悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆265 一人で苦労すればいいんだよ







 授業中の奈々子は、ずっと私にべったりくっついていた。
陰陽師という特殊な育ちである彼女はこの学校という空間にも異質さを放っていて、周囲の生徒たちは遠巻きに様子を眺めているだけだった。誰も話しかけようともしないことに居た堪れないものを私は感じたけれど、当の本人は気にせず振る舞っている。
この環境に日之宮奈々子が何を考えているのかは分からない。私の他に親しい人間が存在しないこの状況に不安になったりはしないのだろうか……。


「ねえ、愚鈍な八重ちゃん。お昼休みになったら転校生のあたしに購買を案内しなさい」
 そう指図した奈々子は口端をつり上げる。
いつも白波さんや鳥羽と一緒にご飯を食べることが多いだけに、返答に詰まると、感情の読めない沼地のような瞳がこちらに圧力をかけてきた。
有無を言わせない態度に断ることもできずに俯くと、その様子を見るに見かねた鳥羽が強引に私の腕を引っ張った。
強い力で彼に捕まれ、私が唖然としていると。


「月之宮。……お前、大丈夫か」
 いつの間にか曇っていた私の空に、一筋の光が差す。
それを見た奈々子がみるみるうちに苛立った表情になる。両者の間に険悪な雰囲気が漂いだし、私は一歩後ろに下がった。


「八重ちゃんに用事でもあるの? うすのろ天狗さん?」
 奈々子の言葉に、彼女の正体を察していたらしい鳥羽が眉を潜める。そして、好戦的な笑みを浮かべた。


「……なるほど、てめえ、日之宮の術師か。白波を苦しめた黒幕が自分から登場とは優雅なことだな」
「果たしてそうかしらぁ? あなた、そんな風に人間の真似っこなんかして楽しいの? はっきり云って馬鹿みたいに見えるわよ?」
 鳥羽は、怒りを押し殺した表情で告げる。


「おい、月之宮。お前は一体どちら側でいたい? この虫唾が走るような女と一緒に居たくないってのが本音なら、俺はいくらでも協力するぜ」
「…………」
 本当なら、ここで陰陽師の側の人間だと即断しなければならなかっただろう。……けれど、心の底ではアヤカシに惹かれている私はその言葉に揺らいでしまった。


「勿論、八重ちゃんはあたしと一緒にいたいのよね? 出来損ないのあなたでも、どうしなければならないのかぐらい、分かってるはずよ」
「おい、お前」
 奈々子の口から溢れだした毒舌に、それを不愉快に感じたらしい鳥羽は吐き捨てた。


「……月之宮が出来損ないだって? いくら知り合いでもそれは聞き捨てならねえな?」
 喧嘩になりそうな空気に慌てた白波さんと希未が駆け寄ってくる間際、彼がこう言ったのが耳に聴こえてきた。


「俺はコイツほど懸命に生きている奴を他に知らねえよ。そんな奴を出来損ないだなんて言葉で表現するのは妥当じゃねえと思うぜ?」
 私のために、鳥羽がここまで言ってくれるとは思わなかった。
胸に熱い感情がこみ上げてきて、思わず自分の視線が揺れてしまう。どうしようもなく泣きそうになっているこちらを見て、奈々子が鋭く舌打ちをした。


「……甘いわ。甘すぎて反吐が出そう。世の中は、結果が全てなのに。あたし達は、そうでなくちゃいけないはずなのに……」
「さあ、月之宮。行こうぜ」
 勝ち誇った笑みで鳥羽が、私を教室の外へと引っ張っていく。
戸惑いながらも私が振り返ると、髪をふわりと浮かせた白波さんが勢いよく抱き着いてきた。


「そうです。あんな風に悪口しか言えないような人は放っておきましょう!」
「でも、奈々子は昔からの幼馴染で……」


「幼馴染なら何を言ってもいいんですか? 大事な月之宮さんを傷つけてもいいんですか? 私はそういうのって違うと思う!」
 そう言い切って微笑んだ白波さんに、私はまじまじと見返してしまった。
どんな悪人でも許してしまうような危うさがあったはずなのに、いつの間にこんなにしっかりと自立した考えを持つ人間に成長したんだろう。
以前よりもその手のひらは温かさを増しているように思えて、私はくしゃりと顔を歪めた。


「今は泣いちゃダメだよ、八重」
 希未が私の手をとって笑った。


「あいつに見えないところなら、いくらでも泣いていいけどね」
「別に、泣いてなんか……」
 ない、はずなのに。
いつの間にか、数滴の涙が零れそうになってぐっと呑みこむ。
それを見透かしたような鳥羽が、廊下を歩きながら真剣な眼差しで話す。


「……あれが陰陽師の普通ってやつなのか? それにしては随分と悪意に満ち溢れた感じの女だぜ」
お前も苦労が多いよな。と、同情混じりに頭を撫ぜられる。


「私、やっぱり戻らなくちゃいけないわ」
「購買ぐらい他の生徒に聞けばたどり着けるだろ。はっきり言って、あいつは月之宮のことは相当に嫌っていると思うぜ。そんな相手に一から十まで親切にすることはねーよ」
「でも……」
 薄々感じていたことを表にされ、私は呼吸が浅くなった。
 奈々子に、嫌われていること。
陰陽師の中でも唯一の同性の仲間だったのに。
一緒に育った幼馴染なのに、彼女からは否定の言葉しか云われなくなったのは、一体、いつから?


「あんな女を仲間だと思う必要はないよ。人間の友達が必要なら、私がいるじゃん?」
 自嘲気味に希未が言う。
己を指さして、照れくさそうにはにかんだ。


「私もいます!」
 白波さんが満開の笑顔を見せる。
くるくると踊るようにステップを踏み、スカートの裾をつまんだ。


「それにしても、遠野は遅いなァ?」
 鳥羽が辺りを見回す。


「遠野さん?」
「月之宮を連れだしたら、すぐそこで合流する予定だったんだけど……」
 そこに、後ろから声を掛けられた。


「……ここにいます」
「うおっ!」
 気配が薄くて分からなかった。息を切らせて走って追いかけてきたらしい遠野さんが、ワイシャツの裾で汗を拭う。


「だ、大丈夫?」
「ぜ……全然。平気」
 平気そうに見えない……。
私たちが早足にいなくなってしまったものだから、ここまで来るのに相当急いだことだろう。
申し訳なく思っていると、意志の強そうな目をした遠野さんががしっと私の肩を掴んできた。


「……私、何があっても月之宮さんの味方だから。あの女はいつか懲らしめてやらなくてはならない」
「イジメはダメよ」


「……だって、あんな風に云うなんて許せないし。逆に、どうして月之宮さんは日之宮さんのことを庇うの?」
 しばらく悩んだ。
私が言葉を選びながらも、「……陰陽師の数は少ないし」と呟くと、みんなは哀れみの眼差しをこちらに向けてきた。


「そんな程度のことなら、陰陽師なんかやめちゃえば?」
 なんでもないように、希未が言った。


「辞める? 誰が?」
「だからさ、八重が陰陽師を辞めるの。栄えある引退だよ、引退!」
 当惑している私に、希未は強く主張する。冗談で言っているのかと思ったら、どうやら半分くらいは本気らしい。
そんなことはできない。
この地域の陰陽師の数は少ないし、いざという時にアヤカシを殺せる人間がいなくなったら、残された者は非常に苦労することになる。
爺様や婆様が許すはずがないし……といったことを説明すると、希未は妙な顔をしてこちらを見た。


「でもさ、実際問題八重の祖父母ってもう死んでるじゃん。お兄さんも国外だし、これって即ち、足抜けを止められる人間は存在していないってことじゃない?」
「え……」
 まさかそんな発想をしたことはなかった。
ポカンとしていると、希未はにししとえげつない笑いを洩らす。


「東雲先輩と駆け落ちでもしちゃえばいいんだよ。残された日之宮奈々子が一人で苦労して八重のありがたみを思い知ればいいのさ!」
 私は呆れて笑ってしまう。


「そんなことできるわけが……」
 ……本当に?
真実、私は一度もその可能性を夢に見たことがなかったのか?
ざらりとした感触と共に表現のしきれない不安を感じて、私は喋りかけた言葉を止めた。
虚無的な感情の抜け落ちた表情をしていると、白波さんが首を傾げた。


「……月之宮さん? どうしたの?」
「……なんでもないわ」


 そう、本当になんでもないこと。
イツカの潰えた夢も、握りつぶされた可能性も、今の自分は知るはずもない。何者にもなれなかった私が覗き込んだ深淵は沈黙を貫いた。
それなのに、消えない胸騒ぎがして寒気を感じた。







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