悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆130 馬鹿なあの子は踊らにゃ損々



 素足で触れた海の塩水は、生温かった。
 膝丈までの水深に浸かると、いかにも夏らしい気分になる。


「月之宮さん!」
 無邪気な白波さんが飛ばしてきた塩水が頭にザブんとかかって、私は反射的に目をつぶった。少しずつ水に入るつもりだったのに、とんだフライングだ。


「ちょっと……」
 目に染みるじゃないの!
私が顔をしかめてやり返すと、白波さんがきゃっきゃとはしゃぐ。こんな幼稚な遊びで喜ぶなんて、全く精神が子どもというか、なんというか……。


「ふっふーん。私はこれがあるんだもんね!」
 本格的な水鉄砲を取り出した希未(ガキ大将)が舌で唇を舐める。そうして、近くにいた遠野さんを狙い撃ちした。
ビシューーッ
顔面に水流が直撃した遠野さんが女の子らしい悲鳴を上げる。


「ほらほら! 逃げたって無駄無駄ァ! にしし、みんなまとめて水浸しだあっ」
 逃げ出した遠野さんの後頭部、私の頭上、白波さんの白い肌めがけて希未が水鉄砲を乱射する。キャー!キャー!と白波さんが叫んで波打ち際を飛び跳ねた。
それに苛立った私もムキになって水をかけ返す。たちまち私たちの髪は、塩水でぐしょ濡れになっていった。


「……いや~、若いっていいねえ。お嬢さんたち」
 海中の柳原先生の達観した物言いに、泳いでいた松葉がじろりと睨んだ。


「そんなところで何もせずに浮かんで、センセーは一体何がしたいのさ」
「……浜辺ではしゃぐ女子ってのは遠くから眺めてるだけでも癒されないか? 男の夢って奴ですよ」
 そんなことを語りながら、暑さにへばっているはずの雪男は細い目になった。それを聞いた松葉は視線を私の方に向けた後に、
「……もっと深いところで泳いでくる」と、ざぶざぶ波をかいて居なくなった。頭を冷やしたかったのだろうか?


「お前ら、恥ずかしくねーのかよ――ぶっ」
 呆れ顔の鳥羽の顔面に、希未の水鉄砲が命中した。たちまち、頭から全身がずぶ濡れになり、ぽたぽたと雫が落ちていく。


「にしししししし」
「おい……栗村ぁ?」
 鳥羽に怒りマークが出現した。そのまま濡れた前髪をかき、希未をしばこうとする。その腕の範囲からすり抜けた彼女は高笑いをした。
 目と目があった私と白波さんが、一斉に希未に向けて水をかける。そうしているうちに、私たちはやがて誰に向かってそうしていたのかも忘れてしまった。
大きな波がやって来て、傍観していた神龍が波にさらわれる。嬉しそうに笑い声を上げた蛍御前は浮輪で遠くまで流されていった。
まあ、水の神様だから遠洋までいったとしても自力で帰ってくるだろう。その辺りの心配はしていなかった。






「随分とはしゃいでいますねえ」
「流石にお前さんは混ざってはこないか」
 活発に動き回る若人たちを眺めて、東雲は柳原にこう言っていた。それに対し、教員の雪男はサングラス越しにこう応える。八手は浜辺の砂の上で昼寝をしていた。


「……まあ、そういった童心はもうとっくに失ったからな」
「そうかい?」
 静かに語り合う2人は、海の風に吹かれていた。


「というよりも、僕の心は八重に関すること以外は殆ど死んだも同然なんだ。彼女が楽しんでいる姿を見ているだけで、充分すぎるだろう」
「それは難儀なことだな。まあ、せっかくここまで来たんだから泳いでいくのもいいんじゃないか?」
 瀬川みたいに。と、柳原が言うと、東雲は眉を上げる。


「まあ……、もうしばらくしたらな」
 苦笑した妖狐に、観光客の1人がおずおずと近寄ってきた。


「あ、あの~……」
 そう口にしたのは、見知らぬ年若い女性観光客だった。大胆な肌色面積の多いビキニを着た3人組で、一見して女子大生だろうことを推測させる。
……恐らく、ここには男漁りに来たのだろう。
日本海にもこういった人種が存在したことに、東雲椿は驚きを隠せなかった。


「何ですか?」
 青い視線を動かした東雲に、緊張した女性観光客が積極的に話しかけた。


「き、君って外国人なの? すごく流暢に日本語を喋ってるけど……」
「生まれたのは日本です」
 自分たちはアヤカシであり日本『人』ではない。
対外的な笑みを作った金髪碧眼の妖狐に、女性観光客たちは色めき立った。頬を赤らめて、意味深にパチパチと瞬きを繰り返す。


 柳原が、小声で呟いた。
「おお~……、水着ギャルのナンパとは……」
 なんて貴重な。
親しい柳原の目から見て、東雲の表情は決して機嫌のいいものではなかった。どこか鋭利な氷柱を思わせるような危険な冷たさをはらんでいたが、その美しい作り笑顔を向けられたギャルたちはほうっと見惚れている。お気楽なことだ。


 警告したい。そいつの好感度は月之宮八重以外の女には等しく底辺にしかならない、男としては酷い欠陥アヤカシなのだということを。
さあ~って、これはどう転ぶかなっと。
柳原が傍観に徹しようとしていると、女子大生ギャルの1人がこちらにも意味深な視線を向けてきた。


「ねえ、この人も……」
 え、オレにも秋波を送ってくれちゃうの?
予想外のことに固まった柳原を置いて、ギャルたちと東雲は歓談をしている。


「えー、じゃあ、君も県外から来たの!? あたしたちは千葉から来たんだけどぉ~、そう遠くないよね!? これって運命じゃない!? ヤバくない!?」
 ギャルAの言葉に、
「そうですか」と冷やかに返す東雲。


「あたしたち、女の子だけで来たんだけどぉ~、その、所謂一つの恋人募集中っていうかね? でも、できたら君みたいな彼氏とかいいなあって……」
 ギャルBの言葉に、
「そうですか」と冷徹に返す東雲。


「ヤバイよね! マジヤバイよね! こんなにカッコいい男の子、見たことないよね!」
と勝手に盛り上がるギャルAの言葉に、
「ソーデスカ」と半ば棒読みで返す東雲。


「君って王子様の血でも流れてたりするの?」
「知りませんよそんなこと」
 ギャルCの真顔の問いかけに、東雲が不機嫌に返答した。


 どうして妖狐が忌々しそうなオーラを漂わせているのかと思ったら、この事態に気付いた他のメンバーが誰も助けようとしないことだ。
とりわけ、月之宮八重からのアクションが何もない。あったらどれほどいいかと思うのに、これっぽっちもない。欠片もない。表情もない。
……あれ、表情もない?


柳原が違和感を覚えてセピアの視界で二度見をすると、恐ろしくなるくらいに月之宮嬢の顔から表情というものが綺麗さっぱり消えていた。
そうして、ふいっとそのまま彼女の目線が逸れる。
それは普通に考えればクールな態度に思えるけれど、長らく月之宮八重の担任をやってきた柳原には表面だけを取り繕ったヤキモチに見えた。


「おい、東雲さんや……」
 オレ、気付いちゃったんだけど。
 声をかけようとした柳原の目の前から、サングラスが落下する。長く伸ばしたグレーの前髪は、水で隙間ができていて、世間に雪男の顔立ちが露出された。


「あ」
「「「あ」」」
 ボチャン、と変装用のサングラスが水没した音がした。







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