悪役令嬢のままでいなさい!
☆250 保険医の自覚
泣く泣く連れていかれた保健室の扉を開けると、怪我をした生徒の手当てをしていた福寿が顔を上げるのが見えた。
目をまん丸に大きくした雪女は、目の前の生徒がお礼をしていなくなったのにも気が付かないままに、口元に手を当てるリアクションをとる。
そんな風に驚いてみせる姿もなんとなく庇護欲を誘う感じがして、私はなんとなく目を背けた。意識的にか無意識なのか分からないけれど、こんな風に男性受けの良さそうな女性は少し苦手だ。
そういえば、白波さんのことも最初は苦手だった。今から思うと、それは食わず嫌いに等しいようなものだったけど、本能的に嫌いだと思っていた。
そのことから学ぶことがないわけでもない現在の私は、このことだけで福寿を嫌うのは相手に失礼なことだと分かっている。分かっているのだが、私に対して色々迫ってくるとことか誰でも彼でも女とみると色目を使うことなどを考慮すると、やはり誤魔化しようもなくベクトルの方向は違えど苦手なことは間違いない。
そういえば、福寿のことは予知夢には出てこなかったなあ……。どうしてだろ。そんなことを思いながら曖昧な笑顔をとっていると、福寿がおもむろに私のことを抱きしめてきた。
ばふっと、豊満な胸が私の横頬を圧迫してくる。
「さっそく月之宮さんが私に会いに来てくれるなんて……、福寿、感激♡」
何か誤解が生じている。それも、私にはよろしくない類の誤解だ。
どうやら私が福寿に夜這いをかけたとでもいいたいのだろうか、そんなことはないと反論したいのに、口元を覆ってくる柔らかい脂肪の塊がそれを妨げてくる。
もごもご私が息ができなくて苦しんでいると、真っ赤になった鳥羽が引きはがしながら否定してくれた。
「んなわけあるかー!」
そうだそuda!
「え、違うの?」
福寿が目を瞬かせているところで、私はようやく入ってきた酸素に喘ぐ。大きすぎる胸は危険だ、なるべく距離をとっていないと窒息死してしまう!
どうやら可愛いと思ったものは抱きしめないといられない癖があるらしい雪女に悪気はなくても、胸元の二つの乳房は立派な凶器である。
「いや鳥羽? 一応福寿に会いに来たのは間違ってないから」
呆れたように希未が突っ込んだ。顔を指で覆っている白波さんは、困った顔で目を彷徨わせている。
「いやん、人前でなんてそんな破廉恥な♡」
「ち、違うってば! 私はただ、相談事があっただけで!」
「……ふふ。冗談よ、そんな気がないことぐらい分かってるわ」
少しだけ残念そうにそんなことを告げた福寿に、ようやく私の肩が下がる。こちらの羞恥心を試すような冗談はよして欲しい。心臓に悪すぎる。
「あ、でも、その気になったらすぐに云ってちょうだい! ここにはちょうどベッドも常備してるし!」
「……冗談なんですよね?」
「え? うーん?」
ぞわりと毛を逆なでられる様な心地がした。
やっぱり、ここに足を踏み入れたのは失敗だった。今度からどんなに具合が悪くなっても保健室の世話にはなるまい。弱ったところを襲われるかもしれないから。
「まあまあ、そこに座ってちょうだい。お茶でも淹れるわ。今なら、他の利用者もいないし」
そう言った福寿に、白波さんが近寄る。
「あ、先生。手伝います。ここのお茶は戸棚にあるんです」
「ありがとう。……えーと、白波さん?」
名札を見て白波さんの名前をチェックした福寿に、鳥羽が警戒しながら言った。
「そいつは一応俺の女だからな、雪女。意外と仕事はちゃんとやってるのか……?」
「あら、それは残念。お仕事だもの、当たり前でしょ。天狗の坊や」
ひんやりした笑みで福寿が返事をする。
女に対するテンションと男に対する扱いの落差に、私はなんだか怖くなった。……もしかしたら、彼女は鳥羽の起こした事件について何か東雲先輩から聞いているのかもしれない。そんなことを思わせてしまうくらい、冷たい対応を感じさせた。
流石雪女の面目躍如ってとこ?
「まあ、白波さん本人の気持ちは分からないことだし?」
福寿が鼻を鳴らして告げると、鳥羽のこめかみがピキリと音を立てた。
止めて、ここで挑発しないで!
高位のアヤカシ同士の喧嘩が起こったら、いくら陰陽師でも止められる気がしないのよ!
「ふふ、ふふふふふ……云うじゃねーか、おい……」
「まあね?」
福寿は愛嬌たっぷりに舌を出す。
爆発する寸前でどうにか堪えた鳥羽に、ひやひやしていた私は胸をなで下ろす。
もし可能であるならば、鳥羽のお父さんに伝えてあげたい。息子さんの忍耐力は、着実に成長していることを。
そんなことを思って少しだけしんみりしていると、鳥羽はボソッと吐き捨てた。
「俺、この女のことは素直に嫌いだわ」
「まあまあ、杉也君……」
白波さんが困り顔でソッポを向いた鳥羽を宥めている。
そんなことを言われた福寿が何を言うかと思って戦々恐々していたが、雪女は鳥羽の言葉を冷たくスルーした。
女子のことは好きでも男に何を言われようが気にしないということなのだと思う。好きの反対は無関心といったところだ。
みんなでお茶を飲みながら粗方の事情を聞き終えた福寿は、実感のこもったように呟いた。
「モテるのねえ……月之宮さんって」
「そんな風にしみじみ云われましても」
ついでに言わせてもらえば、モテるかどうかが問題なのではない。鬼と妖狐の戦闘が起こるかもしれないことが脅威なのであって、私は今更に新しく恋とか愛とかについて悩むつもりは毛頭なかった。
「はい、八重は自覚がないけどモテるんですよ」
「本質的なものでしょうねえ。やっぱり、生まれが違うから。そうでしょう? ね?」
福寿のにっこり笑った言葉に、私はぞくりとした。
もしかして、このアヤカシはこちらの事情を把握した上でこの学校に割り込んできたのだろうか?
東雲先輩の判断を疑うわけではないけれど――どこまでを花咲福寿は知っているのだろう?
イレギュラーなアヤカシ。
まだ白波さんに打ち明けていないことを話されるのはマズい。
「え……、えっと、財閥の力ってことですか?」
途切れ途切れに言うと、福寿は穏やかに微笑む。
「そうね。そういうことにしておきましょうか」
何か福寿のセリフに引っかかるものを感じたのだろうけど、鳥羽は沈黙を保った。目線を逸らしている私を詰問したそうな顔になったが、私はそれに気づかなかったフリをする。
「そんなことはいいんだよ」
幸いにも、事情は知らないながらに希未が話を戻してくれた。
「福寿は、困ってる八重を手助けしてくれる気があるのかないか、そこが問題なんだよ!」
「そうねえ……ま、別にいいけど」
あっさりとOKを出した福寿は、さらりと言った。白い指をティーカップにかけ、恋人の手をつなぐように色っぽく絡める。
「今の私は、月之宮さんの先生だもの。先生っていうのは、生徒が困っていたらできる範囲で教え導くものでしょう?」
「……うん、まあ……」
柳原先生の縁故らしい発言に、みんなが一様に感心した。腐っても姉を名乗るだけのことはある。
一番最初のイメージがアレだっただけで、実はこのアヤカシはすごくいい人であるのかもしれない。少なくとも、保険医としての自覚は持っているようで、心配していた私はちょっと安心する。
「あ、でも! 保健の先生として、女の子に色々教え導くのも大好きよ!」
福寿が嬉しそうに言った。ぱあっと顔を明るくして、目をキラキラさせながら言うことではない。
むしろこれでは単なるオヤジのセクハラと大差がないではないか!
「これさえなければねえ……」
下ネタそのものに耐性のない私はがっくり項垂れた。
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