悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆291 スキー合宿に向けて







 終わってゆく日々。
スキー教室のグループ決めで、奈々子は私たちと違う班になった。
遠野さんといつかのうどんを零した女生徒が一緒になったらしい。仏頂面をしている奈々子はその和やかな空気に窒息しそうになっていた。
といっても、悪い意味ではない。ただ、魚が知らない水に戸惑っているだけのこと。彼女の人間家業の歯車が動き出したってこと。
笑顔を向けられているその光景を穏やかな心情で眺めていると、こちらの視線に気が付いた奈々子がむすっと言った。


「なあに? 人のことを観察したりして、悪趣味よ」
「ううん……。良かったわね、仲良しの子ができて」


「そ、そんなことないわよ!」
 びっくりした顔でソッポを向いた彼女は、今も変わらず私の席の隣にいる。最近ではクラスの中の風当たりもだんだん良くなっているようで、みんなは奈々子のことをひねくれ者の照れ屋さんだと認知しているらしい。


「べべ、別に仲良くなんか……」
「……それは少し残念」
 気配なく現れた遠野さんに、奈々子はびくっとした。


「……たしかに私は日之宮さんより月之宮さんの方が好きだけど。でも、日之宮さんとはだからこそいいお友達になれそうな予感がした」
 水面の底に沈んだ硝子のような瞳を向けられ、奈々子がたじたじになる。


「それってどういうことなの……」
「……月之宮さんのことは異性として好き。日之宮さんのことは友人として好き。この二つは私の中で矛盾しない」
 いや、私は異性じゃないし。
いつの間に女から男に性別転換したことにされたの?


「あなた前までは柳原先生のことを好きだと云っていたじゃありませんの……」
「……先生は別枠」
 きっぱり言い切った遠野さんのセリフに、教室の奥にいた雪男が聞いていたのか勢いよく机におでこをぶつけた。


「意味が分からないわ」
 クエスチョンマークを出している奈々子の顔から私はそっと目を逸らす。それは理解できないままにしておいた方がいいのではないかな……。
遠野さんの発言が妙なのはいつものことだ。
奈々子は少し挑戦的に口を開く。


「じゃあ、もしもあたしがスキー場で何かあったら助けてくれますの? やっぱりそんなこと云ってても無理なんでしょう?」
「無論、助けに行く」
 遠野さんのよどみない発言に、奈々子が引いた。


「もしも……そうね。野生のサルに襲われたら?」
「助けに行く」


「あたしが行方不明になったら……」
「探す」


「じゃあ、あたしがヒグマに襲われたら」
「見捨てて逃げる」
 奈々子の問いかけに、清々しく遠野さんは親指を立てた。
そのどや顔にキレそうになった奈々子が文学少女の三つ編みをぐいぐい引っ張る。


「そこまで云うのなら最後まで助けるって云いなさいよ……!」
「……流石に月之宮さんでもなければ熊は無理。最近の私は余り嘘をつかない主義」
 なんだか私に失礼な言葉が聞こえたような……。
じろりと睨みつけると、近くでそのやり取りを聞いていた希未が突っ込んだ。


「いや、あのさ。まず本州にヒグマはいないからね。後、サルは意外と危険だから戦わない方がいいと思うんだ」


 鳥羽も頷く。
「それに、行方不明者がでても絶対自分で探そうとするんじゃねーぞ」
「そうだね。二次被害が及ぶだけだわ」
 そう忠告をした二人の言葉が聞こえているのかいないのか、奈々子は遠野さんと戦っていた。
 おーい、本当に聞いてる?
杞憂を抱いた私に対し、白波さんが、零れるような笑顔を振りまいた。


「私、スキーに行くのは初めてですっ」
「え、ホントに?」
 意外に思ったこちらの表情を見て、鳥羽が呆れた顔になる。
 伸びをした姿勢で自然体にこう言った。


「今どきの街中の人間はそんなもんだろ。よっぽど経済的に余裕がなくちゃ、できねースポーツだしな……」
「あっそう」
 それではまるで私がいいとこのボンボンみたいな言われようだ。……確かに、我が家の経済状態を考えれば事実はそれと大差ないのかもしれないけれど。
そこまで考えて、白波さんの育った家庭はどちらかというと貧しい環境であったことに気が付く。
ああ、これは私の配慮が足りなかった感じだ。


「あの、月之宮さんや鳥羽君って上手に滑れるんですか?」
 上目遣いで可愛らしく訊ねられ、私は言葉に詰まった。


「……まあまあじゃない?」
「謙遜するなよ、月之宮。別にお前のスキーの腕が上手かろうが下手糞だろうが俺たちは今更嫉妬したりしねーよ。ちなみに俺はそれなりにできる」
「そう。専門のインストラクターの指導を受けたことならあるわ」
 陽気に鳥羽から掛けられたセリフに、私は思わず苦笑した。
みんなのことを信用していないわけじゃないのに、どうして返答に躊躇う必要があったのか。
自分自身に呆れていると、キラキラした白波さんの眼差しに直面する。


「すごーい! あの、合宿に行ったら私にも滑り方を教えていただけますか!?」
「別にいいけど……」
 そこで、微笑んだ私の近くにいた希未が大声を出す。


「あっずるーい! 八重の親友は私なんだから、教えてもらうのは私が先だよ! 白波ちゃんは遠慮して!」
「私だって月之宮さんの親友です! 栗村さんは独占しないでください!」


「歴史が違うのだよ、歴史が! 私なんか八重が一年の時からの付き合いだからねっ」
 そこまで言われ、白波さんの頬が膨らんだ餅のようになる。
ぷっくーと大きくなったそれを前に、私はオロオロしてしまった。


「私だって月之宮さんのことは大大大好きなんだもん!」
「二人ともその辺に……」
 その光景を見ていた柳原先生が、堪えきれずに噴き出した。
私たちが視線を移すと、担任である彼は腹を抱えて笑っている。


「ははは、そんなに喧嘩するほど雪山が楽しみか。若者諸君……。あんなもの、さして珍しくもなんともないだろうに」


 それを見た希未が拗ねた顔で呟く。
「猿山のサルを見たような反応は止めてもらえます?」


「いやいや、そんな失礼なことは思ってないですけどね? いつも冷静な月之宮の困り顔を見ていたら何やら愉快な心境になって……」
「酷いです。先生」
 私が複雑な目で彼を見ると、視線を逸らされた。


そこに、どこからか悪意のありそうな雰囲気を感じ、私はぶるりと身を震わせる。咄嗟に振り返ると、教室の後ろの方にいたバレー部の女子グループが奈々子を見てコソコソ話しをしているところだった。
彼女たちは、確か以前に白波さんを苛めようとしていた人たちで、この高校の中でも我が強かったのを印象に残っている。
そうだとしたら、今度は何を考えているのだろう……。
一抹の不安がよぎりながらも、私はみんなの輪の中へと戻ることにした。









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