悪役令嬢のままでいなさい!
☆275 誕生日パーティー
冷たい夜空の下、肌に纏った布地の薄さに八重は身を震わせた。
ここは月之宮家の主催するパーティー会場のバルコニー。隣の奈々子は真っ赤なドレスを着ているが、今日の主役である八重は対を為すように艶のある黄みがかった白色のひだのついたドレスを着ている。人形じみた感情に欠けたその横顔を彩るように床まで届く豪華な衣装は華を添えていた。
二月の上旬である八重の誕生日に合わせて開かれた祝賀の席には大勢の招待客が詰めかけており、バイオリニストの演奏が遠くから聴こえてくる。
「残念ね、折角の誕生日なのにあなたのお兄様がロンドンから帰って来てくれないだなんて」
「別に気にしていない」
奈々子がそう言って微笑を浮かべると、八重は淡々と返した。
「留学先でも苦労が多いのでしょう。このような下らない催しの為に帰ってくる必要なんてどこにもないわ」
「そうかしら」
八重の割り切った答えに奈々子は少しつまらなく感じた。
悲しそうな顔でも一つ見せてくれたものならそれを口実に苛めることもできたというのに、これでは何の面白みもない。
そうしてため息をついていると、そんな二人に歳をとった女性の声がかかる。
「――あらあら、主役が隅っこに居てはいけないわ」
「八重ちゃんのお母様……」
目を大きくした奈々子に、八重の母親は親しみのこもった笑みを向けてくる。屋外の寒さに手のひらを重ねると、悪戯めいた口調で話しかけてきた。
「こんな寒いところにいたら風邪を引いてしまうでしょ? 松葉ちゃんもあんな怪我をしなければ一緒に参加できたのに……」
「日頃の鍛錬が足りないからあんなことになるのよ」
奈々子がふんと笑い飛ばす。
「怪我をした理由を聞いても一向に話してくれないし、困ったことだわ。八重ちゃんも心配してしまうわよねえ?」
そう母親から話を振られた八重は、瞬きを繰り返す。奈々子に肘でつつかれて、ようやくぎこちなく微笑んだ。
「……ええ、そうね」
「すごく綺麗よ、八重ちゃん。松葉ちゃんにも見せてあげたかったわ」
と、そこまで母親の咲耶が口にしたところで、八重の父親がせかせかとやって来るのが見えた。寒そうにしている娘の姿を目にして、彼は眉を寄せる。
「……八重、どうしてこんなところにいるんだ」
「申し訳ありません」
「まあ、謝ることはない。招待客しか入れないようになっているとはいえ、あのような低俗な有象無象に囲まれれば逃げたくもなるだろう」
優しい言葉をかけられ、奈々子が驚いた顔になる。その表情に気が付いた八重の父親は強気な笑みになる。
「なんだなんだ、その鳩が豆鉄砲を食ったような顔は。私が娘のことを気遣ったことがそれほどまでに意外かね」
「いえ……そんなことは」
その親らしい情のこもったセリフに、そのようなものに触れたことのない奈々子は凍り付いた。
奈々子をまるでスリ硝子を見るように、彼の視線の向こうには八重がいた。そのことが悔しくなって、奈々子は己の手のひらを握りしめる。
「……おじさま、幽司様はまだ帰ってこないのですか?」
羨ましくてたまらない。あたしはそんな言葉云ってもらったことはない! その煮えたぎるような思いを堪えて、奈々子は無理やり笑顔を作った。
「あれはどうしようもないな。何に怯えているのかは知らんが、一向に帰ってくる兆しを見せん。いくら留学をしているといっても、まさか一度も帰省する気がないとは呆れたものだ」
「そのような云い方をしなくても……」
夫の言葉に、奥方は眉を下げる。
「あのまま日本に帰ってこなければ、会社は部下と結婚させた八重に継がせることも考えねばならん。手始めは婚約からだな。幽司は分家の出であるというのにこれまで本家で育ててやった恩をなんだと思っているのか……全く」
「帰ってきますわ!」
恐怖を感じた奈々子は叫んだ。
「幽司様は、絶対にこの地へ帰ってきます!」
「そうであればよいがな」
顔色の無くなった奈々子は、何かに怯えているようだった。自分の立場が無くなることへの恐れか、それとも保身なのか……そんなことを考えている八重の父に、慌てた使用人が駆け寄ってくる。
「……申し訳ありません、ただ今八重さまにお目通りを叶いたいという者が現れまして……」
「ほお。どこのどいつだ」
「それが、同じ高校の生徒だとか……身元の分からない者は通さないように表には警備の者を置いてあったはずなのですが」
それを聞いた彼は渋面を浮かべる。奈々子は顔を引きつらせるが、八重の母親が嬉しそうににっこりと笑った。
「あらあら、まあまあ。本当にここまで来れるなんて」
「……何か知っているのか、咲耶」
「彼らは私が呼んだ子たちよ。招待状を持っているはずだからここまで通してあげなさい」
鶴の一声といった月之宮家の奥方の言葉に、使用人は戸惑いながらも頷く。
「私は何も聞いていないぞ」
「だってお知らせしておりませんもの」
人を食ったような笑顔で、彼の伴侶は薄く微笑んだ。
「彼の名前は東雲椿くん。私立慶水高校の首席であり、生徒会長を務めている子。八重ちゃんの恋人です」
そのセリフを聞いた八重の父親は雷に打たれたような衝撃に茫然とした。口を閉めたり開けたりしていたものの、ようやくフリーズからの再起動を果たす。
「……娘の、恋人だと?」
「八重ちゃんのことが心配なのは分かりますが、そろそろ娘離れができないと困りますわ。あなた」
「そんな相手がいたのか……」
これから気に入った部下との縁談をゆっくり決めていくつもりだったのに――一気に老けこんだ顔になった夫の煤けた肩に雪が舞う。それを見た咲耶は面白そうにくすくす笑った。
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