悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆155 神龍の見送りと桜の記憶 (1)

 ダンスパーティーから抜け出して勝手に家に帰ったことで、これでもかという嫌味をネチネチ父からぶつけられ、母からは同情の眼差しを向けられた私は、しくしく痛む胃に悩まされていた。
日に日に増していく痛みは私の抱えているストレスの象徴で、それに付け加えて寝不足まで抱えていたものだから、体の平衡感覚までが狂いそうな状態だった。
 ……それなのに、心のどこかで両親に反抗したことへの爽快感を覚えていたのだから、どうしようもない。
何もかも言いなりになっていたわけではないけれど、決めつけられたことに刃向うのは、どうしてこんなにも心が沸き立ってしまうのだろう。


 夏用の制服に身を包み、今の私は東雲先輩と一緒に夕暮れの神社に来ていた。
「……それで、親御さんは何と云っていたのですか?」
「どこの馬の骨とも知れない男と抜け出すなんて、正気の沙汰じゃないって何度も繰り返し云われました。我が家の父にとっては、先輩が生徒会長であることも学年主席も水戸黄門の紋所にはならなかったみたいです、よ?」


「それはそうでしょうねえ……八重のお父さんには青田買いとでも思ってもらえれば僕も気楽だったんですけど」
「先輩。すっごく長生きしてるのに、それはちょっと図々しいですよ」
 私が石階段を上りながら苦笑すると、東雲先輩も照れたような笑みを洩らす。共犯者になった私たちが共に笑い出すと、辺りの木々は風に枝を揺らした。


 順調に片道を歩いて丘の天辺に辿りつくと、赤い鳥居を潜った先の社の賽銭箱の前で、脚を伸ばして座っている水色の髪の美少女が両眼をつぶって待っていた。初めて現れた時のような着物と袴姿で、足下には荷物が置いてある。隣には白蓮が控えて立っていた。


「……ようやっと来たかの」
「うん。待ったかしら?」
 神妙な顔をしている蛍御前に、私はにこりと笑う。


「いきなり、この街からいなくなるなんて云い出すからびっくりしちゃったわ。今朝になって教えてくるんだもの。もっと心の準備が欲しかったぐらい」
「宣言してあったはずじゃ。妾は九月には帰るとな」


「それにしたって突然よ。見送りに呼んだのも私と東雲先輩だけだったし、何か理由でもあるの? きっと黙って帰ったって知ったらみんなは寂しがるわよ?」
「そうかの」
 考え事をするような雰囲気の蛍御前に、私は違和感を覚えて首を傾げる。どうしたのだろう、いつもならもっと元気なのに、ちょっと態度がよそよそしい。別れの悲しさに浸っているのだろうか。


 東雲先輩の方を見ると、彼も訝しげにしていた。
「どうしたのですか、こんなに沈んで貴女らしくもない」


 妖狐の問いかけに、神龍は薄く笑う。
「いいや。何でもないのじゃ。そうさのう……八重。そなたには特に世話になったの。こうまで献身的に妾の面倒を見てくれたこと、嬉しく思うぞ」
「そんなこと……」
 自発的に世話を焼いたというよりは、半ば下僕にされていただけのような気もするのだけど……。それでもお礼を言ってくれたということに私の頬は緩んだ。


「妾も理由もなしに寵愛を与えるわけにはいかなんだからの……そなたが妾に尽くしてくれなんだら、こうして介入することもできなかったのじゃ。
じゃが、人の血が混じっているとはいえ、すれ違った仲間が困っている時に冷たく見捨てることもできなんだ」
 優美に笑った蛍御前は、金の瞳をきらめかせてこう言った。


「八重に東雲。そなたらになら、妾の真の名を教えてもよかろう」
「……それは、また」
 東雲先輩が驚きの表情になる。意味がよく呑み込めていない私は、唖然としてしまう。


「え、蛍御前って名乗ったのは偽名だったんですか!?」
「そうじゃ。古くからの神々は名を知られることを気にしない者も多いがの、『蛍』は妾の通名じゃ。――妾の真の名前は、タカセノハヤテ姫という」
 彼女がそう名乗った瞬間、辺りに鮮烈な突風が吹き荒れた。神龍の水色の髪は舞い上がり、私の髪も風に流れる。
自然と鳥肌が立ち、その神々しい響きにごくりと喉が鳴った。


「……タカセノハヤテ姫」
「普段は蛍御前のままで良いがの。もしも何か困ったことができた時には、水辺で妾の真名を呼ぶがよかろう。地べたに土下座してひれ伏しながら祈りを捧げられれば、遠くにいる妾にまで声が届くやもしれぬ」
「……それって届くのか届かないのかどっちなんですか」


「そこは祈りの一生懸命さと運じゃの」
「当てにならない!」
 そう叫んだ私から顔を背けた蛍御前に、東雲先輩が頭が痛そうなため息をついた。


「いつから八重が貴女の仲間だと分かっていたのですか」
「……初めからじゃ」


「では、何もかもを見通して八重への借りをわざと作る為にここに滞在して豪遊していたというわけですか。いつか、その借りを返すという名目で八重を助ける為に」
「そうさの。八重は気付いてはおらぬようじゃが、この娘が知らぬうちに後回しにしすぎた運命さだめが災禍となって押し寄せようとしておる」


「……気付いていますよ。だから僕がここにいる」
「だからのう、お節介な妾は、気の毒な桜の願いを最後に叶えていなくなろうと思うのじゃ。長い夏を終える前に、全ては白昼の下に明かされるべきじゃろう」
 戸惑っていた私の手をとり、蛍御前は境内へと歩み出た。もう片方の手で指差したのは、いつかに眺めた大きな桜の木だった。


「…………」
「ほんに綺麗な樹木じゃのう……。枝の先までよい思念で満ちておる」
 蛍御前の云う言葉の意味は分からなかったけれど、この桜が美しいことだけは私にも理解ができた。青々とした葉、太い幹、しなやかな梢。風に吹かれ、揺られ、たゆたう時の流れを過ごしてきた桜の大樹。
それに見惚れていた私の背中に、突然、何かの衝撃が与えられた。


「……え!?」
 バランスを崩した私が、桜の方向に突き飛ばされる。犯人は蛍御前だ。よろめき、ぐらりと揺れた視界のままに桜に向かって倒れ込んだ私の耳に、こんな声が聞こえてきた。


「さあ、全てを見せるのじゃ! 桜よ!」
 蛍御前の宣言を合図に、水中に落っこちたような感覚に精神が囚われる。消えていく辺りの風景にもがくと、口元や全身から泡が天に上っていく幻覚が見えた。
白い景色。まどろむ穏やかな空間。
そこに意識が奪われた私は、自分の精神だけが別の場所に来ていることに気が付いた。


『――こに、いるのですか』
 そんな思念が唐突に訪れて、私は驚きに振り返る。嬉しい、愛おしいという好意的な想いが伝わってきて、呆然と立ち尽くす。


『――そこに、いるのですか』
 目の前には誰もいない。けれど、声と想いだけは伝わってくる。


「……誰なの?」
『わたしは、桜。あなたのことをずっと前から知っていた、いっぽんの桜』


「桜、ですって?」
『そう』
 にわかに信じられない思いだ。
姿は見えないけれど、はにかむように笑われたのが分かった。


「ねえ、桜。ここはどこなの? 東雲先輩や蛍御前や白蓮はどこに消えてしまったの?」
『――ここは、わたしの精神世界。あなたの身体は現実世界で眠りについているだけ。心だけがタカセノハヤテ姫の誘いによってここへ連れてこられた』
 白い水中のようなゆらめく場所の正体に、私は辺りを見渡す。


『あなたを呼んだのは、わたし。今までのわたしの記憶を見て欲しくて、ここに来てもらった』
「記憶を……見る……? そんなことができるの?」


『少ないけれど蓄えた全ての妖力を使った。蛍御前のサポートで今はこの空間を維持している。……けれど、長い間は持たない。わたしの意識が消えてしまう前に、あなたに早く伝えたい』
「そんな……」
 今までに備蓄した妖力を使ってしまったということは、この桜はもうアヤカシにはなれないのではないだろうか。
そのことに対する悲しみに胸が覆いつくされそうになると、桜は穏やかに微笑む。


『気にしないで。わたしがあなたにあげられるものは、これしかないから』
「そんなことなんてない!」
 そんな悔しいことなんて言わないで!
更に云い募ろうとした瞬間、辺りの風景が変わる。空気は陽炎さながらに揺らめき、やがてレンズのピントが合うように映像が固定された。


「これって……」
 そこにいたのは、東雲先輩だった。
白金髪の伸びた髪。高い身長。着ているのは和服。25歳ぐらいの見た目。今と何一つ変わらないようで、けれど気だるそうな暗い雰囲気を漂わせて、神社の社の前の石の上に寝転んでいた。
見るからに、彼は絶望していた。どうしてこんなに闇に囚われてしまっているのだろう。それを問いかけたくても、これが過去の桜の記憶だということに気が付いてしまった。


「……東雲先輩……」
 語り掛けても、彼の映像はまるで反応しない。
そのことに少し悲しくなりながらも、私は先輩を眺めていた。
 すると、誰かの気配がしたのか東雲先輩は身じろぎをする。鳥居の方を私が見ると、そこにやってきたのは、麦わら帽子を被ったひまわりのワンピースの女の子だった。整った顔立ちをしており、綺麗なロングヘアーだ。
ドキリと鼓動が高鳴った。
これは……。この子どもは……。


 きょろきょろ辺りを観察している小学生くらいの女の子は、虫取り網とかごを持っていた。そうして鳥居を潜ってくると、やがて隠形していたはずの東雲先輩を見つけて不思議そうな顔になる。


「……ねえ」
 愛らしい声で、女の子は妖狐に訊ねた。


「お兄ちゃんは何をしているの?」
 その問いかけに、東雲先輩は瞳をゆっくりと開ける。


「…………」
「そんなところに寝ていると、風邪を引いちゃうよ? お兄ちゃん」


「……僕は風邪なんて引かない」
「でも、すごく寝心地悪そうだよ。石段の上なんて止めた方がいいよ」


「うるさい子どもだな……、お前、一体何の用でこんな場所に……」
 そうして女の子を視界に入れた東雲先輩が、自分の今の状況に気が付いたのか硬直してしまう。固まった妖狐は、ぎこちなくこう呟いた。


「……まさかお前、僕のことが見えるの、か……?」
「? やえは、この神社に蝉の抜け殻をとりにきたんだよ?」


「……見えるのか、この僕が」
「うん」
 寝起きだった東雲先輩の不機嫌そうな眼差しが、瞬間、切なそうに揺れた。噛みしめた唇からため息が洩れ、何かを後悔するような表情になる。


「お前は……月之宮家の娘だろう、僕のことを知らないのか」
「そうだけど……お兄ちゃん、有名人なの?」


「ああ、知らないのならばいい。考えてみればそちらの方がマシだというものだ。梢佑は元気にやっているのか?」
「おじいちゃんなら、この間、剣の練習をしててお庭の池を壊しちゃっておばあちゃんに怒られてたよ!」


「……それは元気すぎるな」
 ひく、と東雲先輩の口端が引きつった。


「よく云われてる!」
 女の子がにぱっと笑う。
それに懐かしそうな茫洋とした眼差しをした東雲先輩は、女の子にこう訊ねた。


「……それで、お前の名はなんだ」
「――やえ!」
 腰に手を当てた女の子は、満面の笑みでこう言う。


「月之宮八重っていうのよ、お兄ちゃん! ねえ、あなたの名前はなんていうの?」
「僕は……」
 そこで、東雲先輩は考え込む。


「草木縛りも久しぶりだが――、そうですね。選べるならツバキと……」
 自然と彼の口端が上がっていく。
「ツバキと呼んで下さい。あっさりと死ねそうで、いい名前でしょう?」


 不格好な笑みを浮かべた東雲先輩……もといツバキのセリフに、女の子は首を傾げる。
 蝉の声が空気を震わせていた。


「……ツバキって呼べばいいの?」
「そうだ」
「ふうん」
 少し複雑そうな顔になった女の子へ、ツバキは笑う。


「そんな恰好をして、お前はここに虫取りにでも来たのか」
「違うよ! さっきも云ったけど、この神社には蝉の抜け殻をとりに来たの! 同じクラスの男子が、お財布に入れるとお金持ちになるって教えてくれたんだもん!」


「潰れるぞ」
 ツッコミどころしかない発言に、ツバキは真顔になった。


「騙されていることに何故気付かないんだ。それは蛇の抜け殻の話だろう」
「だってそう聞いたんだよ!」
 微妙な反応を示しているツバキに対し、女の子はぴょんぴょんジャンプする。そして、妖狐に向かって全開の笑顔になった。


「お兄ちゃんなら、きっとここの林にもくわしいよね! ねえ、どこに蝉の抜け殻があるか教えて?」
 そうして無邪気に彼の手をとった小学生に、ツバキは瞠目をする。立ち上がった妖狐を引っ張るように、境内を駆ける少女は群生林へと姿を消した。







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