悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆230 初めての喧嘩







 入院している柳原先生と八手先輩は、驚異的な回復を見せながらも未だ退院してはいない。
何かの事件に巻き込まれたことは誰もが察しながらも、それは表向きには大したことはないということで工作をした。
 いつも通りの日常が帰ってきそうで、それは決して元のままではない。
例えば、一部始終の記憶を失った鳥羽の扱いをどうしたらいいのか、という問題が残っている。


消えてしまった行燈さんとの約束がある以上、私は天狗を責めることはできなかった。許さなくたって、アイツは自分のしたことを動機も含めて全て忘却してしまっているのだから……それをしたところで何になろう。
だがしかし、今回の問題の根深いところは、関わった人物によっては彼の犯してしまった暴力沙汰を覚えていたりすることだ。
行燈さんにまつわる記憶は人々の中から失われたけれど、道祖神の存在自体を知らない人間やアヤカシは、鳥羽の悪逆非道な行いをしっかり覚えている。
その内の1人である栗村希未は、私に向かってハッキリこう言った。


「私は、鳥羽のことを許すつもりはないよ」
 十一月の終わり。学校で顔を突き合わせた彼女は、ツインテールを振りながら腕組みをした。その眉間には深い谷ができており、怒りの激しさを物語っている。


「そんなこと言ったって、どうしようもないことじゃない。本人はあの事件のことを殆ど忘れてしまっているんだから、責めたところでよく理解できやしないわよ」
 鳥羽の場合、事件を起こした動機の中心に行燈さんがいた。
だからなのだろう。それを中心としてシナプスが繋がっていた犯行動機や事件を起こしたいきさつ、自分が何をしたのかを丸ごと忘却してしまっている。
良くも悪くも、白波さんにやたら優しくなっていること以外は、行燈さんのことを思い出す文化祭以前の鳥羽の姿に回帰していた。


「そういうことを云いたいんじゃない! あんな事件を起こすような奴を、前と同じように信用できないって云ってんの!
アイツの本性は恨みから生まれたアヤカシなんだよ!」


「例えそうだとしても、今は違うかもしれないわ。希未は、白波さんが死にそうになった時の鳥羽の様子を見ていないから分からないのよ」
「何それ……っ それで事件の全てを水に流せって云ってるの!? 信じられない、瀬川の時もそうだし、その程度で許せちゃうなんて頭おかしーよ!」


「頭がおかしくて悪かったわね」
 希未の忌憚のない物言いが、少し癇に障った。


私だって何も悩まずにこの結論にたどり着いたわけではない。鳥羽の扱いを変えるべきなのかと思ったりもしたけど、これが最良だと思ったから相談したのだ。
そりゃ若干のしこりはあるし、天狗へ感じた恐怖だって消えていない。
だけど、恨みからは恨みしか生まれないのだ。私たちから歩み寄らなくては、今度こそアイツは手の付けられない孤独な殺人アヤカシとなってしまうだろう。


「私は、八重にはもう鳥羽と関わって欲しくない!」
「じゃあ、白波さんはどうなるのよ」
「鳥羽にまとわりつかれてるあの子よりも、私は八重の方が大事だもん……」


 何それ。
希未の洩らした一言に、私は怒りがこみ上げてくるのを感じた。
戦いに出る前に言われたこともそうだけど、この友人は白波さんのことは大事だとは思わないのだろうか?
あれだけ仲良く接しておいて、本音の部分では私さえ安全ならそれでいいってこと?
ふーん。そうなの。
……ふーん……。


「生憎だけど、私は白波さんのことがすごく大事なの。希未が考えている以上に、大切な存在よ。彼女だけに鳥羽の面倒を見させるなんてこと、とてもできないわ」
「八重は自分のことだけ考えていればそれでいいのに……っ」


「そんなことできるわけないでしょう!」
 これ以上自己中心的に振る舞うだなって、できるわけがない。義侠心も何もかもを捨てるだなんて、私には到底適わないことだ。
 私が軽く睨みつけると、希未はムッとした顔になる。
 だんだん険悪になっていく空気の中、彼女は叫んだ。


「あー、もうやだ! こんな分からずや、私はもう知らない! 結局、八重は白波ちゃんの方が親友の私より大事なんだ。つまりはそういうことだっ」
「私だって知らない! 自分さえ良ければそれでいいって考えているのなら、その人間の神経を疑うわ!」


「な……っ 私はそんなことは云ってないじゃん! 危険人物に心を許すなって云ってるだけで……」
「あら、自分でもそう思うからムキになるんでしょ!」
 だんだんヒートアップしていく私たちのやり取りを隣で傍観していた東雲先輩が、呆れた顔で割り込んできた。


「その辺にしておきなさい。……これではまるで仲間割れですよ」


「東雲先輩は私の方が正しいって思うよね!?」
「いいえ! 私の方が人間として正しいあり方ですよね!?」
 希未と私が食い入るように噛みつくと、東雲先輩は困惑気味に一歩退いた。そのブルーの瞳が彷徨っている。


「落ち着きなさい」
 宥めようとした先輩の言葉は無視された。
希未がこちらをビシッと指差し、嘲笑するように宣言した。


「もういい! 八重が反省するまで、私はしばらく話しかけないから! この際、私という存在のありがたみをとくと感じればいいんだ!」


「私だってこんな性格破綻者、しばらく顔も見たくないわよ……」
 目を細めて心の底から告げると、推理漫画で犯人を指出すポーズをしていた希未が凍り付いた。氷点下になった北極に着の身着のまま放り出されたように、悲壮な表情に変わっていく。


「では、東雲先輩。失礼します」
 頭を下げて人目のない校舎裏からいなくなろうとした私を、途中まで追いかけてきた先輩は呼び止める。何かを言いたそうな目をしており、けれどそれは言葉にならない。


「……どうしたんですか?」
「いや……その……」
 唇を引き結んだ妖狐は、チラリと取り残してきた後ろを見る。
そして、頭を振ってため息をつく。


「喧嘩も、ほどほどにしておきなさい」
「そうですか」
 いつもだったら東雲先輩に話しかけられると胸がドキドキしてしまうものだけど、怒っている今はそんな甘い気分にはならない。
……そういえば、この人に好きだと言わないままに一度は三途の川を渡りそうになってしまったんだっけ。
そのことに思い至って、ちょっと胸の奥がうずいた。


「先輩。あの……」
 けれど、そのことを彼に告げるには、色々なものが邪魔してしまっている。
唐突に言うわけにはいかないし、いきなりそんな言葉を掛けたら驚かれてしまうだろう。


「何です?」
「……せ、先輩もとばのことは許さない方がいいと思いますか」
 違う!
そんなことを聞きたかったんじゃないのに!
羞恥から校舎の壁にガンガン頭をぶつけたい気分になっていると、東雲先輩は複雑そうな顔つきになった。


「その辺りは君の意志に任せますよ」
「え?」
 私が瞬きを返すと、東雲先輩は薄く笑う。


「……まあ、僕のことも忘れずにいてくれればより嬉しいですけど」
「わ、忘れません!」
 そんなことになるものですか!
戸惑う私が歩き出すと、東雲先輩はその隣をゆっくり歩いてくれた。長いコンパスを、こちらの歩調に合わせてくれる。それがくすぐったくて、嬉しかった。
なんとなくだけど、これからもこんな風に2人で歩んでいけたらいいな、と思った。









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