悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆270 操り人形になった私







 意識を取り戻した時、『私』がいる場所はいつものところではなかった。


 見も知らぬ天井。匂い。冷たい空気。
どうやら清潔なベッドに寝かされているらしい。
身を起こしてみると、そこは狭いホテルの一室らしいことが分かった。室内に気配は2人。そちらに視線を動かすと、私が起きたことに気付いた奈々子が薄く微笑んで近寄ってきた。


「……あら、ようやく起きたの。気分はどうかしら?」
 私に一体何をしたのか。むかむかする不愉快な心地と共にそれを口にしようとしたけれど、吸いこんだ息は言葉にならなかった。それどころか、


「ええ、生まれ変わったような気分よ」
と、考えてもいないセリフが自分の唇から紡がれ、仰天してしまう。
同時に、表情筋は勝手に奈々子に向かって柔らかく笑った。


 どうして。どうして思ったことが口に出せないのだろう。相手を睨みつけるつもりなのに、こんな風に笑顔になっているのか。
何か怖いことが自分に起こっていることを察して、胸の中を戦慄が走る。恐怖に震えそうになったこちらの内心などいざ知らず、奈々子は本当に満足そうに口角を上げた。


「ねえ、八重ちゃん。あなたは私のなあに?」
「……変なことを聞くのね。今更口にする必要があるの?」
 実に不思議そうに、月之宮八重は小首を傾げてみせる。それをじれったそうに熱い瞳で見つめながら、奈々子は続きをせがんだ。


「そんなのいいじゃない。早く聞かせて」
 我慢のできない子どものように問われ、すぐに八重は返答した。それはよく聞けば機械的なものにも受け取れただろう。


「大切な、お友達よ」
「もう、月之宮を出ていくだなんて云わない? あの狐よりも、あいつらよりもあたしのことを大事にしてくれる?」


「云わない。奈々子のことが大事よ。アヤカシなんか、指折りして数えるのもおぞましいわ」
「約束して!」


「別にいいけど」
 そう言って小指を差し出した八重に、奈々子は本当に嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
指を絡めたその喜びが壊れていることに当人の自覚はない。頭の中に封印された八重の本当の心が、嫌悪していることも知らんぷりをしている。


歪んだ欲望を目の当たりにした私はショックを受けていた。……どうやら、今の私は自分の気持ちが表に出せない状態にあるらしい。恐らく、あの時のスマホに添付された画像は術式の一種だったのだ。


「すごいわ、本当に理想通り! あたしの望んだままの八重ちゃんよ!」
 天下をとった如くはしゃぐ奈々子に、松葉は呆れたように言った。


「はいはい、それは良かったね。本当にこれで解決したの? 頭のいいご主人様が演技をしているっていう可能性はないわけ?」
「そんなことあり得ないわ」
 二人の会話をスルーした月之宮八重は、自分のスマホを取り出して嫌そうな顔をする。そして、画面をタップし始めた。


「ご主人様、何をしているの?」
「アドレスを消しているのよ」
「え?」
 驚きを顔に示した松葉に、八重は当然そうに告げる。


「だって、気持ち悪いじゃない。汚れたアヤカシのアドレスがこんなに登録されているなんて。今までのことを思い返したらわりと悪夢よ」
「徹底してるなあ。でも……、本当にそんなことしてもいいの?」
 後で後悔しない?と尋ねられた八重は、にこりと笑った。


「だって、私には兄さんと奈々子がいるもの」
「ボクのことは?」
「…………」
 困った顔になった八重の表情を見た奈々子が、ふんと鼻を鳴らす。そして、悪い笑みで話した。


「あんまり矛盾することを聞かないでちょうだい。アヤカシは敵。今の八重ちゃんはそういうことになってるんだから」
「ええー、なんだよそれ、ボクの旨味があんまりないじゃん」


「あら、でも今の八重ちゃんはきっと理想的な陰陽師よ? 式妖として実に仕えがいがあることじゃない」
「そういう問題とは違う」
 ぶつくさ文句を言っている松葉を無視して、奈々子は八重の冷えた手をとった。


「八重ちゃん、あなたは今日からあたしの一番のお友達よ。この先何が起ころうとも、断固としてあたしを守るって誓うの。愚図で怠惰で裏切り者でも、それくらいのことできるでしょうね?」
「いいわ」
 八重はふっと笑う。
その透き通るような声を聞いた奈々子は、少しだけ肩の力を抜いた。


「そ、そう……。それならいいけど……」
「私の一番は月之宮。陰陽師の仲間である奈々子を大切にするのは当たり前のことだわ」


「そういう問題と違うんだけど」
 先ほどのカワウソと同じセリフを真顔で口にした奈々子は、とても面白そうに唇を動かした。その少女のような姿に、松葉は意外に思う。
確かに、現在の月之宮八重のセリフは完璧だ。自分たちにとっての模範解答を示した主は、どこまでも凛々しい佇まいで迷いなど欠片も存在しないように映る。


それを見た松葉は、息を呑んだ。
そうだ。……これで正しい。
陰陽師としては限りなく最適解に落ち着いた今でもその魅力は損なわれてなんかいないし、変わらずに好きだと思う。
 こんな風であって欲しい。こうして欲しい。東雲のことなんか、嫌いになって欲しい。そんな自分たちの歪んだ願望が具現化したような光景に眩しく思っている彼とは裏腹に、八重の本心はひどく傷ついて絶望していた。


――宝物のアドレスを、他ならぬ自分の手で消してしまった。何者かに乗り移られたかのように勝手に操縦されている身体、肉体にどうしたら主導権を取り戻せるのかまるで分からない。
このままでは、きっと大変なことになる。
その予感にショックと寒気を感じていると、猫なで声の奈々子がおっとりと言った。


「このまま屋敷に閉じ込めてもいいけれど……それでは月之宮から文句を云われてしまうわね? でも、こうなった以上はもう逃げる必要だってないわけ……」
 そこで、彼女はヒステリーを起こしたように叫ぶ。


「もうアヤカシに気を遣う必要なんてない! 手をこまねく必要も、じっと展望を待つ必要もない! 全部、ぜんぶ、ぜんぶ!!」
 そうエスカレートしながら叫んだ奈々子は八重の手の甲に爪を立てるが、その痛みにも操り人形になった彼女は抗議をしない。
為すがままに落ち着いた瞳で耐えている八重を見た奈々子は、恍惚として笑う。


「何が緊急プログラムよ、最初からこうしてしまえば良かった! こうすれば、あたしはあんな下等生物に我慢する必要なんかなかったのよ……っ」


「ふーん、確かにこれはすごいや」
 確かに、よくできた仕掛けだ。
からくりを全て説明されている松葉が興奮を隠した物言いをすると、奈々子が鬱陶しそうに睨む。
人間の八重をまるでアンドロイドのように仕立て上げたことに、恐らく周囲は強く反発するだろう。この異変は誰が見ても一目で分かるし、こちらも隠す気がない。


「さて、これからどうなるかな」
 薄く笑った松葉がテーブルに頬杖をつくと、奈々子が言う。


「まるで天国と地獄ね」
「あっそう」
 オペラの楽曲になぞらえた奈々子は、挑戦的に言った。


「あたしたちにとっての天国と……」






「――散々調子に乗ってたあいつらにとっての地獄が始まるわ」









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