虐められていた僕はクラスごと転移した異世界で最強の能力を手に入れたので復讐することにした

白兎

50・悪夢


 紅の猫に住み込みでウルドの訓練を受け始めて三日目。
 地下の修練所で薫は涼し気な格好で倒れていた。
 全身から噴き出る汗がシャツを濡らし、荒い呼吸音と共に心臓の音がはっきりと聞こえる。天井の輝石が照らす光は、瞼を通過して橙色の世界を薫に見せる。

「まだ経験の浅さが目立つが、この短期間なら十分すぎる呑み込みだ。君は筋が良い」

「ありがとう……ございます」

 息を吸い、吐いた時に言葉を発する薫。まだ殺気をぶつけられるという感覚に恐怖を覚えるが、何とか理性を保ち冷静に行動できるほどになっていた。
 ウルドから剣術と、各恩恵の恵術についてなど戦闘に必要な基礎知識を叩き込まれ、薫は久々に筋肉痛に襲われていた。

「さて、少し休憩してから次の段階に進もうか」

「次の段階ですか?」

 身体を起こすと薫の髪から汗が滴り落ちる。
 半袖のシャツから伸びる腕はしっかりと鍛えられ逞しくなっている。
 実質たった二日の訓練で肉体に変化が見られるほどの急成長。勇者の素質は単に練度のみならず、肉体にも影響を与えているようだ。
 不思議そうに見つめる薫に、ウルドは汗をぬぐって、

「何を言っているんだい? むしろこれからが本番じゃないか」

「本番ですか?」

 ウルドは入り口に並ぶ武器の数々から、一本の槍を手に取り、そこから部屋の中心まで歩くと、その槍の先端を、目地に突き刺した。
 一体なにをしているんだと様子を見る薫。だが数秒後、薫の疲れ切っていた身体は即座に立ち上がり、警戒態勢を整えさせた。

 ウルドが槍を指した場所から、石煉瓦は数か所浮かび上がり、空いた隙間に煉瓦は移動、石と石が擦れる音が空間に響き、その音が止む頃には、床に通路のような正方形の穴が出来ていた。

「案内しよう。歩けるかい」

 正直、足が棒になって休みたい気がないわけでもないが、それ以上にその通路の先にあるものが知りたくなった。
 薫は乳酸が溜まる足を動かしてウルドの元へ。ぽっかりと空いた穴を覗くと、更に下へと続く階段があった。
 
 穴は巨漢のウルドでもすんなり入れる程度の大きさで、灯がないその階段は、天井の輝石が注ぐ光が照らす最初の五段程度しか視認できず、それ以上先は暗闇に包まれていた。

「では行こうか」

 薫に確認を取ったウルドは階段を下る。薫は一度深呼吸して乱れていた呼吸のリズムを元へと戻し、不安と好奇心が混在する感情を抱いて階段を降り始めた。
 中はやはり一切の光源がなく、一歩一歩足元を確認しないと降りれないほどに、石を積み上げただけの段差、広さ共に不規則な階段。
 
 魔導士がいれば【魄灯】で灯を確保できるし、弓兵なら暗闇でも昼間のように明るく景色を捉えることが出来る【夜視】を使えば、こんな階段スムーズに降りることが出来る。
 だが、薫の恩恵は剣士。残念ながら灯を確保することは出来ない。と、薫は思っていたのだが、

「ウルドさんそれは……」

 前方を行くウルドの足が蛍のような淡い光を纏っていた。
 僅かだが足元を照らしていた。
 革靴の軽快な音を響かせて歩くウルドは一度立ち止まり振り返った。

「やっていることは【堅護】だけだよ。マナの光が僅かだが光源として役に立つ。まぁ【魄灯】や【夜視】と比べると気休め程度にしかならないがね」

 ウルドに言われて試しに薫もやってみる。
 【堅護】は本来マナを体の一部、もしくは全体に纏い、防御力を向上させる恵術だ。だが、その時に生じるマナの壁は、ほんの僅かだが光として存在していた。
 
 その僅かな光は、薫の足取りを確実に早めた。
 しかし、照らすのは足元だけで、この階段がどこまで下に続いているのかは分からなかった。
 修練所までの螺旋階段とは違い、この階段はまっすぐ下へと続いていた。

 そして、その階段が終わると数メートルだけ廊下が伸びていた。両手を広げれば指先が壁に触れられる程度の幅がある廊下。
 その奥には鉄格子の扉。ようやく慣れてきた目を凝らしてさらに奥を凝視すると、奥には六畳ほどの部屋が広がるのが見えた。だが、裸眼で見た限りこれと言って特徴はない。

「ここから先は私にも何が起ころか分からない。だが、精神状態に支障をきたすほどのトラウマや悪夢を刻み込まれるのは確かだ。どうするカオル君?」

 どうすると言われても、カオルにはこの部屋が何なのか一切理解出来ていない。何の説明もなく連れてこられたのだ。唯一分かっているのは、少なくとも良いことは起こらないということ。
 
「ここは何なんですか?」

「『聖域の入り口』『悪夢の間』『冥界の狭間』……うちでは当人によって呼び方が変わる。この部屋に一足踏み入れば、迎えるのは君にとって絶望の光景。だが、その苦しみを乗り越えた先に君の望むものが手に入る」

「望むもの……」

 鉄格子の扉はウルドによって開かれる。
 あとは前へ進むだけ。それだけなのに、なかなか足が動かない。この先で待ち受けるであろう悪夢が、薫を恐怖心で縛り上げていた。

「まだ時間はある。何なら明日でも――」

 ウルドが逃げ道を用意した時、薫の足はようやく進んだ。ウルドが逃げ道を作ったことで、薫の心に余裕が生まれたからだ。
 正直、ウルドは心配だった。覚悟を決めている薫を引き止めたい気持ちはあったが、今止めてしまうと折角固まった意志にひずみを与えてしまう。
 ウルドは見守るしかできなかった。

 そして、薫の身体が悪夢へと誘う広間に侵入したとき、薫の視界は現実世界と隔絶された。



 ********************



 薫が立っていたのは、漆黒に包まれた空間だった。
 アルカトラに来る前にいた、エンスベルが即席で創った盤上の世界のように、空や周囲は暗闇しか広がっていなかった。
 当時と違うのは、今自分が立っている場所も真っ暗且つ、足元には冷気のようなものが漂っている。もし空が暗闇ではなく晴天なら、薫としては雲の上に立っている気分だ。

「ここは…………」

 視認できない地面を踏みしめて、薫は方角も分からないまま適当に歩く。
 冷たく乾いた空気が、汗ばんだ薫のシャツを乾かしていく。

 遅れて、この世界に来る前のことを思い出した。
 ウルドは、ここは精神に支障をきたすほどのトラウマを植え付けると言っていた。
 魔導士の恩恵【移空】によるものという推測を立てるが、ここに来る瞬間は一切マナを感じなかった。つまり、恵術によるものではなさそうだ。

 だが、恵術以外の力で夢や幻覚を見せているのだとすれば、肌に感じる寒気、緊張による喉の渇き、靴越しに伝わる硬い地面、すべての感覚が現実と区別がつかないくらいリアルだった。

「ここで僕は一体――ッ!?」

 突然、何かに躓いてよろけながら数歩進む。
 バランスを保って転倒を回避した薫は、すぐさま躓いたであろう場所を見た。
 膝あたりまで広がる冷気が、薫のバラン図を崩した正体を隠していたが、波打つ冷気の隙間に見えた何かに、心臓の鼓動を跳ね上げた。

 薫が一瞬視界に入れたのは、誰かの足のように見えた。あまりはっきりとは見えていないが、爪先が天を向くように転がっているように見えて、

「…………」

 薫の足は完全に止まり、ただ一点、僅かに足が見えたその場所を凝視した。
 そこに何が広がっているのか確認したいが、無意識にそれを拒んでいる自分がいて、中々足を踏み出せずにいた。
 だが、このままでは進展しない。薫は深呼吸してから、少しずつ近づいて、冷気に隠されたその正体を確認する。

「――――――!」

 言葉が出なかった。薫には視界に馴染んでいる顔。セミロングの茶髪は激しく乱れ、口から大量の血液を吹き出している幼馴染の姿。

「ちー……ちゃん……ちーちゃん!」

 何事か分からないまま、薫は幼馴染を抱きかかえ、その顔を間近で確認する。
 確かに茅原だった。身体は冷気で冷え、普段の健康的な肌は青ざめており、抱える腕には温かい感触が、じわじわと腕に絡みつく。

「うっうぁぁぁああああああああ!!」

 薫は彼女を支えたまま、温かい感触を確認する。
 べっとりと付着した血糊が薫の手を覆い、視線をずらすと幼馴染の腹部は何かに貫かれたような跡があり、喉がはち切れるほどの叫びが空間を反響して、薫自身の鼓膜を揺らす。

「なんだよ……これは……」

 ふと、違う場所を見る。どこでもよかった。現実から、彼女の無残な遺体から目をそらすことが出来れば。
 だが、その行為は無駄だった。いつの間にか冷気の高さは下がり踝あたりの高さまで下がっていた。
 そこに転がる複数の死体。
 その場所からでも分かる。美しい桃色の髪の少女は額に射抜かれたような穴があり、ブロンドの鬣の青年は、胸元に深い十字傷が刻まれ、ショートヘアーの親友は強い衝撃に打たれたように全身から血を吹き出している。

「姫! ウィリアム! 和樹ィ!」

 名前を叫ぶも、彼女らは反応しない。そしてまた一つ、また一つと増えていく死体。
 トラウマを植え付ける幻覚。だが、支える幼馴染の肉体も血の感触も鮮明なために、現実との区別がつかない。

「うっ……」

 漂う腐臭と視界から得る衝撃に身体が拒絶反応を起こして嘔吐しそうになる。
 血が付着し朱色に染まった手で口元を覆う。茅原の身体をそっとおろして、増えていく死体を一体一体確認していく。
 
 猛烈な吐き気と倦怠感を我慢しながら出口を探す。
 ここに長居するとどうにかなりそうだ。これはまだ薫の中で幻覚という考えが残っているからこその行動。ウルドの前置きがなければ、今頃薫の心は折れ、正気ではいられなかっただろう。

「出口、出口はどこだよ!」

 それでも薫の気は冷静ではなく、いつもの温厚な口調は消えて、出口を探すことの躍起になっていた。
 最初は小さかった歩幅も、広く速くなっていく。だが、そこにあるのは出口ではない。まだ出会ったことのない人の死体、原形が無くなっている死体、良く知った友人の死体。

「なんだよ、なんなんだよここは!」

 数分間走り回っても一向に姿を見せない出口、どこに行っても広がる死体の数々。
 暗闇による閉塞的な緊張感と嗅覚を破壊するような腐臭と血の匂い。荒れる呼吸と徐々に早く鳴る鼓動。足元の冷気が少しずつだが、薫の体温を奪っていく。

 目的も、何をすればいいのかも分からない。明確化できない状況に、薫のどうにか保っていた心をすり減らしていく。 
 変化が目的が欲しい。なんでもいい、この負のループから抜け出せれば。 

「…………」

 薫の言葉無き願いは叶えられた。
 薫の目の前に現れた一人の少年。他とは違い仁王立ちで立っている。
 フードをかぶり、漆黒のロングコートには血飛沫で朱色の柄が出来上がっている。
 普通なら突如現れた少年に警戒心を抱くところだが、今の薫にそんな判断力など皆無だ。
 
「おいお前!」

 ようやく訪れた変化に、薫は深く考えることもなく少年の肩を掴む。
 少年は無言のまま振り向く。手から血が重力によって地面に滴り落ち、振り向くことによって少年の足元の冷気が霧散する。

 煉獄の業火の如き赤眼が薫を映す。その瞳にはウルドのような温かみなど一切感じない、背筋が凍えてしまいそうなほど冷酷な瞳だった。

「君は……」

 フードに隠れている雪のようにし白い前髪が、彼の視線の冷たさをより感じさせる。
 薫は肩を強く掴んでいたことに気が付き、咄嗟に離して少し距離をとる。
 少年が完全に振り返り、薫はつい少年の装備を確かめる。

 服装は背後からも確認できた黒のフード付きロングコート。カーゴパンツらしき灰色の下衣に、革製のブーツ。武器らしい装備はないが、腰、仙骨あたりというフードに隠れている所には、良く見えないが拳銃のグリップらしきものが見えていた。
  
「ここはどこなんだ?」

 薫の問いに少年は何も返さない。ただ無言で薫を凝視し不敵に笑う。
 そんな少年に薫は異様な何かを相手にしているようで、恐怖心すら感じるようになった。
 だが、無言の少年はようやく口を開いた。
 
「……ない……ま……りない……」

 その声は反響しているものの、はっきりと聞こえず、それでも同じ台詞を連呼しているようで、薫は耳を傾ける。
 
「まだ足りない……」

「足りない?」

 ようやく会話が成立して、薫は少年の言う足りないことに関して疑問に思う。
 勿論薫自身足りない部分などいくつも自覚しているが、この場この状況において、何が必要なのか分からなかった。

「足りないって何のことだ? 君はい一体誰だ? 僕にどうしろって言うんだ!」

 情報が足りず、複数の疑問を一気にぶつける。
 だが少年は、壊れた機械のように同じことを繰り返すだけだ。
 
「まだ足りない、まだ足りない、まだ足りない………………まだ、お前には早い」

 その言葉を最後に、薫の意識は朦朧としていき、少年の歪んだ笑みを目に焼き付けながら、この世界から解放されるのを感じていた。

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