悪役令嬢のままでいなさい!
★間章――行燈
今より少し前の、とある山中。
其の存在は、自分の社の庭先に鳥のヒナが死んでいることに気が付き、眉を潜めた。
辺りは静謐とした杉林、巣から落ちて息絶えてしまったらしい。
「……哀れなものだね」
小さき御仏に手を合わせると、行燈という名の神はそれを供養する為のスコップを探すことにした。
同じような事情で己が拾って育てた少年のことを思い出し、自然と行燈は淋しく微笑した。
……自分はあの子のことを幸せにしてやることができていたろうか。自然と思考はそのことへと向かい、深々とため息をつく。
神の端くれである自分が消えゆくことに諦観していた行燈の態度に激怒し、どこかへと家出してしまった優しい同居人だ。
怨念から生まれたアヤカシであったあの子に愛というものを教えてやれたのか、真に不安が残る。……もしくは、今頃麓のどこかでそういう存在を見つけることができたのならば、安心もできるのだが。
誰か、誰か、愛してやって欲しい。
日に日に薄くなる自分の存在と引き換えに、あの子に幸せになってほしい。
もう時間が残っていない。消えてしまったら、この世に私を覚えている者は誰もいなくなってしまうから。
春に溶ける雪のように。太陽に蒸発してしまう朝露のように。痕跡も残さずに、人々の記憶から私はいなくなってしまう。忘れられてしまうから。
みんなは、私を忘れてしまうから。
それでもいい。
役目が終わって消えるのなら、むしろ本望だ。不安があるから神は生まれ、願いの成就と共に去っていく。
ただ願成神とは、そういうものだから。
私がなくても皆が幸せだというのなら、それほど嬉しいことがあるでしょうか。
救いを求める人間の勝手に振り回されたとしても、忘れられた私はそれを赦している。
「――そんな理不尽があるか!
一方的に人間の我がままで生み出しておきながら、用がなくなれば信仰を捨てるなんて、そんな傲慢な話が許されていいわけがない!
なんで行燈が消えなくちゃならないんだ!」
あの日、杉也はそう言って怒ったけれど、あのね。そういうことじゃないんだよ。
ただ、みんな生きることに懸命だっただけなんだ。誰かに救って欲しかっただけなんだ。お前には傲慢に映っただろうけれど、私はそうは思わない。
「は、人間に優しくしろだって? 行燈への信仰を放棄した奴らに、なんでそんなことをしなくちゃいけないんだ。
俺は人間なんか好きにならない……っ 俺は、自分の身勝手な都合で行燈を殺す人間なんか大嫌いだ!」
……お願いだ、人間のことを嫌わないでやって欲しい。
できることなら、お前には憎しみを持って生きることはしないで欲しい。
私と一緒に過ごした記憶を失ったとしても、明るい道を歩んで欲しいよ。杉也。
「……待ってろ、行燈。俺は山を下りて神名を探しに行く。誰かから神格を奪って、その肉を喰らえばいいんだ。人間でも、神でもいくらでも殺せばいい。そうすれば、行燈は消えなくてすむ。ずっとこの世で暮らしていられる!」
杉也。
私は、そんなことは望んでいないんだ。
お前はそう言って飛び出していったけれど、私はね、そんな理由で無碍な殺生ができるような神じゃないんだよ。
そのことをちゃんと伝えられれば良かった。
私の為に、誰かを殺すだなんて悲しいことは言わないで欲しい。
もしも、何かこの世に心残りがあるとするならば……。
「そうだね、ちょっとだけ……」
行燈は、遥か高い空を見上げて呟く。
「少しだけ、お前がいないのは寂しいねえ……」
微笑んで、亡くなった小鳥の躯を優しく拾い上げる。
アヤカシにはならなかったそれを埋葬しながら、行燈は哀しく笑った。
「……消える前に、一度でいいから会いたいね……」
それが最後の、私の願い。
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