悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆103 シミュレーティッドスカイダイブ

 無難なジェットコースターなどが設置されているアドベンチャーエリアはどちらかというと原色が多かった。赤やオレンジ、派手な青色でペイントされていて、子供たちが誰も皆はしゃいで保護者を振り回している。
 その空間を抜けると、今度は緑が溢れたファンタジーエリアに到着する。田舎の農村のようなデザインで設計されていて、どこか安心できる雰囲気の場所だ。
人気がある乗り物は大きな鷲に乗って空中を回転するホークライダーで、身長110センチから乗ることができるらしい。乗りたがった幼児が大泣きしている姿が瞳に映った。




「シミュレーティッドスカイダイブならここです、ね」
 東雲先輩が行列の先を見やって呟いた。このアトラクションもやっぱり人気があるみたいで、それなりの行列が出来ている。まあ、このクリスタルレインで並ばずに手に入るものなんてあり得ない。それぐらいに盛っている遊園地なのだから。
 彼はひそやかに私の耳に囁く。


「このプレミアムチケットがありますから並ばなくても済みますけど、どうしますか?」
「……私は普通に並びたいです」
 わくわくしながら待っている子供たちを見ていたら、行列をショートカットすることに今更ながら罪悪感を覚えた。


「せっかく権利があるのに使わないんですか? 普通の入場者のように並ぶと?」
 勿体ないものを見るような目を東雲先輩から向けられる。私もはっきりとした理由が存在するわけではないのだけど、どこか気後れがするのだ。


「なんだか、一生懸命に待っている他の人に悪いですし……。それに、さっきのおばさんみたいな人が居たら嫌だなって」
「ああ、なるほど」
 その説明で東雲先輩は納得をしてくれた。あれは向こうに問題があったと思うんですけどねえ……と呟いた後に、彼は続けてこう言った。


「……昔から思うのですが、八重は普通という枠組みに無理やり自らを合わせようとするところがありますよね」
「そうですか?」


「はい。自分の長所を潰してまで普通ノーマルの人間らしい振る舞いにこだわるのは、何か君の中で大切な意味がある行動なのですか?」
 そういう行動をしている自覚はない。私はその問いに首を捻ったけれど、東雲先輩はため息をついた。気軽そうな質問だったけれど、意外と真剣な空気だった。


「……自覚していないんですか。だったら、仕方ないですね」
 これ以上質問責めにしても無駄だと悟ったらしい。行列の最後尾に並んだ東雲先輩を追いかけながら、私は不思議に思ったことを訊ね返した。


「あの、今『昔から思うのですが』……って言いましたよね? 知り合ったのは高校二年になってからだと思っていたんですけど……東雲先輩は、私のことをそんなに昔から知っていたんですか?」


 この妖狐は我が家の近所で祀られていたみたいだし、私が産まれたころから観察されていたとしてもおかしくはない。二代ぶりの月之宮の陰陽師の出現はアヤカシの間でも噂になったことだろう。
 私の言葉に、明らかに相手が動揺した。ブルーの目が彷徨い、睫毛が瞬かれている。


「まあ……、そうですね。知らないわけないでしょう。ずっと君のことに気付かなかった鳥羽が鈍感なんですよ」
「それって、私が悪目立ちしていたってことですか? それとも、もしかして私たちって以前に会ったことがあるとか……?」
 カマかけをしてみたら、東雲先輩が苦笑をした。寂しそうに気落ちしている姿にどこか胸がざわざわする。


「もしも……」
「はい?」
「もしも、そうだと言ったなら、君は僕のことを少しは好きになってくれますか?」
 今のセリフって、どちらの問いについて言われたんだろう。やっぱり悪目立ちしているということなんだろうか。……それとも……。
――私と東雲先輩が以前に会ったことがある……?


「困ります」
「なんで?」
 耳元でくすりと先輩が笑う。こうして2人きりで行動していると、いつもよりも距離感が近くなってしまう。そのせいか、羞恥と気まずさが胸の奥から沸き立ってきた。


「だって、私は陰陽師だし……」
「それは忘れてしまいなさい」
 小さな声でいつもの言い訳を口にすると、東雲先輩と視線がぶつかった。


「なんでそんなことを云えるんですか! 先輩だって、私が月之宮に生まれたことには嫌がっていたじゃありませんか」


「誤解しないで。それは君の周りが余りにも……あー、なんと云ったらいいか分からないけれど……、そう、僕にとっての邪魔者が多すぎるから口にしたことだ。現に、君は自分が陰陽師だということを気にしてアヤカシとの恋愛を真剣に考えてくれない」


 真剣に考えていないですって!? そんなことあるはずないじゃない!
 東雲先輩から云われた言葉に憤りを感じると、冷めた顔をした彼は挑戦的な目つきをした。いくら反論しようとしても、何を言えばいいのか分からない。
いつも私のことを『好きだ』って云っているけれど、それができるのは私からの反応を期待していないからできることなんじゃないの?


「君が陰陽師でさえなければ、僕はもっと気楽に口説いていましたよ」
「私だって、先輩がアヤカシじゃなかったら……」


 私は反射的に噛みついた後にびくっとする。……今、自分は何を言おうとした?
私だって、先輩がアヤカシじゃなかったら初恋を捨てたりなんかしなかった。そう、口に出す寸前だったってこと?
 ともし火のように、入学式の晩に消したはずの初恋がゆらめく。ダストシュートに放り込んだそれが再燃することなんてあるのだろうか?
 名称タイトル不明の気持ちに戸惑いが隠せずにいると、東雲先輩が放心したように私を見ていた。


「今、僕のことをアヤカシじゃなかったら……って云いました?」
 まあ……、そうですね。
 苦々しくも頷くと、東雲先輩は歓声を上げた。


「……ということは、僕が人間だったなら君のお眼鏡に叶っていたというわけだ!」
「あくまで人間だったら、です」
 私が仏頂面になって強調したのに、東雲先輩は本当に嬉しそうに笑った。仮定の話にしか過ぎないのに、なんでこんなに喜べるんだろう。


 なんでこんなシェイクスピアみたいなやり取りをしているの? ロミオ、あなたはなぜロミオなの……そんな陳腐な台詞が浮かんで、私も皮肉気に笑う。


 こんな話をしている間も、彼と私の手は繋がれたままで、周囲の人々には高校生のカップルにしか見えてはいないだろう。


 幽霊みたいなアヤカシの手にはちゃんと体温があって、その温もりに命の脈動を感じる。こうして笑っている先輩を見たら、到底アヤカシが死者だとは思えない。
今この瞬間、一分一秒。私にも彼にも命は宿っている。それだけは確かで、体感している大切な事実だ。






 シミュレーティッドスカイダイブの順番がやって来ると、私と東雲先輩は2人同時に個室の中へと通された。金網みたいな足場が高い場所に作られていて、テーマパークの職員から頭から被る黒いヘルメットのようなVRヘッドギアを渡された。説明によるとヘッドマウントディスプレイの仲間だ。


「これを被ればいいんですか?」
 ちょっとがっかりしながらも訊ねると、職員は頷いた。
 前方のお客さんは、ヘッドギアを装着して金網の上に立っている。下から吹き付ける強風に悲鳴を上げているようにも見えるが、彼らにはどんな視界が広がっているのだろう。


 どうやらこのアトラクションはヘッドギアを使ったバーチャルリアリティー空間で上空からのスカイダイビングを仮想体験できる仕掛けになっているらしい。そうは云っても第三者の視点で外から眺めると何が起こっているのかまるで分からないのだ。
 先に体験していたお客さんがおぼつかない足取りでいなくなると、東雲先輩と私は階段を上って金網の上に立つ。


 風が吹くのなら、ワンピースは止めておけば良かったかもしれない。少し後悔しながらも、職員の合図と共に私はVRヘッドギアをすっぽり被り、あご下でロックをした。


 雑踏のノイズは遠ざかり――耳を澄ますとオルゴールのような音楽が流れていて、ゴーグルには真っ暗闇が映っている。……いや、次第に細かい点滅が現れ始め、それは夜闇にきらめく星たちになった。
 私は広大な宇宙に立っていた。隣にいるはずの東雲先輩の姿は全く見えなかったけれど、その代わりに私は宇宙空間から青い地球を眺めていたのだ。
隕石が頭の上で流れ星になって輝く。それをぼうっと感動しながら眺めていたら、機械風味の音声ガイドが突然流れ出した。


『本日はシミュレーティッドスカイダイブにお越しいただきありがとうございます。
これはVR仮想空間で宇宙からの超高度スカイダイビングが体験できる最新アトラクションです。私たちの住む地球は太陽系にある惑星の1つで、太陽から3番目に近い水をたたえた奇跡の星です。今は大気圏の外からこの惑星をご覧ください』


 美しいグラフィックが迫力満点に太陽系の惑星たちを映し出す。今にも火傷しそうなほどに赤く熱い太陽や、白く回転している月、火星などが次々に現れた。
あちこちに視線を巡らせながらぼうっとしていると、気付けば地球の解説を終えた音声ガイドがこんなことを言っていた。


『――それではお待たせしました、いよいよスカイダイブ体験です! 心の準備をして、深呼吸をしてください』


 云われた通りに、深く息を吸うと、
『3――、2――、1――、0!!』
 カウントダウンが終わると、途端に世界が赤と黄色に染まった。




「え……、ちょっと、いやぁああ!」


 全身が業火に包まれて思わず悲鳴を発してしまった。どろどろに溶けてしまいそうなほどの炎が燃え、それが偽物だと知っていても恐怖を感じてしまう。


『ただ今、大気圏に突入しております』


 視界が熱い。足下から吹き付ける強風に、自分が宙に浮いたような錯覚に陥った。すがるように東雲先輩の手を掴むと、向こうからも握り返してくれる。
視界がくるくる回転していき、目が回りそうになる。そのまま恐怖を堪えていると、私の全身はVR空間の中で雲の上に投げ出された。
 あんなに近かった太陽が金の光を投げかけてくる。暖かな輝きに瞳が潤むが、辺りを見渡すと再び青の海が見えてきた。


 日本だ――日本列島だ!
 この無人島目がけて私と東雲先輩は落ちていく。ビルや民家、鉄道の線路、森や富士山、琵琶湖まで視界におさめることができたけれど、余計に恐怖は増していった。


「…………っ」
 頭の芯から震えが走る。それを感じながら仮想の空を落下していると、突然、全身が温もりに包まれた。
私が怖がっていることに気付いた東雲先輩に抱きしめられたのだ。


 思わず文句を言いそうになったけれど、そのお蔭でようやく余裕が生まれた。だんだん恐怖よりも爽快さが増していく。


 相手の姿は見えないけれど、自分の心臓の音が聴こえる。アトラクションの終わりが訪れるまで私は東雲先輩の胸の中にいた。
ようやく足下が仮想の地面につくと、音声ガイドが『ありがとうございました』といったのを合図にして勢いよくヘッドマウントディスプレイを外した。
 怖かったけど……、
 東雲先輩が、パッと私から手を離す。職員に機器を返しながら、軽く睨むと彼は素知らぬ顔をしていた。


「……先輩」
「何ですか?」
「これ、楽しかったです!」
 吐息を洩らし顔がほころぶと、東雲先輩は驚いた表情になった。


「僕が抱きしめたことを怒ってないんですか?」
「そこは怒りたい気もしますけど」
 眉を上げると、東雲先輩は心苦しそうに言った。


「あれはすみません。つい、君が悲鳴を上げて抱き付いてきたものですから」
「……なっ あれは手を握っただけです!」
「そうでしたか?」


 東雲先輩の捉えどころのない態度に、ついムッとしてしまう。そのままこの話題を続けていても勝ち目がなさそうなので、
「今度はあれに乗りたいです! ほら、カヌー!」
園内に作られた湖に浮かんだカヌーを指差すと、目を丸くした東雲先輩はくくっと笑みを漏らした。


「それは僕が操るんですか?」
「……えっと」
 それは考えてなかった。自分で操縦した方がいいかと迷っていると、東雲先輩が当たり前のように私の手をとった。


「いいですよ。こんな機会は滅多にありませんし、僕が動かしてあげましょう」
 そのまま自然に手を繋がれ、指先にキスを落とされた。途端にみるみる私の顔が赤くなると、東雲先輩は喉の奥から笑い声を出した。







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