悪役令嬢のままでいなさい!
☆116 フランツ・カフカはとても細かい
「…………ハッ」
起きたときには、既に大半の道中は終わっていた。
口元のよだれは……、良かった。垂れてない。
頭を起こすと、なんと車内の殆どのメンバーが寝息を立てていた。この極上の椅子によって眠くなってしまったらしい。
私の隣の白波さんは可愛い寝顔をしているし、柳原先生と遠野さんは互いに寄り掛かるように眠っている。鳥羽や松葉は夢の中。東雲先輩は神妙に文庫本を読んでいる。乗り物酔いはしないのだろうか。
蛍御前は最初に座った席から移動しており、希未と携帯ゲームをやっていた。
「あっ……、これではもう手詰まりじゃの。希未や、打開策は何かないか?」
「キャラは自分で動かさないと何とも言えないな~、やっぱRPGってそーいうもんでしょ」
「そうか」
「攻略を調べてもいいけど、スマホだと細かすぎてイヤなんだよね」
「だったら、しばらくこの階層をうろつくしかないかの」
こんな会話をしながら、平和に2人でRPGゲームを遊んでいたようだ。
寝ぼけまなこの眼をこすりながら、私は彼らに訊ねた。
「……今、どの辺り?」
「あ、八重起きたんだ。おはよ~」
手をひらひら振られて、少し自分が恥ずかしくなる。
「……ええ。なんだか眠くなっちゃって」
「こんだけ快適なら、しゃーないって。私はバッチリ寝てきたから大丈夫だったけど、みんな爆睡してるもん」
希未の慰めに、私は仄かに笑う。
「えっとね、今はもう県内に入ってるかな。あとちょっとで着くみたい」
希未の言葉に窓の外を伺うと、鮮明な緑色が視界に飛び込んでくる。
「うわっ、田んぼが広がってる!」
普段見慣れた高層マンションやビル街などは完全に拭い去られ、車外の風景は一軒家と稲が伸びた田園、白と緑の山脈が描線をとっている。
私が仰天しながら窓から景色を眺めていると、山崎さんが明るく笑い飛ばした。
「街中に暮らしているお嬢様には珍しいでしょう。この辺りでは稲作も盛んに行われているみたいですねえ。まあ、リゾート地とは名ばかりのド田舎ですわ」
「ド田舎……」
何故だろう。その言葉に、オシャレ度がぐっと下がった気がするのは。
「もう、山崎さんったらそーいうこと云わないでよ! 綺麗な風景が野暮ったく見えるじゃん」
希未が唇を尖らすと、運転をしている山崎さんはあっはっはと大笑いした。
気のせいか、道路もかなり広くなっているように思える。田舎ならではの土地の広さ故だろうか。
「……う……ふにゃ?」
こっくりこっくり舟をこいでいた白波さんが、目を覚ました。
「えっと……、ここは? あれ、バスの……中?」
「そうよ。バスの中」
「あれ……わたし……」
しばらく寝起きで記憶が錯綜していたらしい白波さんは、餌を探すリスのように顔を動かして身動きをすると、ぼんやり宙を眺めた。
「あっ、そっかぁ……。私、みんなと旅行に来て、それで……。えへへ」
白波さんは頬を緩めると、上目遣いに私を見た。
「お話する予定だったのに、すっかり寝ちゃいました、ね」
「そうね。それはちょっと残念だわ」
何を言っているのだろう、私は?
反射的に口にしてから、自分で驚いた。白波さんとお喋りができなくて残念ですって?
それじゃあまるで、私と白波さんが仲良しこよしの本物の友達みたいじゃないの。マジと読んで真剣と書くあの感じ!
流石にデレすぎでしょう、自分。これまで色々な共通の思い出を作ったからって、こんなに易々と攻略される予定じゃなかったはずなのに。
「わぁ、外がすっかり緑になってる!」
完全に起きた白波さんも私と同じように驚くと、東雲先輩が座席の奥でくっくと笑い出した。文庫本で口元を隠しているけれど、笑いたければ笑えばいい。
その青い瞳が何か言いたそうに私の方を向いていた。気付かないふりをして顔を背ける。なんだか後ろが気になるけど、無視よムシ!
「お嬢様、そろそろ昼食の時間ですがこの辺で蕎麦でも食べませんか?」
「このバスで入れる蕎麦屋があるの?」
「そこは調べてありますって。少し歩きますが、情報によると美味しい処があるんです。そこにしましょう」
山崎さんはそう言って、大きくハンドルを切った。
「お蕎麦! いいですね!」
白波さんが嬉しそうに笑う。
「文句はなーし。こんな機会でもなけりゃインスタント以外の蕎麦なんて茹でないし?」
希未の言葉に、ゲーム機を持った蛍御前が不敵に言った。
「妾は蕎麦にはうるさいぞ。この舌をうならせる味の店があるかのう?」
めんどくさい神龍だなあ。
「そうですねえ。蕎麦は七割でも美味しいところはありますし、そこは食べてみないと分からないでしょう?」
山崎さんがそう言うと、蛍御前は頷いた。
「まっこと、そうじゃな。じゃが、妾はやはり十割蕎麦の香り高さはたまらんのう」
「今日行く店は、十割ではないんですよねえ。ですが、評判はすごくいいんですよ」
「そうか。それは少し残念じゃの」
蛍御前と山崎さんの会話を聞いた白波さんが不思議そうに瞬きした。
「あの……さっきから出てくる七割とか十割って何のことですか?」
「ああ、今時の若い子は知らないんですね。そば粉ってのは、性質としてまとまりにくいものなんです。よっぱどの達人じゃない限り、何割かまぜものをして打ちやすくしてあるものなんですよ」
「そうなんですか」
山崎さんの説明に、白波さんが頷いた。私はそれにため息をつく。
「私は別に、七割だろうと八割だろうと気にしないわ」
「お嬢様がそう云ってくださると、こちらとしては案内しやすくて助かりますよ」
それならそれでいいんだけど。
私が窓の外に視線をやると、田舎の風景が流れていく。しばらくそれを眺めていたところ、白波さんから声を掛けられた。
「あの……、月之宮さんって今までにもこの別荘に来たことがあるんだよね?」
「そうね。避暑で子どもの頃に何度か来たことがあるわ」
私が答えると、白波さんが笑顔を浮かべる。
「じゃあ、その時にもお友達とかを連れて来たりしてたのかな……」
ぐ。なんて答えにくい会話だろう。
「そ、そうね! その時も大賑わいだったわ!」
嘘である。
私が口から出まかせで大見得を切ると、山崎さんがニコニコ笑顔でこう言った。
「お嬢様、嘘はいけません。私が知る限り、奈々子さん以外のご友人と別荘に向かうのは初めてじゃあありませんか」
「ちょ、ちょっと! 山崎!!」
私が軽い悲鳴を上げると、バスの奥にいた東雲先輩が忍び笑いを洩らした。
山崎さんの言葉を聞いた白波さんがぱあっと顔を明るくする。
「それって、お友達で招待されたのは私たちが初めてってこと!?」
「勘違いしないでちょうだい。あくまでも、あなたたちは奈々子の次よ」
「その奈々子さんって誰なの?」
「……別の学校に通ってる、遠い親戚の女子よ」
語るに落ちた私に、ゲームを覗き込んでいた希未は涙を拭う真似をした。
「八重ったら……、その様子じゃ私と出会うまで親戚の女の子しか友達がいなかったんだ……」
「……悪かったわね」
私がむっとすると、白波さんが抱き付いてこようとする。
「月之宮さん! 大好き!」
「ちょ、ちょっと!」
熱烈なハグに私は動揺する。
ええい、鬱陶しい!
「あー、いいな。白波ちゃん。私もなんだか無性に八重をむぎゅーって抱きしめてあげたい気分だよ」
希未が羨ましそうにこちらを眺めている。
アンタまで参加したそうにしてるんじゃないわよ!
「……んにゃ? なんか、ボクの恋愛センサーに八重さまへのセクハラチャンスが引っかかったような気がするんだけど?」
寝ぼけ眼で妙なことを口走った松葉が、目元をこする。
そんなセンサーはゴミ焼却場で捨ててしまえ。
「せ、セクハラチャンスって……、そんなことしてませんよね!?」
「……あの、それはいいから。早く放してくれないかしら?」
白波さんが慌てて抱きしめていた私から手を離す。ようやく自由になれて息をついた私は、松葉に冷やかな眼差しを向けた。
「むにゃむにゃ……これって夢かな……あー、ご主人様の冷たい視線、マジゾクゾクする。これはこれでいいかも……」
「お前はいい加減に目を覚ませ!」
シュバッ
東雲先輩の投げつけた文庫本の角が、松葉の眉間にめり込んだ。その鋭い一投に、私は空気が震えたのを感じる。
「い、いった――!」
「あ、しまった。大事な文豪の本をつい投げてしまいました」
ポロリと落ちた本の背表紙には、フランツ・カフカ全集と書かれていた。
手が滑った東雲先輩がハッと我に返ったのと同時に、目を覚ました松葉が怒りの眼差しになる。
「おい……、そこの狐? せっかくいい夢を見てたのに、何してくれるんだよ!?」
「これは謝らなくてはいけませんねえ…………この文庫本に」
「違うだろ! そこはボクに謝罪するところだろうがよ!!」
2人が喧嘩している隙に、通路に落ちていた文庫本を拾い上げてパラパラめくってみる。すると、びっしり詰まった細かい文面が表れて、思わず私は唸った。
ふーん、『変身』か。
私だったら文庫本では読まないかな。読むのに疲れそうだし。
「……わあ、目がまわりそうな文字の細かさですね!」
白波さんに見せると、彼女はこう言った。
「この作者のフランツ・カフカって知ってる?」
「有名な人なんですか?」
「死んでからそうなった作家さんね。ユダヤ人の生まれで、写真ではけっこうイケメンよ」
「そうなんだ」
白波さんは、私の言葉にふーん、と相槌を打った。
「噂では、カフカが仕事先に軍用ヘルメットを着けていったお蔭で、事故対策のヘルメット着用が工事現場に広がったらしいわ」
不確かな都市伝説だけどね。
少しでも白波さんが興味を持てるようにこんな話題を披露すると、彼女の目に輝きが宿った。
「え、そうだったの? じゃあ、心配性な人だったんだ?」
「まあ、デリケートな方だったんでしょうね」
ちょうど松葉と真逆なタイプだと思う。
チラリと式妖の方を見ると、バスの中だというのに東雲先輩に向かって吠えていた。その声を聞かないフリをしていた妖狐は、文庫本を手にした私へ平然と微笑む。
「カフカが気になりますか? 読むのなら貸しますよ」
その言葉に、迷いながら白波さんと目を合わせる。彼女は、顔色を悪くして頭を横に振った。
まあ、白波さんに読めるとは思ってなかったけど……。
「……遠慮しておきます」
「そうですか。それは残念」
この文庫本を読んだら目が悪くなりそうだ。
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