悪役令嬢のままでいなさい!
☆141 オタクと文芸と最強の猟書家
考えてみれば、この駅に来るのは久しぶりだ。それも、学校の同級生と一緒だなんて。
明滅している電光掲示板。せわしなく行き交う人々。5、6分ごとに走り出す鉄の箱。売店で飛ぶように売れていくサンドイッチ。
希未は自分の自転車に念入りに鍵をかける。溢れそうになった自転車置き場では埋没しがちなアルミのフレームだったけれど、万が一盗まれたらことだからだ。
普段は車で生活している私は、新鮮な思いになりながら切符を購入した。電車通学をしている鳥羽や白波さんは持っていた定期で改札を通過する。
そんな2人の親しげに馴染んだ空気に何故かとても切なくなって、私は視線を足下に落とす。……私にとっては真新しくても、彼らにとって一緒に電車を乗ることは日常の延長なのだ。
滑り出した電車。ギコギコ動き出す車体。その中で、私は何度も密閉された空気を浅く吸って吐く。走る電車の車窓から流れていく景色を見過ごしてしまうように、私はこの過行く日々に大事なものを見落としてはいないだろうか。
輝く星の瞬きをいつかは思い出せなくなってしまうように、好きだった人の笑顔もいつかはこの記憶から褪せてしまうのだろうか。
独特な空気が漂うこの駅の真ん中で、本当にこっそりと私は鳥羽の様子を盗み見た。白波さんと他愛のない雑談をしている彼の横顔は今日も迷いなどなさそうで、その穏やかな光景に胸が締め付けられる。
長いポニーテール。中性的な容貌。その瞳がアンバーに光ることを私は既に知っていて、そこに自分が映らないことも同じくらいに織っていた。
教室の席替えは夏休みが終わってすぐにやってきた。あれだけ嫌だと思っていた鳥羽の隣の席というポジションから解放された私は、どうしてだろう……ぽっかり無くなった息苦しさに心の隙間に風が吹くような思いに襲われたのだ。
何度も、何度もこうやって。
世界の中央で笑う君が気付かなくても、私はあなたのことを片隅から知っている。
恋の終わりを引き延ばしながら、崩れゆく片想いの破片を寄せ集めながら、友人という立ち位置にしょっぱい思いになりながら。
それでも、……そろそろ終わりにしなきゃ。
協力するって言ったんだから、失くしたくなくても、破れたことを認めなくちゃ。
……いやだな。
だって、鳥羽がいるこの世界はこんなにも色鮮やかで楽しくて。白波さんが話しかけてくるこの世界はこんなにも残酷に優しい。
2人のことが好きだったなら祝福できるはずなのに、私の女の部分は醜くも嫉妬する。
もっと側に居たいって。
あの子ではなく私の方を好きになって欲しいって。
いくら退治しても消えやしない願望に、自己嫌悪すら抱えてしまうくせに、殺そうとしてるのにどうしても殺せない片想いに心の痛みを感じながら――私は降りた駅から見える天井を見上げて深呼吸をした。
「うううう……けっこう時間がたったのにまだ腕がずきずきするよ……」
よろめいて見せた希未の愚痴に、八手先輩が無表情で応える。
「……帰ったら冷やすとかしたらどうだ」
「うちに氷ってあったかな……。最近、我が家の冷蔵庫の調子が悪いんですよ……」
アパートで父親と2人暮らしをしている希未の洩らした言葉に、白波さんが鳥羽をじっと見た。
「もう、鳥羽君ったらどれだけの力をかけたの? 栗村さんは女の子なんですよ?」
「俺はちゃんと加減したっつーの」
まあ、アヤカシの鳥羽が手加減抜きで暴力を振るったら、希未の腕は脱臼したり筋断裂してるだろうしね。ふん、とソッポを向いた天狗に、白波さんが困った顔になる。
「まったく希未? これに懲りたら、しばらくはセクハラも控えることね」
「親友なのに、八重まで鳥羽の味方するなんて……」
ひどいひどい、と泣き真似をする希未に私は冷やかな目を向ける。そういうことは、行いを正してから言ってほしいものだと思う。
電車を乗って来たのは、鳥羽の住んでいる町の最寄り駅だ。この辺にはショッピングビルとかもけっこうあるし、大きな書店や古本屋なども立ち並んでいる。
ローファーで地面を踏んだ白波さんが、バレリーナのように身軽にこちらに振り返る。口元を綻ばせ、ふふっと笑顔だ。
「さあ、どこから見に行く?」
「そうね……。まずは本屋とかかしら」
そう言った私に、本日の買い物の事情を既に説明された八手先輩が口を開く。
「……手堅い選択だな」
「意外性とか、そういうものは無いかもしれないけど……何か出会いがあるかもしれないじゃない?」
「……この辺りの大型書店となると、あちらではないか?」
そうそう。確かあの辺りのビルだったはず。
八手先輩の指差した方角に頷くと、鳥羽が自分の財布の中身を確認した。
「まあ、これぐらいあれば足りるか……」
「どうしたの? 鳥羽君」
「俺も新しい本を買ってみようかと思ってさ。機械工学とかも最近気になってきたところだし、丁度いいだろ」
確かに超専門的な内容の蔵書になると、進学校である私立慶水高校の図書館には置いていないだろう。すました顔をしている鳥羽に、白波さんが微妙な反応を返す。
「機械工学、ですか……」
「組み立てるのもいいけど、機械ってバラすのも楽しいんだよ。そーいうことやってたら、導入本とか読んでみたくなってさ」
真面目にそんなことを言っている鳥羽は、腕組みをして頷いた。どこかしたり顔に見えるけど、アンタ、まだ何もやり遂げてないでしょっていうね。
私の悪夢に出てきたときのように人間の肉体を切断されるのに比べたら、しごく平和な趣味だと思う。頭のいい鳥羽のことだから、すぐに読破してしまうのに違いない。
「機械弄りに目覚めるのもいーけど、白波ちゃんを忘れて二次元の女に走るようになるのは止めてよね」
希未が胡乱気な目つきで鳥羽にこう言った。
「……なんで俺がオタク扱いされなきゃならねえんだよ」
「私だって見たくないよ。カラオケでオタ芸をエンジョイする鳥羽とか。抱き枕と萌え萌えポスターに毎朝ベロチューしてる鳥羽とか」
うっかり想像してしまった私たちに、鳥羽がキレそうな表情になる。
「死んでも誰がんなことするか!!」
良かった、壮絶に嫌がっている。
もしも鳥羽がオタクになってしまったら、私のこの不発弾のような気持ちはどうなるのだろう。もしかして、うんざりした挙句に始末がついてしまったりするのだろうか。
そうなったらすごく楽だと思うけど……。
各々に悩み始めた私たち一同に、鳥羽が眉間にシワを寄せて吠えた。
「何を想像してんだてめえら!」
「うん、やっぱり鳥羽はオタクになっちゃあいけないよ。黒髪ポニーテールの萌え豚ヲタとか、ウザすぎるしキャラ崩壊も甚だしいって」
さりげなく2ちゃん用語を混ぜるな。
希未がワロス!と拳を突きあげながら叫ぶと、白波さんが口元に人差し指を当てる。
「う~ん、機械工学かあ……」
私には理解できそうもないなあ。と零したヒロインは、遠ざかっていく天狗との距離にどことなく寂しそうでもあった。
「正直なことを云うと、日之宮家って自分の家に図書室を持ってるのよね。だから、新書じゃない限りは殆どのコレクションをもう所有してると思うわ」
私の言葉に、みんながずっこけそうになる。
「……どうしたの?」
「……別に。さっそく心が折れそうになっただけだから、気にしないで」
遠野さんが遠い目になって呟く。
「で、でも! 新書だったらいいんですよね!? その奈々子さんって人はどんな本が好きなんですか?」
「う~ん、奈々子の趣味といえば『サバイバル・バイブル』とか? 『徒手格闘術マニュアル』とかかしら? でも、そういう本はもう沢山持ってると思うし……」
「それがご令嬢の実用本だとは思いたくねえな」
アヤカシである天狗の目が死んだ。
「誕生日にそれってのもどうなの? 八重の趣味の本をあげるとかは?」
希未の言葉に、私が思考を巡らす。
「私の趣味の文芸書ねえ……」
「――やだ! いつの間に小説家になろう関連からこんなに新刊が出てたの!? あっちはアニメ化作品だし、こっちにはマンガ版もあるし、アンソロジーといいこんなに豊作だと思わなかったわ! ちょっと八手先輩、籠を持つの手伝って下さい! はい、これとそれとあっちと、それまたこれと、これもこれもこれも!
あっ、この絵師さんまた挿絵が進化してるじゃない! 刊行された悪役令嬢ものも種類が増えてきたし、また私の部屋の書棚とか増やさなきゃダメかしら……っ」
甘い樹液に魅かれたカブトムシのように店内のラノベ文芸のコーナーに吸い込まれた私に、みんなはいたたまれなさそうな空気を出していた。
ズーン、と黒い靄のようなものを被っている。
「……完全に辻本の悪影響だな」と、沈痛の鳥羽。
「私の八重が……変な文化に染まってる……」と、愕然としている希未。
「あっ、文芸でもこれなら難しくないから私にも読めるかも……!」と、嬉しそうな白波さん。
「……ラノベ文芸って文芸の仲間にしてもいいのかな……」と、目を逸らした遠野さん。
みんなは、見たくないものを見てしまったような反応をしている。どうしてこんな顔をしているのだろう。とても不思議だ。
えーっと、書物狂のリチャード・ヒーバーじゃないけど観賞用と保存用と、布教用も買わなくちゃ。
あら? もう籠が満杯。だったら、もう1つ追加しましょ。
レジに籠を持っていく時、輝かんばかりの満面の笑みが、自分から零れ落ちるのが実感できた。
ふふ。
我が人生に一片の悔いなし!
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