悪役令嬢のままでいなさい!
☆84 体面する生き物
――時折、陰陽師業で商売繁盛などのお札の製作を高額で依頼されることがある。 それを引き受ける条件は、月之宮家と日之宮家の関わる事業のライバルではないことだ。
特に現在は、兄が海外留学中なので、その仕事にあたるのは私になる。
七月の第三週の土曜日、曇天で今にも雨が降り出しそうな夜のことだった。
こちらにニタニタ笑って挨拶をしてきたのは、スーツのボタンがはちきれんばかりに腹まわりが太った三白眼の中年の男だった。どうやら、自動車会社『堀田』の社長らしい。
「いやいや、本当に今回はありがとうございます」
「……こちらこそ」
私は、作り笑顔を浮かべて会釈をした。
この社長はお札『黄大力鬼王黄符』に関してはお得意様で、今年も子会社の分も含めて100枚の注文を受けたところである。何でも、一度試しに買ってみたら業績が安定したんだそうな。
「月之宮のお嬢様のお蔭で、うちも何とかやっております。よその神社で売っているお札より、よっぽど信用がおけますからねえ」
「……お褒めにあずかり、光栄です」
「後は、ダイエットに効くお札でもあれば、と思ったのですが……いやいや、そこまで都合のいいものが無いのは分かっていますとも。ですが、これもまた、内臓脂肪は中年の悩みでしてなあ……」
そこまでべらべら喋った後に、社長はにったりガマ蛙のように笑った。
「本日は、これでお帰りになられるのですかな?」
私は、そっと嘆息する。
「そうですね……」
「よろしければ、我が家で夕飯などを召し上がっていきませんか?
勿論、月之宮のお嬢様のお口に合うかは分かりませんが、板前を呼んで寿司でも握ってもらうのはどうでしょう?
折角なので、うちの会社で副社長をやっております、不肖の息子でも紹介させていただきたいのですが……」
やたらよく回る口である。
息子を紹介したいという、そのセリフの内容に辟易とさせられて、私は愛想笑いがさっと自分の顔から無くなったのを感じた。
「八重さまは、忙しいんです。そんな時間はありません」
同じくうんざりした様子の松葉が、私が何か言う前に先回りしてこう告げた。
媚びへつらっていた社長は、どこか興奮した口調で、こう言い募った。
「……月之宮様、ご遠慮なさることはございません。
それに、せがれもお宅の幽司様に匹敵するほどに、よくできた息子にございます。
せがれと貴女が結婚することになれば、月之宮の持つ株式も合わせて、業界のトップに躍り出ることも不可能ではありません……!」
欲にまみれたギラギラとした目を向けられ、不快な思いになる。この男にとっては、スーツを着た私の姿は持参金にしか見えていないに違いない。
「お前、バカじゃないの!? ボクが暗に断ってるって気づけよ!」
気の短い松葉の吐き捨てた言葉に、相手の顔色が白くなる。
「……秘書ごときが、私の邪魔をするつもりか……」
社長が険しく唸ったところで、私は慌てて松葉の頭を下げさせた。
「うちの部下が失礼いたしました!勿体ないほどのお誘いですが、本日はこれから急用がありますのでお暇させていただきます!」
深くお辞儀をして、慌てて松葉の手を引き、邸宅を出た。
外に出ると、黒塗りのベンツのキーを持った山崎さんの姿が見える。かなり縦幅のある車体の横に立っていた。
「お仕事はお済みですか。お嬢様」
「夕食に誘われたけど、断ってきたわ」
山崎さんにそう返事をして、後部座席に乗り込む。中は広々としていて、座席の座り心地も最高。そこに背を預けた私は、隣に座った松葉へ口を開いた。
「私の仕事についてくるのなら、クライアントと喧嘩をしないでちょうだい」
抗議を耳にした松葉は唇を尖らせた。
「……無理なことを言わないでよ。あの男、八重さまに見合いをすすめてきたんだよ?」
「答えはYES以外認めてないから」
私は有無を言わせぬ口調で、腕組みをした。
ぽつり、ぽつりと雨が空から降り出した。雫が車窓のガラスに付着する。サマースーツの上着ポケットから取り出したキャンディの包み紙を開くと、中身を口に放り込んだ。
「松葉も飴、舐める?」
「要らない」
拗ねた口ぶりだった。
「八重さま。急用って何なのさ」
「そんなの、どこにもないわよ。嘘も方便って言葉知ってる?」
「ふーん。八重さま、実はあの男の息子と一緒に寿司を食べたかったんじゃないよね?」
「生憎、私はそこまでお腹が減ってないのよ」
それに、ガマ蛙の息子にはそこまで期待していない。
見た目だけは秀麗なるアヤカシたちに普段から囲まれていると、恋愛絡みのハードルも自然と高くなってしまう。我ながら、嫌味なことだ。
「……なら、いいけど」
松葉は口を真一文字にすると、黙り込んだ。
晩に振った雨は朝方には止み、気持ちよく晴れた日曜日だった。
私は、朝一番にジャージで近所をランニングすると、さっぱりシャワーを浴びて、ワンピースにレース付きのレギンスを着用する。
顔には日焼け止めと薄付きのファンデーション。マスカラ、グロスは控えめに。
シナモントーストとサラダ、ササミ入りのトマトスープと飲むヨーグルトを朝食に摂り、マニキュアを塗り直したところで、外の涼しい木陰に座ってスマホからネットに繋いだ。
……ちょっと、興味のあるサイトがあったからだ。
以前に、辻本君が話していた小説投稿サイトの小説家になろうをチェックしてみたくなったのである。
何々?ブックマークをするには、会員登録が必要……『ノーネーム』で登録っと。えっと、作品を載せない場合は『読専』っていうの?
紹介文は……後でいいわね。
なんだか少し懐かしさを感じるようなサイトの設計に、嬉しくなる。
準備を終えて、総合ランキングのトップからひとまず読み始めることにした。
「――八重さま~! 八重さま~!」
「はっ!?」
あれ!? うっかり読むのに夢中になっちゃったけど、今って何時だっけ!?
あっという間に、2時間が過ぎていた。
しかも、スマホの充電もそろそろ危なくなってきたし……。どこかから聞こえる松葉の声に、座っていた態勢を解く。
木陰に立ち上がると、遠くから松葉がルンルンスキップしながらやってきた。
「八重さま~! これ、畑で草むしりしてたら捕まえました~っ」
「捕まえたって何を……」
よく目を凝らすと、松葉は両手でわしづかみにしていたある動物を高々と掲げる。
「これ、一緒に食べましょう!」
不穏な言葉が言い放たれ、白い歯が輝く。
「……やだ、ちょっと!」
松葉の掴んでいる動物の全身が視界に入り、私は驚愕した。
これ……これ!!
「早くその手に持ったモグラを放しなさい!」
きゅうきゅうと悲鳴を上げながら、小さくて可愛い1匹のモグラが、この妖怪カワウソに捕まってもがいていた。
「え? 美味しいのに……なんでですか?」
「モグラが可哀そうでしょう!」
いくら人型をとっていても、やはり松葉には獣だった生前の意識が残っているのかもしれない。普通の人間だったら、畑で捕まえたモグラを食そうなどという発想にいくはずもないし、それを薦められたところで嬉しかろうはずもない。
少なくとも、私にはその小動物は愛でるべき対象にしか見えなかった。
「これ、害獣ですよ~。野菜とか掘り返されちゃいますよ~。新鮮なうちに食べちゃいましょうよ~」
「うるさい! 逃がすったら、逃がすのよ!」
怒鳴った私の声に呼応するかのように、モグラが甲高い悲鳴を上げた。松葉が、不服そうな顔になる。
「折角捕まえたのに……」
得物を前にした猫のように興奮していたカワウソは、私の命令に少しショックを受ける。
捕獲したという現場の畑で自由にしてやると、乱れた毛のモグラはよろよろと草陰にいなくなった。
しゃがみ込んだ私は、小動物にしか聞こえない小声で地面に向かってこうささやいた。
さよなら。今度はもう、アヤカシなんかに捕まっちゃだめだからね。
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