悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆174 それは、とても尊いこと



 目元を真っ赤にした私が、縮こまるように空き教室の1つに身を隠すと、スマートフォンをタップした夕霧君が我が家と山崎さんに連絡をとっているところが見えた。


「……そういうわけだから、月之宮はしばらくオレが預かる。……そんなに怒鳴るな、鼓膜が破れるじゃないか。ちゃんと今日中に責任を持って送り届けるから、心配しなくても大丈夫だ」
 山崎さんの抗議をあしらいながら、陛下は一方的な電話を勝手に切った。そして、そのまま電源もすぐに落としてしまう。


「なんか、色々ごめんなさい……」
「いや、オレは別に構わないが。ひとまず、月之宮の家にはオカルト研究会でサバトをやることになったと適当に言い訳しておいたから問題はないと思うぞ」
「う……、それは心配しか招かないのではないかしら」
 私は鼻をすすりながら、苦笑いをした。
何がどうして陰陽師が黒魔術の夜会に参加することになったのか、我が家の使用人の間では疑問符が飛び交っているに違いない。


「そうか?」
「そうよ。きっと今頃、蜂の巣をつついたようになってるわ」
 2人きりしかいない夜集会サバト。誰もいなくなった学校で、目の前の陛下はやっと泣き止んだ私に向かってこう誘いをかけた。


「こんな日だから夕飯は奢ってやる。……中華料理屋のラーメンでいいか?」
 呆気にとられると、夕霧君は私の無言を承諾と受け取ったようで、鞄を抱えて教室の引き戸を開けて廊下に出た。
1人ぼっちにされたくない私が追いかけると、パサついた黒髪をした彼は楽しそうに語る。


「この辺のサラリーマンがよく使う安くて旨い店があるのさ。財閥令嬢の月之宮は知らないだろうから、覚えて帰ればいい」
「そんな……それでは陛下に悪いわ」


「気にするな。誰だって悩んで落ち込む時ぐらいあるだろう」
 今まで変人奇人の類だと思われていた夕霧君が、彼なりに励まそうとしてくれているのが伝わってきて、私はまたもや泣きそうになってしまった。
涙を呑み込んで脚を動かすと、暗やみの学校の廊下についたセンサーが反応して、蛍光灯が順繰りに点灯していく。窓ガラスに映った自分の姿にしかめっ面をすると、私はそれを見なかったことにしてこっそりと夜の学校を抜け出したのだった。






 そこは、路地裏にひっそりと建つ古めかしい一軒の中華料理屋だ。木造で造られた柱は艶やかに輝き、薄暗い店内の至る所が油煙によってあぶらっこくなってしまっていて、そのことに私はうっと息を呑んだ。
テーブルはボロボロだし、客に出すコップは曇っている。客は驚くほどに少なく、本当にご飯時なのかと疑うほどだ。何より男店主の陰気さが明日にでも首を吊りそうで、身に着けているエプロンはシミだらけだった。


「いらっしゃいませ……」
 ゾンビかリッチが墓場で出しそうなおどろおどろしい声が出されたが、夕霧君は何も動じない。それどころか、平然と挨拶までしてみせた。


「こんばんは」
「……これは、昴君ではありませんか……。このような寂しい店に女の子なんか連れてどうしました?」
 亡霊のような店主(もちろん生きている人間だ)が、くつくつと陰気に笑って訊ねてくる。


「月之宮はただのオカルト研究会の部員だよ。奥の座敷は空いているか?」
 ……傍で聞いていると『ただのオカルト研究会』って、すごい響きだと思った。
 私が顔をしかめたのにも構わず、


「それはそれは、楽しそうで何よりです……。勿論あの部屋なら空いていますよ、こんな店で平日に飲み会をやるような人は滅多にいませんからねえ……」
と青白い顔の店主の承諾をとった夕霧君が、ずかずかと煙草臭い店内を歩いて奥の部屋へと消えていく。 ここは彼にとっては自分のフィールドなのだ。
恐る恐るその背中に続くと、店の一番奥には、綺麗に座布団が並べられた和室があった。人の目もないし、落ち着けそうな場所だ。


「どうだ、ここならいくら泣いても問題ないぞ」
「そ、そうね……。でも、なんだか治安も悪そうな場所ね」
 このお店のインパクトに涙は引っ込んでしまったけど、夕霧君は大マジメにそう言っていた。思わず本音がぽろりと零れてしまうと、陛下は一時だけ無言になる。


「まあ、常連客の中に族や暴力団関係者の影を見ることもなくはないが」
「……ここが潰れていない理由がよく分かったわ」
 それは俗に溜まり場というのだ。
このような場所に出入りして、本当に問題ないのだろうか。というか、どうして陛下は堂々としていられるのか。男子だから私とは感性が違うのだろうか。
色々葛藤しながらも座布団の上で正座していると、いやに落ち着き払っている夕霧君が端の欠けたメニュー表をこちらに手渡してきた。
広げてみると、巷のラーメン屋よりも100円~200円ほど安い値段で提供されていることがすぐに分かる。煮干しラーメンなんか340円だ。


「なんでこんなに安いのかしら」
「独自の仕入れルートがあるらしい。儲けは酒の注文で出すつもりなんだろうな」
 なるほど、そういうことか。
私が不格好に笑うと、水道水の入ったコップを片手に夕霧君が一気に飲み干す。そうしてから息を吐くと、眉間を寄らせて唸った。


「いつもながら、このマズい水はどうにかならないものか」
「きっとそこで節約しているのよ」


「分かってるさ。……でも、人間ってのはついつい無いものねだりをしたくなる性分をしているものだろう。違うか?」
 夕霧君の目には、真剣な光りが宿っていた。頬杖をつき、こちらを異性としてまるで意識していない。私のことを女子とは思っても、恋愛対象の女の子だとは思っていない。
そのことに気が付いて、私は張りつめていたものが解けていくのを感じた。
有り体に云えば、安心したのだ。


「……無いものねだりをしたくなるって……」
「不幸な奴は、いつだって足りないものを数えて生きていく。テストの点とか、給料とか、周りからの承認とか、色々だ」
 そうだろう――違うか?
そう言われて、私は視線を落とした。


「……ちがわない」
「そうやって自分がどうしようもなく惨めになったら、旨いラーメンでも食って酒を飲んで現実逃避するくらいしか対処のしようがないと思ってな。ここは未成年でも酒を出してくれるいい場所なんだ」


「ちょっと! 流石に飲酒はしないわよ」
「じゃあ、月之宮は素面で自分の為に泣けるような女なのか?」
 喋っている内容に対してわりと生真面目な口ぶりでそう問いかけられた私は、ぐっと言葉に詰まってしまう。


「夕霧君は、私の事情なんて何も知らないじゃない」
「……ああ、サッパリ見当もつかないな。オレに推理してもらおうとしているのなら時間の無駄だぞ、女心なんか秋の空どころかヴォイニッチ手稿のミステリー並みに分からん」
「……あっそう」
 オカルト好きな彼のことだからエール大学に行ったことがあったとしても私は驚かない。


「辛口担々麺にするわ」と一言口にすると、夕霧君は「豚骨ラーメンと餃子にチューハイを……分かった、そんな目で睨むな。ウーロン茶にするから」とため息をついて注文をしに一旦席を立った。
しばらくすると、真っ赤になった担々麺と脂の浮いた豚骨ラーメン、皿に乗った6つの餃子、それから2本のウーロン茶の瓶が厨房からやって来た。
それを食しながら、どうして第三者である夕霧君に語ることになったのか……、それは自分でも分からない。


「私、失恋したのよ」
 口火を切ったのは、自分からだった。
「ほう」と、陛下の口から返ってきたのはそれだけだ。
 注文した担々麺は涙が滲みそうなほどに辛かったけど、おススメされただけあって味はピカイチだ。ボリュームも少なくないし、茹で加減も悪くない。


「……その人はもう最初からお似合いの女の子がいて、私の恋が叶ったとしても周囲に許してもらえるような相手でもなくって、それこそ住む世界が違ったの……しばらくは好きになったことを自分でも認められなかったわ」
「それは難儀なことだな」


「……好きになっていい人じゃなかったの。優しいようで意地悪だし、彼にとっての一番が私になることなんてあり得なかった。私は間違いだらけで、こんな醜い自分を思い知るなら片想いなんてしたくなかったわ」
「……醜い?」


「そうよ。嫉妬して、ヤキモチを焼いて、彼の好きな女の子の心の美しさに惨めになって……こういうのを醜悪というのよ。罪なことよね、周りを傷つけてからようやく失恋する決意ができたのよ」
「失恋する決意、か……」
 涙を堪えて、ラーメンを食べながら今まで感じていたことを吐露すると、複雑そうな表情をした夕霧君は茫洋と呟いた。


「月之宮は恋そのものを否定したいということか?」
「そうね、誰かを好きになるなんて馬鹿なことだと思うわ。できることなら……」
「……オレは、それは違うと思うぞ」
 私の喋っていたことをぶった切った陛下は、祈りを捧ぐように言葉を紡いだ。


「オレはまだ、恋をしたことがない。どんなことで苦しんでしまうのか、そういった気持ちを想像することもできない」
「だったら……」




「だからこそ、誰かを好きになるというのは原始として尊いことだと信じている。両想いになるということは、万物にも勝る奇跡なんだ」


 何故か、その瞬間に厳かにそう話した夕霧君は牧師様のようにも見えた。真っ暗な世界に光が訪れる。チカチカ瞬くランプが一番星のようだ。


「とうとい……こと……」
「月之宮にはその奇跡が起こらなかったかもしれない。自分のことを嫌いに思ってしまったかもしれない――でも、だからといって好きだったことが卑しくなってしまったことにはならない。
オレは自分の親からそう教えられて育ってきたと思う」


 そんなの、理想主義だ。
こんなに苦しくて、胸が張り裂けそうで、それなのにこの恋が尊いものだったと誇れというのだろうか。
今更にアイツのことを……鳥羽のことを好きになって良かったと思えっていうの?


「月之宮は馬鹿だ。どうせ失ってしまったのなら、辛いことを我慢する方がバカのすることだ」
 ――大丈夫だから泣け。
そう促されて、私の目からぽたぽたと宝石みたいな雫が零れ落ちた。子どものように、慰められながら泣き出してしまった。


「…………んなんでも、すきだったよぉ……」
「うん」


「…………アイツといっしょに、いたかったよ…………」
「うん」


「…………本当に、好きだったの…………っ」
「……うん」
 抱きしめてくれたわけでも、頭を撫ぜてもらったわけでもない。なのに、毛布に包まれているみたいな錯覚を感じながら、私は今まで我慢していた分を取り戻すように中華料理屋の個室ですすり泣いた。
きっと、担々麺が辛すぎたせいだ。
このぐしゃぐしゃな気持ちはそれだけなんだ。







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