悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆218 拒む者は鬼のような笑顔で







 月之宮が経営している病院。
救急救命室に横たわった八手先輩と柳原先生の状態を目にした私は、その余りの痛々しさに絶望的な心境となった。息をすることが苦しくなるほどに、血の付いた白い包帯でミイラのように包まれた彼らにまだ息があることの方が不思議なほどだった。


「先輩……、先生……」
 お願い、返事をして。
何も言わずに、旅立たないで。


2人の身体は今にも消えてしまいそうなほどに透き通っていて、呼びかけても反応を示さない。まるであと少しで息を引き取ってしまいそうだ。凍り付いていくような冷たい空気に喘いで、私は悔し涙が自分の頬を伝っていることに気が付いた。
拭いても拭いてもその水滴は止まらない。突き刺さるような自責の念がこみ上げてきて、言葉を詰まらせた。


 ……私のせいだ。
アヤカシのことを、鳥羽のことを深く信用しなければこんなことにはならずに済んだはずだ。陰陽師だというのに、あんな男に一度でも恋情を抱いたからこんな結果になってしまったのではないだろうか?
もしくは、私にもっと実力があれば、こんな惨劇は怒らなかったのでは?


 ……痛いよ。
深手を負ったのは私ではないはずなのに、引きちぎれそうなほどに心が痛い。


ごめんなさい。その謝罪と同時に思ったのは。


「許せない……」
 髪を震わせながら私が呟くと、一緒にいた松葉がパッと顔を上げる。


「八重さま?」
 深い闇色の憎しみに心が囚われていく。際限なく湧き上がる憎悪が、私を怒りに駆り立てた。
烈しく思ったのは、アイツを殺してやりたいという一念だ。


(――絶対に殺してやる)


 私と白波さんを裏切ったあの天狗の息の根を止めなければならない。この手で、始末してやりたい。それは、初めて覚えた毒々しいほどの純然な殺意だった。
実力が足りないとか、形勢が不利だとか。そんなことは最早関係なかった。陰陽師として、月之宮として、アイツの友達だった者としてやらなくちゃならないことなのだ。
 強く歯ぎしりをした私は、激しく嗚咽を洩らして泣いた。






「それっぽいことを語ってみたけど、八重さま、まさか本当に白波小春を助けに行くわけじゃないよね?」
 廊下で追いかけてきた松葉がにこにこ笑ってそんなことを言ってきたので、私は蔑むような眼差しを返事に送った。


「……は?」
「とりあえず栗村センパイがウザかったからあんなことを言ってはみましたけど、ボクも行かない方がいいってのには超賛成。流石にあんな風になった被害者の会を見てると、あそこに並びたくはないなーって」


「…………」
「え、まさかご主人様、本気で倒しに行く予定だったの? またまたー、嘘でしょ? とりあえずそういうことポーズとして云ってみただけなんじゃ……」


「本気よ」
 私が厳しく言うと、松葉がうげっと声を洩らす。


「まさか、ボクも一緒に行くの?」
「行かないつもり?」


「まあ、ボクはあの天狗に一度勝っていることだし? そっちの方の心配はしていないけど、グールの相手をするのはちょっと……」
 少し嫌そうな顔をしている松葉に、私はあることを思い出した。


「ねえ、松葉。……東雲先輩はどこにいるの?」
 襲われた後、一番怒りそうな妖狐を見かけていない。それを訊ねると、松葉はうんざりしたような態度で口を開いた。


「東雲なら、八重さまの面会に一度来た後はどこかにいなくなったけど? どうせ臆病風にでも吹かれたんじゃないの?」
「それはあり得ないわ」


「まあ、おっそろしくキレてたのは確かだけどさ」
 それは容易に想像がつく。
無意識に東雲先輩のことを信頼してしまった私だけど、気が付いてみれば彼の本性は鳥羽と同じアヤカシであった。
人外の者を信じたが故のこの不始末なのに、再び同じ轍を踏むつもりだというの? 私は……。
 ……呆れたことだ。自嘲してしまう。
苦痛を感じるほどの憎しみが、赤熱の溶岩のように冷えていく。
この状況で信じていいとしたら、契約で縛られているカワウソくらいのものだろうに。


 東雲先輩が不在の今。非力なこの身でどうしたらいいのか、どうすれば白波さんを助けに行けるのか。
 私は混乱していた。落ち着いているように見えて、誰よりも動揺していた。
パニック状態なのを押し隠して、手に持っていたスマートフォンのアドレスから、奈々子に電話をかけた。






 返事は簡素な一言だった。


『いやよ』


 応援を要請したこちらに対しての日之宮奈々子の冷然とした返しに私はカッとする。血の気が上がった。


「私の友達がアヤカシに浚われたのよ!? 今助けに行かなくて、どうするっていうのよ! あなた、それでも本当に陰陽師なの!?」
 くすくす、と堪えきれない笑いが聞こえてくる。
 面白がるような奈々子の声がした。


『だから嫌だと云っているでしょう? 八重ちゃん。そんなあたしと縁もゆかりもないようなド庶民1人助けに行ってどおするのよ? どうせ今頃食べられちゃってるわよ……。労力や危険と得られるものが割に合わないわ。
無償奉仕で骨を拾いに行ってもねえ』
 悪意の塊だ。鬼か悪魔の言葉だ。
 私は感情を爆発させる。


「何をバカげたことを云ってるの!」
『愚かなのはあなただわ。私は再三云ってきたはずよ? 陰陽師はビジネスだって。リスク回避は当たり前のことじゃない』


「陰陽師は人を助ける為にあるって爺様は云ってたわ!」
 この期に及んでそんな信じがたいことを言うのか。
 愕然としている私に、奈々子はポツリと呟く。


「妬ましいわ……八重ちゃんにそこまで思われているなんて、本当に妬ましい。その白波って子とあたしの何が違うというの?」
「え?」


「それとね、八重ちゃん。あたし、今、国内にいないのよ」
 ふふ、と笑みを作った奈々子は言う。
私をどん底の奈落に叩き落す発言をする。


「――私、幽司様に会いにイギリスへ来ているの。しばらく現地に滞在する予定よ」
「な……っ」
 なんですって!
絶句してしまったこちらに、奈々子は優雅に喋る。


「良かったら八重ちゃんもほとぼりが冷めるまでこちらにいらっしゃいな……あたしたちはいつでも歓迎するわ。飛行機のファーストクラスを用意しておきましょうか? ……あたしはあなたの味方よ」
「まさか、兄さんと奈々子はこうなることが分かっていたの……?」
 最初にあの警告をくれた時から。私の義兄、月之宮幽司は当代きっての占術者だ。
 裏切られた思いで震える声でわななくと、


「ご想像にお任せするわ」
と奈々子が鬼のような笑顔を浮かべて電話を切った。









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