観測者と失われた記憶たち(メモリーズ)

奏せいや

浸食する悪夢4

「う、ううぅ……」

 私の泣き声と荒い息が聞こえる。しかし、足音は聞こえなくなっていた。私は逃げることを止めた。もう駄目だ。これ以上走れない。

 立っていることすら出来ず私はその場に座り込む。大通りに面した歩道の上で、私は諦めたのだ。夢の時と同じように。

 悪夢の終点。私は力なく俯き、荒い息を残したまま座り込む。

 思い出されるのは、いじめの記憶だった。私を拒絶し哄笑する街の様子だった。辛くて、苦しくて。なのになにも出来なくて。私は、泣いた。

 お終だ。あとはメモリーに襲われるのを待つだけの、憐れな時間を過ごすだけ、だった。

「アリスさん!」

「え?」

 私は驚いて顔を上げる。誰もいないはずの黒い世界で肩を掴まれた。そして、名前を呼ばれたのだ。

 朝によく合う声。こんな黒い世界には不似合いな、それは澄んだ声だった。顔を上げた先。そこには、

「くおん……?」

 久遠が、折紙久遠が心配した表情で私を見ていた。膝を折って私の正面にいる。

「大丈夫ですか!? お怪我は?」

「私は……」

 私は、夢でも見ているのだろうか。目の前に久遠がいる。心細くて、もう駄目だと思った。なのに、なのに。私の友達が、すぐ近くにいるなんて。

「良かったです、ご無事で」

 笑顔で、私の前にいるなんて。

「久遠ー!」

 私は抱き付いた。久遠の細い体に両腕を回す。彼女の白い髪が頬に当たる。確かにいる。こうして触れ合える。

 それだけで救われたようだった。締め付けられていた私の心が、涙と一緒に弾ける。

「大丈夫、大丈夫ですよ……」

 久遠は優しい声をかけながら私の頭を撫でてくれた。私は彼女の胸に涙を落とすが、すぐに疑問と一緒に顔を上げる。

「なんで、久遠がここに?」

「私はただ、昨日無断で欠席されたアリスさんが心配で、直接お伺いしようと」

「そうじゃなくて」

 私が聞きたいことはそういう意味じゃなくて。彼女の優しさを知れたのは嬉しいけれど、私が本当に知りたいことは別のこと。

「どうして、久遠がこの世界に?」

 この黒い世界はメモリーの影響で出現する世界。なら私しかいないはずなのに。私は聞くが、それで思い出したかのように久遠は表情を険しく歪ませた。

「それよりも、そうですわ! これは何事なんでしょうか。突然人がいなくなってしまって、夜のように暗くなってしまい、わたくし、本当に困ってしまって。それに街の様子もおかしいのです! 何故かアリスさんが悪者のように。急いでアリスさんにお会いしないと思い走っていましたらここにアリスさんがいましたの。他の人は誰もいなくなってしまったのに。お会いできて本当に良かったですわ……」

 久遠が安堵のため息を吐いている。どうしてこの黒い世界にいるのか本当に知らないらしい。

「あ」

 すると黒い世界から影が退いていった。地面の影は建物に隠れるように。空の影は地平線の向こう側へと消えていく。

 そして今までいなかった人々や街の活気が一瞬で現れた。……私へのいじめと共に。

「これは、……どういうことなのでしょうか」

「……戻って来れたんだわ」

「戻って来れた、ですか?」

 私の言葉に久遠が小首を傾げている。とりあえず通行人の視線が気にならないようにするため、私たちは立ち上がり歩道の隅へと移動した。

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