虐められていた僕はクラスごと転移した異世界で最強の能力を手に入れたので復讐することにした

白兎

60・小悪魔の少女

 奥へ進む。
 水平洞とは言えども多少の傾斜はあり、優希達の立っている場所は標高的に地上からかなり下へ位置するだろう。
 オクトフォスルと対峙する前のような適度な雑談、団欒は皆無で、重い空気と必死の警戒で進んでいた。
 一夏の死。数時間前の出来事になるが、彼の断崖へ落ちていく光景が、たった今の出来事のように脳裏に焼き付いて、全員の意識を警戒心へと注いでいる。

 中心部に近づくにつれて、魔族よりも目にするものがあった。
 最初は皐月もそれを見て怯えた表情を浮かべていたが、慣れてしまったのか、不快感を残したまま冷静さを残している。

「奥は骨ばっかだな。気味悪ぃったらないぜ」

 水蓮石の輝きに照らされた人骨は、バラバラにばらけてどの骨がどの頭蓋の物か分からなくなっている。
 頭蓋の数からざっと三十人分くらいだろうか。それにしても気味が悪いの感想しか出てこない。
 筋肉や内臓等の組織はバクテリアか魔族かによって分解されて一片のかけらも残っておらず、まるで人体模型でもばらまかれているようだ。
 今にも動き出しそうなそれは、かつてここに挑んだ猛者共の成れの果てであり、死者が残す正者への警告でもあった。

 ――そう感じているのは皐月だけだが。

 一人は死んだ友人を思い出し、一人は危惧の感情を込めた視線を優希に向けて、残りの三人は今この状況の不可解な点を警戒せずにはいられなかった。

 綺麗すぎる白骨死体。ここにあるということは元は武器や防具などを纏っていたはず。だが、周囲に散らばる累々の白骨死体には防具どころか衣服すら身に着けておらず、本物の骨には間違いないのだが、戦場に出向いている割には骨自体に傷や怪我の痕跡があまりない。

 武器や防具はここを通った何者かが回収した可能性もあるが、衣服までしっかり盗む可能性は低いだろう。
 それに死肉を魔族が喰らいついたとしても、これほどまでに綺麗に喰いきれるものだろうか。
 骨に歯形のような傷はない。カラスなどの鳥類はまずこの洞窟では見られないし、そもそもこの光景を目にするようになってから魔族自体見られない。

 なら何故彼らはここで朽ち果てているのか。
 奥へ進むと毒ガスのようなものにやられてここまで移動してきたのだろうか。
 それとも、本来ここにいるはずの魔族が、何らかの理由でいない、襲ってこないのだろうか。
 それとも、この死屍累々自体が罠の可能性も考えられる。

 思い浮かぶ可能性を状況証拠で潰していこうと、優希と鬼一は注意を払い観察し、分析し、考察する。
 先へ進む足を止めないまま進んでいく一行。ただならぬ空気を肌で感じて、足首には締め付けられるような圧迫感を感じて――――

「――――ッ!?」

 優希の視線がその不気味な感覚へ向けられた時、左足を潰さんとばかりに強く掴む骨太な指を視界に、優希の身体が無意識に仰け反った。

 左足に掴まれたままの手は肘までしかなく、優希の足を離さないことに力を使っているのか、橈骨と尺骨が無気力にぶら下がる。

 そして、優希の身体が無意識に動いた理由――〖行動命令アクションプログラム〗のよる自動回避が発動した原因、ボールのように頭蓋が投げられて、優希が避けたために水蓮石の壁にぶつかって陶器が割れたような音を響かせる。

「やっぱ罠か……敵はどこだ」

 鬼一が柄に手をかけて、魂が吹き込まれたように動きだす人骨を睨みながら、明確な敵を探す。
 この骨たちがスケルトンのような魔族なのか、そのような魔族を誰かが操っているのか、ただの骨を操っているのか。
 動き出した人骨は集まり、それぞれの骨の本来の位置は完全に無視しているが、それでも歪な人型を形成し、囲うように優希達を襲い掛かる。

「俺が道を作るから、広いところまで全員走れッ!!」

 鬼一達がいる場所は割と狭い道だ。
 花江のような遠距離攻撃型は不利な上、皐月や布谷のような魔導士も近接戦に回らなくなる。この地形で唯一まともに動けるのが鬼一だが、彼もまた距離が取れない間合いは厄介だった。
 それも、異様な人体を構築するスケルトン擬きの数は二十人ほど。畳みかけられた場合、それに対抗するのは至難で、周囲を攻撃する恵術は他のメンバーにも危害が及ぶ。

「【斬波】ッ!」

 抜刀し空気を縦に切り裂いた一本の剣は、マナの波動を作り出して前方のスケルトン擬きを散り散りに刻み、砕き、破壊していく。
 それでも尚、切断されたトカゲの尻尾のように動き回る骸骨達を無視して、スケルトンの包囲網にできた逃げ道を使って移動する。
 背後から再び形を作って追いかけてくるスケルトン擬き。何度恵術を行使して追跡を阻もうとしても、徐々に人間からかけ離れた形を形成して追跡を再開する。

「しつけぇなクソッ! 異世界版〇ォーキングデッドかよ!」

 やけくそ気味に叫びながら、再び【斬波】で追跡を阻む。
 徐々に粉々になっていく骸骨だが、どういう訳か何度も追いかけてくる。
 そして逃げる。破壊する、逃げる。その繰り返し。

 落ち着く暇など与えてくれない。だからこそ、気付くのに少し遅れた。
 鬼一が最後尾で恵術を行使して、再び逃走を試みようと奥へ続く道に視線を向けると、

 ――誰一人、そこにはいなかった…………。



 ********************



 突如として現れたスケルトン擬き。その奇襲に混乱状態に陥って、オクトフォスル同様の騒がしさを感じていたはずなのだが、それが幻想のように思えてしまう静寂が優希を包む。
 ここはどこだ。何が起こった。誰もいないのか。誰がいるのか……。
 無を繕う表情の裏に湧き出る疑問を消化することに意識を向ける。

「…………」

 オクトフォスルと対峙した場所よりは狭いが、それでも戦闘には上等の広さがある空間。
 水蓮石に囲まれていることから、ここがまだコルンケイブの中であることは確かだ。
 敵の気配を感じ取る。優希の超感覚で物音などは判別できても、気配だけを正確に読み取る技術など持ち合わせていない。

 【感索】で敵のマナを感じ取る。優希の【感索】が届く範囲は精々手を伸ばした程度の範囲だ。警戒の為に一応展開するが、それでも敵を特定はできない。

「道は一本……敵も味方もコンタクトが無い……行くしかないか」

 本来行き止まりの場所なのだろうが、ここまで堂々と一本の道を見せつけられては、罠の可能性を感じながらも進もうと足が動く。
 そういえばと思い出した、今も尚左足を掴む骨の手を銀剣で斬り刻む。
 その刹那は、優希の意識を斬り刻むことに――――。

「――――ッが!」

 突然の衝撃。腹に感じたそれは痛みこそ感じないものの、優希の肉体はダメージとして判断し、体内から練り上げられる血が口から吐き出され、吹き飛ぶ身体が硬い水蓮石に激突して衝撃を無理やりに相殺する。
 全身の骨が砕け、肺から空気が外に出されて、雪のような白髪が黒に染まり、優希の身体は死という状態に陥ったことを告げる。

「まず一人、ノルマ達成まで後二人なのです」

 優希が立っていた場所。小柄な体に片翼の無い小悪魔の衣服。その矮躯と同サイズの骨の棍棒。
 優希のものと思われる血が生々しく朱色に染める白骨棍棒をその身体では想像がつかないように軽々と持ち上げて肩に乗せる。
 乱れた金髪を整えて、悪がきを彷彿させる八重歯を見せつけるようににやりと笑う少女。

「でも商人を数に入れてもいいのです? いやいや恩恵者ならギリオッケーなのです!」

 勝手に浮き出た疑問を勝手に一人で解決する、傍から見れば頭のおかしな少女。
 輝かしい水蓮石を血で汚したの死体は項垂れたまま動かない。

 ――――――ッッ!?

 と、勝手に判断していた少女は、まさかの事態に驚きの表情を隠せない。

「そのノルマにはイカれたクソガキも含まれてんのか? いやいや恩恵者ならギリオッケーか」 

「驚いたのです。クーの一撃をまともに食らって生きているのはあなたが初めてなのです!」

 突如動いた死体は、少女に鋭い蹴りを食らわす。
 自分の図体と同じ大きさの棍棒でその一撃を塞ぎ、全身に力を籠めるも、その小さな身体では威力のすべてを受け止めきれずに少し後ろに吹き飛んだ。
 少し宙に浮く感覚を味わって少女の足は地に着き、率直な感情を言葉にする。

 目前で何もなかったかのように立つ白髪の青年は、背筋を凍らせるような視線を少女にぶつけ、少女はそんなこと気にもせずに、何故彼が生きているのかに思考を巡らす。

「何故生きているのです? いやいや生きているのは良いのです。でもなんで立っていられるのです? 手応えは確かにあったのです!」

「あぁ、お陰様で服が血で汚れた。クリーニング代はテメェの命で払ってもらおうか」

 優希の赤眼が敵を前に光る。
 言葉では軽口を叩いているが、纏う雰囲気は決して軽いものではなく、死の恐怖を刻みつけるようだ。
 それでも少女は無垢な表情。余程鈍感なのか、優希が漂わせる殺気など気にするほどではないと認識しているのか。
 どちらにせよ少女には恐怖や警戒の感情など抱いてはいなかった。そこにあるのは、何故優希が生きているのかという疑問のみ。

「不思議なのです。恩恵者だとしても無防備な状態でクーの一撃を受けているのに無傷なのは不思議なのです! クーはとっても気になるのです!」

「そんなの簡単な話だろ。お前の攻撃なんざ蚊に刺される程度のもんだったってこった」

 背後の水蓮石の壁にはべったりと血が付着しているのだが、それでも優希は一切効いていないと宣言する。
 〖再起動リブート〗した肉体は、攻撃などなかったかのように無傷を見せつけて、周囲に見られる出血と肉体が証明するダメージの差が、少女を混乱させる。

「考えられるのは二つなのです。クーとあなたに圧倒的な練度差があるか、あなたの天恵が作用しているかなのです!」

 優希を指さし、ほくそ笑んで推測を口にする少女。
 攻撃が当たることを覚悟した【堅護】で防御した訳ではない以上、警戒程度の少量なマナで使用される【堅護】でも充分に攻撃を防げる程の練度差があるか、天恵によって超回復もしくはダメージ無効化したのかの二つが考えられる。
 残念だが少女の推測は両方とも外れているのだが、わざわざそれを教えてやるほど優希に慈悲の心はない。

 ……【神の諜報眼インテリジェンスエーガ】。

 瞳に熱い感覚を味わって、脳に電撃を受けたと錯覚する刺激を感じ、情報の羅列が刻まれる。

 名前――クーリアス・アーガイル。
 恩恵――武闘家。
 練度――6800。
 天恵――【質量無視ポンドネグレクト】……触れたものの質量を無視する。
 神器――“星返の棍棒”……あらゆるものを打ち放つことが出来る棍棒。超重量武器な為扱うことは極めて困難。

 次々と脳に送り込まれ、忘れないように焼き付けられる少女の情報。
 鬼一達には隠していた優希の天恵【神の諜報眼インテリジェンスエーガ】。視界に入れた相手の情報を知ることが出来る天恵。そして同時に【鑑定】の効果も含まれるため、敵の武器も同時に調べることが可能だ。

 ただ、体全体が視界に入っていないと効果が得られないが、敵の天恵すらも知ることが出来るこの天恵は非常に便利で、戦闘では情報面で優位に立つことが出来る力。

「“星返の棍棒”……遥か昔、巨大な隕石を打ち返すことが出来たという逸話がある超重量武器。その体躯で扱える代物じゃないはずだが?」

 情報の牽制。敢えて天恵には触れず、敵の持つ武器の情報を告げる。
 優希の天恵【神の諜報眼インテリジェンスエーガ】は、敵の情報を引き出すと言っても完全では無い。
 あくまで天恵の効果だけであり、その効果がどこまでの解釈が出来て、どこまで応用が効くのかまでは、知ることが出来ない。

 本来、自分の知り得た情報を教えることは良い手とは言えない。
 自分が無知を装えば、相手は自分の能力を隠そうと小細工を試みる。つまり思い切った行動が取りづらくなる。

 だが、今回は更に詳しく情報を引き出す為に、自分の知る情報を公開した。
 これはあくまで優希が感じた彼女の第一印象だが、クーリアス・アーガイルは素直そうだ。
 質問形式で話しかければ何も考えず答えてくれそうな雰囲気が彼女にはあった。

 仮にそうじゃなかったとしても、彼女の天恵の能力自体はとてもシンプルで、答えてくれないならそれでいいと切り捨てる事もできる。
 だが、彼女は優希が抱いた印象通りの少女な様で、

「それはクーの天恵によるものなのです! クーの天恵によって持ったものは、重さがゼロになるのです!」

 “星返の棍棒”をぶんぶんと振り回しながら、自慢げに語るゴスロリ少女。
 彼女の言葉で、【質量無視ポンドネグレクト】の解釈が明確になる。

 彼女の天恵には二つの解釈が出来た。
 一つは彼女が質量を無視しても、そのもの自体の質量は存在していること。
 もう一つは、質量そのものを完全に消していること。
 前者なら、超重量武器の特徴である振り下ろしの破壊力を自由に扱えることになる。
 後者なら、質量が完全に消えているので、超重量武器がただの棒に過ぎない。

 そして、自慢げに言った台詞から彼女が“星返の棍棒”を手にしていると間は、それ自体に質量が存在していないということが察せられる。

 つまり“星返の棍棒”から繰り出す攻撃力に重さは含まれない。
 と、分かったものの……

「ノルマもありますのでとっとと殺っちゃうのです!」

 子供ながらの無垢な笑顔を振りまいて、小さい歩幅でも軽やかな動きで勇気との距離を詰め、優希の顔面めがけて“星返の棍棒”を横に振り抜く。

 屈んで交わした優希の髪は、棍棒が生み出す強烈な風によって乱れる。
 屈んだ優希は、隙のある彼女腹部めがけて、拳を叩き込む。
 咄嗟に片腕で防御したクーリアスは、宙でヒラリと舞いながら、攻撃の威力を緩和して距離を取る。

 優希の視線は冷たく、正面の敵を殺すことに意識を向けている様だが、その裏ではクーリアスの攻略法を模索していた。

 彼女の天恵で、超重量武器特有の破壊力すら消えているのだが、それでも最初の一撃を受けた限り、どちらにせよと言った感じだ。無防備な所に当たればタダでは済まない事に変わりはない。

 そして、初撃を受けたということは、彼女の攻撃は優希の超感覚センサーに引っかからない程に無駄がなく、〖行動命令アクションプログラム〗による自動回避が期待できない。

 更に彼女には優希の切り札とも言える攻撃を一度防いでいる。
 敵が死んで油断しているところに〖再起動リブート〗からすかさず不意の一撃を与えるという必殺の攻撃が彼女には通用しなかった。

 練度差の前に実力差が一撃目と反撃で知らしめられる。
 彼女の攻撃が当たれば重傷、こちらの攻撃は当たらない。絶対的な攻撃手段を持たない優希にとってはこれ以上やりにくい敵はいない。

 今まで練度差のある敵と対峙した事は普通にあったが、〖再起動リブート〗による不意打ちや油断につけ込んだ一撃で対処してきた。

 だが今回は違う。〖再起動リブート〗の不意打ちを防がれた事で、今後容易に〖再起動リブート〗を使う事が出来なくなった。
 何故なら、仮に今優希が死んだとしても、生きているかもしれないという可能性が出て、更に攻撃を食らう可能性があるからだ。

 〖再起動リブート〗発動後は十秒間一切の権能が使えない。その十秒間の内に殺されれば終わりだ。

 クーリアスの不規則かつ豪快な攻撃を紙一重で交わしながら、この状況を打開しようと作戦を練り上げる。
 優希の基礎能力は権能によって底上げされているが、今の状況を見る限り、基本的な戦闘能力に関しては五分。

 神器に関しても優希の“銀龍の白籠手ヴィート・オ・シルヴェル”は斬れ味こそ良いものの、一撃の破壊力に関しては“星返の棍棒”の方が遥かに上だ。

 残りの手持ちは、治癒魔石一つと、爆烈魔石二つのみ。相手の強さでこの装備は心許ないと言わざるを得ない。

 場所も場所で、硬い水蓮石に囲まれた障害物の一切ない完全デスマッチスタジアム。
 地の利を活かした戦法を使うことが出来ないこの場所では、基礎能力と手持ちのカードがモノを言う。

「どうしたのです? 避けてばかりでは勝てないのですよ?」

「攻撃しないのは防戦一方だからとでも? 避けてばっかなのは一つ気になることがあって中々攻撃に踏み出せなかっただけだ。殺したら何も訊けねぇからな」

 クーリアスの乱撃を交わして呟くと、彼女の攻撃がピタリと止まる。
 距離をとった優希の赤眼が彼女を睨みつけ、

「お前の目的は? 俺達を分散させたということは偶然出会ったってわけでもないんだろ?」

 彼女の正体。優希はメアリーから聞いていた第三勢力の一人と睨んでいる。
 メアリーの話では、世界の真実を知っていれば敵対対象にはならないとのことだが、肝心な事はエンスベルの束縛によって知ることは出来なかった。

 なら、本人から聞くしかないだろう。この場面で目的を訪ねるのは不思議ではない。自然な流れで、メアリーが束縛されている情報を引き出すことが出来れば上等だろう。

 それにこの質疑応答は時間稼ぎでもある。
 彼女の話を聞きながらタイミングを計る。彼女から隙をつくり、確実に殺せる一撃を与える為に。
 クーリアスは優希の質問に対して、

「クー達の目的はズバリ神器なのです! ただカルが邪魔者は排除しろって煩いのですよ。で、クーの相手があなたに選ばれたのです!!」

「…………それだけか?」

「それだけなのです!」

 胸を張って答えるクーリアス。情報を得るどころか、時間稼ぎすらできなかった。
 神器が目的なのは知っている。優希が聞きたいのは世界の秘密というものだ。だが、彼女は何も知らないようで、

「はぁ……じゃぁそのカルって奴に聞くしかないな」

 深々と落胆の溜息を吐くと、クーリアスの棍棒が頭上から振り下ろされる。
 咄嗟にサイドステップでかわした優希は、クーリアスの腹部に手を伸ばす。だが、クーリアスも優希の手を余裕を持って躱して距離を取った。
 
 優希の権能の能力〖機能削除アンインストール〗なら、天恵どころか、恩恵ごと消し去ることが出来る。そのためには、魄籠のある場所に近い心窩部に五秒間触れていないといけない。
 たった五秒だが、彼女程の実力者を相手にその五秒は永遠に感じられるほどに長い。

「危ないところだったです」

 冷や汗を拭う素振りを見せるクーリアス。余裕で躱しといて何言ってんだと内心呟きながら、右手に爆裂石二つを握りしめて、
 
 ――〖機能向上アップデート

 優希の雰囲気ががらりと変わるのをクーリアスは肌で感じた。
 マナの量が変わったわけでも、練度が上がったわけでもない。それでも、何故か優希から感じる気配が細胞の一つ一つを刺激する。

「あなたから嫌な感じがするです。クーはあなたの事嫌いになりそうです」

「ほぅ好かれていたとは意外だな。逆に俺は今のお前の方がいいな。イイ感じの表情だ」

 嫌悪感を抱いて表情を歪ませるクーリアスと、その反応に硬い表情を崩す優希。
 精神的には形勢逆転といったところか。ただ純粋で単純だが実力を感じ取る経験値を持つクーリアスだからこそ、この状況を作り出せたわけだが、

「とっとと終わらせるのです!」

 目前の敵を、今ここで排除しなければ。
 そう感じ取ったクーリアスは急ぐように優希との距離を詰めて、再び棍棒の乱撃を繰り出した。
 それを躱す優希。先ほどと違うのは優希のかわすタイミングと間合いに余裕が出てきたことだ。
 それと同時に、ちらちら視界に入る――――不敵な笑み。

「――――ッぇ!?」

 気付いた時にはもう遅い。
 目の前、視界を埋めるほどに近づけられた右手から漏れる赤い光。
 その光が何なのか、理解したクーリアスは右手を肩から削ぎ取ろうと棍棒を振り上げるが、その前に、

「遅い……」

 最初に掌が弾けて消え、空気を焼き、マナの鎧を分解して皮膚を焦がす。
 一本の道しかないこの空間に、多大な熱量が埋め尽くすが広さが足りず、一本の道に押し出されるように熱が逃げる。
 肉を焼かれる感覚。痛みを感じない優希は暑すぎる風呂に入っているようだが、それでも肉体は焼けて、体中の水分が沸騰する。
 肺が押しつぶされて、取り込む空気は害悪でしかない。

 爆裂石――魔石の中に込められた発火性のマナが、魔石の割れ目から入る空気と反応して超爆発を起こす希少石。魔石自体は脆くすぐにひび割れる為、用途は主に自爆用。
 しかし、優希にとっては関係ない。死ぬほどのダメージを負ってもすぐに全回復するのだから。

 …………。
 ………………。

 そして訪れる静寂。
 焼けた空気がまた戻り、焦げ臭い香りと黒煙が漂う空間には不完全に焼けた肉体が二つ。
 焦げた肉体だが、恩恵者の丈夫さが辛うじて命を繋ぎ、肺の中の一酸化炭素をどうにか吐き出そうと試みて上手くいかず、焼かれた喉は悲痛の叫びすら許さない。

 しかし、数秒後にはその二つの身体のうち片方が動き出した。
 素肌を守る衣服は焼き切れて、所々肌が露出しているものの、その素肌には怪我や火傷の跡など一切なく、衣服だけ焼かれたように思える。

「この短時間で二回も〖再起動リブート〗することになるとはな。俺とあいつの神器は無事か。結構な爆発だったんだが……」

 優希の“銀龍ヴィート白籠手シルヴェル”と“星返の棍棒”には傷一つついていない。勿論周囲を囲む水蓮石も同様だ。
 
 立ち上がり、肉体の変化を確かめる。
 優希としては記憶はそのままに、身体は最後に情報を更新した三日程前の状態。あまり変化はないがそれでも少し違和感がある。

「……ぇぁ……っが……ぅ……」

「さてさて、荷物は……」

 全身が圧迫されて内臓が潰れ、皮膚は焼き爛れて、苦しみの声を上げる少女を無視してあたりを見渡す。
 ここに来た時、優希のリュックは無かった。しかし、衣服やポケットに忍ばせておいた魔石はそのままだ。まぁ、荷物がどこかに転がっていたとしても、今の爆発で消し飛んでいるだろうが。

 魔導士の【移空】や【標転】では身に着けている荷物も一緒に移動する。
 そもそも【移空】は空間ごと移動する為、他の人も一緒に来ているはず。そして【標転】に関してはマーキングしなければ発動することが出来ない。
 マーキングされたとするのならば、足を骨の手で掴まれた時だが、そのようなものはなかった。
 まあ、足を視界に入れてすぐにクーリアスにやられたためしっかりとは確認できていないのだが。

「とりあえず合流するか……っおも」

 “星返の棍棒”を持ち去ろうとするが、重すぎる為に微動だにしない。
 目前に転がる神器、ここで見捨てるのは勿体ない気がしてならない優希は、今も焼かれた喉で呻く少女の腹部を掴む。

「あまり欲しい能力じゃないんだが……仕方ないか」

 優希は〖機能追加インストール〗を使う。
 クーリアスのマナが注ぎ込まれるのを感じて五秒間。

「これでいいのか?」

 初めて使った能力〖機能追加インストール〗は、相手の恩恵を天恵も含めて自分も使用できるようにする力だ。頭部に五秒間触れないといけないが、他人の恩恵が使えるということは、破壊力が無い弱点を克服することが出来る。
 
 しかし、この能力はあまり使用することが出来ない。
 メアリーによると、この能力は容量《メモリ》をかなり使うらしい。この容量《メモリ》が一杯になるとそれ以上権能による強化は出来ない。そして、〖機能向上アップデート〗然り〖機能追加インストール〗然り、能力を底上げ、追加する権能に削除というものはない。
 つまり、一度使えば容量《メモリ》を空ける方法はない。容量《メモリ》の上限を上げることは出来るが、それはメアリーと更に契約することになる。

 クーリアスの天恵【質量無視《ポンドネグレクト》】を使う。
 微動だにしなかった“星返の棍棒”が持っているのか疑問に思うほどに軽々と持ち上がる。
 そしてその感触を確かめようと振りぬくと、空気を割く音ではなく、壁を破壊するような破裂音。
 そして、数秒後に水蓮石に何かぶつかり轟音が響く。

「……空気を打ち出して弾丸にすることも出来んのか……なんでこいつは使わなかったんだ?」

 そんな疑問をぶつけてみるも、少女から返ってくるのは呻き声のみ。
 その疑問が解消されることは無いが、重要なことでもないので置いておき、他の皆と合流しようと歩き出す。
 そんなとき、

「桜木優希……」

 突如の声に動揺の色を隠せない。
 他人から自分の名前を聞くのは久しぶりだ。そして、今の優希はジークという商人。その名前を知っている人は限られて、

「…………」

 首だけで振り返る優希の眼には、警戒と動揺の感情を滲ませて鋭く光った。


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