悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆68 花崗岩 (1)





 8月。
いつものように、蝉が鳴く。
 うだるような暑さ。その中で、神社の本殿にこもってサイコロを転がしていた青火は、その指に電流が走るような痺れを感じた。


 思わず取り落とす。
バチバチ、と抵抗性のあるサイコロの反撃に、ずっと未来を日本軍に有利に変えてきた青火は全身から冷や汗が噴きだしてくるのを感じた。
 床の上でカタカタ震えているサイコロにヒビが入る。
 そのまま、小さく爆発するようにはしけてしまった。
 青火の側はまさかのサイコロが砕けて消失した結果に、動揺を隠せない。




「……落ち着け!」
 これは一体何を示しているのだろうか。


「…………僕が運命に介入できないほどに、日本軍が不利だということか……っ」
 これまで敵国に対し日本が勝利を重ねてきただけに、狐神も汗を拭った。
 この出来事をどう一守に伝えたらいいものかと、思わず社でうろうろしている青火の元へ来訪者がやってきたのはわりとすぐのことだった。


「青火さま~~、いらっしゃいますか?」
 若い娘の声に、はっと平静を取り戻す。
 そのまま、いつもと変わらない表情を取り繕って表へ顔を出すと、参内に立っていたのは白シャツにもんぺ姿の日之宮千恵子であった。
 清潔感のある彼女の手には大振りの木の枝が抱えられており、その恰好に青火は片眉を上げた。


「どうしたんだ、そんなものを持って」
「いい枝でしょう?青火さま。ついそこで、燃料にするんだと里桜の木が1本斬り倒されているところにバッタリ出くわしてしまったのです。
余りにも勿体ないから、植樹できるように枝を一振り分けてもらったの」


「どこに植えるつもりだ。まさか、この神社の中に植えるつもりじゃないだろうな?」
 事情を話した千恵子に青火が指摘すると、目論見をみぬかれた彼女は微笑んだ。その可愛らしい笑みに、青火はため息をつくしかない。
やれやれ、こんなものを拾ってきて……。


「根付くかどうか分からないぞ」
 特に、桜は難しいと聞く。
 青火の実質的な承諾に、千恵子嬢はますますにっこりと笑った。


「はい。それでも、植えられる敷地がある場所は青火さまのところしか思い浮かばなかったんですもの。我が家も月之宮家も、ゆとりのある場所はみーんなカボチャに占拠されてしまって、もうキュウキュウになっているのは知ってるでしょう?」
「それが、戦時にあるべき姿というものだ」


「青火さま、植えてもいいですよね?」
「……どうせ挿し木をするなら、ここから右手側の鳥居の傍に植えるといい。ちょっとシャベルをとってくるからそこで待っていなさい」
「やったあ。それでこそ、青火さま!」
 そこまでの手間でもない。
 先ほど起こった恐ろしい現実を振り払うように、ちょうどいい気晴らしの種を持ってこられた青火は逃避願望を殺せずにシャベルをとりにいく。
倉庫にてとってきた庭木用のそれを持ってくると、千恵子に言った。


「少しは働いているのか」
「わたし、千人針に引っ張りだこになっているの。霊力の才能がこんなに低いわたしでも、ご利益があるかもしれないからって縫い針を持たされてるのよ」
「それは良かった。こういう時に1人だけサボっている娘だったらどうしてやろうかと思っていたところだ」
 硬い地面にシャベルを突き立てると、ガリガリ音を立てて掘っていく。1.5mくらいの穴をぐるりとあけると、そこに桜の枝を突き立てた。


「花が咲いたらどうするつもりだ?」
「この木の花が開いたら、みんなでお花見をしましょうよ。青火さま」
「……花見?」


 今植えている枝に満開の桜の花が咲いたら、月之宮家のみんなでお花見をしましょう。と、千恵子はくすりと笑って口にした。
 この自分の根城にしている社の敷地で花見をする、ねえ……。この木が花を咲かせるようになるまで、何年かかることだろう。


「それまでに戦争が終わっているといいが」
 青火の口から思わず出てきた言葉はこれであった。
 資源の少ない日本において、戦争の長期化は敗北が近づくことを意味していた。
 千恵子は小首をかしげて、呟いた。


「きっと、すぐに終わります」
「だと、いいのだがな」
「終わらない戦争はありません。いつの日か必ず、この暗やみも兵隊さんたちが切り捨ててくれる日がやってきます。ここは、お侍さんの国ですから!」


 今さっきサイコロを振っていた青火としては、そこに良からぬ異変が生じたことを知っていたので、そんな千恵子の言葉に多少勇気づけられた。
 そうやって、千恵子は20分ばかり話しをしていった。


 その中でも特に印象に深く残ったのは、少しづつ軍で流行りそうだと日之宮家の男が歌っていたという『同期の桜』であった。
 それを聞いてすっかり覚えてしまったという千恵子が、
『貴様と俺とは同期の桜――咲いては散りましょ国のため』という歌詞の部分を抜き出してみせたのである。


「つまり、何が言いたい?」
 これから一守の職場である軍に行こうとしている青火が訊ねてやると、千恵子はちょっとかなしそうな表情になって、「五季さまもみんなも、咲くのはいいですけれど散らないようにしてもらいたいです」と言っていたことである。


「大丈夫だ。日之宮家と月之宮家の動員は、国内に限定されると通達が来ている」
「それでも、あんまり国の花が散るだのなんのと歌って欲しくはないです」
 菊と桜が国の花としてあがめられる中、その散りざまばかりを取り上げて欲しくはないようであった。






 さて、青火がそんな千恵子と別れて電車でちょいと乗っていくと、一守や信次のいる国会議事堂前の軍部の息がかかった事務所に到着する。
 そこに闇市で買った食パンを片手に持っていくと、立派な事務所の中で鏡を覗き込んでいた一守が背を向けていた。軍服を着ており、階級は陸軍の呪術大佐である。


「……やあ、どうしたんだ。昼間っからこんな所に」
 疲れた一守の挨拶代りのくぐもった一言がこれである。
「用がなけりゃ、わざわざ来るもんか――僕の持っているサイコロに凶事が出たから、報告に来たんだ」


 貴重な炭水化物である食パンを手渡しながら、青火も負けじと言い返す。


「凶事って……まさか青火、お前も似たような目にあったのか」
「似たような目に、って……」
 手渡そうとした食パンに、一守は指を伸ばそうとしない。この贅沢ものめ、と最初は思った青火であったが、徐々に嫌な予感がしてこう告げた。


「おい、ちょっと待て。呪術大佐の月之宮一守!どうしてお前は僕がやってきたのに振り返ろうとしないんだ」
「……やっぱり、すぐに気が付いたか」
 俯いていた顔を上げると、仕事部屋をきょろきょろした一守は力なく呟いた。


「ご覧の通り、鏡を覗いていたら閃光弾に眼をやられた」
「眼をやられたって、もしかしてお前……」
 まさか、視力が落ちているのか。と、青火が血相を変えて言った。
 手にもっていた食パンをテーブルに載せると、振り返った一守の白くなった面に向かい合う。


「ああ、畜生。中国地方のあれを見てから日に日に視力が落ちてくんだ。貴様の持ってきた事案も、恐らくはこれ絡みに違いないだろうよ」
「視力が落ちてくって……、おい一守!教えろ!」


「飛行機を甘く見てる青火には到底信じてはもらえないだろうよ、これから日本に落ちる爆弾のことは極秘事項だ。いくら生まれてからの仲だと言っても、周囲に早々打ち明けられることじゃあない」
 いつもの飄々とした様子とは売って変わって、重々しい発言。


「これでは、私もいさぎよく散れなくなってしまった」
「散る必要なんかないだろう。つまりはお前も、負傷兵の仲間入りということか?」
 ぎこちなく頷いた一守に、青火は深くため息をつく。


「今日、僕が運命を変えようと使っていたサイコロが、1つ壊れたんだ」
「それは、青火がわざと壊したのではなく、勝手に壊れたのか?」
「ああ。戦況を変えようと使ってる途中に壊れた。突然指先に痺れが走ったと思ったら、パンッと弾けて壊れてしまった。ちょうど、一年後かそこらの未来だ」
 青火の説明に、一守もため息をついた。ガシガシと黒髪をかきむしって、汗の雫がとぶ。近くにあった食パンにようやく気が付くと、袋をむいてかじりついた!


「……梢佑を疎開そかいさせることにする」
「親のお前の近くに、まだ置いた方がいいんじゃないか?」


「いいや、もう首都の近くには居させられない。私の眼もこうなってきた以上、岐阜か長野にお手伝いと一緒に疎開させてしまった方がいいだろう」
と不精ヒゲを生やした一守は言った。


「まさか、梢佑を連れていくのが僕になったりはしないよな?」
「それだけはない。青火も首都が敵から狙われたときの戦力に欲しいから、結界担当の術師たちと一緒に防衛の任にあたってくれ」
「そうか」


 逆に、一守がここまで言うということは、いつかは再び東京は空から狙われるということでもある。あからさまに期待されているのは防護の結界術の方で、攻撃の方は殆ど軍隊から期待されていないらしい。


「今は、大砲や爆撃の時代だ。要人を守れる貴重な結界術師を海外に派遣して死なすことほど勿体ないことはない!青火、貴様もそういう心づもりでいてくれ!」
「あい分かった。つまりは、お前が僕らに大きな隠し事をしてるってこともだ」
 本土防衛戦の為に日之宮と月之宮を温存しなければならないほどの、どんな爆弾を見たのか決して口を割ろうとしない一守に、青火は歯噛みをした。


「それで、他には何の用だった?」
「千恵子が僕の社に桜を植えに来たんだ。そのこともついでに報告してやろうと思っていたんだが……」
「何の桜だ?」
「河原に植わっていた里桜の枝を貰ってきたんだそうだ。で、花が咲いたら月之宮家のみなで花見をしようと伝えてくれと言づけを頼まれてきたんだが……」
その眼では見えないんじゃないか?と続けようとした青火の視界に飛び込んできたのは、面白そうに大爆笑をした一守の姿であった。


「すまないね、こちらとしては桜と聞くと同期の桜を連想してしまって……」と一守。
「またそれか!」と青火。
 あの桜を話題に出すと、みんなで同じ連想をするらしい。


「私としては、この歌を聞くといつも信次と青火どのを思いだすんだ」
「へえ、そりゃあどうも」


「けれど、そんなに可愛い話しを聞いてしまっては、これは我が家で歌うときだけでも替え歌をしてやらねば千恵子嬢が可哀そうだな」
「どんな風にだ?」
 青火が訊ねると、ニヤッとした一守がこう口を開いた。


「貴様と俺とは同期の『ツバキ』~、同じ兵学校の庭に咲く~、咲いた花なら散るのは覚悟。見事散りましょ国のため~」
「悪くないな」
「だろ?」


 危うく失明しかけた一守は、「我が家でこの曲を歌うときには、桜ではなく椿で替え歌しようじゃないか」と紡ぐと。
「そこまで心配しないでくれたまえ、これで前線に出なくて済んだと思えば儲けものなくらいだ」と続けて青火に言ってみせて、ヘラヘラ笑った。
 この作り笑顔が崩れるのは二週間後。
 今度は次男の月之宮信次の体調が悪化して、肺を悪くして勤務不可となったときのことである。









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