悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆83 笹の葉さらさら (7)





 誤解を招かないように訂正しておくが、私は別に東雲先輩と会うことを楽しみにしているわけではない。その割に、準備は想像以上に首尾よく進んだ。
 お風呂上りに松葉へと手渡した睡眠薬入りのココアを、私の式妖は何も疑うことなく大喜びで飲み干した。
アヤカシにも睡眠薬が効くか不安だったけれど、松葉は時計の針が9時を回るころには、リビングのソファーの上で爆睡していた。つけっぱなしのテレビは芸能人を映しつづけ、父と母はそんな松葉の寝顔に苦笑した。
 流石にこんな夜中に丸腰で行くのも怖いので、神剣の野分と財布などを横に抱え、私が10時過ぎに玄関から出かけようとした時のことだった。


「……早めに帰ってこいよ」
 後ろの方から、父がボソッと呟いた。
 私は思わず目をパチクリさせる。
酒を飲んでいる父は、もうそれ以上何かを言うこともなく、録画してあった野球中継を無言で鑑賞している。
 何とも、珍しいこともあるものだ。そんなことを考えながら、山崎さんの運転する車に乗り込む。


「なんだかんだで、乗せてくれるのね」
「お嬢様が深夜に電車やタクシーを使うぐらいなら、私が送っていった方がマシです」
 憮然とした山崎さんが、運転席でそう言った。職務意識ギリギリの判断だったらしい。


 窓の外は当然のことながら、人通りが少なくなっている。
 出がけの父は、私のことを心配してくれたのだろうか……。
 まさかね。
例えそうだったとしても、この業界に私が存在しているのはどうしようもないことだ。ペンギンが南極大陸に産まれるようなものなのだ。


 学校の駐車場に停車された軽自動車から降りると、前よりも少し暖かくなった外気が肌に触れた。天を見上げると、空には無数の星が瞬き、天の川を作っている。
あの、一際大きく輝いている星がベガとやらだろうか。


 それを見ながら、裸の野分を下げて桜並木を歩いていくと、すぐに昇降口に辿りついた。勿論、いつぞやのように知り合いの天狗が空から降ってくるわけでもない。
 10時50分。
 待ち合わせ10分前だというのに、私と待ち合わせしていたアヤカシはひどく時間に几帳面らしい。そこには、東雲先輩がすでに到着していた。


 すらりと高い身長に引き締まった体躯。襟足までの白金髪はゆるく波打ち、美麗な顔を縁取っている。硬質なブルーの瞳は、天高い空を見上げていた。
服装は白いワイシャツに、男性用の黒いカーディガンを合わせ、同じく黒いスラックスを履いている。靴は前と同じ革靴だ。
 彼の正体が妖狐と知らなければ、この上出来すぎるルックスはファッション誌のモデルに推薦されるだろう。


「こんばんは、月之宮さん」
 東雲先輩の冷たい印象に反して、口調は親しみがこもっている。待ち合わせにやって来た私が会釈をすると、彼は腕組みをした。


「こんな時間ですし、てっきり断られるものだと思っていたのですが……」
「断っても良かったんですか?」
「さあ?」


 ……だったら、遠慮なく断れば良かった。
わざわざこんなところまでやって来たことに、後悔を覚える。
食えない微笑を浮かべた東雲先輩は、おもむろに晴れ渡った夜空を指差した。


「まあ、おあつらえ向きに空も晴れていることですし……天の川でも見ていったらいかがですか? いかにも七夕らしいでしょう」
「用事がそれだけなら、帰っていいですか」
 回れ右をしようとした私の左腕が、東雲先輩に掴まれた。


「放してください」
「まあまあ。そんなことを言わないで」
 強引に私を向きなおらせると、彼はゆっくりと首を振る。その顔にはにっこりと笑顔が浮かんでいた。
はっきり言って、かなり不気味である。


 私の表情が強張った。


「あともう少しで見せたいものが始まるんです。それまで、この笹の枝葉からみんなの短冊でも探していましょう」
「みんなの短冊?」
 オカルト研究会員の短冊が、今、この場にどう関係があるというのか?
 怪訝な面持ちになった私をよそに、東雲先輩は本当にみんなの短冊を探し始めた。視線を笹に向け、往復させている。


 口まで出かかった文句を呑み込んで、私もひとまずそれに参加することにした。膨大な短冊の山の中から、4枚の短冊を見つけたところで、東雲先輩は口を開いた。


「……ああ、ここにありましたか」
 ようやく彼が手に取ったのは、白波さんの短冊だった。女の子らしい丸みを帯びた文字で、『頭が良くなりますように!』と書かれている。
何か反応を示そうとした私は、その短冊を見て思わず無言になった。


「ほら、やっぱり予想通りに光ってますよ。コレ」
 低く呟かれた言葉と同じ現象が起こっていた。白波さんの可愛らしいお願いの書かれた短冊に、淡い光が灯っていたのだ。
 私は息を詰め、唇を噛んだ。


「やっぱり、『これ』が原因でしょうかねえ……」
 訳の分からないことを言いながら、東雲先輩はため息をついた。私は掠れた声で、こう言った。


「他のみんなの短冊は光ってないのに……」
「そりゃ、彼女はフラグメントですから。一応検証の為に他のメンバーのものも集めてみましたが、無駄でしたね」
 光り輝く白波さんの短冊を手にもった東雲先輩は、悩ましげな顔を見せた。


「月之宮さん。あなたは、どうして白波小春がフラグメントであるのかを疑問に思ったことはありませんか?」
 私は、彼のその問いかけに沈黙を返した。
この、胸に渦巻く思いを言語化したなら、そういうことに集約されるのだろうか……。


「白波小春の学力は、僕が調べたところによると、この学校の基準を大幅に下回っています。本来なら、彼女はここに居ないはずの学生だったんです」
「え?」


 本来ならここに居ないはずの学生……?
……だって、白波さんはこの学校を舞台にしたゲームの主人公なんだから、私立慶水高校に所属して当然の生徒なんじゃないの?
東雲先輩の口ぶりじゃ、その大前提からひっくり返そうとしているかのようだ。


「だって、白波さんは……」
 そこから先に続く言葉が、喉の奥で消滅していく。
まさか、東雲先輩に前世の乙女ゲームのことを話すわけにはいかないからだ。


「何か、彼女の入学のきっかけになる出来事が起こるだろうと観察していたのですが……、その運命の特異点がこの七夕でキーポイントになることを予測しましてね、こうやって貴女をお呼びしたというわけです」
「この短冊が?」
 まさか。そんなこと、あるはずがない。


「だって、この短冊はこれから願いを織姫と彦星に叶えてもらうんですよね? だったら、それは未来に影響するものなんじゃないんですか?」
「さあ?」


 東雲先輩は、私にだけ聞こえるようなボリュームの声で、
「僕は案外、こういったものは過去にも影響を及ぼすんじゃないかと考えているんですけどね?
この短冊にはどこにも、『未来の成績を上げて欲しい』とは指定されていないわけですから、その起爆剤が過去の時系列で発生していたとしてもおかしくないわけです」
 私は閉口するしかない。


「大体、今起きている事象を変えるには、過去が改変された方がスマートではないですか。
すなわち、白波小春がこの学校に入学できたのは、この短冊によって願いが『既に叶っていた』からこそ、実現できたのではないか?という仮説です」


 そんな時系列を変えるほどおっかない呪術だったのなら、みんなで参加する前に止めてください!


「……まあ、それを考えていたからこそ、僕もあの目障りなカワウソの短冊を破っておいたのですが……、この様子だと、大勢巻き込まれなくて済みそうですね」
 そう力説した東雲先輩は、皮肉気に笑った。


「まあ、あの娘の考えることが、この程度の凡庸な願い事で本当に良かった。
因果の関係性からすれば、この短冊は外さないでおきましょうか」
 ああそうですか!
結局、白波さんが特別な理由って、この短冊にあるって話じゃないですか!


「もしこれを外したら、何が起きるんですか?」
「案外、この学校から可愛いだけが取り柄の白波小春が消失するかもしれませんよ?不慮の事故か何かに遭って、分不相応な学び舎から退学するかもしれませんね」
――大問題である。
 私だって、クラスメイトの1人をそんな目に遭わせるわけにはいかない。先日の事件で白波さんを守ったのが台無しだ。
後から鳥羽に尋問される自分の姿を想像して、身震いした。


「このままにしましょう!」
「貴女も同じ意見で良かった」
 東雲先輩がにっこり笑った。


「僕の本音としては、この世に白波小春が居ようが居まいがどうでもいいんですけどね。これは、彼女に関わる君の安全の為です」
 どぎつくブラックなことを発言された。


「怖いことを言わないで下さい」
「はて。そこまで怖いことを言ったつもりはないのですが」
 とぼけられても、困る。
東雲先輩が、大げさなくらいのため息をついた。


「……ああ、この予想は当たって欲しくなかったのですが」
「どうしたんですか?」
「……君の短冊も光ってます」


 私は目をパチパチさせた。
彼の指さす方向を見ると、確かに。月之宮八重の書いた短冊も一緒になって光り始めていた。
『人並みに暮らせますように』と書いてある。


「ええっ」
「そこまで驚かなくても。八重にとっては珍しくもない出来事でしょう」
「いやいや、私の記憶のどこを探してもこんなのありませんって!」
 拗ねたような妖狐に、私が全力で否定する。
 なんだか、目の前が明るくなった気がする。やはり、神様は私の日ごろの苦労を知っていたのだ。もしもこの願いが叶ったならば、私は陰陽師としての役目をオサラバできるのだろうか!


「……八重。これ、外しますか?」
「是非ともこのままにしておいて下さい!」
 そーですか。と、東雲先輩は呟いた。なんだか、目が若干死んでいる気がする。


「……僕が君絡みで苦労している元凶はこの短冊にある気がします」
「何か言いました?」
 聞き取れない言葉で何事かを呟いた先輩に、私が訊ねると、首を振られた。
 ……変なの。
首を捻っていると、東雲先輩がつい、と視線を動かした。


「ああ、そろそろ始まるようです」
 時刻は11時20分を過ぎた頃のことだった、
先輩の言葉に顔を上げると、私の視界に笹の葉を沢山つけた竹のシルエットが飛び込んで来た。


「そっちの目で見ないで、霊視してみて下さい」
 掛けられたアドバイスに、よくよく目を凝らす。すると、笹が霊力をまとっているのが視えた。
 闇色の深夜を背景に白い蛍のような光が、霊的な雫となって明滅し始める。やがて、それは有名な神戸のイルミネーションのように青白く輝いた。
空には月と天の川が地上を照らし、その神秘的な光景に私は魂が抜かれたように立ち尽くした。


「綺麗……」
「笹の魂です。一年に一度、人間から期待をかけられた笹はこうやって人知れずに願いを叶えようと努力しているのですよ」


 人間の都合で勝手に切られてきたのに、なんて一生懸命なことだろう。
しばらくそれを凪いだ思いで眺めていると、隣の妖狐から声をかけられた。


「……八重」
「何ですか……っ」
 頬に柔らかい感触がした。
 キス、されていた。


「知ってますか?八重。あんまり警戒されないのも、男としては複雑な気持ちなんですよ」
 耳元で、小声でささやかれて、ぞくりと鳥肌が立つ。
慌てて、数歩後ずさる。
そんな私に、東雲先輩は冷たく笑った。


「貴女は、ひどい人だ」
「そんなこと言われても……っ」
「ほら。八重。これをご覧なさい」
 彼が差した白波さんと私の短冊が、光を失っていく。


「え……」
「無地に変わっていきますね」
 妖狐の言うとおり、2つの短冊はブラックホールに呑み込まれたように書かれた願い事を薄れさせていき……やがて、灯りが消えた短冊は白紙にと戻った。


「時刻は……0時より大分早いですね。まあ、誤差の範囲でしょう」
 私の脳内が大混乱に陥る。


「これ……、私は普通の女の子みたいになれるってことですか?」
「僕に聞かないで下さい」
「普通の女の子って、アヤカシとこうやって深夜に話すものなんでしょうか?」
「僕に聞かないで下さいってば」
「私にとっては、そこが問題なんです!」




 結局、その日は帰っても私の願いが叶ったかどうかは分からなかった。
ただ、自宅のベッドの中に潜り込む時に、東雲先輩から頬にキスされたことを思いだして、なんだか胸の鼓動が鳴った。
――ドキドキ、したような気がする。








 翌朝。
リビングで大あくびをしている松葉に、1つだけ訊ねてみた。


「ねえ、松葉って人間だったっけ?」


 途端に、私と契約をしているアヤカシは硬直した。
「ご主人様、頭がボケたんですか?」
「あ~、もういいわ。それで分かったから」
 相変わらず、一晩明けても松葉の正体はカワウソなままだった。


「じゃあ、私の職業は?」
「陰陽師……ホントにボケてる?イチョウ葉エキスでも飲んだ方がいいんじゃないの?八重さま」


 短冊の願い事が叶った今も、非日常はさしたる変化もなく続いていく。
そのことに少し顔をしかめて、私は現在のクラスメイトの中に天狗の鳥羽と白波さんがいることを疑わなかった。
 私は、顔を洗いに洗面所へ向かった。







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