったパンを食べていると、中田姫子の取り巻き、佐藤と本田の二人が小夜子の席までやってきた。

「なんか臭わない?」

 と言ったのはややふくよかな体型の佐藤だ。三人の中では一番背が高く、意外に成績も良い。

「ちょっとね、クサイよね」

 こちらは本田。これは佐藤とは対照的に細くて小柄な娘だ。以前は眼鏡をしていたのだが、最近はコンタクトレンズにかえたらしい。元々薄かった印象がさらに薄くなった、と小夜子はこっそり思っている。

 二人は「あーくさいくさい」と鼻をつまんで言いながら、教室入口の方へ歩き去っていった。
 ふと小夜子が視線を回すと、入り口のところで中田姫子がにやにやとこちらを眺めているではないか。おそらく佐藤と本田の物言いは、彼女が仕向けたのだろう。直接来なかったのは、嫌がらせに変化をつけるためなのか。まあ実際変化はついたものの、そこから特に発展はさせられなかった様子。
 今日はこの程度で済んで良かったと小夜子は思い……そしてそう考えたことに、自己嫌悪するのだった。

(ああいうクズどもこそ、未来人の教材にされてくれればいいのになあ)

 だが残念ながら三人の様子に、一昨日昨晩と修羅場をくぐったような変化は見受けられない。心底悔やまれるように、息を吐く小夜子。

(……教材か)

 昨晩の【ホームランバッター】はG県……遠い関東地方の高校生だと言っていた。おそらくは日本全国、ひょっとしたら世界規模で【対戦者】を採り上げたのかもしれない。
 だとしたら小夜子の身近に、他の【対戦者】がいる可能性は極めて低いだろう。

 それに自分自身は無価値な存在だと認めている彼女であったが、姫子らがクズだとは思いつつも無価値とまでは思っていなかった。
 憎まれっ子なんとやら、という奴だろうか。性格が悪い人間のほうが世渡り上手であることを、小夜子も知らない年齢ではない。
 ああいう人間のほうが結局、世間では強いのだ。



 あさがおマートで夕食の弁当と翌日昼食用のパンを買う、いつものルーチンワーク。今日はそれに、ペットボトルのジュースも追加されていた。

 会計を終え袋詰めの台にカゴを運び、移し始める小夜子。
 昨晩の戦場の半分程度の広さに過ぎぬあさがおマートだが、スーパーという場所自体が【ホームランバッター】との対戦を思い出させ、少女を憂鬱にさせた。

(田崎さんもスーパーに行ったら、こんな気分になるのかしら)

 小夜子は一人、心の中で呟く。



 家に帰る。靴を脱ぐ。揃えもせずに台所へ。弁当を冷蔵庫に入れ、惣菜パンはテーブルに。昨日ビニールに入れたまま放置のレトルト食品を棚にいれ、留守録チェック。何もなし。トイレを済ませて手を洗い、買ってきたペットボトルのジュースを持って二階へ上がる。

 すぐに目に入る、「SAYOKO」というプレートが下げられたドア。
 自室だが、トントンと叩いてみる。

『どうぞー』

 という声が返ってきた。
 もう驚かない。もう疑わない。

 ドアを開けると、部屋の中にはきらきら輝く粒子をまとった妖精がベッドの縁に座っていた。

『おかえり、小夜子』

 どう返すかと数秒迷い……しかし少女は覚悟を決めたように、唇を動かす。

「ただいま、キョウカ」

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