悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆272 豹変した私







 なんの気まぐれだろう。いつもより奈々子は私に対して優しかった。
まるで幼い頃に戻ったように、暴言も吐かず。けなしたりもせずに、友達らしく同じ時を過ごした。
その穏やかな彼女の横顔に、私の胸は何故か苦しくなった。
授業中、あなたはくすりと笑う。


「ねえ、見て。八重ちゃん。雪が舞っているわ」
「……そうね」


「こうしていると、小さい頃に時間が巻き戻ったみたい……。覚えてる? あなたが狐にたぶらかされる前の……昔は日之宮の庭で幽司様と三人でかまくらを作って遊んだわね」


 懐かしむような目で、奈々子は囁く。まるでそれが大切な思い出で、噛みしめるようにして。
……ねえ、奈々子。あなたは一体何を考えているの?
傷つけられたと思ったら、いたずらに優しくしてみたり、どちらがあなたの本当の姿なのか分からない。
沈黙を貫く八重に、少しだけ残念そうに奈々子は笑った。


「……戯言を云ったわ」
「そう」


 いつからだったのか。今思い出したかつての彼女は、人に向かって悪口を言うような子どもではなかった。
私が陰陽道に関して落第生だと分かったから、奈々子はその分まで引き受けて修行に打ち込んだ。義兄との縁談が持ち上がった時も、唯々諾々と其れに従った。
彼女は本心を誰にも明かさず、只人とは相いれず、唯一心を許していたのは同世代の霊能力者の義兄と私だけ。
家に縛られた当時の私たちの世界は狭く、厳しいものだった。


『――ねえ、あたし、八重ちゃんがいればそれでいいわ』
 幼き頃の奈々子は、確か、そう言っていた。


『友達ができなくても、恋人がいなくても、理不尽な思いをしたって八重ちゃんさえいればそれでいいってことにする。あたしには八重ちゃんがいるから誰よりも幸せだって、自分を騙すわ』
 どうしてか、その言葉に当時の私は切り付けられた気分になった。
私には奈々子の友達にはなれなかった。お互い比較されながら育って、親戚同士という距離が近すぎたから。
そのことが無性に悲しくなって、私は耳にした言葉に涙を流した。
奈々子は泣かなかった。私は彼女の涙をついぞ見たことがない。


『……だからね、覚えていて。もしもあなたがあたしとの絆を裏切ったら、その時は一生許さない。絶対に、懸命に、許してなんかあげないから』


 ふとした言葉が呪いになるのなら、それこそが始まりだったろう。
 どうして、私たちはこうなってしまったの?
何が足りなくて、彼女は壊れてしまったの?
もしかして、その原因は私だったのだろうか。アヤカシに惹かれていく私のせいで、彼女はこんな悪行に手を染めたのか。


 心が軋むような思いで、凪いだように微笑う奈々子を見ていた。
 間違いだったというのですか?
私のこれまでは、彼女にとっては消してしまいたいほどのものであったの?
偽りだらけの人形を手に入れて、それを幸せだというあなたが怖い。


 ずっと、ずっと本当は怖かった。
私は奈々子といることが恐ろしくてたまらなくて、いつも胸が塞ぐような心地だった。
逃げ出すつもりはなくても、耐え切れなかった。
武者震いに息を呑んだ私に、奈々子が口端をつり上げる。
そんな2人の姿を睨みつけている存在が同じ空間にいるとしても、奈々子にとってはこれが倖せだった。
そういう風に自分を誤魔化せている間は、狂わずにいられるような気がしていたから。








 日が暮れて、昇って、また暮れて。
休みを挟んだ数日間がそうして過ぎた。
部活には行っていない。様子がおかしいと思ったみんなが話しかけても、八重は嫌そうな顔で無視をする。


「月之宮さん、ちょっといいかしら?」
 廊下で花咲福寿に話しかけられた八重は無言でシカトをしようとする。隣にいた奈々子と共に立ち去ろうとして、がしりと腕を掴まれた。
そうされて、初めて相手を視界に入れる。無機質な眼差しで、


「……なんでしょうか」
と云われ、流石の福寿も引きつった笑いを浮かべる。


「いや、あの……今日倒れて保健室に運ばれた白波さんって確か月之宮さんのお友達だったわよね?」
「そのような記憶はありませんが」


「そうだったはずよ! 私の脳細胞では、確かにそう刻まれてるわ!」
「アヤカシに正常な脳細胞があるかどうかは存じませんが、大した用でないようなので行ってもいいですか?」
「ちょっと待ったぁ!」
 自らの腰にまとわりついてくる保健医に八重は眉を潜める。それを見て鼻で笑ったのは奈々子だ。


「花咲先生ったら、そんな無様なことをやって、楽しいですか?」
 そんな茶々に構っていられる福寿ではない。


「せめてお見舞いとか! 心配の一言とかないの!? まさか私との熱愛も全て忘れてしまったというわけじゃ……っ」
「それはむしろ忘れた方が幸福になれそうですが」
 淡々と突っ込みを忘れない八重は、冷たく福寿の手を振り払う。そして冷たい視線で、


「月之宮はフラグメントに関しては不干渉を貫きます。この学園の騒動の元凶であるあの娘が病に倒れようが死のうが今後関与するつもりはありません」
「まあ。八重ちゃんったら賢明なことを云うのね」


「むしろ白波という娘にはいなくなってもらった方がこの近辺が平和になるのでは?」
 八重のセリフに、福寿が絶句をする。


「そ……、そんな酷いセリフを月之宮さんから聞くとは思わなかったわ……」
「むしろ過去の私がどうかしていたのです。多数の安寧の為には少数に我慢してもらうのは当たり前のことではないですか」
 校舎にチャイムが鳴り響く。


「……もういいわ」
 失望したように、福寿はため息をつく。


「行ってもよろしいですか?」
「ええ。残念だけど」
 そこで、待っていた奈々子は猫のように八重にまとわりつく。
満面の笑顔を浮かべている彼女をチラリと見て、福寿は無言で引き上げた。









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