悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆62 柳行李 (4)





 柳原は、社で二晩泊まっていった。
 はるばる都会までやってきたわけだが、あいにく贅沢の禁止令によって観光名所はどこも閉鎖されたり、自粛されたりしていた。
こうなると、貯金で遊ぶわけにもいかない。
 午前中に柳原が散歩してみたところ、この界隈も様変わりしていた。
 以前訪れたときに立ち寄った洋食屋は閉まってるし、人々は国民服やモンペ姿になっている。
その鬱屈とした空気を感じながら、戻る前に新聞を一部だけ買った。


 柳原は滞在していた時間の大半を、読書して過ごした。好色なものではなく、軍の政策を批判するものばかり読んでいた。
寝ることも忘れて活字とたわむれていたら、あっという間に朝が来て……。
柳原がハッと気が付いたときには、もうそれを通りこして夜になっていた。




「――田舎から、先生がいらしたって聞いたんですけど……」
「ああ、奥の方で今朝からずっと本を読んでいるよ」


 しんと静かな冬の夜に、外で青火が誰かと会話をしている気配がする。
 ……誰だ?
この声、やってきたお客さんは女の子か?


「……うわっ これ、隠さんと!」
 柳原は、目の前に散乱していた本に慌てた。
 この発禁本が女子に見つかったらマズい。
ここにある本の全てが、公になってはいけないものばかりだ。
 さあ積んで、揃えて、縛って、風呂敷で包んで!


「おい、柳原! 千恵子が、わざわざお前に会いたいと来ているんだが――」
 ――雪男が、危険な本を行李の中に押し込めたとき、狐が部屋に顔を出した。


「ハイハイ、なんでございましょうか!?」
 柳原は、声が裏返った。


「……どうした?」
「ナンデモナイデス、青火さん」


 やけに片付いた床。パンパンになった行李。焦り顔の雪男。
青火はそれにため息をつくと、「妙な思想は、千恵子に吹き込むなよ」と牽制した。
 柳原は、コクコク頷いた。立ち上がると、強ばっていた背筋がぽきっとなる。ずっと本を広げていたせいだ。


 客間の方へ向かうと、綺麗な黒髪の女の子がいた。
日之宮千恵子は、前に会ったときよりも可愛くなっていて、コートにモンペを履いていた。


「せんせい!」
 嬉しそうにえくぼができる。お嬢様育ちの発声をしていた。
 その隣には月之宮五季がいた。これまた、ぐんと背が伸びている。


「お久しぶりです、先生」
 軍帽を被った五季も、好感のもてる笑顔を浮かべた。マントを羽織ってきたらしい。


「でっかくなったなあ、2人とも」
 柳原が驚いてしまうと、
「尋常小学校のときと比べられても困るさ」
 五季がへへっと笑った。
彼は、ただ今14歳。本人の希望で中学校に在籍している。


「そのうち、先生の頭だって追いこしてやるのだ」
「ほーお、言ってくれますなあ。五季くん」
 小生意気なことを言われて、柳原はあごを撫でた。


 それにしても、大きくなったもんだ。泣き虫だったおチビさんが、なあ……。


 同じく14歳、女学校に通っている千恵子が、おかしそうに笑った。
「先生、ズボンのポケットが出てるわ。そのままで、ずっと読書をしていたのですか?」


 鈴をころがすような声で指摘されて、柳原は自分の恰好のだらしなさに気が付く。スーツのズボンはしわくちゃ、着ていたシャツの裾ははみ出しているし、髪の毛は櫛でとかしていない。


 ……また、オレはやってしまった。
ついつい読書に夢中になると、身なりを整えることを忘れてしまう。
この子たちとは久しぶりの再会だというのに――決まりが悪くなりながら、とび出していたポケットをちゃんと仕舞った。


 そんな雪男に白い目を向けてくるのは、狐神だ。
「五季、千恵子。この低俗な男を、『先生』と呼ぶ必要はない」
 羽織を着ている青火は、苦み走った顔になっている。


「まあ」
 千恵子が口元に手をあてる。


「確かに、青火さんの言う通りだ。オレみたいなオッサンにその呼び名は過ぎてるんじゃないか? お嬢さん?」
「でも、柳原さまのような人は先生としか呼べません。とっても面白いことを話してくれる、人生の先輩なんですから」
「くだらないことしか喋ってないと思うんだが……」
 柳原は、ううむと唸った。


「青火さまみたいな小姑は、一人いれば充分さ」
 能天気な五季がこう言ったせいで、会話をしていた者は思わず噴きだしそうになった。
 言うに事を欠いて小姑とは、本人の目の前でよくそれを口にできたな!


 青火がじろりと五季を睨む。
「僕が口うるさいとでも言いたいのか……?」


「あっ、いや。そーいうわけじゃ……」
「それが、お前の本心か。……いつの間に偉くなったもんだなあ?」


「みつ!三津兄さんがこう言ってたんだ!」
「他人に責任転嫁するな!」
「本当だってぇ!」
 青火にグリグリと頭を絞めつけられて、五季は痛さに叫んだ。


 おかしそうな千恵子は、今にも笑い出しそうなのを我慢している。淑女レディらしい気づかいだが、傍目にはバレバレだ。


「ふふっ 先生は、何をしに上京してきたのですか?」
「……あーまあ。久しぶりに本を探しにだな?」
 千恵子に訊ねられたが、柳原は曖昧に誤魔化した。狐さんとの闇取引は、言うにはばかられた。


「前にお会いしたときも、そうでしたね!
わたしたちに本を読み聞かせしてくれたときから、ちっとも変わらないんだわ。
登山の写真を見せてくれたり、ザリガニの釣り方を教えてくれたり!」
「そんなこともやったなあ……。あれから、少しは本を読むようになったか?」


 確かに、この子たちとは小川でザリガニを釣りにいったことがある。一匹だけ捕獲したザリガニを茹でようとしたら、泣かせてしまったのだった。
 その情けない思い出も、彼女の中では宝物のように大事にしてくれていたらしい。


「先生には負けますけど……」
「へえ。どんな本が好きなんだ?」


 千恵子は「最近読んだものでは、『檸檬れもん』が好きなんです」と言った。いじらしいことに、少し頬を上気させた。


「なるほど、梶井基次郎か。いい趣味をしてるじゃない?」
 梶井は、退廃的な短編を書き残した小説家だ。社会からの評価が高まる前に病気で早世してしまったことが、惜しまれる。


「ニヒリズムという奴を千恵子さんも味わうようになったのか」
「そこまで難しいことは考えていません。ただ、わたしもレモンイエローの絵の具がお気に入りだったので……」


「ほーう。文学をいかめしい法律みたいに考えてるな?」
「法律、ですか?」
「文学の解釈ほど、本来は自由に遊べるものはないんだよ。お嬢さん?」


 柳原は、ニヤっと笑う。


「ひとつ、想像してみないか。
――あの丸善の本屋にあった画本は、何の絵だったと思う?」
「えっ」


 ちょいと、檸檬れもんの主人公の気持ちになって想像してみようか。
レモンがてっぺんに載せられた、画本の山がここにあるとする。……まあ、塔かもしれんがね。
 その画本には当然、何かの絵が載っていたはずなんだが……。
 お前さんは、果物のレモンと並べて『ああ、美しいなあ!』と思える絵は何だと思う?







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