悪役令嬢のままでいなさい!
☆299 静かなる雪と大いなる水
事情を知らない夕霧君に色々説明するのは、鳥羽と白波さんと希未にお願いをした。ひとまず、福寿やウィリアムと合流した私たちは、霊力を使って山のサーチをする為に借りた個室にこもる。
本来、このような技量が必要なテクニカルの術は私が最も苦手とするところのジャンルだ。今の自分にそれを成功させることができるのか……こみ上げる不安の念にカタカタ震えていると、安心させるように東雲先輩がこちらを見る。
「大丈夫です。八重。君は精密なコントロールは考えなくてもいい。ただ、術を行う際の手助けをしてくれればそれでいいんです」
「手助け?」
視線を動かした私に、東雲先輩はこう話す。
「恥ずかしながら、アヤカシの身はこういった小手先の術を使うのには向いていないんですよ。どうしても、霊能力者の人間が一人は参加してくれないと上手くいかない。例えるなら、今の八重はサポーターみたいなものです」
「そうですか……」
難しい理屈だけど、そういうものなのだろう。
私よりもよっぽど強い戦闘力を持っているアヤカシにできないことなどないように思えるけれど、そういうわけでもない。
つまり、アヤカシよりも人間の方が技術的に細かい作業をするのに適しているということなのだ。大きな力は、それだけ扱うのに大雑把になってしまいがちなのだろうか?
そこで、私は一つのことに思い至った。
私、そもそもの前提として普通な人間じゃなくない……?
「あの、東雲先輩。私の正体って……」
「今の八重なら大丈夫です」
どんな根拠があるの?
「難しいことは考えないで。……君に足りないところは彼等が助けます」
そう言われながら手を重ねられ、ようやく私は少し落ち着いた。それと同時に、じわりと涙が滲みだす。
「……東雲先輩」
こんなことになって欲しいと願ったわけじゃないの。
彼女の存在を足枷のように疎まなかったと言ったら嘘になる。もしかしたら、無意識に邪険にして、いなくなってくれないかと思ったこともあったかもしれない。
でも、違うのよ。
本当に障壁になっていたのは、自分自身の心だったのだ。
上手くいかない私を傷つけていたのは、理想とか願望とか認めたくない現実とかそういったものだ。
私は人間のことが嫌いだったのではない。本当は、人間に愛されない自分を嫌っていた。
ただ、寂しかった。
伝った雫が、頬から落ちていく。
真に乗り越えなくなくちゃいけないものは、きっともっと他のことだったと今では思うから。
「もしも、奈々子が死んでいたらどうしよう」
まだ、あの子とは仲直りもできていないの。
伝えなきゃいけない言葉がきっとある。思い返しても言えていないことばっかで、泣きたくなった。
人間って、必ず明日が来るとは限らないのに。
「……この合宿が終わったら皆で遊びに行きましょう」
東雲先輩は、予想外のセリフを口にした。
「……遊びに?」
「はい。前みたいに遊園地に出かけてもいいですし、買い物でもいい。僕の受験が落着したら、いくらでも遊べます。
そこには、君の好きな人を呼べばいい」
「それって……奈々子も?」
「はい。もしかしたら、また喧嘩をしてしまうかもしれませんが――」
東雲先輩は、私の背を押しながら優しく告げた。
「――きっと大丈夫だ」
「……うん」
頬を拭いながら、私は不恰好な笑顔を浮かべる。
そんな様子を気づかわしそうにしながら、福寿が自分の隣の座椅子へと私を誘った。
「東雲様も簡単に言ってくれるわぁ。ホント天才肌って嫌になっちゃう」
頬杖をついて彼女は呆れ混じりにこう言った。
「ふうん、アンタ自信がないんだ」
「そんなことないけど……」
松葉が失笑すると、福寿は小さくソッポを向く。
その二人の態度に私が緊張すると、柳原先生が腰を下ろしながら胡坐をかく。そして、四人で手を繋いで口を閉ざした。
「深く息を吐いて……瞑想しながら探したい人間を意識に強く念じるんだ――」
私は東雲先輩の声を頼りに、慣れ親しんだ奈々子の霊力を思い浮かべる。荒々しくも繊細な、イメージするなら薔薇の色。
幼なじみ。当代随一の陰陽師。
女子高生。みどりの黒髪。不機嫌そうな唇。悪態。素直じゃない性格。頬を赤らめた一瞬。反して孤独な泣き顔。
そんな雑多なイメージから矢継ぎ早に景色が切り替わる。
水の中に潜った時のような感覚が身体を襲って、一気にトリップする。
視点が暗闇に駆け巡る。
意識が白い結晶に、巡り廻る雨に、降り積もった氷の層に拡散して、響いていく。
私は静かなる雪だ。冷たく、白い六花。わたしは、大いなる水だ。透明に澄んだ、流れる液体。ワタシハ――――、
探していたものを忘却しそうになるのを、必死に意識を繋ぐ。これは手放してはならない。これだけは失くしてはならないものだ。
荒れ馬に乗せられているような、駆け抜け、振り回される感覚に気分が悪くなる。しばらくその気持ち悪さに耐えていると、誰かの「見つけた」という言葉が聞こえた。
視界に飛び込んできたのは、雪の上で横になっている少女の姿だった。辺りは暗くなっており、数滴の赤い血の跡が見える。
近くにあるのは、小さな崖だ。どうやらそこから落ちて動けなくなっているらしい。安否を知りたい……そう思っていると、何かに気付いたように少女がハッとこちらへ振り返った。
『……八重ちゃん?』
そうよ。私はここにいる。
雪の華となって、雨粒となって、此処に来ている。
泣きそうな顔になった奈々子を抱きしめようとした時、何者かに意識を引き戻されるのが分かった。
お願い、少しだけ待ってて。
絶対に探しに行くから……。
…………。
我に返ると、蒼白な妖狐から崩れ落ちた私が揺り動かされているところだった。
「……先輩」
「……良かった。あと少しで戻ってこれなくなるところでした」
ぼおっとする感覚に襲われていたものの、私は正気に戻される。
「先輩! 奈々子が、崖から落ちて……っ」
「おおよその方向は分かったわね。具体的な位置までは特定できなかったけど、ひとまずは生きているみたい……」
疲れた声の福寿が眉を潜めると、眠そうな頭を振り、柳原先生が立ち上がった。
「よし、俺は行きます。地形的にアテはありますしスノーモービルでも動かしてみますよ」
「私も連れていってください!」
勢いよくそう声を上げると、柳原先生はため息を吐く。
「本当は子どもだし止めた方がいいんだろうが、日之宮が大人しくアヤカシに保護されてくれるか分からんしな……。仕方ない、車の免許のある東雲さんに乗せてもらいな。月之宮」
そう言いながら厳しい顔で室内から出る柳原先生を追いかけると、個室の外で待っていたウィリアムがランタンを一つ差し出してきた。
「ほら、月之宮さん。異能で充電しといたから良かったらこれ使って」
「え?」
自分の黒髪の向こうで、西洋鬼はきまり悪そうにしている。
肩を竦ませながら、錆び付いた笑顔になった。
「オレが行くと警戒させちゃうだろうから、ここで待ってるよ。払魔の連中からは目の敵にされてるわけだし……」
そこで、私はなんだかムッとした。
控えめに影を薄くしようとしているウィリアムの腕をがしっと掴むと、私はみんなのところまで引きずっていく。
「ちょっと、どうした?」
「このアヤカシも連れていきます」
怪訝な顔をしている柳原先生に、私は噛みついた。
それを耳にした東雲先輩が嫌そうな表情になる。
「どうしてこんな奴を連れていく必要があるんです?」
「私が連れていきたいと思ったから!」
「何の役に立つと?」
「明かりの代わりになりますっ」
東雲先輩が遠い目になる。
指先にぽっと狐火を灯して複雑そうに言った。
「灯りなら僕がいれば問題はないかと……でもまあ、言い争うのも時間の無駄でしょうしね。
暖気が必要になったら遠慮なくこの男の茶髪でも燃やしますか」
「いっ」
獰猛に口端を上げた妖狐に、西洋鬼は顔色が悪くなった。
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