虐められていた僕はクラスごと転移した異世界で最強の能力を手に入れたので復讐することにした
48・厄猫
ん……なんだ?
東区に到着し、真っすぐに目的地に向かう薫の足は、道通りにできている人ごみによって止められた。
人ごみは何かを囲うようにできており、屈強な肉の壁が、取り囲む何かに逃げ場を無くす。
「あの……これは一体?」
とりあえず、薫は一番身近にいる大男に話しかけてみた。大剣を背中に携えるその男は、薫を一瞥すると、楽し気な笑みを浮かべて、
「あぁ、なぁにここらじゃ珍しくないただの揉め事だよ。今回は女一人に男三人だ。おっと、止めるなんて野暮な真似はよせよ。これはゲームみたいなもんだ。何ならお前もあっちの賭けに乗って来いよ」
男が指さす場所は、金貨を掲げて高揚する群れ。どうやらどちらが勝つかを予想しているようだが、薫としてはあまり良い気分ではない。
「ま、止める必要も――」
喧嘩は止めるべきだ。そう判断した薫は男が最後に言いかけた言葉に耳を貸さず、その人ごみを掻き分けて、いざこざの根源へと向かう。
肉の壁は硬いが、薫のガタイなら隙間から抜けていき、人ごみの第一層を突破するのは容易だった。
「もういいでしょ! この子だって謝ってるんだし、ここは寛大なところをみせてもいいんじゃない?」
「あぁ!? テメェは関係ねぇだろ。そこのガキが俺様の大事なズボンを汚してくれたせいでデートに行けねぇじゃねぇか!」
「いやいやどうせデートに向かえても成功しないって。あんたみたいな御猪口サイズの器じゃね」
人ごみを抜け出した先に広がるのは、計五人。三人は周りと負けず劣らずの大男。それぞれ斧、メイス、グローブを装備し、今にもはち切れそうに武器を手にする。
対するは涙を浮かべながら震える子供と、それを庇い三人を睥睨する赤髪の少女。腰まで伸びる長い髪に腹みせの服を着たなんとも派手な少女の腰には三十センチ程度の棒が携帯されている。
薫が感じた構図としては、子供が男のズボンに飲み物をこぼしたことによってこの喧嘩は発生しているようだ。
「おいおい……ここのルールは分かってんだろうな? 俺も女を相手にするのは気が弾けるが、邪魔をするなら……」
「やっぱ……こうなるのよねぇ」
武器を構える三人の男。だが少女は警戒はするものの、自らの武器を手に取ることはなかった。
これ以上はまずいと判断した薫は、止めようと一歩を踏み出し――
「――――」
そこで静止する。
薫が眼にしたのは、あまりにも自信に満ち溢れた少女の笑顔。
「いつでもいいよー」
屈伸運動する少女。男は彼女の素振りに青筋をその額に刻んで、
「いくぞおらぁ!」
ついに始まった。だが、薫の身体はいまだ動かない。彼女の笑みが、薫に手を出すなと言っているように思えてしまって。
「――――ッどらぁ……ッ!?」
少女は男三人を相手に全く動じなかった。最初に攻撃したのはグローブが武器の男だ。やはり全員恩恵者で、その男の右拳にマナが流されていき、咆哮と共に撃ち放たれる。
その男の拳は少女の顔面目掛けて放たれていたはずなのに、少女の目の前で、屈折するかのように歪曲した。
「遅い遅い。そんなんで私に喧嘩売ってたの?」
一体何が起こったのか、薫の目では追いつかなかった。男の拳は決して遅くなかった。薫が相手にすれば、紙一重でかわせるかどうかの速さだった。それが、彼女に届く寸前で突然男の腕は九十度角度を変えた。
一般人が見れば、男が軌道を変えたように見えるが、薫の視界で微かに残像を残した何か。その何かが男の拳を外へ跳ね除けた。
「なっ――」
言葉を失う薫に、最初に話しかけた大剣を持つ大男が人ごみの中を潜り抜けて、薫の肩を掴む。
「おい人の話は最後まで聞けよ。止める必要はねぇって言ったろ? あの三人が相手にしてんのは“厄猫のマリン”だぞ」
「厄猫……」
その名を聞き、もう一度少女を見る。筋肉質ではある物の、それでも相対する男よりははるかに細い腕。双方がぶつかる前は彼女に勝機など想像も出来なかったが、今は逆だ。
彼女が負けるビジョンが浮かばない。
「……っなろぅ、テメェ!」
「ほっ」
「おらぁ!」
「やっ」
「でれぇあ!!」
「ほいやっ」
男たちの攻撃をその少女は華麗にかわし、流し、はじく。
柔よく剛を制す――彼女の戦闘はまさにそれだった。
「ここらじゃアイツお名前を知らねぇ奴はいねぇ。“厄猫”の名は伊達じゃねぇんだ。ほら見ろ、周りの連中は全員厄猫に賭けてる。というか、それしかありえねぇんだ」
これはあくまで薫の印象だが、大剣を持つこの大男はかなり強い。それも、薫と同等、もしくはそれ以上の強さだろう。
そんな男が、彼女を前にしている時に冷や汗を掻いている。
薫の動きを微笑一つで止めた少女は、戦闘ギルドが集まる東区でも有名人らしい。
「厄猫……災いの猫、紅の猫の問題児さ」
「紅の猫!? 彼女がその一人なんですか」
「えっあ、あぁそうだ。ここいらじゃこういった喧嘩沙汰は珍しくねぇ。その渦中にいる確率がダントツなのが厄猫だ。まぁ大体アイツは誰かを庇っているんだが、それにしても問題ばかり起こす奴さ。東区で問題児扱いされんのは相当なもんだぜ」
大男の説明だけではやんちゃな少女のように思えるが、彼女の戦う姿はとても美しかった。
型にはまらないが、清流のように滑らかな身のこなしと、激流のような掌打の数々。三人の男は、素手の少女相手に完敗に終わった。
「くぉっ、覚えてろ!」
しっかりと典型の捨て台詞を残して男たちは逃げていく。
逃げる者は負わない彼女は、目じりに涙を浮かせ、心配そうに厄猫を見つめる子供の元へと向かい、
「もう大丈夫だよ。あの怖~いお兄さんは、正義の味方であるこのマリンちゃんが懲らしめてあげたから。これで新しいジュースでも買っておいで」
「……うん、おねぇちゃんありがと!」
お金を渡して、マリンは子供の頭を優しくなでる。子供は御礼言うと、彼女は満足げに笑う。
とても災いとは無縁そうなその少女の笑みに、解散していく野次馬と違って薫の意識は取り残されていた。
「やっぱ厄猫だったかぁ。ちくしょう今日は金目のクエストで凌がねえとなぁ」
「金もねぇくせに大博打に出るからだろう。俺なんか王道通り厄猫に賭けたらちょっとだけ所持金増えたぞ」
皆、似たような会話をしながら、何重にもなっていた肉の壁が崩れていく。
そんな中、薫はただ立ち尽くし、元気に走り去る子供を見送っている一人の少女を見つめていた。
あれほど純粋な笑みを浮かべる少女が、何故“厄猫”などと不吉な名前で呼ばれているのか。
注視する薫の視線に、彼女は気付き、否、最初から気付いていた。そう感じさせる素振りで振り向いた。
眼があった時、薫の身体はようやく動いた。紅の猫のメンバーということだが、それなら話が早い。彼女に案内してもらおうと、薫の足はこちらを向く少女の元へ。
「こんにちは、僕は薫。いやぁ凄かったね今の。合気道ってやつなのかな?」
「あいきどう? それはよくわからないけど、単純な力で劣る相手には相手の力を利用するのがあたしのやり方だからねー。それよりなんかあたしに用があるんじゃないの?」
「話が早いね。君は、紅の猫のメンバーって聞いたんだけど、もしそうなら案内してくれないかな。東区に来たのは初めであまり道が分からなくてさ」
困っててと溜息を吐く薫。そんな薫にマリンは近づいて、薫の肩をがっと掴む。
「案内してあげてもいいけど、条件がある」
「条件?」
「…………今いくら持ってる?」
********************
「いや~買い物頼まれてたんだけど、さっきあの子にお金あげたせいで足りなくてさぁ。あ、あたしマリン。自己紹介遅れてごめんねー」
「いやまぁそれはいいんだけど……」
薫が苦笑いを浮かべる相手は、自分の身体よりも何倍も大きい大荷物を担いでいる一人の少女。
見た目だけは薫よりも非力そうに思える彼女は、百キロは余裕でありそうな荷物を軽々と持ち上げている。
先ほど単純な力で劣ると言っていたが、全然そうは思えない。
「で、うちに何の用、依頼?」
「依頼ってわけじゃないんだ。ちょっとウルドさんに用があって」
「おじさんに用って珍しいね。あ、クエストの同行をお願いするなら無理だよ。昔はともかく、今は酒場のおじさんだからねー」
「へぇウルドさんってどんな人なの?」
「ん、知らないの? もともとは騎士団の隊長やってたんだよ。なんか“拳神”って異名で恐れられてたみたい」
荷物の大きさに潰れててしまっても不思議ではない光景を作り出すマリンは、薫と会話をしながらも、何か気にしているように視線をずらす。
「ねぇ、ここに来たのってカオル一人?」
「ん、まぁそうだけど……」
「じゃあ後ろの二人は知り合い?」
「後ろの二人?」
マリンに促されて薫はとっさに振り替える。
そして、二人の少女と目が合って、
「ちーちゃんに椎名!? なんでここに」
完全に見つかった二人は目を泳がせて頬を掻きながら、
「……さ、散歩」
「ちーちゃん……さすがにその嘘は無理があるよ」
「アハハハ! カオルの友達は面白いねー。東区に散歩ってかなりの物好きだよー」
バレてしまったのだから物陰に隠れる必要もなくなり、二人は薫達の元へと向かう。当然、マリンが担ぐ荷物に視線を奪われながら、
「ていうか私たちのことはどうでもいいの。薫こそここで何してんの?」
「いやまぁ僕は……散歩かな?」
とっさに良い言い訳が思いつかず、どこかで聞いたようなセリフで答える。
すると、マリンは首を傾けて、
「え、さっきおじさんに用があるって言ってなかった?」
ここでそれ言っちゃう? と心の中で呟いて、おじさんというのがだれか分からず話を必死に読もうとする茅原達に諦観の溜息をついた。
この状況で下手に隠してぎくしゃくするくらいなら、当たり障りのないところだけ話して、納得させようと思い。
「分かったよ。話すから」
とりあえず薫達は近くの腰を休める場所へ移動した。
東区にある広場は眷属たちのたまり場で、長閑な景観に殺伐とした身なりの眷属たちが入り浸っている。
噴水に隣接するベンチに腰を掛ける。
薫としては茅原と葵にだけ話したいが、マリンもあの場にいたら気になって仕方がないようで、興味本位でこの場にいる。
これからお世話になるかもしれない彼女を除け者にするわけにもいかず、
「それって凄いんじゃん。建国祭の護衛を依頼されるってことはカオルもかなり強いんだね」
マリンも含めて、三人に事情を説明した。素質のことや、クラリスの騎士に関することは触れず、建国祭で騎士団と共に王族の護衛をすることになったことのみ。
薫が何かを隠していると茅原が感じたのは普段の素振りだが、確定づけたのはやはりあの高級な馬車から降りた時だろう。
なら、護衛の事だけ話しておけば、茅原達も納得するはず。出来れば巻き込みたくなかった為に隠してきたが、騎士団からの依頼となれば関わろうともしないだろう。
「護衛かぁ……でもなんで東区に?」
 一連の話を聞いて、一旦納得した茅原は、それを踏まえたうえで薫が東区にいる理由を問いただす。
茅原の脳内に浮かんだ予想としては、練度上げなどの実力アップだが、最近の薫は戦闘に一切関与しておらず、一緒にいた茅原達は戦うことを恐れていたと思っていた。
そんな薫が依頼を受けたという理由で、そう簡単に踏み切れるものだろうか。
「正直、僕もどうなるのか分からないんだ。彼女が所属するギルドに、ウルドっていう方がいるんだけど、その人に会ってこいってことで東区に来ただけ」
「まぁおじさんは元騎士団だからそういうことならカオルの力になると思うよ」
「なる程ねぇ。どうする茅原? あたしらは帰ろうか。騎士団の依頼となればあたしらが関与できる話じゃないし」
葵が言うと、茅原は不満げな顔をしながらも、納得したようで、
「そう、だね」
薫が自分たちを巻き込まないように隠していたことは分かっている。だから、薫の助けにはなりたくても、この話にはかかわらない方が一番と納得する。
自分の不甲斐なさに怒りを覚えながらも、茅原は立ち上がり帰る準備。
「え、なんで帰るの? 一緒に来たらいいじゃん」
茅原達を止める声。快活なその声は何も考えていないように思えるが、その一言が茅原の足を止める。
「そりゃ建国祭の時は関わらない方がいいけど今は別じゃん? それに東区は治安が悪いから女の子二人で帰らせるのもどうかと思うなー」
後半は薫を見ながら身体を寄せて言うマリン。女らしい身体を寄せる彼女は無意識なのだろうが、薫は少し意識してしまい、それを見た茅原は冷たい目で薫を睨む。
その視線に気づいた薫はマリンから離れて、思考を入れ替えるように咳払いを一回。
「確かにそうだね。ちーちゃん達も来なよ。駅まで送るのも時間かかるし、心配かけていたのは僕の責任だから」
今日に限っては仕方がないと薫も折れる。だが、正直に言うと気が楽になっていたところもある。
今まで茅原達は巻き込まないようと気を使っていたが、今はその必要がない。だから、茅原達がついてくるとなった時、無意識のうちにほっとしていた。
紅の猫に行って何が変わるか分からないが、茅原達にも知っていてほしい。
無意識にそう願う薫だった。
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