悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆192 少しだけですから



 次第に、文化祭の準備で学校が賑やかになっていく。
いつものように校内を歩いていると、どこか浮足立っているのが分かった。


「じゃあ、誰かに生徒会に企画の報告書を提出して欲しいんだが……、お、丁度いいところに月之宮がいるじゃない?」
 にんまり笑った柳原先生に押し付けられた書類に、私は取り落としそうになりながら受け取った。


「丁度いいって……先生!」
「生徒会には東雲さんがいるはずだ。オレからのお節介って奴ですよ!」
 ニマニマしている雪男に、深々とため息をついた私はむすっとしながらも教室のドアを開けた。


「いってらっしゃーい」
 見送りの希未の声をバックに、私は廊下を歩いていく。
三年の教室をすれ違うと、疲れた様子の那須先輩がこちらに話しかけてきた。くせのある短髪の黒は、少し色褪せたようにも見える。


「あ、月之宮さん。どうしたの、こんな所で」
「こんにちは、那須先輩」
 清楚な愛想笑いを浮かべると、凝った肩を鳴らした那須先輩が書類の文字を読み上げる。
黒目と唇が動き、ふーん、と声を出した。


「ああ、そっか。文化祭のクラス企画の報告書か。……生徒会にこれから出すなら、オレがついでに持って行ってあげようか?」
「そんな、悪いですよ」


「遠慮することないって、月之宮ちゃん。なんたって、このオレは文化祭実行委員でございますから!」


 男気たっぷりに自らを親指で示した那須先輩の言葉に、私はどんな表情を返したらいいのか分からなかった。……ここまで申し出てくれているのだから、断る方が悪いかもしれない。張り切って仕事をしてくれているみたいだし、どうせなら甘えて……。


「本当にいいんですか?」
「いーってことよ!」
 そんな会話をしていると、三年のクラスからキャロル先輩がひょこっと顔を出した。


「バカ那須ったら、そんなところで何を突っ立って……あら、月之宮さんじゃありませんの。こんな所で珍しいですわね」
 お嬢さま言葉で目をパチパチさせたキャロル先輩に、那須先輩が笑いかける。ぐっと力拳を見せながら、
「月之宮さんがさ、文化祭の書類を生徒会室に出しに行くところだったみたいだから。オレが預かるって言ったんだ」
「生徒会に? 月之宮さんが?」
 しばらく困惑していた様子のキャロル先輩は、複雑そうにこちらを見つめる。そうして、ため息を浅く吐いた。


「それは、月之宮さんが自分で持って行った方が東雲様はお喜びになりやがるんじゃありませんの? きっと周りが気を利かせたんですわ」
「え? そうだったの?」


「月之宮さんと東雲様の仲に関しては、あたくしも噂は1個や2個~80個くらいは耳にしてますから、何も察してないわけじゃありやがりませんけれどね……」
「いや、キャロル。お前どんだけ興味持ってたんだよ」
 詮索しすぎだろ、と那須先輩がドン引きの表情になったのに対し、腰に手を当てたキャロル先輩は鼻息を荒く私に迫ってきた。


「ズバリ、月之宮さんは東雲先輩とどこまで進んでいますの!?」
「はい……!?」


 どこまで進んでるって、何が!?
思わず赤面した私に、キャロル先輩は胸元に両手を組んでぐいぐい迫ってくる。その笑顔に含まれているのは、純粋な好奇心だった。


「うふうふ、私にだけは教えてくれやがって構いませんのよ。ちょこーっとだけですから!」
「キャロル、お前おばさん臭いぞ」と、那須先輩が生温い眼差しでこちらを見ていた。目元をしきりに擦っている。


「まあ! なんてことを言うんですの! 心外にも程がありますわ!」と、キャロル先輩は声高に吠えた。よほど悔しかったらしく、白い歯を見せている。
それに対し、那須先輩はあくまでも爽やかだった。
「……で、月之宮ちゃん。実際のところどうなの?」
彼はあくまでも爽やかに畳みかけてきた。
今度は貴方か!


「え、えっと……その……」
「チョットだけ! チョットだけでいいから!」
 遂には拝みだした那須先輩に引いていると、キャロル先輩まで期待の目を輝かせている。観音像のような扱われ方をされた私が、根負けして口を開いたところだった。


「本当に少しだけなら……?」
「ありがとう! ずっとそこのところを聞きたか……へぶっ」
 興奮した那須先輩の頭に、バシンと青色のファイルが乗せられた。その後ろからは、冷やかなる空気が漂っている。
その発生源となっているのは、丁度クラスに用事があって戻ってきたらしい東雲先輩だ。白い金の髪はさらりと揺れ、青の双眸はどこまでも冷えていた。


「なんで生徒会室にいないんだよ!?」
「僕が好きなところを歩いて何が悪いんですか――全く。女を押し倒す時の常套句じゃあるまいし、一体何を騒いでいるんです」


「ちっくしょー、後少しだったのに!」
 舌打ちをした那須先輩をチラリと見ると、東雲先輩はこちらに視線を合わせる。胸の鼓動が跳ねた私に、妖狐は静かに笑った。


「どうして三学年棟などにいるのですか、八重」
「あの、この書類を……っ」
 私が慌てて書類をかき集めて渡すと、東雲先輩はその題を確認する。やがて、すぐにその正体を理解した彼は、「ああ、文化祭関係ですか。わざわざありがとうございます」と納得の声を洩らす。


「じゃあ、私はこれで……」
「待ちなさい、八重」
 そそくさと立ち去ろうとした私に、東雲先輩が呼び止める。


「どうせここまで来たのなら、生徒会室でお茶でも飲んでいきませんか?」
 その言葉に、もう一つ、私の鼓動がドキッと跳ねた。
どんな顔をしたらいいのか分からずに、戸惑った私の手首を掴むと、東雲先輩は楽しそうに笑った。




「少しの時間だけですから」




 その時どうして頷いてしまったのか、私には自分の心が分からなかった。押しに負けてしまったのか、それとも、東雲先輩のことを好いていたからなのか……。
ただ分かるのは、自分の頬がどうしようもなく熱くなったということ。
今はまだ、それだけだった。





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