悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆63 柳行李 (5)

「……わたしは、モネで想像していました」
「どっこい。オレは、フェルメールが出てくるんだな」


 千恵子は、驚いた顔になった。
しばらく考えていたようだが、瞳がぱあっと輝いた。


「すごい。『真珠の耳飾りの少女』の隣にレモンがあると、影の暗さが全然違ってみえる!作品の印象が親しみやすくなるわ!」


「でも、ここで考えた本と……そうだな、柚子を組み合わせるとどうなる?」
 クロード・モネやフェルメールの画集に柚子の果実を乗っけると、ぐんと雰囲気が変わってきてしまうだろう?
レモンじゃなくても、それって美しいかな?


「先生は、なんてことを考えるのですか。
そうやって柚子と一緒に考えるなら、岩絵の具よ。洋画より日本画じゃないと!」
「浮世絵も見栄えがするだろうが……。実際に試してみたら、柚子とモネもいけるかもしれんぞ?」


「先生の発音だと、柚子と餅みたいに聞こえてしまいます」
「千恵子さんのせいで、旨そうな組み合わせになっちまったじゃないか」


 柳原が頭の中で蓮の池を想像していたのが、お雑煮になってしまった。
 びよーん。といった効果音がぴったり。
こんがり焼いた餅には、柚子味噌なんか合うだろうな。おっと、脱線、脱線。


「じゃあ、蜜柑ならどうだ?」
「先生は、お蜜柑で芸術を感じられるのですか?」
「コタツが真っ先に思い浮かぶな……」


 漫画の『のら○ろ』や、お色気ポスターとの相性は良さそうだが。蜜柑と画集は、難しいかもしれん。


「じゃあ、金柑と文旦は!」
「先生、極端すぎます。大きさがまったく違うじゃありませんか」
「そこを何とか……無理か?」


「金柑では画本の大きさに負けますし、巨大な文旦を載せたら、本そのものが見えなくなってしまうもの。
文旦では、主張しすぎてしまうわ……。あの短編は、レモンだから素敵なのです」と。
千恵子は小鳥のように首を傾げた。


「でも、考えたら楽しくないか?
こう、書店にでっかい文旦を持っていって、そこの本の上に、コッソリ置きっぱなしにして逃げていくんだ。それこそ店員の度肝を抜くことになるぞ」
 柳原が嬉しそうに言うと、冷たい目をした青火が突っ込んだ。


「それは、たんなる迷惑行為だ!レモンだろうが文旦だろうが、大して変わらん!」
「青火さんに『檸檬』が全否定されちまったよ!」


 これだから、現実主義者は!


「俺も、青火さまに同感だ。千恵子にすすめられて読んだけど、買った果物を、どうして書店に捨ててくのか意味が分からない」
 五季も、真顔でそう言った。そんな婚約者に、千恵子が唇をとがらせる。


「捨ててくのではありません。店員を驚かせるのです」
「だったら、銀杏やヘビの方がいいじゃないか」


「五季さまは、何にも分かってませんっ!あの小説を美しいと思わなかったのですか!?」
「……眠くはなった」
「ねっ……!」
 正直な五季に、千恵子は絶句した。そのまま、への字口になる。
 すうっと息を吸いこんで、


「五季さまの、あんぽんたん!」
「夢見がちすぎるのは、そっちじゃないか!」


 おいおい、喧嘩はよしてくれよ。
 長い黒髪を振って、千恵子は腕をくんだ。


「大体、あの主人公は金遣いに問題があるんだ」と、青火が目を眇めた。
「え?」と、柳原。
 金遣い?


「貧乏人なら、レモンを買う金があったら米を買え。書店に捨てずに自分の腹にいれろ」
「たしかにそうだな! 俺だったら、団子とかにする!」
 五季が、ぽんっと手を打った。


「あんたら、そういう話にしちゃいますか!」
 柳原が叫ぶと、
「僕がその立場だったら、米か酒にするな。……いや、やっぱり酒の分は小麦か芋にした方が……」


「何を真剣に考えちゃってんの!? 今、何の話題になってるんだ!?」
「……貧乏なときに、金があったらどうするか」
「『檸檬』のれの字も残ってねえな!」


 柳原は、頭が痛くなった。彼の心境などいざ知らず、五季は大マジメに言った。
「青火さま、そこは塩も必要だと思うぞ」
「それもそうだな」


 自由に解釈していいとは言ったかもしれんが、180度逆方向に突っ走っている。……いやはや、文壇に怒られそうな会話だな。


 ため息をつくと、
「ところで、その千恵子さんの荷物はどうした? やけにでかく見えるんだが……」
 柳原は、先ほどから気になっていたことを訊ねた。
 子どもたちの隣には、唐草模様の風呂敷があった。人目を忍ぶ泥棒が好きそうな柄をしている。


 千恵子は、眉尻を下げた。
「あの、先生にお願いがあって来たんです」
「お願い?」
「よかったら、良かったらでいいんですけど……」


 千恵子は、柳原に言った。
「このレコード、どうか先生がもらってくれませんか?」


 そっと風呂敷が紐解かれ、露わになったのは、何枚もの洋楽のレコードだった。
 白くて柔らかい指が、黒い円盤をこちらに見せてきた。
 電灯にあたって、光が反射する。
 これには、アメリカから伝わってきたジャズ・ミュージックが刻まれている。


「こんな高そうなもの、いいのか?」
「もう、家には置いておけないんです。
お父様が、『敵国の音楽なんか聴くな!』って家中のレコードを割ってしまったの。
わたしのレコードも、隠してたのが見つかったら壊されてしまうわ……」
 千恵子は、その表情を曇らせた。
ピアノを習ってきた彼女は、これらをとても大切にしてきたのだろう。美しい状態が保たれた品だ。


「俺のやつは、一守兄さんに捨てられたんだ。全部取り上げてくことはないじゃないか!」
 むすっと五季が言った。
こちらは、もう壊されてしまったのか。


「だったら、青火さんに預けておけばいいんじゃないか?オレに渡したら、田舎までいっちまうぞ?」


「青火さまは、一守さまと仲がいいんだもの。信用できません」
 千恵子が、キッパリと言った。


「たまに胡散臭いし、俺たちを大人の事情で裏切りそうだもん」
 五季まで、ザックリと言った。


 うわ、子どもって容赦ない。そばに居た青火は顔に出さないようにしているが、内心ではけっこう傷ついている。


「…………お狐さま、アンタ報われてないんじゃ……」
「余計なお世話だ」
 柳原がこっそり話すと、青火は低い声で言った。空回り気味なのは、本人も自覚しているらしい。……少々、恨めしそうだ。
苦笑しながらレコードを受け取った雪男の姿に、狐神はそっぽを向いた。






 その後、二泊三日滞在した柳原政雪は、円盤と本を持って田舎へ帰っていった。
 青火と駅で別れる時、彼は訊ねた。
「ところで……青火さん。オレとしては最後に、つばき柄の湯呑を使わなくなった訳を教えて欲しいんだが?」
「……お前、変に目ざとい奴だな」
 見送りに来た青火が、妙な顔になった。


 社で長らく使われていた湯呑が無地になっていたことを指摘してみると、
青火は白い喉をうごかして、「不吉だからに決まってるだろう」と言った。


 椿の花は、武家には不吉だとされている。花がぼたりと落ちるのが、首が落ちる切腹に繋がると噂されているからだ。
……どうやら戦時に、客のもてなしに出さないように一揃い処分したんだろう。


「ははっ なーるほど……」
 これもまた親愛なる月之宮への、分かりにくい優しさってことだ。
 柳原はにやりと笑って、清々しく手を上げた。


 ――じゃあ、またな!







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