悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆302 失った過去への推測







 全てが片付き。自室のベッドで、私は眠れぬ夜を過ごしていた。
……本当に、夕霧君と奈々子の恋はこのような結末で良かったのだろうか?


 確かに、奈々子の選択は陰陽師としてはどこまでも模範解答だ。夕霧君を思わせぶりに翻弄するよりは、こうして切り捨ててしまった方が浅い傷で済んだことだとは分かる。
 けれど、その痛みは真に軽いものなのか?
ああして惹かれあっていた彼らにとっては、引き裂かれるような思いのすることではないのか?
奈々子には、夕霧君を振ったことによる後悔の念はどこにもないの?
そんなことを考えていた私は、相部屋になっていた皆が眠った頃を見計らってこっそり自室を抜け出そうとした。


「……ダメですよ、こんな時間に一人で外に出ては」
「……白波さん」
 私を止めたのは、同じ部屋にいた白波さんだった。
引き留められて、苦い顔をするこちらに彼女はウインクをする。


「どうしても月之宮さんがお部屋の外に出たいのなら、私も一緒に行きます」
「え?」


「合宿は団体行動が基本だよ?」
 白波さんは寝付けない私を心配して、おどけたフリをしてこう言ってくれている。
その優しさに甘えて頷くと、私はドアノブに手をかけて寝間着にコート姿で外に出た。
ひんやりとした暗がりに、自販機の明かりが煌々とついている。シャッターの下ろされた土産物売り場がある。誰もいないソファーに腰掛けると、白波さんがふふっと微笑んだ。


「何か、悩み事があるの?」
「…………うん」
 何を話したらいいのか自分でも分からないけれど、このぐしゃぐしゃした心境を少しでも言葉にしてしまいたかった。


「聞いてくれる?」
「もちろんだよ」
 私の問いに、白波さんは快諾をしてくれた。
重苦しい沈黙の後に、私は少しずつ自分の気持ちを話し始めた。


「私ね、世界ってもっと善人と悪人で別れているものだと思っていたのかもしれない」
「それって、悪いことなんですか?」
 いや、そうじゃないな。


「っていうか、もしかしたら自分に都合の悪い行動をする人を勝手に悪人のように思っていたのかも……って、少し思って」
 私の吐息に、白波さんはしばらく考えていた。


「……むずかしいことを考えるね」
「私、奈々子ってもっと雷に打たれても平気な子だと思ってたの。私よりも強くて、逆境に遭っても絶対に自分の意志を貫くタイプ。
それに憧れてもいたし、ダメな私を批難する奈々子のことを正直、重荷のようにも感じてた。
でもそれって、ただ単純に私があの子から逃げていただけの結果だったんじゃないかって、今更のように思うんだ」
「そうなんだ……」
 そう。思えば、私が日之宮奈々子に向かってきちんと向き合ったことのある時なんて、驚くほどに少ない。
生きていく為に、自分を守る為に私はあの子や周囲を悪者にしていた。


 このゲームの悪役令嬢の座を欲した奈々子の真意って、もしかしたらそうしたところにあったのかもしれない。
傷つけることでしか、あの子は私の関心を引けなくて苦しんでいたかもしれない。
もしかしたら、逃げずに愛せば良かった?
自分にとって都合の悪い現実の象徴である奈々子に、どう接すれば正解だったの?
そんなことを整理できないままに、つらつらと語ると。白波さんは慈愛のこもった眼差しをこちらに向けた。


「月之宮さん。正解なんてものは最初からないんですよ」
「……どういうこと?」


「人間って、その時の自分の精一杯で頑張るしかないです。後から考えれば後悔しかなくても、目指した先が合っているかなんて誰にも分からないんだよ」
 なるほど。航海だけに。ってとこだろうか。
なんて、そんなくだらないことを言っているシーンではない。
暗い夜だ。陽の光なんてどこにもない、藍色の闇だ。


「じゃあ、その一生懸命の決断が間違っていたらどうするの?」
 静けさで支配された空間で私が訊ねると、


「そうなった時に考えるしかないと思うな」
 白波さんは真剣にそう答えた。


「なにそれ」
 だって、それって無責任すぎやしないだろうか。
誰でも自分の行動の結果には覚悟を持つべきだし、それが大人ってものなのではないのだろうか。


「私、適当に答えてるわけじゃないよ。本当にそう思うの。
未来のことは誰にも分からない。過去に起こった出来事も変えられない。だったら、今の私たちができる範囲でやっていくしかないんじゃないかな」
「今の私が……」


「月之宮さんが、自分に都合が悪い人を悪者にしてしまったと思うなら、これからを考えればいいと思うんです。
生きている限り、可能性がゼロだなんてありえないですから」
 廊下に置いてあったアクアリウムの水槽に酸素が供給される音がした。
 それは少しだけ人間らしい音だった。
 私は、肺一杯に空気を吸い込んだ。


「私、奈々子に対してどう接したらいいのかな」
「これから一緒に考えましょう」
 にこりと白波さんは穏やかな笑みになった。
それは、沢山のまばゆいカスミソウの花のようだった。


「……私ね、云わなくちゃいけないことがあるの」
 私は、途端に彼女に隠し事をしていることが心苦しくなった。誰もいない二人きりのロビーで、俯きながら耐え切れずに告白をする。


「私、本当は純粋な人間じゃないの」
 どう話したらいいだろうか。
本当のところは、私でも半信半疑だったこの過去を。








 月之宮家に代々交わってきた神やアヤカシの系譜から生まれた半分の神。その正体が自分であることを明かすと、白波さんは驚きに目を見開いた。


「じゃあ……私が持っている神名って月之宮さんのものだったの?」
「そうよ。私、ずっとそのことが云えなくて、自分でも認めたくなくて……これまで黙っていたの」
 思い返せば、なんて卑怯なことだったろう。
 それだけではない。


「私、多分昔の記憶をいくつか失っているんだと思う……。これでも少しずつ断片的に思い出してきてるんだけど、鳥羽の消えた記憶と一緒で全部取り戻すことはないと分かるの」
 今から考えると、私の思い出す過去はとてもツギハギだらけだ。喪失したものや壊れたものが元の形で戻ることは恐らくあり得ない。それだけはなんとなく分かる。実感として、悟っている。
……それとも、何者かによって壊されたのか?
心臓が、早い鼓動を刻んだ。なんだか頭がぼんやりとしてくる。


「あたし、昔から利用されやすい子どもだった。周りからは、霊感のある変な子ども。おかしい子どもとして扱われてた。
おかしいよね。あの子は変わってるってレッテルを貼る側はそれがどんなに酷なことか分かってない。気安くみんなは差別をして、あたしを遠ざけて笑った。利用したいときには媚を売って、自分の期待外れになると簡単に捨てた。頑張れば頑張るほどに、周囲との歯車は掛け違えていった」


 あなたはみんなとは違う。
 空想壁のある嘘つき。
 頭のおかしい奴。
そんな単純な一言で、少しずつ『あたし』は切り刻まれた。


「裏で学ばされた陰陽道の世界でも、あたしには才能なんて最初からなかった。だって、それは純粋な人間の為の技術だったから……。半分神様の名残があるあたしはどんなに努力しても戦闘以外に使えるようになる日なんてこなかった。
それが、陰陽道の世界でも半端モノなんだと指差されてるようで、アヤカシ殺しの才能しかないみたいでもっと惨めになった」


 普通を取り繕っても、息が苦しかった。
あたしを差別する奴らを。好きでもない人間を守らなくちゃいけないことが、苦しかった。


「あたしが昔ツバキと出会ったのは、そんな折のことだったような気がする。深くは思い出せないけど、人間というものを嫌いになったのもその頃だと思う」
「東雲先輩と……」


「そこからは、推測でしかないけど……。多分、陰陽師たちに隠れて、あたしはツバキに会いに通った。そして、幾度か人間に裏切られるのを繰り返すと同時にアヤカシの世界に惹かれていった。
そのうち、人間に期待しても欲しいものは手に入らないと諦めた。
きっと、彼と一緒にこの街から逃げるつもりだったんじゃないかと思う」


 ――逃げるつもりだったんだ。
かつての私は、あたしを苦しめた全てをリセットする為に、この現実を置いていくつもりだった。
頭が痛い。
きっと、この先で何かが起こったのだと思うのに。
思い……出せない…………。


「月之宮さん!?」
 痛みにうずくまった私に、白波さんが悲鳴を洩らした。


「月之宮さん、前に云っていましたよね? この世界は全部ゲームに出てくるって……。その悪夢を見たって。でも、その話ってなんだかおかしいじゃない!
それじゃあ、まるで誰かが月之宮さんを引き留めるために……」


「……白波さん、こんなあたしっておかしいかな……」
「違う、そうじゃなくて! 月之宮さん、きっと誰かに――――れてる! 私、月之宮さんを助けたい……っ」
 そこまでのやり取りをしたところで、誰かがすっと私と白波さんの間に入った。


「……そこまでです」
 現れた東雲先輩が、ひきつけを起こしそうになっている私をお姫様抱っこにする。


「東雲先輩……」
「恐らく八重はこの一年、ずっとこの真相に気付きかけてはその記憶を失うことを繰り返している。今ここでその話題に触れない方がいい」


 白波さんが、くぐもった声になった。
「だったら……私は……」
「最終的に八重を助けられるのは君だけだ。君が神名を返してありのままの自分に戻りたいと願うこと。八重が本来の自分に戻りたいと願うことが、自分自身を愛することが全てを元通りにする鍵になる。
僕はそうなって欲しいと君たちを作為的に引き合わせたんだ。
恐らく、今の会話は八重の記憶には残らないだろう……」


 何を言っているのか理解ができない。
指先から滑り落ちる砂のように、私の脳に残らない。
静かな退廃の眠りに落ちる私が最後に見たのは、泣きそうな表情で私の手を握る白波さんだった。








 ……何か奇妙な夢を見た気がする。
少しの違和感と共にベッドで目覚めた私は、ぼうっと窓から外を眺めた。
外では小鳥が溶け始めた雪の上でさえずり、その平和な光景を見ていたらようやく昨日の出来事を思い出す。


「そうだ、確か奈々子がいなくなって……」
 それから、奈々子を保護してからはすぐに寝たんだっけ?
なんだろう、ちょっと寝不足の感覚がするんだけど……。


「八重ーー! おはよう!」
 朝から元気な希未が私に抱きついてくる。そのままなすがままにされていると、部屋に戻ってきた白波さんと視線が交差した。


「月之宮さん……昨日のこと覚えてる?」
「奈々子がいなくなったことでしょ? 無論覚えてるわよ」
 そう爽やかに返事をすると、白波さんは沈痛の面持ちとなった。
 え? あれ? 何か違うことを言っちゃった空気……?
私が首を捻っていると、白波さんは吐息をついて天井を見た。


「うう……めげません!」
「……何を?」
 希未が不思議そうな顔をしたけれど、それを白波さんは笑って誤魔化した。







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