悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆136 瓦解する涙と迎えに来た神使

 しばらくして、半殺しにされた男たちが白目を剥いて気絶してしまうと、東雲先輩は不快感を隠そうともせずに彼らを山となって積み上げた。散乱した財布を拾い上げた妖狐は、ペナルティーにその中身のお金を全部取り出してしまう。


「汚い金ですが……帰りに神社の賽銭箱にでも突っ込んでいくことにしましょうか」
 実際問題、触るのも嫌そうな顔をしている。
目の前の脅威が取り除かれた私は、自分の身体が震えていることに気が付いた。前歯がカチカチ音をたてて、小刻みに揺れていた。
 嘔吐してしまいそうなほどに胃から気持ち悪くなる。触られてしまった皮膚をどこかで洗い流したい。沢山の石鹸をつけて、消毒薬を使って……。


「……八重、悪かった」
 罪悪感に満ちた表情をした東雲先輩はしゃがみ込み、地面に座り込んでいる私の肩を引き寄せた。どきん、と心臓が軋みを上げる。
茫然としている私へと、東雲先輩は何度も謝罪の言葉を繰り返す。


「気を抜いていた僕の不手際だ。……君が人を惹きつけることなんて分かっていたはずなのに、目を離した僕が悪かった」
ごめん、と東雲先輩に口にされて、私の震えがいや増した。堪えきれない涙が次々とやって来て、頬を静かに濡らしていく。
次第に、私は子どもみたいに泣きじゃくっていた。


「……しののめせんぱい……っ」


 このアヤカシは何も悪くない。それどころか、助けに来てくれたのだ。
人間たちに見捨てられた私を、酷いことをされそうになっていた私を、王子様みたいに助けに来てくれたのだ。


「わだし、主役ヒロインなんかじゃないのに……っ」
「……ヒロイン?」
 吐き出した私の嗚咽に、東雲先輩が囁きを返す。


「わたしは、白波さん……みたいなヒロインじゃないのに……っ 東雲先輩に助けてもらう資格なんて、……ないはずなのに……。 …………どうして……っ」
 泣き崩れた私の肩を、東雲先輩は悔しそうに抱いていた。彼にとって意味不明なことを言っていることは分かっている。自分が悪役令嬢だということも、この世界がゲームだということも、全て話してしまえたらどんなに気が楽になるだろう。
けれど、どうすれば信じてもらえる? 証明もできやしないことを、狂人だと思われずに説明なんてできるだろうか?
 そんなこと、考えただけでも不可能でしかない。


「……どう……して、先輩はアヤカシなのにこんなに優しいの……っ!」
 目から涙が溢れ、地面へと滴り落ちた。


……アヤカシたちは亡霊に過ぎないのだと、虚ろな怪物でしかないと信じていたかった。その優しさは偽物でしかないと、心のどこかでは思っていたかった。
そうであったのなら、私はアヤカシを殺してきた自分の陰陽師としての生き方を肯定できていたはずなのに――なのに、これでは守るべき人間の方がよっぽど卑劣なイキモノではないか。


「八重」
 東雲先輩が、全身を硬くした私のことをきつく抱きしめた。彼の匂いが近くなる。


「僕は優しくなんかない。今だって、君の制止さえなければ殺してやりたい奴なんていくらでもいる。とても嫉妬深いし、浅ましい願望だってある……」
 私の耳元へ、怒りを滲ませた東雲先輩はこう告げた。


「アヤカシの僕に守られるのは、嫌か?」


 私は、俯いた。
そんなこと、あるわけない。
時間が経つほどに彼らに惹かれていく想いがある。人ではないはずの、アヤカシたちと交流するほどに、その純粋な闇に溺れそうになっていく。


「いやでは……」
「だったら、分かるね?」
 心底頭にきているはずなのに、東雲先輩は私を宥める為に抱きしめる腕の力を強くした。途方もない切なさが止まない涙となって零れ落ちる。
 どうして、アヤカシだったのだろう。
どうして私が惹かれる異性は、結ばれてはならない人外ばかりなのだろう。
拒まなくてはならないのは理解していた。抱擁を押し返そうとしてみたけれど、妖狐は私のことを離すつもりがない。


「……好きだよ。
僕の長い人生は、こうして君に出会う為にあったのだから」
 何度目になるかも分からない愛を囁かれて、私は情けなくも耳まで赤くしたのだ。






 夜空からの雨は少しずつ激しくなっていた。いつまでもこうやって抱きしめられているわけにもいかなくて、名残惜しそうに東雲先輩はこちらを解放する。
涙を洗い流すような雨粒に、どこかで私は安堵した。


「みんなには……このことは云わないで……」
「分かりました」
 起き上ると、浴衣には土が付着していた。それが泥となる前に慌てて立ち上がる。お気に入りの浴衣でなくて良かったと、的外れなことを考えていた私に東雲先輩はこう言った。


「あのまま抱きしめていたら、僕の自制が効かなくなるところでしたよ。……全く」
「な!?」
 言葉を失って口をパクパクさせた私に、彼は険しい顔を向ける。


「ところで、その浴衣は自分で直せますか?」
 そう言われてみると、私の着ている水色の浴衣はぐちゃぐちゃに着乱れていた。襟元ははだけているし、脚は見えている。このまま帰ったら詰問の嵐だろう。真っ赤になった私に、東雲先輩は視線を逸らした。


「着付けの手伝いが必要ならやりますが、できることなら自分で――」
「できます! 自分で直せますからっ」
 顔を背けた東雲先輩が見ないようにしていてくれるうちに、私は物陰で帯をといた。しゅるり、と衣擦れの音がして、どこか生々しい思いになる。
着付けをやり直すには、一旦ぬがなくちゃ。
黙って試行錯誤をしていると、しばらくして東雲先輩がため息をついた。


「……遅いですね。まだですか?」
「そんなすぐにはできません!」


「あんまり時間がかかっては、皆に心配をかけますよ」
 ふわり、と東雲先輩の匂いがして振り向くと、帯に手をかけた彼がいた。そのまま、密着に近い態勢で私の浴衣の着崩れを直していく。
うわ……、なんか緊張する…………。
 吐息すら触れそうな距離で、ぎこちなくも立ち尽くしていると、手際よく先輩は帯を結んでいく。それが済むと、今度は長い指で髪に触れる。相手にやましい気持ちがなくても、こちらが意識してしまう。
やがて、数分ほどで元通りに出来あがった浴衣姿の私に、東雲先輩は満足そうに髪飾りを留めた。


「できました」
「…………!」
 心臓がバクバクいっている私は、目を回しそうになる。なんとかそれが悟られないように表情を取り繕うけれど、体温が普段より熱くなっている。
そんな私の手をとった東雲先輩は、苦笑した。


「そんなに嫌がらなくても」
「……そ、そういうわけじゃなくって……」
 かといって、こんな本心を吐露してしまうのもどうだろう。もしも痴女と勘違いされたら立ち直れない。照れと情けなさに声をくぐもらせると、東雲先輩はちょっと悲しそうに歩き出した。


「分かってますよ。君が僕のことを好きじゃないことぐらい」
 あながちそーとも言い切れないんですけど!
 好きか嫌いかでいうと好きですけど、でも、鳥羽が振り向いてくれないからって別の男に乗り換えるようなことをしていいのかっていう葛藤がですね……!
言葉にできない思いが頭を埋め尽くす中、私は引かれた手を振りほどくこともできなかった。


 無言が辛い。
何か話題を変えるべきだろうか。


「あの……、松葉はどこですか?」
「そこで他の男のことを口に出しますか」


 うっ。明らかに妖狐の神経を逆なでしたっぽい!
 恐ろしく低い声の返答に、私がびくりと首を竦める。


「だ、だって、松葉は私の式妖ですし……」
「そもそも気に入らないんですよ。いくら自分の召使いだからって、なんでアレだけ名前で呼んでるんですか」
 青い瞳に底光りするような不穏な色が浮かんだ。どこか傷ついているように、薄く笑みを形作る。怒った時に笑うタイプほど、怖いものはない。


「え……」
「――それとも、君は僕の名前まで忘れてしまいましたか?」
 軽蔑されたように感じて、私の胸にひどい罪悪感が湧いた。
雨に濡れた白金の髪をした、いと美しき九尾の狐はその秀麗な顔立ちを皮肉気に歪めた。薄い唇は、甘さがごっそり抜けている。


「そんなことはありません!」
 攻略対象者の名前は、ちゃんと全員分記憶してある。


「だったら呼べるはずです」
 ……責められている。握られた手のひらは、白くなるまで力を込められていた。
東雲先輩の要求していることを叶えなくては、これから先を一歩も歩くつもりはないらしい。


「椿……先輩」
 怖々とそう口にすると、東雲先輩は苛立ったように目を細めた。


「……どうしてそこに先輩と付けるんですか」
「つ、つつつつ、椿!」


「不合格」
 ふい、と視線を逸らした先輩は、どこか悔しそうだった。気まずい空気が流れて、パニック状態に陥った私は無我夢中で叫んだ。


「――――ツバキ!」
 彼の青い瞳の瞳孔が、大きく見開かれた。
すんなり口から飛び出てきた発音に、私も驚く。緊張が消えたわけではなかったけれど、どこかで懐かしく胸を締め付ける響きだった。


「…………」
 呆けたように立ち尽くした東雲先輩の瞳が、青い炎に揺れた。


「先輩?」
「………………っ」
 その一瞬の変化を――東雲先輩の泣きそうな顔を私は見逃さなかった。懐かしそうで、淋しそうな……その憂いと苦悩の色を。


「……戻りましょう」
 表情を消した東雲先輩は、長い脚で歩き出す。それに引っ張られた私も慌てて前に踏み出すと、草むらの踏み潰される音が夜闇に響いた。


その時、前方で何かの気配がした。


「――――さ、ま――」


 それに気づいた東雲先輩が、立ち止まる。ガサガサと身動きしたその影は、「るう、さま……」と声を発した。
中学生ぐらいの人間に見えた。白茶ミルキーブラウンのくるくるした髪に、ヘーゼルナッツ色の瞳をした綺麗な顔の女の子だ。白い着物に翡翠色の袴を履いており、大きなリュックサックを背負っている。


「……何者だ」
 強張った東雲先輩の声が辺りに響いた。私の肩を抱き寄せ、警戒を強める。
その反応で、私はこの女の子が本物の人間ではないことに気が付いた。恨めしそうな気配といい、このミステリアスな容貌はまるで人外のものだ。


「……東雲先輩、この子って」
「ああ。アヤカシだ」
 袴姿の女の子は、最初は不思議そうにこちらを見ていたが、やがてその瞳をくるりと輝かせた。小ぶりな顔には悪意のない笑みを浮かべ、深々とお辞儀をしてくる。


「これはこれは、『こんばんは』なのです」
 高く透き通った声だった。


「……お前は、カワウソか」
 東雲先輩にそう問われ、アヤカシの女の子はキュッと鳴き声を出した。
「はい、白蓮びゃくれんとゆーのね!」


 え!? 松葉があれだけ探していたカワウソの仲間!?
見るからに頭の軽そうな返事をした彼女は、健気にこう告げた。


「わたしは、蛍御前の神使なのね! この度は、主様がお世話になったのね!」
 その言葉に、私は昼間に感じた何者かの視線の正体を察して、どっと疲れが押し寄せたのを感じた。……どうやら、この新たなカワウソの女の子は、蛍御前を迎えに来たそのしもべということらしかった。







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