悪役令嬢のままでいなさい!
☆128 浜辺の視線は熱かった
更衣室を出て外を歩くと、砂浜は焼けるように熱かった。
「……あち」
唇を舐めて顔をしかめると、辺りの男の人がこちらを気にしているのが分かった。カップル連れの片割れまで無遠慮な目つきをしている。……あ、同行人の女の人が怒った。
何といっても私の隣にいるのはこの世界の中で一等に可愛い白波さんだ。そりゃそうなるだろうし、予想できていたことだ。
その視線をぶっちぎって進むと、先に着替え終わっていた男性陣と合流した。
「やっほう、おっまたせー♪」
希未の威勢のいい声に、みんなが振り返る。アヤカシたちは1人を除いて全員がサーフパンツを選んでいて、カワウソは競泳用を身に着けていた。
「おっせーよ、お前ら」
「にしし、女子の身支度には時間がかかるんですぅ~。そーいうものなんだから、我慢してよね!」
「はあ? 時間をかけたところで大差なんて……」
鳥羽の視線が、私たちの方に向く。そして、その黒目が白波さんを捉えたところ、大きく見開かれたのが分かった。
「…………!」
口が引き結ばれ、天狗が言葉を失う。そんな彼の様子に、照れ笑いを浮かべた白波さんは、くるっと女の子らしく身体を回転させた。
「えへへ……どうかな?」
文句の付けどころのない可愛さですとも!
お相手の鳥羽が褒めないのなら、女の私が褒めてあげたい! 抱きしめてあげたい! 開いちゃいけない百合の花が咲いちゃいそう!
もう、ガッツポーズをしたいぐらいの心境になっている私をよそに、鳥羽が顔を赤く染めてこう言った。
「……ま、まあ、馬子にも衣裳ってのはこのことだな」
素直じゃない!
「もっと褒めてあげなよ!」
思わず希未が突っ込むと、鳥羽はぎろりと眼光鋭くなった。
「うるっせえな、栗村! お節介するんじゃねえ!」
「おせ……っ」
希未が歯ぎしりをする。
「まご……、馬子って何のことでしたっけ?」
首を捻った白波さんに、遠野さんが波打ち際に裸足で触れながら呟いた。
「馬子とは、蘇我馬子の別名のこと。それぐらい立派に見えるって意味」
「そうなんだ!」
遠野さんのついた嘘八百に、白波さんがころりと騙される。それを聞いた柳原先生が笑いに口元を押さえながら訂正した。
「ぶくく……、白波。今の遠野の言葉は嘘だから、騙されてはいけません。
本当の意味の馬子ってのは、馬をひいて人や荷物を運んでいた昔の職業のことだからな?」
「え!? 遠野さん、私のことを騙したの!?」
驚いた白波さんの表情を見た遠野さんが、しれっとそっぽを向く。パシャパシャと水に足を浸して遊んでいた。
その時、松葉の声が聞こえて私は振り返った。
「……うっ」
付け根を押さえた松葉の鼻から、赤い液体が滴り落ちていく。顔を紅潮させたカワウソは、明らかに私の水着姿を見ていた。
「うっわ~、瀬川ったら鼻血出しちゃったの!? やっぱり八重の水着姿は思春期の男子には刺激が強すぎるんだって!」
「……だ、誰ふぁ思春期だっれいうんひゃよ!」
「そりゃ、瀬川のことに決まってんじゃん。そこで否定しよーとするところが該当者って感じ?」
くぐもった声を洩らした松葉に、希未が容赦のない一言を叩きつけた。その最中にも、ボタボタと血が砂浜に落ちていく。
……これでも露出の低い水着だと思ったんだけど、な。
落ち着かない気持ちで視線を彷徨わせると、青い瞳がこちらを静かに見ていることに気が付いた。
「……何ですか? 東雲先輩」
警戒心を持ちながら訊ねると、東雲先輩はフッと笑顔になった。
白金髪の色は照り付ける日光で更に薄く輝き、前髪は後ろに撫でつけられている。彼の腰は濃い目のブルーのサーフパンツで覆われ、そこから伸びた長い脚はかなり引き締まっている。上躯の腹筋は浅く割れていた。
「よくお似合いですよ、八重」
「……そうですか」
「あえて文句をつけるとすれば……、不特定多数の視線に君のその姿を見せることが惜しいことぐらいですかね」
熱っぽい言葉をかけられて、私はたじろいだ。
「どうします? このまま2人でどこかに出かけてしまいましょうか」
「じょ、冗談云わないで下さい」
私が俯くと、東雲先輩は喉の奥でくつくつと笑いを転がした。
そんなことをしたら、取り残された松葉が何をするか分かったものじゃない。蛍御前だって監視しなくちゃいけないし、私だって暇じゃないのだ。
「それは残念」
そう言った東雲先輩は、ゆるりと海の方を向いた。その方向にはカモメが群れをなして飛んでいて、すごく長閑な光景だ。
「……先輩は、白波さんの方が可愛いとか思わないんですか?」
自分は何を聞いているんだろう。……そんなの、決まってることじゃないか。客観的に比べたらあの可愛さに私が敵うはずがない。妖狐がくれたセリフだって、お世辞だって分かってる。
それでも、ただ……このアヤカシだったら私だけを見てくれるのではないかと思ったのだ。
「それを訊いてどうするんです」
東雲先輩は、こちらを見ようとしなかった。
「どうって……」
「――仮に、僕が白波小春のことを可愛いと評価したら、君の中で何かが変わるのですか?」
東雲先輩のその言葉に、胸がきつく痛んだ。切なさに瞼を閉じると、心がざわついてしまう。
「何も……、何も変わりません。先輩。
でも、今から白波さんの彼氏に立候補するのはよした方がいいと思います! だだだって、白波さんには鳥羽がいるんですよ!? そんな、泥団子みたいになっちゃうのはとても見ていられません……」
……あれ、なんだか涙が出てきそうだ。
なんでこうなんだろう。おかしいな。アヤカシに期待なんかしないって決めたはずなのに……。
「全く、どうして八重が泣きそうな声になってるんですか。
あれだけ態度に示しているというのに、君ときたら僕の発言を一欠けらも信じようとしていない。これほど腹立たしくて、空疎なことがありますか」
東雲先輩の周りの空気が、悪寒がするほどに温度を下げたかのようだった。美しいブルースカイの瞳は冷やかになっており、私の鼓動が跳ねた。
「端的に云うならば、あの娘は僕の趣味ではありません。僕は褒め言葉を安売りするような性格でもありませんし、これまでもこれからも君のことだけを愛してます」
なぜだろう。告白を受けているはずなのに、銃口を突き付けられているのと同じぐらいドキドキした。居心地の悪さにうろたえると、東雲先輩の殺伐とした目と目が合った。
ひいい! これ、かなり怒ってる!
「あ、ありがとうございます……」
「どういたしまして」
引き気味にお礼を口にすると、妖狐は皮肉気に口端を歪めた。そのまま黙り込んでしまった彼の様子を怖々と伺うと、不気味なぐらいの無表情になっていた。
き……、気まずい……。
私が引きつった顔のままに海を眺めていると――不意にどこかからの視線を感じた。
「…………っ!?」
ドロドロとした怨念のような気配に顔を上げると、私と同時に東雲先輩や蛍御前も反応した。ばっと辺りを見渡すも、視界に入るのは海水浴客ばかりだ。
……気のせいにしては、強烈な存在感だったような……。
「……なんじゃ? 今の気配は……」
浮輪を抱えた蛍御前が身震いする。
「……八重。今のは……」
東雲先輩の厳しい眼差しに、私は頭を振る。
「分かりません。誰のものか特定する前に消えてしまったわ」
これでは原因が分からない。
顔をしかめた私たちに、他のメンバーがキョトンとする。
「……どうした? 月之宮に、東雲まで」
八手先輩が訝しんだ。
「今、どこからか物騒な視線を感じたのじゃが……。そなたらは気付かなかったのか?」
「視線だと……?」
蛍御前の説明に、八手先輩は考え込む。
「んなこと云ったって、こんな人ごみじゃあ……」
顔を上げた鳥羽に、背後から女子の悲鳴が上がった。
――きゃああああああっ 振り返ったわよ、あのポニーテール君!
誰か声かけてきなさいよ、ほらっ
一緒にいる男の子、みんなレベル高いわよ! いやん、私もう眺めるだけで、くらくらきちゃう――っ
不特定多数の女子からの煩悩溢れる悲鳴に、さっと鳥羽の頬が赤くなる。
「……おい、原因ってこれじゃねーの?」
ひくひく引きつりながらの天狗の発言に、私はどこか違和感を覚えた。……確かに熱い眼差しは無駄に注がれているけれど、こんなオーラだったかしら?
「ま、人の目なんて気にするだけ無駄だって」
希未が膨らませたビニールボールを持ちながら、肩を竦めた。ちなみに、松葉はまだ鼻血が止まっていない。そろそろ心配になってきた。
「それよりも、浜辺でビーチバレーでもしようよ! 賭けはあの露店のかき氷でどうかな?」
にしし、と悪どい笑いを洩らした希未の提案に乗ったのは柳原先生だった。
「おっ、それはいいな!」
「年がら年中いつでも氷ぐらい自分で作れるだろうに……何で乗り気なんだ。柳原」
「いやー、こういう景色で食べるかき氷ってのは乙なものだろう。それに、オレにとってはこの浜辺は暑くてかなわんわ」
東雲先輩の呆れたため息に、柳原先生はダルそうに語った。
「……自信がないのか? 東雲」
八手先輩の挑発に、東雲先輩が青筋を立てる。
「……誰が自信がないだって?」
鼻血を拭きとった松葉が、騒いでいる背後の女の子たちに期待のこもった目を向けた。
「ば、バレーボールなら、ボクだって得意だもんね!」
チラッチラッとさりげなく周りの反応を確認している。それに対し、キャーキャー騒ぎ立てている女子達の熱気のこもった視線は鳥羽と東雲先輩と八手先輩で独占されていた。
そのことにカワウソも気づいたのだろう。
「…………チッ」
黒いオーラを放って舌打ちをした松葉に、蛍御前がニヤニヤ嗤う。
「見事にモテない男じゃのう? 松葉」
「ボクにはご主人様がいるからいーんです」
いや、アンタ普通に逆ナンされる気満々だったじゃん。松葉が誰とくっつこうと私にはあずかり知らぬことだけどさ……。
「松葉、アンタ実は女なら誰でもいいんじゃ……」
「いや、そーいうわけじゃないって! 遊びは別腹っていうか、えーっと!」
私が冷え切った視線を向けると、松葉は半笑いで顔を背けた。
「そーいうこと!」
清廉潔白な性格をしていないことは知っていたけれど、ちょっと失望だ。腕組みをしてソッポを向くと、私は希未からバレーボールを受け取った。
「私、松葉とは違うチームがいいわ」
「ええ!?」
松葉が焦った表情になる。
「じゃあ、八重は僕と組みますか」
「オレでもいいぞ」
東雲先輩と八手先輩の申し出に、私は笑顔で了承しようとすると、希未が慌てて叫んだ。
「ダメダメ! 組み分けは公平にじゃんけんしないと!」
「えー……」
ケチ。
唇を尖らせた私たちに、希未は腰に手を当てた。
「そうしないと、そっちのチームだけ強くなっちゃうでしょ! ほら、みんなも手を出して! じゃーんけーん……」
ぽん。
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