生意気な義弟ができました。
生意気な義弟ができました。26話
「真澄くん、零央はどんな感じかな?」
とある休日、のんびりリビングで過ごす巧さんが、ふいに俺へ問いかけてきた。
土曜日の午前11時頃、零央はまだ起きてこないし、母さんは友人とランチに行くと言って少し前に家を出て行った。
「どうって、勉強ですか?」
俺はソファに腰かける巧さんの隣に座って、聞き返す。巧さんはコクリと静かにうなづいた。
「…そうですねー…悪くないですよ、あいつ負けず嫌いだし、理解力はあるんで。…でも、心配なのはまだちゃんとした進路が決まってないとこですかね」
俺がそう言うと、巧さんは少し眉を顰めて困ったように笑った。
「どうしたらいいのかな…零央はやりたいことも無いって言うし、もうこの時期だろう?早く進む道を決めておかないといろいろと苦労する」
「……力になれなくてすみません、俺は勉強教えることしか…」
「十分だよ、真澄くんには本当に感謝してる。おかげでこの前のテストはいい結果が残せたらしいじゃないか」
夏休み中、空いてる時間に零央と勉強会を開いては休み明けのテスト対策をした。どうやらその成果が出たらしい。
巧さんは本当に嬉しそうに言った。
「でも一応、ちゃんと考えてはいるらしいんです。まだやりたいことが見つかってないだけで…」
俺がそう言うと、巧さんは柔らかい笑顔で微笑んだ。零央が優しく笑うときの笑顔に、ちょっと似ている。
「そうか、なら今は口を出すのはやめておこうかな」
零央が何を考えてるかなんて俺には分からないけど、きっとあいつのことだから、大事なことをテキトーにしたりなんかしないはずだ。零央が将来どんな大人になってるのか、すごく気になる。そのとき俺も一緒にいられたらいいな。
……なんて、恥ずかしいから本人には絶対言ってやらないけど。
「なあ真澄」
大学の学食で、唐突に誠が真剣な顔をして俺を呼んだ。
「なんだよ」
俺が返事をすると、誠は怖いくらい目を逸らさないで言葉を続けた。
「………………男同士でもセックスできるんだな」
「っ、……!?な、はぁっ?」
少し小声で呟かれたその言葉に俺は思わず噎せた。
なんなんだ急に、真剣な顔してそんなこと言うな?
「い、意味わかんない、はぁ…?」
「……………めちゃくちゃ気持ちよかった…もう女の子抱けねー…」
「…………し、深刻な顔して、ほんとやめろよな…。……もしかしてマスターと……?」
「他に誰かいるかよ……てか、テクが、すごくて…」
誠は本当に真顔のまま、淡々とした口調で話す。
「なんかもう、見習いたいくらい上手くて…」
「……そ、そりゃ、マスターは何人も男抱いてきてるんだろ…?俺らは慣れてないけど、もうそういうのも経験なんじゃないの…」
一体、こんな公共の場でなんの話しをしてるんだ。
「真澄は?零央くん、女の経験はあるだろうけどさすがに男は初めてだろ」
「…………どうって、別に…普通だっつの…」
「そんなこと言って、どうせ毎晩お楽しみなんじゃねーの?」
「っ、んなしょっちゅうしないだろ……!」
俺は小声で反論してギロっと誠を睨んだ。誠はそれに怯む様子もなく調子よく笑う。
「まぁ真澄みたいなのはそーいう才能あんだろうなきっと」
「はぁ?さらっと訳わかんないこと言うなよ」
何が才能だ馬鹿野郎、そんなもんいらないぞ。
すると、誠がふいに俺の背後を見て、あ、と声を上げた。俺はつられて後ろを振り向く。
「久しぶり、ふたりとも」
爽やかな笑顔でにこりと微笑む。
「あっ、麻海さん!教育実習終わったんですか?」
大学でもバイトでも顔を合わせていなかったから、本当に久しぶりだ。
「うん、あっという間だったよ」
そう言って、俺の隣へ腰掛けた。いつもと変わらず王子様オーラが漂っている。
「麻海さん、なんか思ったより疲れてませんね」
「…いや?大変だったよ」
誠の言葉に、麻海さんは苦笑いで反論する。
「なんの話ししてたの?」
麻海さんはニコリと微笑んで聞いてくる。
「真澄が義弟に抱かれたっていう話っすよ」
「っ、!?」
いや全然話してたこと違くないか?悪意を感じるぞその返事には。
俺が誠の唐突な言葉に何も言えなくなって慌てふためいていると、麻海さんは笑顔を崩さないままこちらを見た。
「……へぇ?」
でも全然目が笑ってなくて、何か麻海さんの闇を見た気がする。
反応は意外と普通で安心したけど、それを麻海さん相手に言っちゃう誠も誠だよな…。
「っ…誠おまえ、絶対許さん」
「そう恨むなよ、俺は中立だからさ?真澄と麻海さん、どっちも応援してるってことで」
遊んでるんじゃないかこいつ?と言いたくなるようなおちゃらけた態度に、俺はイラッとした。
「ふたりさ、今度の休みに3人で出かけない?」
「え?どこっすか」
誠がすかさず聞くと、麻海さんは、水族館、と一言答えた。
「なんで俺もいるんすか、そんなん真澄とふたりで………、…あぁ、」
「真澄くんは俺とふたりじゃ出かけてくれないでしょ?」
「……えっ……あ、あぁ…」
俺もそこでやっと理解した。
たしかに、俺が麻海さんとふたりで出かけたら零央が怒りそうだ。
「まぁいいや、じゃあ男3人で仲良く水族館デートしますか」
誠が呆れたように言うと、よかった、と麻海さんが笑った。
水族館なんて何年ぶりだろうか。間違いなくこの中で一番はしゃいでしまいそうだ。
「おにーさん」
部屋で提出の課題を進めていると、後ろから零央が抱きついてきた。
「うわっ…お、驚かすな馬鹿…」
「構ってよ、暇なんだけど」
「受験生に暇なんて無いぞ」
俺が真顔で返してやると、零央は不満そうな顔をした。
でも確かに考えてみれば、最近零央は友達と遊びに行ってもいない気がする。たくさんいるはずの友人から、遊びに誘われたりしないのだろうか。
すると零央は、テーブルに向かう俺の背後にぴったりくっついて座った。その様子は大人に甘える子どもそのものだ。
…つい甘やかしたくなっちゃうの…悪い癖だ。
甘え上手なこいつは、憎たらしく抱きついて課題の邪魔をしだす。
「……は、離れろって…」
「構ってくれるまで離れない」
そんなことを言って、俺の服の中に手を突っ込んだ。
「ちょ、やめ、」
俺が抵抗しようとすると、零央は服の下で胸の突起を撫でた。
「んっ」
突然のことにビクリと肩を震わせると、零央の鼻で笑うような声が耳元で囁いた。かぁっと一気に体温が上がる。
「ここ、気持ちいい?」
「……っ、馬鹿、下に巧さんいるだろ…!」
今日は巧さんが珍しく早く帰宅して、下の階で夕飯を作っているだろう。それなのに零央は平気な顔してこんなことする。
「ぁ、んっ」
引っ掻くように爪を立てられて、ビクンと反応してしまう。体の力が抜けてしまって、抵抗する気にもなれなくなってくる。
「ちゃんと開発されてる、こんなとこで声上げちゃうなんてほんとヤラシー」
耳元でそんな意地悪を言われて、顔が真っ赤になるのがわかる。零央はきっと今、すごく憎たらしく微笑んでる。
「ば、か…ぁっ、やめ、ろって…っ」
全然手を止める気配がなくて、俺は焦る。
……こんなことされたら、我慢できなくなるのに。
零央は何も言わないで耳を食む。ゾクリと肩を震わすと、耳に舌をねじ込ませてきた。右耳がいやらしい水音で支配されて、完全に頭の中が空っぽになる。
「っ、は……れ、お…っ」
「……かわいー」
ふいにそんなことを囁かれて、身体中がビクリと反応する。
すると突然、頭の隅でドアをノックする音が聞こえて、ハッと我に返った。
「真澄くん、ちょっといいかい?」
ドアの向こうから巧さんの声がして、俺は必死に零央の腕を引き剥がそうと抵抗した。
こんなところを見られてしまったら、大変なことになる。
しかし零央は離してくれなくて、俺の頭の中は焦りでいっぱいになる。
巧さんがドアを開けてしまう、なんで、いつもなら零央はこういうときすぐに離してくれるのに。
まるで巧さんの声なんか聞こえてないみたいに、胸の突起を撫で続けて耳を食む。
「真澄くん?入るよ」
まずい。
宣言通りにガチャリとドアが開けられて、巧さんの顔が覗く。その瞬間に、零央は胸に爪を立てて引っ掻いた。
「んあっ」
俺は巧さんの前でだらしなく甲高い声を上げてしまって、ハッと現実に戻って口を押さえた時には、もう遅かった。
ドアを開けて呆然と立ち尽くす巧さんの表情は、驚きからだんだんと険しい様子になっていく。目が合って、俺はかぁっと顔を赤くして力の抜けた零央の腕を引き剥がした。
「…………どういうことだ、零央、真澄くん…下へ降りてきなさい、話をしよう」
声は穏やかなままだったが、明らかに険しい表情で巧さんは下の階へと降りて行った。
「…………零央……行こう」
俺がそう言って立ち上がると、零央は何も言わずにコクリとうなづいた。
「……説明しなさい」
リビングの食卓で、俺と零央は巧さんと向かい合うように座らせられた。キッチンからは美味しそうな夕飯の香りがする。だが今は、そんな場合じゃない。
「……ち、違うんです、俺が、零央を唆して、」
「違う、俺がおにーさんに迫ったんだっつの」
零央は俺をギロリと睨んではっきりとそう言った。俺は何も言えなくなってしまう。
「……話にならない。こういうことは唆した方も唆された方も、どっちも同罪だ」
厳かな口調で淡々とそう言う巧さんの顔を、俺は見れなかった。焦りと不安と罪悪感で、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「どうせ零央のことだから無理に真澄くんに迫って、真澄くんは断りきれなかったんだろう?ズルズルと良くない関係を引きずるのはやめなさい。それに君たちは男同士で、義理とはいえ兄弟だろ、こんなことは絶対に許されない」
この間、母さんは何とか誤魔化せたけど、どうやら巧さんに誤魔化しは通用しないようだった。言われる言葉に胸がだんだんと重くなっていって何も言い返せない。
「血なんて繋がってない、今の時代、別に同性同士なんて珍しいことじゃないだろ」
零央は反抗的に巧さんを睨んだ。こんな時でもはっきりと自分の意見を主張できるのは、心底すごいと思う。
「問題だ、珍しいことじゃなくても問題には違いない。だいたい零央、おまえは今受験の時期だろ。遊んでいる場合じゃないんだぞ」
「遊んでない、俺は本気でおにーさんと付き合ってる」
「口を慎みなさい!そんなことは許されない、頭を冷やして考え直せ零央!」
珍しく声を荒らげる巧さんに、俺はビクリと硬直した。さすがの零央も何も言えなくなって、悔しそうに俯く。
好きな人と恋人同士になってるだけなのに、すごく悪いことをしてるみたいだ。いや実際、確かに認められないことで、巧さんはきっと零央のことを思ってそう言っているんだろう。
それでもやはり、傷つくものは、傷つく。巧さんの言っていることが正論であるだけ、俺らのこれまでが全否定されているようで、やるせない。
すると突然、零央はガタッと立ち上がった。
「零央!待ちなさい、まだ話は終わっていない」
巧さんが呼び止めるも、零央は聞かずにリビングを出て二階へと戻っていってしまう。俺と巧さんは取り残されて、俺はただ俯くしか無かった。
「………まったく…あいつはまだまだ子供だ」
疲れたようにそう呟く。
零央は大切な時期で、今こんなふうに家族でトラブルを起こしていては受験に響いてしまう。どうにかして零央を庇ってやりたいのに、それすらできない俺の無力さを実感する。
俺は悔しくてぎゅっと手のひらを握った。
「…………ごめんなさい…」
ただ謝る俺を、巧さんは何も言わずに見つめていた。
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