悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆120 ヒロインの涙にずるさはない





 切れた息で、ようやく安心できたのは40分後のことだった。


「はあ、はぁ、はぁ…………」
 ……ああ、手のひらが汗でびっしょりだ。
今回の闘いで死ぬことはないと分かっていたけれど、それでも肝が冷えそうな思いだった。
ようやく元の色に戻った湖に、ホッとする。


「お嬢様! 大丈夫でしたか!?」
 駆け寄ってきた山崎さんが、走っている途中でキャンプ場の管理人に捕まる。
「説明して下さい! これは一体どういう事情なんですか!」


 このオジサンは最初から全て目撃していた為、訳の分からない非日常に混乱しているのだ。
何て説明したらいいのだろう……。頭が痛くなっていると、水で服を濡らした東雲先輩が咳払いをした。


「八重。この人には、映画撮影とでも誤魔化しておけばいいでしょう」
「それは無理があるんじゃ……」


「いざとなったら、蛍御前に催眠術でも使ってもらえばいい」
 想像してみる。このメンバーが映画のエキストラだと言われて、素直に信じられるだろうか? 主演、白波さん。相手役、鳥羽。敵役、私と東雲先輩。監督、柳原先生。
……うん、容姿のレベルだけなら信じられそうかもしれない。


「これは、色々と事情がありまして……」
「じじょう!? どんな事情なんですか!」
 冷や汗の山崎さんに絡んでいるオジサンに、東雲先輩が爽やかな笑顔を浮かべて近づいていく。抜け抜けとこう言い放った。


「突然のことで申し訳ありませんでした。実は、僕たちはプロモーション映像のゲリラ撮影の練習をしていたところなんです」
「プロモーションビデオ……ですか?」


「ええ。最新鋭の3Dプロジェクターの投影映像だったのですが、迫力があったでしょう。あくまでも生の反応を参考にしたいと思ったのですが、お騒がせしてしまったようですみません」
 そんな都合のいいプロジェクターなんかこの世にありますか。
口八丁で丸め込んでいく東雲先輩に、だんだんキャンプ情の管理人も騙されていくのは見事なものだ。


「そう……そうですか! わははは! いやあ、最近の技術は凄いものですなあ! まるで目の前に怪物が実在していて、今にも喰われるかと思いましたよ!」
「つきましては、今回の撮影のことは内密にお願いしたいのですが……」


「いいですよ! ところで、結局これは何の撮影だったのですか?」
 そうオジサンに聞かれた妖狐は、しばらく押し黙る。


「……そうですね、新人アイドルのプロモーションビデオですよ。綺麗な子が多いでしょう?」
「なるほど! 確かに皆さん整った人ばかりですなあ!」
 その時、山崎さんが懐に手を入れた。


「この度はご迷惑をおかけ致しましたこと、申し訳ありませんでした。つきましては、これぐらいの金額で手打ちにしていただけるとありがたいのですが……」
 耳打ちされた額に、目撃者のオジサンがうろたえる。


「そ、そんなにいいのですか……」
「はい。あくまでもこちらの都合で起こった出来事ですからね。どうぞご自由にお使い下さい」
「これはこれは……」
 完全に金銭で目撃者を黙らせた山崎さんは、ふっと笑顔を浮かべた。
これはこれでアリなんだろう。鮮やかで清廉な手腕かどうかはさておき。お金は便利だ。重宝で有用で実用的だ。奈々子があれほど愛している理由も恐らくここにあるのだろう。
 お金だけの人生は虚しいかもしれないけれど、かといって愛情だけの人生を私は選ぶことができるのだろうか?
この月之宮家に生まれた私が何もかもを捨てて誰かと逃避行したいと思う日が来るというのだろうか?
 ……そんなの、想像もつかない。


「やれやれ、これで一件落着ですか」
 東雲先輩がこちらにウインクをしてきた。それに複雑な心境になっていると、鳥羽が白波さんに小声で怒鳴りつけた。


「じゃあ、お前のせいであのミドリムシは巨大化したっていうのか!」
「ご、ごめんなさい……」


「……お前の頭は空っぽか? それは飾りでしかないってか? どれだけ周囲に迷惑をかけたのか分かってるのかよ!」
「ふええ……」
 キレている鳥羽に、白波さんはひたすら泣きだしそうにしている。その近くにいた希未が、天狗を宥めにかかった。


「まあまあ! 白波ちゃんもわざとやった訳じゃないんだし!」
「わざとやられてたまるか!」


「いやまあそーだけど! 誰だって、口が滑ることぐらいあるじゃん! それが、ちょっとした怪物誕生に寄与してしまっただけでさ!」


 遠野さんが、希未の言葉に笑い出す。
「……あれは、どー考えてもちょっとしてない、と思う」


 柳原先生も苦笑いしていた。
「栗村は大物だな。まあ、被害が無かったから良かったものの、白波にはくれぐれもこれからはミドリムシに気を付けてもらいたい」
「……一歩間違えたら大惨事」
 一歩というか、一言?




「――もうしません! …………しないから、見捨てないで……っ」


 泣きだしてしまった白波さんに、鳥羽がぎょっとする。誰よりも彼女を守ってきたのはこの天狗であるはずなのに、いざ涙を見たらまごついてしまったらしい。


「誰かに見捨てられるのは、嫌だよお……っ」
 学校の落ちこぼれである白波さんの慟哭に、私は自然と身体が動いた。


「――大丈夫。私はあなたのことを捨てたりしないわ」
 ――この友達が大事だ。
 ぐずでうっかり屋で、いつも皆に不器用な笑顔を見せる白波さん。彼女に対して友情を感じてしまった私は、優しくその頭を撫でてあげた。
メリットとデメリットだけじゃ測れないほどに、私はきっと白波さんから何かを貰っていて、それは言葉では表せない癒しになっている。


「本当……?」
 その声に私が穏やかに笑顔を見せると、白波さんは鼻をぐずつかせる。泣き虫な神子フラグメントに、遠野さんが堪えきれなくなったようにこう言った。


「……泣いて、るんじゃないわよ」
 遠野さんが、そっけなく話す。
「……白波は、いつだって笑ってる。……アンタはそーしていればそれでいい」
 それって……。


 白波さんが、その言葉に睫毛を上げた。
「……ひっく。でも、私、本当に役立たずでしかなくって……」


「……それは、今に始まったことじゃない」
 フォローになってない!


「だって……、だって……」
 白波さんの繰り返す「だって」に、私は困りながらも呟いた。


「あーあ。私、なんだか甘い苺が食べたくなっちゃったなぁ……」
「え」、と白波さんの涙が止まった。


「きっと白波さんなら、美味しい苺が育てられるんじゃないかしら? 前に希未が云ってたじゃない。その神子の力はガーデニングチートだって」
「苺を、私が育てる……」


「そう。今回みたいに暴走させるだけじゃなくって、何かを育む為にも使えるはずだわ」
 白波さんが目を瞬かせた。




「まあ、不可能ではないですね」
 東雲先輩が呆れ顔でそう言った。


「……けれど、八重。君はそれでいいんですか」
「え?」
「白波小春には神子フラグメントとしての資質が圧倒的に足りません。今のままでは、いずれ何らかの形で歪みを生むことでしょう。そうなった時に、君は後悔しませんか?」
 妖狐の警告に、胸がざわめく。
心細さと不安に襲われて、こうして立っているのが怖くなった。


「私は――」
「月之宮さん!」
 白波さんが、真剣な表情で私を上目遣いに見た。


「わたし、頑張って甘くて大きな苺を作ります! それが皆の為に私ができるお礼になるのなら……何があったって後悔なんてしませんっ!」
 その瞳には、意思の強さが宿っている。


 柳原先生が、深くため息をついた。煙草に火をつける。
「なあ、白波……。オレには何が教え子にとって最善なのかはもうよく分からないんだが……。
その力を使うことは身を削るようなものなんだ。なんせ、元は神様の異能なんだからな。それを人間の身体で使うことは土台不自然なことだ。
あまりヒントはあげられないが何がいいたいか分かるか?」
 白波さんが、頷く。


「オレは、お前さんにも担任としてちゃんと幸せになって欲しいと願ってるよ。
月之宮と引き比べて落ち込むのは仕方ないが、焦る必要なんてないんだ。迷いながら進んでいけばいいし、立ち止まっても怒りゃしないよ。
そもそも、特技なんてない人間の方が多いんだから」
 炎天下の井戸水のように心に染みわたる雪男のセリフだった。


「特技は、ない人間の方が多い……」
「そうだ。どんなに凄い奴だって、自分1人でできることってのは案外限られているものだ」
 人類史に残るような偉業を独りぼっちで達成した人間なんていない。
人は1人では生きられないし、どんなに強がっても人肌を求めないではいられない。
だからこそ、『寂しさ』を恐れる感情が生まれていくのだろう。


 しょーがないなぁ、と希未は両肩を上げる。
「もう、白波ちゃんったらそんなに泣かないの。まったく気が小さいんだから。あー、こんなに泣いちゃって……。鳥羽のせいだからね!」
 明るい茶髪の希未の言葉に、鳥羽が取り乱した。


「は!? 当たり前のことを云っただけじゃねーか! 俺の扱いはイジメっ子かよ!」
「ほら、鳥羽も謝りなよ」
「謝る意味が分からねえよ!」
 視線を合わせないようにした鳥羽に、希未が絡んでいる。女の子の涙には慣れていないようだ。私が白波さんに花柄のハンカチを差し出すと、可憐な彼女はそれで目元を拭った。




 これ以上の慰めの言葉を私が口にした方がイヤミになるのだろうな、といった予感はあった。


 そういった受け取りをするような子ではないことは理解しているのだけれど、今は素直な気質のヒロインの胸中に嫉妬が芽生えてしまったら……。
どうしよう。そうなったら泥沼になるかもしれない。
 私は、もうすっかり白波さんと接することが心の癒しになっていた。それは、美味しいケーキ屋のお菓子を口にするような甘露にも似ていて、麻薬じみた常習性のあるものだ。
 友達。…………。
せっかくできた友達を切り捨てるのは、とても辛いことだ。私の友達なんて滅多にできないし、彼女のように私の裏家業を知っても豹変しない存在はとにかく貴重なのだ。
 もう、友達を失いたくない。
 どんな形であれ、白波さんとサヨナラなんてしたくないんだ。
みんなで幸せになろうと約束したことを思いだして、なんだか私は切なくなった。







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