勇者は鉄の剣しか使っていませんでした

顔面ヒロシ

☆1 プロローグ





 深淵の森を抜けてきた兵士は額に滲んだ汗を拭って、ようやくたどり着いた丸太小屋にホッと息をついた――ここまでやって来た理由はただ一つ。遥か昔に我が国にいたというエルフの大巫女から聖剣『フラン』を教会の名の下に取り戻すことである。
 なるべく穏便に済ませたいが、その際に抵抗されるようであれば実力行使もやむをえないだろう。唯一神も国家の為の流血であれば看過されるに違いない。
老婆を手にかけるのは気が進まないが、それが上官による命令だ。できれば、友好的に手に入れたいものだが……、そこまで考えたところで兵士は唾を呑み込んだ。
 緊張しながらも、簡素な造りのドアを荒々しくノックする。


 ――ゴンゴン!
その音をたててからしばらくすると、ゆっくりドアが開いた。


「どなたでしょうか……?」
 緑のフードを目深に被った女性の返事だった。兵士はなるべく威圧するように大声で叫んだ。


「聖国エリュンダルクからの使者である!この度は新たな『魔王』の出現により、我が国では非常警戒令が公布されたこと、当然ながら貴殿フランカ・シードも知っておろう!」
「ええ、勿論……。そのことならもう聞いているわ」


「であれば、国境線にあるこの森にお住まいの貴殿にも我が国に従っていただきたい!
具体的には、教会は貴女が管理している故勇者の聖剣を統一神の名の下に取り戻すことを望んでいるのだ。抵抗するようなら痛い目を見ることを覚悟していただきたい」
 きびきびと生真面目にそう喋った兵士に女性はあっけにとられていたのだが、やがてとてもおかしそうにクスクス笑い始めた。


「そんな……、聖剣なんて大層なものはここにはないわ」
「なんだと!? 確かに公文書の記録では勇者ケントリッドが死亡した際に恋人の貴女へ形見として引き渡されたはずだぞ!」
 まさかここまで来て間違いだということはあるまい。深淵の森で出会った魔物の数々のことを思い返して目眩がしそうになっている兵士へと女性は微笑んだ。


「きっと何かの間違いだと思うのだけど……。ここまでいらっしゃったのですから、どうぞお茶でも飲んでいってください。今、疲労回復に効くハーブティーを淹れますわ」
 フードをそっと外した女性の耳は、細長くとがっていた。てっきり老婆だと思っていたのに、彼女――フランカ・シードは若々しい姿をしていた。
――水色の艶やかな髪に灰色の瞳をした美しい女性だ。人間でいえば20歳ほどに見えるが、ここまで綺麗なエルフとは予想していなかった。
エルフは長命種だと聞くが、フランカは確か100歳は超えていたはずだぞ。


 動揺してしまった。見惚れていたことに我ながらショックを覚える。職務中だというのに、自分は何を考えているんだ。
兵士は咳払いをして、フランカのすすめのままに丸太小屋へ入った。
外からは分からなかったが、意外に広い空間だ。魔法でも使って拡張しているのだろうか。てっきり一階しかないと思ったのに、階段までついている。


「ここまでは一人でいらしたの? 途中に森があったでしょうに」
 フランカの細い腰に目が釘付けになっていた兵士は、その言葉でしどろもどろになる。


「そうだ。……一人でここまで抜けてきた」
「お強いんですのね」
 兵士の口端が引きつる。手強い魔物の巣窟で一人暮らしをしているフランカに言われても皮肉としか受け取れない。


「……それで、剣のことなのだが」
「ああ、ございますよ」


「は!?」
かまどにヤカンをかけたフランカはしれっと答えた。


「ごく普通の鉄の剣なら確かに私は持っています。到底『聖剣』と呼ばれるほどの業物ではございませんが、あれでも一応『剣』ではありますわね」
 どこまで信じていいものなのか。
兵士の疑う眼差しに、フランカは苦笑して部屋の奥へといなくなった。しばらく熱されているヤカンと共に待たされると、彼女は木の箱を大事そうに抱えて戻ってくる。


「たまにいらっしゃるんですよ、貴方みたいにこの剣を聖剣だと信じて訪れる人が。よくご覧ください、これがその剣ですわ」
「見てもいいのか?」
 ……遺品ならば大切なものだろうに。
兵士は良心が咎めたものの、国家の為だと信じて箱の中身を検分する。そこの赤い布にくるまれて収められていたのは手入れの行き届いたごく普通の鉄の剣で、少し刃こぼれがあった。武器屋ならばいい値段で売れるだろうが、とても聖剣と呼ばれるほどのオーラはない。自分の腰にささっている支給品の剣と似たり寄ったりの品質に思えた。


「確かに、これは……」
「ありふれた剣でしょう? ……当時のケントリッドったらこんな剣を愛用していたんですよ」
 エルフの彼女は懐かしそうに目を細くする。兵士は落胆を隠せずに眉間にシワを作った。
これでは上官になんといって報告すればいいのか。


「持っていってもいいか?」
「嫌ですわ」
 確認をとると、フランカはにっこり笑ってこう言った。
 ……幻聴か?


「我が国にこの剣を持ちかえっても……「嫌でございます」」
 兵士の心にブリザードが吹き荒れた。
こちらが大人しくしてると思えばこの女エルフ……。明らかに苛立った兵士の様子が分かったのだろう、フランカはゆるりと微笑んで喋り始めた。


「どうしても持っていくというのであれば、この剣の出自を聞いてからにしてくださいませ。これは、私とケントリッドの思い出の品物なのです」
 あれは、草木が眠る夜のことでございました……。
そう語り始めたエルフの唇を、呑まれたように兵士は見つめていた。







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