悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆74 喪失 (3)

 塩気のうすいはずのおにぎりの味は、青火の流した涙でしょっぱかった。
 いつかの餡ころ餅よりも、牛肉よりも、よっぽどのご馳走であった。


 命令を違反して帰ってくればいい。何度もそう思って空を見たけれど、これから先の未来に五季は二度とこの故郷の土を踏むことはなかった。
どころか、五季たちが向かった街の中央では建物の骨組みだけを残して全てがたった1つの爆弾を前に吹き飛んでしまった。
話しに聞くに、ピカッと光って一瞬の出来事であったらしい。
四津と五季の骨も跡形もなく蒸発してしまって、その遺体が月之宮家に帰ってくることはなかった。
 その新型爆弾は結界で対抗できるような代物ではなかったのだろう。
 死者数も正確なところはつかめていない。
 8月6日はあっという間に過ぎていった。


 そして、8月15日。
 国民が皆、待ちに待った終戦の合図がラジオにて放送された。敗戦である。
 それから3日が経って、盲目の月之宮一守は弱った青火の元に訊ねていった。
「おーい、青火さん」
 呼びかける声に、九尾の狐は獣の姿で出て行った。


「……どうした、一守」
 一守は視線を伏せた。


「戦争犯罪者のリストの中に、私の名前が載っているらしい。昨晩、占領国から警告がきた」
「せっ…………」
 戦争犯罪者だって!?
今回の戦争を起こした責任者の中に、参謀役であった月之宮一守も含まれているらしい。


「奴等は信次ののろいで散々な辛酸を舐めたようでね。資料を全部燃やしたと伝えても、それだけじゃ物足りないんだそうだ」
「物足りないって……、まさか、一守の首をとるつもりか」


「そのまさかさ。跡継ぎには梢佑がいるからね。それだけで治安維持には十分だと先方はお考えなのさ」
 一守の静かな視線が黒くきらめいた。その結論を前に、青火は全身の毛が逆立つのを感じる。


「……逃げろ!一守」
「どうやって?」
「僕がお前の代わりに変装して、死刑になってやるからお前は逃げろ!」
 青火の発言に、仄かに一守は微笑した。
いかにも、月之宮家の保護者役を自任している青火様の言いそうなことである。


「青火――君は、悪役の美学というものを分かっていないよ。それは、悪人の発想だ」
「悪人でもいいじゃないか」
「そいつはダメだ。私がここで逃亡したら、誰がミカドをお守りする?私1人の首でミカドが救えたら、それは悪役の末路としては最高のものになるんじゃないかね?」


「悪役だのなんだのと下らない!だから、代わりに僕が死刑になってやると言っているじゃないか……!」
「分かってないのは、青火の方だ。私が守りたいものの中には、青火も含まれているということが分からないのか!」
 一守が眉尻を上げて、一喝をした。


「僕はもう十分すぎるほどに生きた!」
「この分からずやめ!四津や五季をあんな死なせ方をさしておいて、どうして僕だけが逃げられると思うんだ!」
 青火の反論に、一守が怒鳴り返す。
 そこには、軍の命令からかばいきれずに弟たちを出征させたことへの後悔がある。街が壊滅することを予知しておきながら、それを阻めなかった。
言葉が詰まった青火に、一守は険しい顔になった。


「梢佑がどんな目に遭わされるかも分かっていないのに、ここで私が逃げることに失敗したら何が起こると思うかね?いわば、こちらとしてはミカドと子どもを人質にとられた形だ」
「…………」
 忠誠心と親心。
それを持っている一守にとっては、選択肢など1つしかない。


「I don't care what follows.
こうなったら、悪役として見事散ってみせましょ国の為だ――さながら、ツバキの花のようにな!」
 さらりと英語の一文を口にしてみせた一守は、青火にこう言づけした。


「もしも私が死んだら、私の部屋の床下に隠してあるものは大事にしてくれるように屋敷の人間に頼んでおいてくれたまえ。では、goodbye foreverだ」
「お前たちはいつもそうだ。勝手に僕を置いていく……」
 守ってきたつもりでいたのに、守られていたのはこちらの方だなんて、なんて皮肉な話しだろう……人の子は寿命の短いことを覚悟していたはずだったのに、こんなやるせない別れが来ることを分かっていなかった。
 薄く微笑した一守は、神社から踵を返す。
 もう二度と、この男はここにやってはこないだろう。そんな予感が心の片隅を走り抜けていく。


「一守――」
 思わず、青火が声をかける。
 不意に、恐怖を感じた。
 それは、ずっと月之宮家の人間に依存してきた青火の生き方が否定された瞬間であった。
もう、梢佑しかいなくなる。
いや、梢佑にも何といって再会すればいい……みすみす月之宮五兄弟が墓場へいってしまうのを傍観することしかできなかった無能な狐神は、なんと詫びればいい?


「……青火様」
 振り返った一守は、ぽつりと青火に向かって呟いた。


「私たちは、天に恥じぬ行いをしてこれただろうか。あなたの教育に恥じぬ人生であっただろうか」
 青火はさっと青ざめて、息を呑んだ。
まさか……まさか、まさか、まさか、まさか!!


「……あたり、当たり前だ!」
「果たして本当にそうだろうか。私は、もしも生まれ変わったとしても同じように生きるだろう予感がするのだよ。不思議と、人生に後悔など何もないんだ。
やり直したとしても、私は同じ妻を娶るだろうし、こうやって処刑台に向かうだろう」
「…………」
 もし、一守のこの言葉が本心だとしたら、この男を処刑台へ向かわせているのは青火の教育であるのではないか?
したり顔で話して聞かせた昔話のせいで、逃亡することに思想がいこうとしないのであれば……。


「……お前は、何も後悔していないというんだな」
「……ああ。そうだ」


「だったら、ここで悪人になって逃げて欲しいと僕が言うことは、お前を否定することになるというのか!」
「青火……」
 きっと、信次も三津も、四津も五季だってそうだ。
 僕の教育によって、軍の指令から逃げることができなかったというのなら、彼らが揃って早死にしたのは僕のせいじゃないか?


「青火、私たちは、世間が貧しい中にもう十分にご馳走を食っていたと思わないか?そうやって生かされていたのは、今、この時のためだったのかもしれないな」
「それは、お前たちが軍人として働いていたのだから……」


「そう、私は軍人なんだよ。青火。軍人というのは、往々にしてこういう死に方をする職業なんだ」
 諭すように、そう言った一守は口端を上げた。


「悪いな、青火。私は先にいくよ」
「…………」
「いってきます」
 その言葉を聞いて、青火の涙腺が決壊した。
 たちまち目の前がかすんで見えなくなっていく。すたすたと歩いていく一守は、不思議と歩きなれた境内の方角が分かるようで、共もつけずに鳥居を潜ると、自宅へと帰っていく。


「……全部、僕のせいだ」
 青火が漏らした発言など聞くことはない。
 それから軍人、月之宮一守は、敵に捕らえられることを自ら選んだ。
数日もすれば、死亡通知がたったの1枚、月之宮邸の当主夫妻の元に届くこととなる。行われるはずの裁判すらしてもらえずに、全ての真相は闇の中へと消えていった。






 9月11日。
 もう夏もそろそろ終わりというころ、ようやく、月之宮邸に疎開していた梢佑が返された。
 西洋人に連れられて、田舎から引き揚げてきた梢佑は8歳になっており、帰ってくるまで月之宮5兄弟と日之宮千恵子の戦死について知ることはなかった。
祖父母にあたる当主夫妻が涙ながらに息子の子どもを出迎えると、大号泣しながらそのことを1つ1つ切々と語って聞かせる。
 てっきり帰ればそこにいると思っていた父親までもが亡くなっていたことに、梢佑は目の前が真っ赤になった。
周りの静止の声も振り切って、台所にあった包丁を持ち出すと、小高い丘の上の神社まで全力疾走で走っていく。


「……はあ、はあっ」
 ふざけるな。
 せっかくちらし寿司を持っていったのに、あいつは何をやっていたんだ。
 まさか、今でものうのうとあそこに暮らしているわけじゃないだろうな!


「あおびぃいいいいぃいい!!」
 社に到着した梢佑は、腹の底から声を出した。
弱った身体で眠りについていた青火が、社の中で目を覚ます。


「出てこい!この、裏切り者!」
 ああ、これは、梢佑の嘆きの声だ。
 ヒビの入った残留思念核を持ちながらも、こん身の力を振り絞って青火は人型をとった。すぐに服を着ると、何食わぬ顔で外に出る。
こちらを見てとった梢佑は、子どもながらに凄まじい形相で、青火を見つけると包丁を持ち直す。
切っ先を向けられた青火は、眉根をぐっと寄せた。


「お前、神様なのに何をやっていたんだ!帰ったら、誰もいなくなってるじゃないか!」
「…………」
 だんまりの青火に、少年は再度詰問する。


「ぼくは、ちゃんと花崗岩を探していたんだぞ!お前は、その間、一体何をやっていたんだああぁあああああ!」
 蝉が鳴く木立で、頭にきた梢佑が怒鳴る。
 それにもだんまりしか返すことのできない青火に向かって、包丁を振り上げた。
 堅い肉に、包丁が浅く突き刺さる。
銀色がかった血がじわりとシャツに染みて、それを視認して、梢佑は目を見開いた。手が震え、そのうちに全身がぶるぶる震え始めた。


「お前、どうして避けないんだ!」
「……避ける理由がないからだ」
 青火は突き刺さった包丁を引き抜くと、喉の奥から血痰を吐いた。この子どもからこれぐらいのことをされる理由が青火にはある。


「じゃあ、やっぱりお前が全部悪いんだな!」
「…………ああ、そうだな」
 拾い上げた包丁を梢佑に返そうとすると、梢佑はたじろいで数歩後ずさった。
 今回、月之宮家の人間がほぼ全滅しかけた原因は、青火にある。
 お天道様に背かぬように、などと言って育てなければ、もっと卑怯で姑息に生きながらえてくれたはずだったのだ。
それこそ初代のように、ずるく立ち回ってくれたはずだったのに……って、僕は一体何千年前の人間の血筋を基準にしていたんだ?


「だったら、早くお父様を返せよ!」
「……は?」
「神様なんだったら、早く生き返らせろ!」
 幻聴かと思ったが、顔を真っ赤にした梢佑が怒鳴り散らした無理難題に、青火はため息をついた。


「すまないが、それは無理だ」
「なんでだ!」
「無理なものは、無理だ」
 つれなく断った青火に、次第に子どもは顔色を青くしていく。


「じゃあ、なんでお前はここにいる?お父様も、五季叔父さんも死んじゃったのに、どうしてお前1人でここに居座ってるんだ?」
「…………すまない」
「すまないで済むか!」
 唾を飛ばしながら、梢佑はしゃっくりあげ始めた。


「潰してやる!ひっく、絶対にこんな社は潰してやる!」
 うわああああん。と、大泣きを始めた梢佑の言った言葉に、腹を刺された青火はしかめっ面で呟いた。


「勝手にしろ」
 その結果、本当に梢佑は青火の社をとり潰した。
 それでも、梢佑の面倒を見ることを五季と約束した手前、青火は社が潰されて神様からただのアヤカシに戻ってもこっそりとその場に留まって、梢佑のことを見守り続けた。
月之宮家が再興されていくのを眺めながら、だんだんと薄くなっていく自分のシルエットに、梢佑が死んだときが自分の寿命だろうと達観めいたものすら感じながら、やがて今日が何日か分からなくなった。




 一守の亡き後、家人が彼の書斎に踏み入って床下を探してみたところ、そこからは五季や他兄弟の持っていたレコードが風呂敷に包まれて隠してあったのが発見された。
その中には、一守が読んでいた洋書も幾つか含まれており、西洋嫌いに見せかけて語学にも精通していたことが判明した。
それを全て遺産相続した梢佑は、生涯を通じてそのレコードを大事に保管していくこととなる。






 何度か、青火の元には柳原がやって来た。
「なあ、青火さんや」
 うるさい。


「いつまで、そうして社で寝そべっているつもりだ?」
 うるさい。


「もう終戦だよ。お前さんも神様を辞めたんだったら、何か他のことを見つけたらどうだ?」
 うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい!


「うるさい」
「ああ?」
「…………」
「青火さんや、オレ、ふもとに住むことに決めたよ」
 静かな佇まいで、柳原は口を開いた。


「先生になろうと思うんだ、オレ」
「やめておけ」
「いーや、やめないね」
 こう言った柳原は、意思の強い瞳をしていた。


 何をトチ狂ったことを言っているのかと思いきや、意外にその決心は固かったようで、雪男の柳原はその後、何度か大学に入ったり卒業したりを繰り返して、教員免許を色んな時代に渡って幾度も取得し、今日でも教壇に立ち続けている。




 そうやって、10年、20年が積み重なっていき、やがては梢佑の1人息子が誕生したものの、この子どもはアヤカシを視る目が備わっていなかった。
何度か廃神社にこっそり遊びに来ることもあったのだが、気配の薄くなった青火の存在を見つけることすら叶わずに、首を傾げては自宅に帰ってしまう。
そうなっては、廃神社跡地にしつこく留まり続けている青火も自己主張しようとは思わずに、そっとこの子どもの噂を聞きながら、日がな一日ぼうっとしていることが多くなった。
 30年、40年、50年――――etc、
 あっという間に時は流れ、また今年も蝉がうっとうしいほどに鳴いている時期がやってきた。もう、梢佑たちの様子を見にいくこともなく、やがては、自分も落命していくことになるだろう。
 願わくば、あの片想いの相手に会ってみたかったものだが、それを言っても仕方のない話だ。
そうやって、何度も何度も!自分の気持ちをごまかすうちに、次第に恋心は募っていく。


 ただ、君に会いたい。


 そのうんちくで月之宮家を滅ぼしかけた狐が何を言うかというものだが、ひたすらに君に会いたい。
そんなことを思いながら、社の前の石段で寝転がっていた夏の日のことだった。


 小さな声が聞こえた。


「……ねえ、お兄ちゃんは何をしているの?」
 その愛らしい声が指しているのが隠形していた自分のことだと気付くのに遅れ、ようやく目を開いた青火の視界に飛び込んで来たのは、1人の麦わら帽子を被った女の子だった。
小学校低学年くらい。黄色いひまわりのワンピースを着ており、髪の毛はロングヘア。
整った顔立ちをした娘で、どこか見覚えのある容姿をしていた。


「…………」
 なんて答えればよいのだろう。
視界がぶれて、あの日に一目惚れをした君とシンクロをした。


「…………お前の名はなんだ」
「――やえ!」
 腰に手をあてて、霊視のできるらしい女の子は満面の笑顔でこう言った。


「月之宮八重っていうのよ、お兄ちゃん!」


 ――ああ、君に会いたかったんだ。
どこか勝気そうな女の子になんて声を掛けてやろうか。


「お兄ちゃんの名前はなんていうの?」
 この幼く無邪気な質問に。
此度の出会いで、月之宮の神を辞めた自分は。
はてさて、どんな名前を名乗ろうか――。


「――ツバキと」
 自然と口端が上がっていく。


「ツバキと呼んでください。あっさりと死ねそうで、いい名前でしょう?」
願わくば、とびっきりの不吉な名前にしよう。
こんな自分の過去を、この子どもが知ることがないように願いを込めて。
ジーワ、ジーワと蝉が鳴く。
何年ぶりかも分からないが、青火は不格好な笑みでそう言った。







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