虐められていた僕はクラスごと転移した異世界で最強の能力を手に入れたので復讐することにした

白兎

62・--い・や・だ・ね

 汗の臭いが漂う空間にようやく嗅覚が適応してきた頃。
 彼もまた、その臭いに加担するように汗を流す。

「――ッたぃぁ」

 優希は尻餅をついて倒れる。
 衝撃が腰に響き、立ちあがる動作を拒絶した。
 夕日が窓から射しこんで二人を照らす。
 
「はぁぁ……あれから四日経っけど、センスなさすぎ。つーか身体弱すぎ」

「翠人言いすぎウケるんですけど」

「言い出しっぺお前だろ」

「…………」

 溜息をつく鬼一とそれを眺めている一夏、花江、布谷の三人。
 公開処刑と言わんばかりに吹き飛ばし、鬼一が一言、それに対し一夏と布谷があざ笑う構図。
 花江は見ているだけだが、止めるつもりは毛頭ないようだ。

「ほらさっさと立てよ」

 身体中を疲労と衝撃で表情を歪ませながらも、竹刀を杖代わりにようやく立ち上がる優希。
 そんな彼の姿に、鬼一が唐突にある提案をする。

「なぁ、俺は思うんだよ。お前にはやる気がないから上達しないんじゃないかって。だからさ、こっからはゲームをしよう」

「ゲーム?」

「何、簡単だよ。こっから俺とお前で打ち合って、一本取れたら取られた方が言うことを聞く。簡単だろ?」

 簡単。そんな訳がない。鬼一は中学の頃全国大会に出場したことがある実力者。高校からやっていないとはいえ、その実力は残されたままだ。
 それに対し優希は素人。ましてや運動神経や筋力などは他よりも劣っているくらいだ。

「勿論ハンデはやるぞ。俺は三本で一本分、そっちは一本で三本分でどうだ?」

 四日間、何度か打ち合ったが鬼一から一本取れたためしがない。いつも結果は竹刀を弾かれるか、バランスを崩して転倒するかだ。そう考えれば鬼一が言うハンデはハンデになっていない。何故なら、点数のハンデは一本取って初めてハンデに成りえるのだから。 

 しかし、優希は嫌な顔をしつつも否定はしなかった。
 彼は優希が強くなるようにこの時間を設けている。そんな立場で否定するのは申し訳なく感じてしまう。
 嫌なことを嫌と言う。それが出来ない、否、出来なくなってしまった今の優希は提案を受け入れるしか出来なかった。
 まだこの時は考えが甘かったということもある。鬼一は言い方はともかく、優希を教えていることに変わりはない。この罰ゲームも、優希の精神を追い込むためのものだろう。罰ゲームと言っても、ちょっと恥ずかしいことをやらされるだけ。
 
 ――この時の優希はそう信じていた。
 
 結果は全員の予想通り。10回打ち合い優希は全敗。ラストの一本はカウントしなかったとしても三回、鬼一の言うことを聞かなければならない。
 何をやらされるのかとハラハラして、

「じゃあ一個目。なんでもいいから物真似を一つ」

 軽い罰ゲームだった。
 人前で物真似などしたことがない優希だが、恥辱よりも安心の方が大きかった。
 二日目、三日目も変わらない。一度目より安心感が薄れて恥ずかしさが勝るようになっていたが、苦ではない。
 それに優希が何かをすると楽しそうに笑う鬼一達と、惨めで弱い自分に熱心に教えてくれる鬼一。彼らと行動を共にするようになってから竜崎達に絡まれることも少なくなり、心のどこかで居場所を感じつつあった。

 テスト期間も終わり、剣道場は部活で使えなくなっても、近くの広場で優希は鬼一達と共にいた。
 少しずつだが、竹刀も軽く感じるようになり、鍛えられているという実感が出てきた。無論鬼一から一本取るなどまで無理で、罰ゲーム制度は続いていたが、今ではそれが日常になりつつある。

 そんな日々が三週間。
 様子がおかしくなりだしたのはそのくらい経ったころだ。
 やっていることはいつもと変りない。いつもの場所で鬼一と竹刀をぶつけ、いつものように優希が負けて、いつものように罰ゲームをする。
 だが、問題は罰ゲームの内容だ。
 最初は物真似や一発芸、恥ずかしエピソード暴露といった普通なもの。しかし最近は違う。自分一人で住んでいたものが、外部、他人に影響を与える罰ゲームになっていた。タチの悪い悪戯と言えば軽く感じる犯罪。

 何故そんなことをしていたのか優希自身よくわからなかった。
 折角出来た居場所を失いたくなかったから。
 また一人になるのがいやだったから。
 バレなければ問題ない。やりすぎだとは思うがその場を逃れる言い訳くらいは考えているつもりでの罰ゲームだろうと思う。
 
 理由はいろいろあるが、一番はあの苦しい日々に戻りたくなかったからだろう。
 肉体的、精神的苦痛が毎日のように続き、休める暇などない。家では強くあろうと笑顔を作り、外では何もできず、いいように扱われる日々。
 それに比べれば、一瞬の罪悪感など……。

 この時の優希はもう既におかしくなっていた。嫌な日々に戻りたくないという思いが、罪悪感をかき消していた。
 断れる時に断っていなかったから。嫌なことを強要されているのに嫌と言わなかったから。
 こうなってしまったのは優希の弱さも原因だ。それに気づいたのは生徒指導室に呼び出された時だ。
 生徒指導の教師が優希のやってきたことについて追及。嘘の付けない優希としては素直に認めるしかなかった。幸いにも謝罪で済み事なきを得た。その場にいたはずの鬼一たちの名前が挙がらなかったことに疑問を抱く余裕など優希にはなかった。
 その放課後、優希は彼らの待つ広場へと向かう。ただ、今日は特訓ではない。関係を断つためだ。

 電車の音が響く高架下。そこには鬼一達がそこにいた。
 彼らはまだ優希の存在に気付いていない。だからこそ、彼らの会話は止まることなく優希の耳に入った。

「あ~ほんと笑えるわ。竜崎が言ってた通り、ちょっと優しくすりゃなんでも言うこと聞くな」

「ホント、ウケるんですけど。どんだけ馬鹿なのアイツ。普通気付くでしょ」

「流石にあれはなぁ。途中から可哀想だったし」

「だったら止めてあげなよぉ」

「いやそれ以上におもろかったから」

「…………」

 花江は黙ったままだが、他の三人が会話を続ける。
 その内容は全てまやかしだったことを優希に告げた。竜崎と繋がり、優しさと思えていたのは全て嘘で。
 居場所など、最初から存在していなかった。それに今まで気づかなかった自分の鈍さにも苛立ちを覚える。いや、気付いていたはずだ。心のどこかで、笑われていることに気付いていたのだ。
 しかし、それを認めるのが嫌だった。その結果がこれだ。

 ――ちょうどいいや……。

 ここまでくれば全て吹っ切れる。関係を断ち切ろう。
 ようやく優希は断る覚悟を決める。心臓が高鳴る、一歩を踏み出すのにこれほどまで緊張感を得るものだろうか。

「ん、遅かったな。大丈夫だったか? ま、何があったか知らんけど、汗かいて忘れようぜ」

 鬼一が言う。彼らにとっては優希は今来たことになっている。だからいつも通り話すし、心配もする。それがすべて嘘だということを優希は知っている。
 だから――

「いや、今日は稽古しに来たんじゃないんだ」

 言った。遂に言ってしまった。こうなったら後には引けない。後は心の奥底の感情を吐露するだけ。
 竜崎程の恐怖の記憶を刻まれないうちに、まだ拒絶の言葉が出るうちに。

「もう……止めてほしいんだ。こんな事……」

 優希は眼を逸らし小さい声で言う。
 前など見れない。鬼一達が一体どんな顔をしているのか、この目で確認するのが恐かった。
 今の優希には小さくてもいいから言葉にすることしか出来なかった。

「鍛えてくれたことには多少なりとも感謝してる。だから、もう……」

「また一人になって竜崎にやられるだけだろ? なら別に」

「聴いてたんだ。さっきの会話全部。鬼一君達が竜崎君と……その……」

 ここが潮時かと言わんばかりの溜息が聞こえた。
 それにびくりと肩が上がる。

「酷いなぁ。お前の為と思ってやってやったのにそんな言い方。こりゃぁ罰ゲームはまだまだ必要だわ」

「ごめん……もう、勘弁してください……」

 謝罪しか出来ない。懇願しか出来ない。
 竜崎だけでなく鬼一達にまでとなったら。考えただけで恐ろしい。 

「じゃあ、さ……今までツケてた罰ゲーム。結構あるけど最後の一つにしてやる」

 最後に一つ。その一つが恐ろしいが同時に救いでもあった。
 次で最後、その一つさえやり遂げれば優希は解放される。これ以上関わらないでいられる。それはまたいつもの日々に戻る道だが、悪化よりも停滞。今はまだそれが最善だと優希は思う。
 一体、どんな罰ゲームなのか。何でもいいこれがラストだ。

「俺さ、一度でいいから本気の土下座ってのを見てみてぇんだよ。額を地面にこすりつけてさ」

 簡単だ。優希にとって土下座に対し抵抗など感じない。情けないかもしれないが、土下座に屈辱を感じるほど優希のプライドは高くない。むしろ、たった一回土下座して懇願するだけで、この苦しみから解放されるのなら――

「うそ~マジでやったよ~」

「ハハハ、こいつプライドとかねぇのかよ」

 一夏と布谷の嘲笑が聞こえる。
 だが、そんなことはどうでもいい。額から伝わるコンクリートの冷たい感触を感じながら、

「お願いします……もう、やめ――――ッぁ!?」

 突如、後頭部から伝わる強い衝撃に優希から悲痛の声が漏れる。
 額で感じていた感触が今はとても熱く、押しつぶされる感覚。

「足りねぇよ。もっと額を擦り付けてよぉ、泣きながら言うもんだぜ」

 コンクリートに置いた頭をぐりぐりと鬼一の足が踏みつける。
 ――――苦しい、辛い、痛い、痛い。
 地面が濡れる。それは優希の眼から溢れ出て頬から零れ落ちたものだ。
 涙が零れた理由は分からない。痛くて泣いたのか、辛くて泣いたのか、悔しくて泣いたのか。
 それとも、ここで涙を流すのが最善だと、身体が勝手に反応したのか。

「もう……許して、ください……お願いします……」

 声が震えて、喉に何か詰まる感覚を味わいながらも無理やりに言葉を吐き出す。
 辛いのは今だけ。もう彼らと関わらないで済む。
 優希が必死に吐き出した懇願の言葉。優希の頭が軽くなる。鬼一の足が離れたからでもあるが、同時に言い切ったことによる精神的な理由もある。
 やっと解放される。やっと――

「――いっ!?」

 頭皮に鋭い痛み。髪の毛を掴まれて優希の顔は自分の意志に関係なく上を向く。
 涙で歪む視界に鬼一の顔が映る。冷たい視線と嘲笑う笑み。
 この時言われた一言は、今でも優希の記憶にこびりついている。


「 い・や・だ・ね 」
  




 ********************



 嫌な記憶が溢れてくる。
 それは目前にいる彼女が原因だろう。
 腰の括れがはっきりと認識できる軽装と腰のベルトに折りたたまれて取り付けられたショートボウ。ショートカットの髪が揺れて、落ち着いた表情が大人らしさを感じさせる。
 花江哀。何故彼女がこの場にいるのか、優希の理解は展開の速さに追いつかない。

「あんた、死んだはずじゃ……桜木」

「……何を言ってるんですか? そんなことより、無事で何よりです」

 優希は動揺した表情を強引に笑顔で塗りつぶす。
 しかし彼女は、目前で笑顔を繕う白髪の少年を、ジークではなく桜木優希として見ていた。
 確信を得ている双眸に、優希の顔から笑顔が消えた。

「……はぁぁ」

 それは諦観の溜息。
 先ほどまでの優し気な仕草と表情が消えて、燃えるような緋色の瞳が、背筋を凍えさせる冷たさを帯びて花江を睨む。
 
「どこで分かった……というよりは、なんでここに?」
 
 彼女の立っている場所は、一本道に足を進めようとしていた優希の背後。つまり、その道から来たわけではない。
 つまり、最初からそこにいたか、瞬間移動のようなもので移動したかだ。正体がバレているとこから、今現れたのではなく、最初から居たということになる。優希がその素顔を晒したのは〖再起動リブート〗発動時だけ。それ以外は常にジークの姿だ。

 問題は最初からそこにいたというのに、姿を見せなかったということと、無傷だということ。
 爆裂石は【堅護】、つまりマナの鎧を分解する。この場にいたのなら無傷では済まない。そして、弓兵の恵術【穏姿おんし】は、姿こそ見えなくなるが、肉体はそこに存在する。爆裂石にやられるはずだ。
 姿を消して無事でいること。それが出来るなら天恵を持っていること。天恵を使って調べたが彼女の練度は五千に届いておらず、天恵など――

「――――――ッ」

 そこでようやく気付き、【神の諜報眼インテリジェンスエーガ】を発動する。
 自分のいたらなさに苛立ちを覚え表情を歪ませながらも、こうなってしまっては仕方がないと切り替えて、冷酷な視線を向ける。

次元透過インビジブル】――それが、彼女が『コルンケイブ』で得た天恵だ。優希が彼女に【神の諜報眼インテリジェンスエーガ】を使用したのは『アクアリウム』でのことだ。
 魔界では魔境よりも練度の伸び率が良いことに気が付かなかった優希は、彼女がオクトフォスルとの戦闘で天恵を得るという考えが浮かばなかった。

 ミスと誤算、そして不運。
 魔界での練度上昇率が予想以上だったという誤算と、こまめに天恵を使って練度を把握していなかったミス。
 加えて彼女が得た能力と、優希と共に転移されたのが彼女だという運の無さ。
 
「私の天恵【次元透過インビジブル】は感覚をこの次元に干渉させたまま、肉体は別の次元に移動できる。簡単に言えば幽霊になる」
 
 爆風でやられていないのは、彼女の肉体が存在していなかったから。優希の正体に気付いたのは視覚や聴覚はこの世界の光や音を感じていたから。
 彼女の足元には優希のバッグが置いてある。
 彼女が現れた途端、バッグも見つかったということは、彼女の天恵は触れているものも一緒に消えてしまうということ。
 
 そこで生じる疑問は何故彼女だけが身を隠したか。
 優希と共に転移され彼女が先に気が付いたとして、何故彼女はバッグは隠したのに対し、ジークの姿をした優希に天恵を使わなかったか。
 転移工作が敵の仕業だと認識したなら、身の安全のために天恵で姿を消すのは理解できるのだが、それならジークである優希にも天恵で姿を隠すはず。

 だが、彼女はそれをしなかった。
 思い浮かぶ理由は二つ。
 彼女の天恵は自分以外の生物に使うことは出来ないか、優希の正体に気付いていたからだ。

「西願寺さんの話を聞いて、疑問に思ったことがある。あなたは古家さん達に助けられて生き延びたと聞いているけれど、最後の敵と誰かが相打ちで終わったの?」

「…………」

「そして今回もあの巨大魔族の死体がいつの間にか移動して帰り道を塞ぎ、一夏も死んで、今もこうして危険なことになってる。証拠も何もないけれど、私にはこれが偶然だとは思えなかった。結果は予想通りだったけど」

 疑念が確信に。
 正体を知ってしまった彼女の口を封じようと、優希の神器は銀剣を突き出しそうになって、

「……なんのつのりだ?」

 優希の行動が停止してその台詞が零れたのは、彼女の行動の意図が読み取れなかったからだ。
 深々と下げられた花江の頭を、優希の視線が怪訝の鋭さを持って貫いた。

「お願いが……あるの……」

 震える声で、彼女は言った。
 それは殺意を剥き出しにしている相手への行動ではなくて、優希はただただ動揺で沈黙することしか出来なかった。 

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