悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆110 帰り道は陰鬱な雨が降っていた





 社の鍵は何故か東雲先輩が持っていた。
 ちょっと待ってよ、管理人は明らかに別の人でしょうに。
どこから調達したのかも定かではない鍵をポケットにしまい込んだ東雲先輩は、端然としていた。咎めようにも、笑顔で黙殺されてしまう。
 中は意外と埃っぽくなくて、誰かに掃除された跡があった。
 松葉が運んできたお菓子を床に広げていると、蛍御前がうっとり床板に寝そべった。身体の前面をすりつけている。
水色の毛長ダスキンモップの完成だ。


「はふう……、社じゃあ。社の匂いじゃあ……」
「そんなに禁断症状が出てるんなら、自分の住処に帰った方がいいんじゃありません?」
 思わず私が呆れながら呟くと、蛍御前は陶酔した金の眼差しをこちらに向けてきた。


「帰ろうにも、妾の社暮らしは参拝者も来ないし恐ろしいほど暇なのじゃよ」
「なるほど、ある意味で静謐な生活ということですね」
 蛍御前の返答に、東雲先輩が納得して言った。


「この龍にそんな言葉は似合わないだろ」
 松葉がせせら笑う。
カワウソは置いてあったポテチを開封すると、まとめてつまんでパリパリ食べた。


「あぁ! 妾のお菓子を食べおったな!」
 ショックを受けた蛍御前は体勢を立て直すと、ポテチの袋を取り返そうとする。松葉はからかいながらそれを持って逃げようとしたけれど、騒ぎを見た東雲先輩に容赦なく殴られて、鮮やかに回収された。
 涙目の蛍御前は、手渡されたお菓子を大事に抱きかかえる。
 ……意地汚い。


「あの……、それで、神様について教えていただけるんでしたよね?」
 私がこめかみを押さえて問いかけると、蛍御前はポテチをかじりながら頷いた。


「そうさの」
「では、教えてください」
 口の周りに食べこぼしをつけた蛍御前は平らな胸を張る。


「まず、前提から教えるがの。この世界の『神』として神力を身につけた存在に至るには、何通りかのパターンが存在するのじゃ。
まず、神として生まれたモノ……『生来神』」
 生来神。何度か聞いたことのある言葉だ。


「最も高貴な神の中の王族ともいえる存在じゃよ」
「生まれながらの神様って、……このことですか?」
 私が訊ねると、蛍御前は肯定した。


「この生来神はのう……ギリシャ神話や古事記に出てくる有名な神たち、『神族』という人外の種族のことなのじゃ。この中には龍なども含まれる」
「え、種族!?」
 アヤカシのように動物や無機物の残留思念から発生したのではなくて、そういう種族なの!?


「はるか古には積極的に人間の文明と交流していた時代もあったのじゃがのう、神の超常的な力を巡って国が荒れることが余りにも多かったものじゃから、その予防策として神族共通の約束事として人類史への不干渉原則が制定された。
人間に神の欠片を奪われて惨殺された神族の子どももおったからの、これは必然であったともいえよう。
先の世界大戦も全て人間が引き起こしたことであり、神族は関わっておらん」
 蛍御前の言葉に、私は手を挙げて質問をした。


「あの、じゃあ蛍御前って前世がトカゲだったわけではないんですか?」
「妾は龍じゃ! トカゲ風情と一緒にするでないわ!」


 じゃあ。


「先祖が恐竜だったりとか……」
「竜ではなくて神龍じゃ! そもそも、恐竜の末裔は鳥類じゃろ!」


 つまり。


「蛍御前は鶏の仲間ってことですか?」
「そなたわざと言っておるな!?」
 しまった。からかっているのがバレたみたい。
 金の瞳が怒っている。東雲先輩が爆笑を堪えているのが視界に入ったけれど、それをスルーして……。


「……つまり、蛍御前はその生来神ってことでいいんですね?」
「そうじゃ」
 むくれた蛍御前は、腕組みをした。


「――つまるところ、妾は神の中のゴッデス! 選ばれし神族の申し子!! すんごく高貴で素晴らしい存在なのじゃ!!!」


 松葉がボソッと呟く。
「とてもそうは見えないけど」
「何か言ったかの?」
「べっつにー」
 蛍御前がじとっと睨むと、半笑いの松葉はごまかした。


 ようやく笑いの波が通り過ぎた東雲先輩が、咳払いをする。
「次は、アヤカシや人間が祀られて神になる場合……『化生神』についてですね。もうお分かりかと思いますが、僕が神に成っていたことはこれに分類されます」


 化生神?
初めて聞く単語に、私は耳を傾けた。


「僕らアヤカシや人間が神様と呼ばれるものに変じるには、幾つか条件を満たす必要があります。八重ならもう分かるのではありませんか?」
 私は、不安を感じながらも口を開いた。


「えっと……まず、神主が必要だと思います」
「なるほど、そして?」
 カワウソを祀ろうとした遠野さんのことを思いだした私は、記憶を遡った。


「後は、神社などの敷地や建物と、信仰も必要だと思います」
「模範解答ですね。正解です」


 よくできました、と東雲先輩がにこりと笑う。
「この条件を十全に満たすことができれば、僕らアヤカシでも神になることは理屈の上では可能です。……ただし、神になるほどの信仰を集めるには一苦労ではありますが」


 妖狐は冷やかな目で松葉を見た。
……なるほど、それが確かだとするならば、春にカワウソがしでかしたことはただの詐欺行為でしかないかな。


「それから、残る1つは『願成神』です」
 これも聞き覚えはない。


「これに分類される神々は、人間の願いや祈り、救いを求める気持ちから生じます。八百万の大半は願成神なのですが、力が弱いことが特徴ですね」
「……それってアヤカシが生まれる過程に似てませんか?」
 私の問いに、東雲先輩は苦笑する。


「似ているようで異なりますよ。アヤカシの場合は大抵が一個体の残留思念から発生するものですが、願成神は集団の信仰意識から生まれます」
 蛍御前も補足する。


「よって、この両者は死に方も異なるのじゃ。アヤカシは心臓にある残留思念核を砕かれるか、死んだと思った瞬間に絶命するのじゃが、この願成神は哀れなことに向けられた信仰を失ったときにも消えてしまうのじゃ」
「……死ぬのではなくて、消えるのですか?」


「そうじゃ。信仰を失った願成神にまつわる記憶は、人間やアヤカシの頭から無くなってしまうのじゃ。
それは弱体化し始めた時から進んでいき、完全に消失した後は関わった者たちの思い出にすら残ることはない」


 私は蛍御前の言葉に冷水を浴びたように竦んでしまった。
 ……それじゃあ、余りにも可哀そうだ。


 松葉もため息を吐く。
「救いは、神にまつわる者――神族や神に成った事のあるアヤカシの記憶には残ることだろうね。……だけど、願成神の場合は神主もまずいないから……」
 願われて生まれては、人知れず忘れられて世界から消えていく。


 私の心が切なく苦しくなった。
それは救いのうちに入るのだろうか。


「妾にも、今はもうこの世にはいない願成神と知り合いだったことがある。……あれが消える時まで、正直、その話は信じておらなんだ」
 ……あれは辛いぞ。本当に、妾以外の全人類やアヤカシがその願成神のことを綺麗さっぱり忘れてしまったのじゃから。
 そういった蛍御前は、どこか重苦しい表情をしていて……。
 ……社からの帰り道は、ただ、陰鬱な雨が降っていた。







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