悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆109 夏になった廃神社で



 夏になった廃神社は、長く茂った雑草がよく目立った。
境内の要所には草が生えていないけれど、杉の木が植えられている木立の足下はイネ科の雑草で一杯だ。


「ここにはしばらく来ていませんからねえ……。八重、そこの草で脚を切らないように気を付けて下さい」
 几帳面な東雲先輩は、廃神社の有様を見て嘆息した。


「ふうん、ここに狐が住んでたのか……。一体宮司は誰だったのさ?」
 松葉が小馬鹿に言って、辺りを見渡す。そのオリーブ色の瞳は何かを探るようだ。


「さてね。もう忘れてしまいましたよ」
「嘘つけ!」
 質問を流そうとした東雲先輩を、松葉がじっと見据えた。


「この辺りの古くからの権力者なんて月之宮家しかないじゃないか! お前、八重さまの家とどんな因縁で繋がってるわけ?」


 私は松葉の言葉に驚いた。
「え、うちは宮司なんてやってなかったはずよ?」
 これは嘘ではない。もしも東雲先輩をうちの家が祀っていたのだとすれば、もっとこの場所は私に馴染み深いところとなっていたはずだ。


「それを聞いてどうするんです?」
 東雲先輩は冷たく笑った。


「別に……、どうという理由もないけどさ。もしも、お前が神を辞めさせられたことで人間を恨んでいるんだったら、八重さまが危ないだろ」
「ほう? 僕が八重のことを傷つけるとでも云いたいんですか?
それこそ神に成り損ねたカワウソの考えそうなくだらない思考ですねえ?」
 松葉と東雲先輩の間に緊張が走った。2人とも口元がひくついている。


 ここには見られて困るような一般人はいない。合図もなく、互いに指先に霊力をまとって鋭い爪を生やした。
――彼らの殺気に、私が一歩後ずさる。


「ま、勝負は見えておるがの」と、蛍御前は戦い始めたアヤカシ2名を見て、呆れながら呟いた。


「――はっ」
 松葉に掌底をいれ、その全身を草むらに吹き飛ばした東雲先輩は、両手を軽やかに打ち払った。目は据わっており、まだ殺気を滲ませたままだ。
「弱い奴ほど想像力が豊かで困りますねえ……これの云ったことは、くれぐれも信じないように」
 妖狐の吐き捨てた言葉に、私は震えながらも激しく頷く。


「特定の人間への恨みつらみが欠片もないとは云えませんが、僕が可愛い八重に復讐するわけがないでしょう。もしそのつもりだったのなら、こんな回りくどい生き方なんかしていません」


 ……やっぱり腹に据えかねていることは何かあるんだ!
東雲先輩のイラついたセリフを聞いた私は、義兄が国外逃亡したのは正しかったのではないかと一瞬考えてしまった。


「……のう、」
 怯えている私と怒っている東雲先輩に、蛍御前が語り掛けた。
「のう、この桜……もしやアヤカシに変じかかってはおらぬか?」


 神龍が驚きながら見ているのは、以前に説明を受けた桜の大木だった。確かこれは、小さな神様への恋心でアヤカシに成ろうと頑張っている、伐採される予定の桜だったはず……。
 ふらりと近づいた蛍御前は、桜の木の幹を撫でた。


「……何をやっているんですか?」
私が不思議に思って訊ねると、蛍御前は金の目を伏せた。……彼女は何も答えない。


 吹いて来た風が、梢の葉をざわめかせた。
……奇妙なことだけど、この時の私はこの水色の髪をした神龍が何かの神聖な儀式を行っているように感じられた。舞っているようにも……祝詞をあげているようにも見えて、五感に訴えかけてくるものがあるのだ。


「いってて……」
 太い杉の根元に叩きつけられ、地面にのびていた松葉が身を起こす。


「チッ、もう少し寝ていればいいものを」
 東雲先輩が舌打ちをして、痛烈なことを口にした。蛍御前は何も反応を見せない。全神経を桜の方に集中させている。


「……ん? あれ? 蛍御前は一体何やってるの?」
 松葉が訝しげな表情で神龍を見た。東雲先輩は頭が痛そうだ。


「一時でも神に成ったことがあるんだから見れば分かるだろう。分からないのならば、黙って見ていろ」
 そう言われた松葉が不満そうな顔になる。この様子だと、主の私と同じく式妖も蛍御前の行っていることが分からないようだ。


 私は、なんだか黙ってこの光景を見守っていたかった。意味が分かっているわけではないのだけれど、この桜の慰めとなるのではないかと気付いたのだ。
一目惚れした神様が姿を消していたとしても、蛍御前だって神様の1人であることには変わりない。だったら、乾いた地面が水を吸うように、この桜も喜びを感じているのかもしれない。
 ――そうだとしたなら、私は嬉しい。


「…………」
 睫毛を下に向けていた蛍御前は、この社に満ちる空気を吸い込んだ。そうして、少し切なそうにこう呟く。


「そうか、そのようなことが……」
「?」
「いや。そなたの責任ではない。例えアヤカシになれなかったとしても、そこまで自分を責めることはないぞ」
 桜へ囁いた蛍御前は、ため息をついた。


 ……もしかして、この神龍は桜と会話ができるのだろうか?
私の胸に去来したその推測に、何を話していたのかを聞いてみたい衝動にかられそうになった。けれど、それよりも先に問い詰めたのは松葉だ。


「お前……、この桜と会話ができるの?」
 茫然としたカワウソに、蛍御前は笑い飛ばした。


「ここに滞留している記憶や思念を読み取っただけじゃ。人の願いに敏感な『神』に成ったことがあるものならば、それぐらいできて当然なんじゃがのう?」
「そうですね。この程度のことなら僕にもできますよ」
 東雲先輩が眉を上げると、松葉は喚いた。


「どーせ、ボクは正式な神に成ったことはないよ!」
 くくく、と蛍御前がおかしそうに失笑した。それを見た松葉がやさぐれた表情になる。彼らの会話を聞いていた私は、ふと1つの疑問が浮かんできた。


「あの……、蛍御前は生まれついての神様なんですよね?」
「そうさの」
「でも、東雲先輩は元はアヤカシだと思うんですけど……。神様って、一体どういう存在なんですか?」
 かねてから不思議に思っていたことだ。私の質問に、蛍御前は意表を突かれた顔をした。


「そなた……、もしや神にも種類があることを存ぜぬのか?」
「神様に分類があるんですか?」
 私の至極マジメな返答に、蛍御前は深くため息をついた。


「なんという無知じゃ! 女子は馬鹿なくらいで丁度いいとは云うが、これで陰陽師だというのだから呆れてしまうのう!
これ、東雲! お主、八重にわざと教えてこなかったなっ」
「……さあて。僕は八重に聞かれなかったから答えなかっただけですが?」


「そうやって楽しんでいるところが性悪だというのじゃ!」
 いけしゃあしゃあと応えた東雲先輩が面白そうにしていると、蛍御前が頭を振った。


立ち上がった松葉がズボンについた土埃を払い落としながら、
「八重さま、その知識が無くてよくボクの魔法陣を解くことができたね……。いっそ、尊敬に値するよ」
呆れたような、むしろ感心したような口調で喋った。


「説明をするには、ちゃんとした屋根の下に行きたいのう。……ふむ、清めようにもやはり水道は止まっておるか」
 手水舎を覗き込んだ蛍御前は、指先から水流を具現させた。


「ほれ、皆の者。手と口をこれでそそぐのじゃ」
「偉そうにするな! ボクだって水の妖怪なんだから、蛍御前からおこぼれを頂戴する必要なんかないね!」


「なら、カワウソはやらなくても良い。お前の腐った性根がちょっとやそっとで綺麗になるとも思えんわ」
 松葉の発言を聞いた蛍御前が半目になる。私はその様子に慌てて神龍の出してくれた水で手と口をすすぐ。ハンカチで水気を拭っていると、東雲先輩も同様に心身を清めていた。
 なんだかさっぱりした気分になる。
ほう、と息をついて鳥居をもう一度くぐり直すと、蛍御前は満足気に頷いた。


「この感じだと信仰が失われて久しいか……。けれど、まだけがれを落とす場の効果は残っておるようじゃの」
 霊力を解放した時の私と同じように、神龍の水色の髪がわずかに発光している。そこからバチバチと火花を散らしながら、蛍御前は鋭い水鉄砲で地面をえぐりとった。


「ふふ……ははは! ここはいいのう! 気に入ったぞ狐!」
「それは何よりですね」
 蛍御前の高笑いに、東雲先輩は愛想笑いをする。水鉄砲で境内の石ころを弾きながら、その威力を試しているようだ。
 穢れを落とす場の効果、ねえ……。
しばらく彼女が堪能するまで待ちながら、私は反応に困って笑っていた。







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