悪役令嬢のままでいなさい!
☆292 スキー合宿のはじまり
「おっきなバス!」
強風に吹かれながら、到着したバスを見た白波さんが瞳を明るくさせた。
ふわり、ふわりと彼女のカラメル色の髪がたなびく。紅茶色の目が、太陽に輝く。
その無邪気な妖精のような姿に同性だというのに見とれてしまう。白波小春という女の子は、見た人間を惹きつける魅力を持っている。
クラスごとに乗ることになるこの乗り物に興奮しているのは彼女だけではなく、付近で同じように待っていた生徒たちがはしゃいでいるのが見えた。
それに気付いた鳥羽が斜に構えた物言いで、
「でも、月之宮家の乗り物を見た後だと、今回はかなり普通の部類だよな」と呟く。
「興覚めするから、そういうことを云わない」
希未がジト目を向けると、天狗は視線をわざとらしく逸らす。
子どもみたいに大喜びをしている白波さんが、ぐいぐいと私の手を引く。それに釣られて笑顔が自然と自分の顔に浮かび、私の心も浮上した。
「八重」
声を掛けられて振り返ると、そこには紺色のセーターを着た東雲先輩がいた。久しぶりの邂逅に、心臓が小さく跳ねる。
「随分と楽しそうですね?」
微笑ましそうな眼差しを送られ、私は満面の笑みを返した。
それを直視した先輩は言葉を失い、片手で己の口を覆う。その光景に私が不思議に思っていると、こんな言葉が聞こえてきた。
「……これは中々にくるものがありますね」
うん?
そのまま気まずい空気が流れ、私が困惑しながら立ち尽くしている格好となっていると、東雲先輩は何かを誤魔化すようにこちらの頭を優しく撫ぜた。
最近、彼はこうやって私の髪に触れることが増えた。
「どうかしましたか?」
「いえ、気にしないでください」
追究しようとしても、軽やかにかわされてしまう。
そのことに少し不満を抱いたのが伝わったのか、有無を言わせぬ作り笑顔が返ってきた。
むむむ……。
「先輩も参加するとは思いませんでした」
しばらくして私がそう云うと、彼は余裕そうに口端をつり上げる。
「まあ、確かに三年の大半は受験で不参加の人間が多いですね。だからといって、僕が参加しない道理もない」
「それはそうかもしれないですけど」
「もっとも、日之宮の令嬢と君を野放しで合宿に行かせるほど、僕はお気楽ではいられないので。どちらかといえば、そちらの理由の方が大きいですね」
「……ごめんなさい」
その言葉を聞いて私が思わず謝ると、彼はおどけた風に肩を竦めた。
「君との思い出を作れるのだから、謝る必要はないからな?」
そう言われても、やっぱり申し訳ないと思う気持ちは小さくならない。なんて返したらいいのか頭をぐるぐるさせていると。そこに、ひょっこりと希未が顔を出す。
「邪魔しちゃってごめん。そろそろ荷物を運びこまなくちゃいけないみたいなんだけど……」
私が腕時計を見て言う。
「……ではまた、東雲先輩」
「了解しました」
東雲先輩は爽やかに笑って立ち去った。
持っていた荷物をバスの下に運び込み、予め配られた紙に書かれた席に座る。私の隣は白波さんと希未で、その向こう側に鳥羽の席があった。
「……月之宮さんが遠い……」
露骨に先頭付近で不満げな顔をしているのは遠野さんだ。
やがて、手元にあったお菓子で白波さんを買収しようと交渉を始める。奈々子は一番後ろの席で静かに外を眺めていた。
「ほらほら、白波ちゃんを困らせないの!」
流石に見咎めた希未が遠野さんを阻む。
「だって……ずるい」
「そもそも、そんな駄菓子で買えるほど八重の隣は安くないんだよ!」
そうふんぞり返った希未の態度に、ため息をついた私が訊ねる。
「参考までに聞くけれど、幾らなのかしら?」
「一億ジェニーくらい?」
「まさかの空想通貨」
ジェニーってハン○ー×ハン○ーのお金の単位だったっけ?
これだけでも希未が誰かに席を譲るつもりがないのが明白だが、遠野さんは真顔でこう返事をした。
「分かった。ライセンスを今から取ってくる」
「どこに行く気だどこに」
話の流れを聞いていた柳原先生が呆れ顔で呟く。そして、遠野さんの隣の席にどかっと腰掛けると、彼女は目に見えて狼狽した。
「隣がオレですまんですねー、遠野」
「…………いえ、別に」
みるみるうちに、遠野さんの顔が赤くなっていく。
それを見た柳原先生が、びくっとした後にその様子を伺った。
「あー、その。遠野さん……?」
「……先ほどまでの発言は撤回する。どうぞこのまま、良かったら永遠にこのままでいい」
「さ、さぁーて、点呼の時間だな!」
先生は露骨に話を逸らした。
耳まで真っ赤になった遠野さんをチラリと見た奈々子が、冷ややかな空気を発する。恐らく、仲が良くなった人間がアヤカシに恋をしていることが不愉快なのだろう。
何か皮肉でも言うかと思ってハラハラしたけれど、意外なことに奈々子は一言も口にせずに大人しく点呼を受けた。
欠席の生徒以外は全員揃っていることが証明され、バスのタイヤはゆっくりと校内から外に滑り出した。
何事もなく帰って来れることを祈った。
もしかしたら、そのこと自体が既にフラグだったのかもしれないけれど。
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