悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆236 結婚を前提に







 病院からの帰り道、残った東雲先輩と2人で家路へ向かった。
念のために、白波さんの家には大規模な結界を張り巡らしてある。よほどのことがない限り、彼女は安全だ。
久しぶりの二人きりの距離感だ。ムズムズしてしまいそうな、不思議な心地がした。


「柳原先生も八手先輩も順調に回復していて良かったですね」
 私がほうっと息を吐くと、妖狐は素っ気なく言った。


「別に僕はあのままでも良かったのですが」
「嘘をつかないでください。本当は心配していたのでしょう?」


「さて、それはどうだか」
 東雲先輩が目を逸らした。その照れくさそうな態度に、私は笑いそうになってしまうのを我慢する。


「全くもう、素直じゃないんですから」
「そういうのとは関係ありませんよ。僕は他の連中と必要以上に馴れ合おうとは思っていません」


「はいはい、そういうことにしておきます」
「君ときたら、僕の言葉を聞いていますか?」


「つまり長年生きると、アヤカシでも先輩みたいに頑固になってしまうということでしょ?」
 呆れたような声を出した隣の東雲先輩に私が笑いかけると、彼はものすごく何かを反論したそうな顔をした。けれど、そんなことをしても無駄だと悟ったのか、眉間に渋くシワを刻む。


「……僕を痴呆症の老人と一緒にしないように」
「え、そんなつもりはなかったんですけど……」
 そこまでのことを言うつもりはなかったのに、東雲先輩はすごく複雑そうな表情でこちらを見た。白くて長い指先が伸びてきて、私の頭髪を軽く撫ぜる。そのまま毛先に滑らされたのに気が付いて、私は思わずまつ毛を伏せて俯いた。


 この辺りには、通行人がいない。
人目を盗んだキスまで秒読みになりそうで胸がドキドキした。


「先輩……」
 私が掠れた声を出すと、東雲先輩はパッと手を離してしまう。何もせずに遠ざかった距離に私が目を見開くと、苦笑しながら後ろに数歩下がった彼の姿があった。


「……すみません」
「むう」
「珍しく君が逃げないものだから調子に乗りました」


 もっと触れていてくれて良かったのに。
そんな本音を込めて軽く睨むと、その意味を取り違えられたらしい。東雲先輩は、少しだけ寂しそうな眼になる。


「時折、自分がアヤカシだということを忘れそうになります。けれど、君が嫌がるならこれ以上は望みません。近くにいられるだけで……十分です」
「…………」
 このまま遠くに消えてしまいそうな予感がした。
今は近くにいても、何か言葉をかけなければ、彼は姿をくらましてしまうのではないだろうか……。そんな恐れのようなものが不意に沸き起こって、思わず私は妖狐の腕にすがりつく。掴まれた感触に彼が驚いているところを、無我の境地で口走っていた。


「嫌です。
……私は、先輩と、このままでいるなんて嫌です」
 息を呑んだ彼に、その深い青を見つめて私は告げていた。


「もしも白波さんの持っている神名を私が取り戻すことができたなら、私と……っ
 結婚を前提にお付き合いしてくれませんか!」


一気にこちらの頬が真っ赤に染まった。
 な……っ
私は、一体何を叫んで!
ぐるぐると沸騰した脳内に地面が揺れるような思いを味わっていると、放心していた東雲先輩が震えながら呟いた。


「……僕でいいのですか?」
「いや! ……その、今のはものの弾みで!」
「云っておきますが、僕はすごく心の狭い男ですよ。独占欲だってそれなりに強いし、人間ですらない。そんなアヤカシを選ぶなんて……」
 ……嬉しいです、と東雲先輩は囁いた。






「それでもいいのなら、喜んで受けよう。八重」


 ぐい、と引き寄せられて、私は後ろから抱きしめられた。その密着した距離に私が呼吸を止めると、相手の心臓の鼓動が聞こえる。
霊的に構成されている彼の肉体はかりそめのものであるはずなのに、こうして温もりを感じるのはすごくおかしなことに感じた。


 けれど、考えてみればおかしいのは私の頭だってそうなのだ。
欠落した記憶。歪になった価値観。不吉な予知夢。
そんなものに振り回されながらも、こうして私は二度もあなたに出会った。
惹かれあったこの想いが真の恋なのかも分からないけれど、今ハッキリ分かっていることは。
淋しそうなこの妖狐をこのまま放っておくことなんてできなかった、ということなのだった。









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