悪役令嬢のままでいなさい!
☆158 神龍の見送りと桜の記憶 (4)
季節が変わる。
木々の葉は色づき、手足の伸びた少女は大人に近づいていく。
「だーれだ?」
白金髪の青年の両眼を後ろから覆い隠した少女に、彼はため息と共に笑った。
「……悪ふざけはよしなさい。八重」
振り返ると、中学校の制服を着た少女は離れた拍子にスカートを揺らす。ロングの綺麗な黒髪に薄化粧だ。照れたように微笑みながら、彼女はこう言った。
「ふふ、待った?」
「……そこまでは……って、やけに沢山荷物を持って来たんですね」
「和服ばっかりのツバキが洋服を選んで持ってきてほしいって云い出すんだもの。あたし、張り切って色々持ってきちゃった」
「全額お金は払いますが、時勢に合わせただけです。趣向を変えたことに大した意味なんてありません」
少しムキになったようにそう突き放した妖狐に、少女はくすくす笑う。神社の境内に買い物袋を置くと、そこから襟付きのシャツを取り出した。
「うん、やっぱり似合う! ツバキはきれいめ系かキレカジを基本にしたらいいと思うんだ!」
「そんなものですかね」
洋服に疎いツバキは淡々と返事をする。さっぱり理解している様子ではない。
「とりあえず、このシャツとボトムスから試してみて! それとこのネックレスと……」
「組み合わせは任せますよ。僕はそれを丸暗記するだけですから」
「ファッションの醍醐味がまるで分かってない発言!」
嘆いた少女に、ツバキは首を傾げる。
「流石に平安時代から生きていると、流行りすたりに疎くなってしまうんですよ。どうせそのうち下火になると思うと、適当に着流しで暮らした方が気楽に感じてしまいまして」
「今の時代に着物で生活してる方が少数派だってば」
苦笑した少女は、自分の髪をつまんで何かを思いついたように呟く。
「そういえば、ツバキは平安から生きてるんだよね……。ねえ、やっぱり女子の髪は長い方が好きだったりするの?」
「女子の短髪に違和感はありますが、そこに頓着はしませんよ」
「やっぱり、長い方が好きなんだ」
「僕の云うことを聞いてますか? だから長かろうと短かろうと気にしないと云ってるでしょう」
顔をしかめたツバキには、少女が嬉しそうにしている理由なんて分からない。黒髪を染めない訳も、長く伸ばしている訳も。
洋服を分類しながら、何の気なしに彼女はこう言った。
「そういえば、ツバキ、聞いて! あたし、学校の男子に告白されちゃった。これで、3人目!」
「――はあ!?」
突然のことに、ツバキが驚く。心の準備がなかったところに敵襲を受けたようなものだ。動揺している彼に、少女は口端をにまっと上げた。
「ツバキは、どう思う?」
「……僕の意見なんて聞かずに、決めればいいでしょう」
「なんで目を逸らしちゃうのよ。あたしは、ツバキがそれを聞いてどう思ったのかが知りたいのに」
唇に人差し指を当てた少女は、客観的に見ても匂い立つ美しさだ。夜に咲いている月見草のような控えめな花に似て、生い立ちからなる暗い影も謎めいた魅力を醸し出している。
「僕は……」
「あーあ、ツバキがそんなんだと、あたし、その人と付き合っちゃうかもしれないなー」
「…………っ 子どもの分際で僕をからかうのもいい加減にしろ!」
妖狐が、苛立って怒鳴りつける。少女がそういう年頃だということを直視しないようにしていたツケが回ってきた形だ。
「すぐ大人になるもん」
唇を尖らせ、少女からは拗ねた言葉が返ってくる。
「平安時代だったら、もう大人扱いされてるはずなのに……」
「僕はロリコンじゃないからな!」
「この臆病者!」
「おく……っ」
あんまりな云われように、ツバキが口端を引きつらせる。ふん、とそっぽを向いた少女は、桜の方を向いて笑った。
「ほら、この桜だって笑っているわ。こんなに長い間から付き合ってるのに、弱虫すぎておかしいわよね」
「あまり僕をからかってくれるな……、月之宮家の姫君に手を出すなんてことができるわけないだろう。ましてや、君は成人もしていないのに」
「そんなこと云ってると、あたしの上辺しか見ていない他の男の子のことを好きになるかもしれないわよ?」
「……それはダメだ」
小悪魔めいた微笑を浮かべた少女に、真顔になった妖狐が呻く。
少しだけ悲しそうに彼女はこう囁いた。
「そろそろ揺らいでくれないと、……あたしも不安になるんだけどな」
「……不安?」
「うん」
苦笑いをして、少女は口を開く。
「学校の男子と付き合うなんて無理よ。だって、あたしは人間のことは嫌いだし、この正体を全部知っても好きになってくれる人なんていないわ。怖がられちゃう」
「じゃあ、僕のことはアヤカシだからいいと」
「うーん、そこは関係あるのかな」
自分でも自信がなさそうに少女が悩み始めると、額を押さえたツバキが憂鬱にため息をついた。
「……そんな理由で選ばれても納得ができますか。これではひよこの刷り込み現象だ」
「でも、こういう風に人間が嫌いだって云ってると、また心療内科のお薬を増やされちゃうんだよねえ」
のんびりと濁った眼差しで喋った少女は、制服のポケットから錠剤のタブレットを取り出してみせた。
「見て。今度のやつは抗不安薬だそうよ」
白い錠剤が見える。
「また強いものを処方されたんですか?」
「うん」
痛ましげに、ツバキが眉を潜める。
「君の診断名は――」
「パニック障害的な『何か』」
「絶対、それって嘘でしょう」
「でも、お薬を飲まずにアヤカシを倒そうとして……、息苦しく過呼吸になったことがあるから。でたらめとも云えないんだよね」
諦めた笑みを浮かべた少女は、どこか操り人形じみた動きをしていた。もしくは、蜘蛛の巣に囚われた哀れな蝶だろうか。
彼女は自由に飛んでいた頃の空を忘れ、脚を竦ませて生きている。
「みんなの都合の悪い態度をあたしがとると、報告を受けた医者によってこのお薬が増えていくの。模範的な月之宮家の飾られたお人形を辞めることなんて考えたら、扱いがどうなるかも分からない。
確かに、アヤカシを殺す時に躊躇うことはなくなってきたけど、明るく笑うことも多くなってきたけど、それって薬で上塗りをして悲しみを鈍麻させているだけなんだよね」
いつか限界が来たら――、あたしはどうなってしまうのだろう。
そう言った壊れそうな彼女を、ツバキは思わず手を伸ばして抱きしめた。
「そんな扱いをされるくらいなら、君は人間の世界にいるべきではない」
「……ダメだよ、ツバキ」
「……僕だけじゃ足りないのか」
「そういうわけじゃないけど……」
妖狐の胸に抱かれながら、少女は泣きもしないで自嘲しながら笑った。
「やっぱりまだね、あたしは諦めきれないみたい。
おかしいよね、とっくに人間のことなんか嫌いになってるのに。
あのイキモノの真似をすることを辞められないんだから」
――愛して、愛されてみたいよ。ツバキ。
普通の人間として生きて、ワガママで全てをさらけ出しても普通に受け入れられてみたいんだよ。
お父さんにも、霊能力を持たない弱い友達にも、社会にも。
そんな聖母みたいな人がもしもいるのなら、こんな風に胸が苦しくならずに済むのかなぁ……っ――
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