悪役令嬢のままでいなさい!
☆173 間違った相手を好きになっていたのなら
街頭でウサ耳のヘアバンドがぴょこんと揺れた。
「ふ、ふん! このあたくしに助力を乞うとは、ものが分かってやがるじゃありませんの! アクセサリーの100個や200個ぐらいどんと来いですわ!」
豪奢なカーリーロングヘアを振り払い、オーホッホと高笑いをしたキャロル先輩は非常に満足そうだった。
心なしか金髪も艶々している。
「いやあ、頼れそうな人間が先輩しかいなくて!」
「そうでしょう、そうでしょう! あたくしほど優しくて頼れる指導者なんて他にいるわけがありやがりませんものね!」
金銭欲にとりつかれた希未がもち上げると、キャロル先輩は口元を押さえてこう言った。受験で忙しいはずなのに、この人はこんなことにかかずりあっていていいのだろうか。
巻き込んだ側の私の胸に、チラリと不安がよぎる。
「……白波さんはアクセサリーとか作ったことがあるの?」
それを振り払って白波さんに訊ねると、彼女はにこっと笑顔になる。
「うん。小さい頃はビーズでよく遊んでたよ! ワンちゃんとか作ったりしたこともあります!」
「そうなの。それは頼もしいわね……」
不器用な私は、果たして戦力になるだろうか。
ほんの少しの嫉妬が私の表情に覗きそうになるが、成長する前に心の奥底に封じ込めた。
「でも、ビーズって意外と高いんだよ。趣味でやるにはお小遣いが足りなくなっちゃって、しばらく作ってないかなぁ……」
寂しそうに呟いて、白波さんは遠い目をした。
そこに、今の言葉を聞いたキャロル先輩がふんと不敵な笑みを洩らす。
「そこはセンスの問題ですわ。技術さえあれば、チェコビーズでも可愛いアクセサリーは作れやがりますわよ」
「え? 先輩、スワロフスキーは材料に使わないつもりなんですか?」
私が驚くと、キャロル先輩はつんと尖った表情で、
「いくら名門校といっても文化祭で売るには高価なスワロフスキービーズは使えませんわよ、月之宮さん。あなたにはどうも庶民感覚が足りませんわね」
「は、はあ……」
私はちょっと傷ついた。
これでも財閥の生まれとしては地に足を下ろした生活をしているつもりだっただけに、言われた内容が精神に堪える。
「クイズですわ。アイスを買う時にアナタだったらどんな種類を買いやがりますの?」
なるほど。多分これは引っ掛け問題だ。
値段の一番高いハーゲン○ッツを私が選ぶと思って、キャロル先輩はこの出題をしてきたに違いない。……となると、量があって庶民的な銘柄といえば――っ
「レディ○ーゲンの大きなやつとかですかね」
真剣に考えた私が笑みを浮かべて返答すると、嘆かわしいと云わんばかりに出題者は眉間にシワを寄せた。逆ギレするように叫ばれる。
「庶民は井○屋のあずきバーに決まってるじゃありませんの、あなた舐めてますの!?」
私は、その言葉に凍り付く。
慰めるように希未によって肩に手が置かれたが、下手に出題の意図を見破ったつもりでいただけに深手を負ってしまった私が解凍されることはなかった。
「栗村さん。くれぐれも月之宮さんに会計を任せるんじゃありませんわよ。バカな白波より金銭感覚がなってなくてタチが悪いったらありゃしないんですもの」
目をすっと細めたキャロル先輩の指示が飛ばされると、一緒にいた松葉が八手先輩と顔を見合わせた。
「……八重さまの落ち込み方がなんか可哀そうなんだけど」
「……気付かないふりをしておこう、瀬川」
こそこそとこんなことを喋っている。
「むしろ、私としては社長令嬢のキャロル先輩に庶民感覚が根付いていることに驚きなんですけど」
びっくりした希未の洩らした発言に、キャロル先輩は照れくさそうに言った。
「それは……まあ……」
「なるほど、那須先輩のお蔭なんですね」
「あたくしはそんなこと一言も口に出してないですわよ!」
飛び跳ねたキャロル先輩が、顔を真っ赤にして怒鳴る。流麗なる金髪が動き、太陽に反射して輝いた。
ミニスカートを翻し、華奢な脚でキャロル先輩はムキになって歩いて行く。その様子だけでも那須先輩への恋心が丸わかりで、私たちは苦笑した。
「そういえば、那須先輩ってなんで今日はいないんですか? キャロル先輩はいるのに……」
「なんであたくしと那須をセットのように考えるんですの、このスカポンタン! アイツは実行委員ですわよ、文化祭実行委員!」
「え、那須先輩って文化祭の実行委員だったんですか!?」
私は驚きを隠せなかった。
けれど、言われてみれば確かにお祭りの好きそうな那須先輩がそこに所属しているというのはしっくりくるものがある。
「じゃあキャロル先輩、今はちょっと寂しいですね」
空気を読まずに微笑んだ白波さんに、希未が「ちょ、バカッ」と小声で叫ぶ。その言葉を耳にした三年のキャロル先輩は、みるみるうちに顔を紅潮させていった。
「べ……別に、そんなこと……っ」
グロスの塗られた唇を震わせた彼女は、動揺するように睫毛を瞬かせるとチラリと地面に視線を落とす。
しばらく、もじもじとしながら俯いていたが、
「あ、あたくしは馬鹿ナスがいなくたって別になんということないんだから……っ」
と最強に可愛いツンデレを発揮してくれたものだから、同性である私ですら心を鷲掴みにされそうになった。
せ、戦闘力高すぎです、先輩……。
キャロル先輩の命じるがままに100円ショップや手芸店で何に使うのか分からない針金やら金具やらを買いに走った私は、一日の終わりにみんなから離れて部室にアクセサリーの材料の荷物を置きに戻った。
細かい部品ばかりなので、荷物といっても大した量ではない。一緒に同行しようとするメンバーを笑顔で断ると、少しばかり浮き立つ心で私は第二資料室のドアを開けた。
「「…………あ」」
室内にいた人物と、声が重なる。
そこにいたのは、軽音部と練習に励んでいたはずの鳥羽杉也だった。
予期せぬ遭遇に、互いに沈黙が走る。彼はベースを持って夕霧君の用意した布団の上に座りながら練習に励んでいたらしい。
「……こんな場所で1人で練習していたの?」
「ああ」
リズムよく指を動かし、天狗は初歩的なコードを奏でる。その整った音階に、素直に私は綺麗だと感じて微笑んだ。
「ふうん、なかなか様になってるじゃない」
「世辞はいらねーよ」
そう言いながらも鳥羽の無表情が崩れ、頬が緩まったのを私は見た。この感じなら、文化祭には余裕で間に合うかもしれない。
……いや、ものにならなかったらこっちも困るんだけどさ。
「どこまで習ったの? 教えてよ」
「まださわりのところだけだ。人に聞かせられるようなもんじゃねえし」
「そうは見えないけど……そろそろここも施錠するわ。そこからどいて頂戴――」
ぶっきらぼうにそんなことを言った鳥羽に、私は肩にかかった髪を払う仕草をした。窓の外を見ながら、そこの鍵をかけようと荷物を片手に数歩踏み出した時――、
「…………え?」
その事態に鳥羽が目を見開く。
予測もしていない位置に落ちていたスポーツバッグに足をとられ、私は前のめりの体勢になって、天狗を布団に押し倒す形でスッ転んでしまった。
バラバラと宙に飛んだビニール袋から、アクセサリーパーツが黒い布団に散乱する。鳥羽の胸元に転がってしまった私は、パニックで心臓がバクバク音を立てた。
「……月之宮……」
間近に鳥羽の顔がある。息づかいが聞こえる。
相手だってドキドキしている。
動かそうとした彼の手のひらが、宙を掴むように空ぶった。
永遠にも感じる時間、私と鳥羽は布団の中で偶然とはいえ互いに身を寄せる形となった。
どうしたらいいのだろう。
早く離れて、冗談めかして謝ればいいはずなのに、熱くなった脳内はその信号を出力することができていない。
「おい、つきの……」
鳥羽は、もしかしたら気付いていたのかもしれない。
耳まで赤くなった私の顔にも、体温にも、この気持ちにも。
知っていて、見えないように目隠しをして。分かっていて、聞こえないように口を閉ざす。
違う。
そうであって欲しかったのは……私自身だ。
誰もいないはずの廊下から、螺旋階段から、誰かの足音が聞こえた。回らないはずのドアノブが回転し、焦げ茶の色をした瞳の持ち主が、呆然と開いた鉄扉の向こうからこちらを見ていた。
「――とば、くんとつきのみやさ……ん……?」
衝撃を受けて立ちつくしていたのは、私の後を追いかけてきた白波さんだった。
誤解を招いてしまったのは一目瞭然だ。
「……そんな」
じわりと白波さんの目に涙が浮かぶ。色んな感情がせめぎ合っているだろうに、こんな場面でもヒロインは健気に虚ろな笑顔を見せるのだ。
「ふ……2人はそんな、関係だったんです……ね。
ごめんなさい、私、今まで色々と勘違いしてたみたい……」
身を翻して、涙が零れる前に。
この失敗の言い訳をしなくちゃいけないのに、呪いでもかけられたみたいに声が出てこなかった。
「ちが……っ、これは……」
「私、頑張って祝福するから! ……だから、もう邪魔なんてしないから……っ」
「だったら、なんでお前は泣くんだよ!」
ひっく、と白波さんは泣き笑いをしながらしゃくり上げた。
手で拭おうとしても、溢れて流れてしまう。色白の肌に滑り落ちたのは、透明な涙だった。
「ごめんなさい……っ」
自分の気持ちが怖かったのだろうか。
白波さんは、目の前の光景を拒むようにその場から身を翻して、ばっと逃げ出した。それを見た鳥羽が、力一杯に私のことを突き飛ばす。
床に転ばせた月之宮家の令嬢のことなんか欠片も視界に入れずに、彼は全力疾走で白波さんのことを追いかける。
いなくなったヒロインを、手放さない為に走り出す。
なんで鳥羽のことを好きになったのか、その瞬間に私は嫌だってくらいに思い知った。
こうやって、白波さんの為になら一生懸命になれる君が好きだったんだ。
出会った頃からずっと勝ち目なんか無かった。それでも、その眼中に入ってみたいと焦がれてしまった。
アンヴァーに似た瞳。ふとした瞬間に宝石のように輝く焔。
「…………どこまで馬鹿だったの、私……っ」
終わらなければ鳥羽への壊れかけの気持ちは失恋にならないと。
直視をしなければ片想いではないと、愚かなことばかり考えて。もがいて、足掻いて、見透かした東雲先輩にどれだけ辛い思いをさせてきたのだろう。
分かったよ。分かったから。どれだけ自分が馬鹿だったのか、身を切るほどに理解したから。
――もう終わらせてもいいの?
私は、この気持ちと決別することが、できるの?
その境地に至った時、涙は全てを洗い流す滝のように溢れ出した。雫は醜い私を象徴しながらも、制服のスカートへと滴り落ちた。
囁きを洩らす。
「……怖かった」
……この気持ちを手放してしまったら、近くにいた君がどこか遠くへ行ってしまうようで、とてもとても怖かったんだ。
でも、隣に立てたと思っていたあの感覚が霞のようなものだったというのなら。死線を潜り抜けた一体感も、一時のまやかしだったとしたら。
最初から間違った相手を好きになっていたのなら、この恋心はここで捨てなければならない。
これ以上白波さんを傷つける前に、粉々に破壊しつくさなければいけない!
「……でも、こんなの1人じゃ無理だよ……」
希未に知られたくは無かったけど、松葉なんてもっと嫌だったけど、誰かに側に居てもらわないともう一度立ち上がることができそうに無かった。
スマホを操作することも無理だ。指先まで冷えた心でかじかんでしまっている。
でも、このままここに座り込んで泣いていたら、誰に見つかるか分からない。東雲先輩にこんな事で頼る訳にはいかない。
もう、どうしたいいかも分からな……、
……その時だ。奇跡的に誰かが第二資料室に入って来た。
人間の気配がして、涙で濡れた視線を上げると、そこにはキョトンとした男子の目がこちらを見ていた。
「…………」
驚きを露わにこちらを眺めていたのは、到底人を慰めることにはとことん向いてなさそうな人物――気まぐれに施錠の最終確認にきた夕霧陛下が、泣いている女子を目の前にして困り果てた様子でその場に直立不動になっていたのだった。
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