悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆58 大吟醸 (3)





 庭園に植えられた紅葉が風にそよぐ。1枚が暗やみに舞い落ちる。
 一守は、霧のかかった眼差しでそちらを眺めていた。


「それは、生物としての問いか?」と青火は眉間にシワを寄せた。タコの唐揚げを行儀悪くつまんで口の中に放り込んだ。


 お手拭きで油に濡れた指をぬぐい、しょっぱい衣の海産物をそしゃくしていると、
一守は「私が言いたいのは、定義の問題だよ。……いや、生物が何たるかを学術的に定めるのが人間であるのなら、内包されているかもしれないがね」と返してきた。


 青火は、蛸を呑み込んだ後に嘆息をした。
「……仏教に隠れて、ウサギを食ってたお前の先祖を思い出したぞ。これは、獣ではなく鳥なのだと言いはって、こっそりさばいていたもんだ」


 戒律の甘そうな寺の近くを狙って狩りにいく、嘆かわしい連中だった。
一匹ではなく一羽、と用心深く数えていた辺り、これだって定義をすり替えた話しではある。
狐もウサギや鹿の肉をめあてに狩猟に同行していたので、これに関しては責められる立場ではないのだが。


「それはけしからんな、罰当たりだ」
 一守は口ではそんなことを呟いて、少しだけ笑った。
野ウサギの旨さを知っているだけに、そこまでして食おうとした先祖の気持ちを理解してしまったのだ。


「青火は、欧米から日本人がイエローモンキーとさげすまれていることを知ってるだろう?」
「ああ」


 胸くその悪い差別用語だ。
白人とは肌の色が違う黄色人種を、猿と呼んであげつらう言葉だ。


「これを聞いて不快にならない奴は、日本人にはいないだろうさ。
文明開化以降、私たちは西洋への劣等感コンプレックスを奥底で抱えているのだからね」
 一守は、露骨なことを言った。
青火は、処によってはひんしゅくを買うセリフに頭痛がしてくる。


「軍人なんだから言い回しには気を使え。いつ盗み聞きされて足元をすくわれるとも……」
「では、酔っ払いのたわ言にしておいてくれたまえ」
「おい」
「今現在の私は、正体不明だ」
「おい!」
 泥酔者をかたった一守は、徳利をゆらした。
ほろ酔いといったところだが、まだ酒を楽しむつもりらしい。


「……青火、むこうの言い分にしてみると、白人は黄色人種や黒人と比べて優秀に生まれついているらしいぞ。笑わせてくれることに頭のできや遺伝子から違う生き物なのだそうだ」
「それは僕への褒め言葉か?」
 金髪に青い瞳のアヤカシが皮肉ると、一守は笑った。


「ご冗談を、彼らはあくまでも人類の頂点に上りたいのだ。そこの王座でぎゅうじるのを夢見ているのだよ」
「それが電気椅子にならなければいいがな」
 青火は冷たく言った。


「はっは! どちらも痺れる思いがすることには違いない!」
「薄気味悪い。恋慕しているとでも言うつもりか」


「……案外そうなのかもしれないな。
権力という蜜は、魔性の女に似ているところがある。
人間は一度の微笑みで溺れてしまうし、彼女を寝取られることなんて我慢がならない。数多の人間が独占欲に狂っていくのだ」


 つやっぽいセリフの裏で、だれのことを暗に語っているのか。
それは豊臣秀吉か、ブルボン王朝か……枢軸国のことだろうか。
 思い当たる人物を挙げ始めたら両手の指じゃ足りなくなりそうなので、青火は具体的に考えるのをやめた。
すり寄ってきた美女を足蹴にしたことはあっても、自分からサッパリ口説いた試しがない狐は、女に溺れる心境というものに見当がつかなかったのだ。


「つまり、お前は彼のことを言いたいのか」
 名指しはしない。
 恐怖支配の独裁者を、日本から5000マイル以上の距離があっても表立って非難することはできない世になっていた。
その存在と同盟を結んでいる以上、残虐な行いを堂々と否定すれば死刑にされかねない。


「ご名答。私は、それも含めて思うところがあるのだ」
「一守が牢屋送りにならない程度なら聞こうじゃないか。子持ちの自覚がないとはいわせないぞ」
 女中から手のひらを拭いてもらった梢佑は、はじける笑顔で風車を見ていた。どうやら回す役にされた五季が息を吹きかけている。


「できましたら、自分にも聞かせてもらいたいですね。兄さん」
 ……コップの氷をカラン、と鳴らして。
口を出したのは、影の薄いことに定評のある次男であった。
この間まで仕事で衰弱していた名残に、痩せて頬骨がういていた。


「もう身体はいいのか」
「お蔭さまで」
 幸薄そうに、次男は微笑んだ。
「もうじき、仕事に戻るんですよ。今度は、日之宮の同僚が倒れかねませんから」


 軍の中で長男が占術を担っているのに対し、次男は呪詛じゅその方面を割り振られている。のろいを吐くことが身を削ることだと知っていながら、それでも軍に戻ろうとする彼に、狐はかける言葉がなかった。
 いつから月之宮の敵は、守るはずの人間となってしまったのだろうか。


「つまり、私が憂いるのは『人間』となるには多数の承認が必要だという事実なのだよ」
 一守は、冷淡にもそう述べた。


「それで定義の問題か」
「自分が人間だと、主張するだけじゃ足りないということですか……。なるほど、今起きている収容所のことはそうですね」
 顔を歪めた次男は、納得してしまう。


 国家から、『お前たちは同じ人間ではない』と断言されてしまえば――その瞬間から、泣こうがわめこうが、動物・家畜・獣としての扱いをされることになるのだ。
 動物にされてしまったら、人間のためにある法律もすべて適応されなくなる。
暴力をふるっても、殺してしまっても犯人は無罪になる……それは、人殺しではなく動物殺しになるのだから。
 人間として生きるには、集団コミュニティからの承認がいる。
 恐ろしいことに。




「ブラッド・スポーツの感覚でやっているのかもしれないぞ」
 青火が吐き捨てた。
「そういえば、今でいう狐狩りで亡くなったのでしたっけ。青火様は」
「そうだ」
 そこまで文化的な見世物じゃなかったが。


 ブラッド・スポーツとは、動物に虐待する様を見て楽しむ遊戯のことである。広く人間も含めれば、ローマの剣闘士だってその1つになるだろう。


「で、先ほどの有色人種への差別意識に戻るわけだが……」
「云わなくても分かる。つまり、あの国が日本人も迫害の対象にするんじゃないかと心配しているのだろう」


「ですが、兄さん。我らは二等種ですよ。
アーリア人である証明はアルファベットも使っていない以上難しいでしょうが、彼は親日家だと周知のことじゃありませんか」
「弁論が巧みなのも、な」
「知っているか。苛めや迫害の理由とは、後付けされることが多いのだ。肌を見ただけで嫌悪する者がいるというマイナスの感情がいけないのだよ」


「そんなことを言い始めたら、月之宮の人間なんて剣から衝撃波を出すんですよ。皮膚の色以前の問題になってしまいます」
「だから困るんだ」
「え?」


 話しの核心が見えた青火は、深く息を吐いた。
……だから、生物としてのことかと最初に訊ねたのだ。
怪訝そうな次男に、長男の一守は遠い目をして言った。


「忘れたのか。うちは、神族やアヤカシの末裔だろう」
「……あっ」
 次男の顔色がなくなった。


 軍で重用されていたから油断をしていたらしいが、そもそもこの一族。かろうじて人間に留まっているかもしれない、といった程度にまで人外の血が混じっているのである。
 初代から引き継いだ霊力が薄まっていかないように、アヤカシが人間とつくった子どもや、神族を祖先に持つ娘など、人外との婚姻を重ねていった末にあるのが現在の月之宮家である。


「あの国は優秀な遺伝子を残すとされていたので、我が家は安全だと思っていたのですが」
「逆に化け物として退治されることを考えないんだな、信次は」
「全くもって……」


「何ら疑問を持たずに仕事をしていたわけか」
「そういえば、そうかもしれません」
 大らかすぎた次男(軍属)の言葉に、長男はこめかみを押さえた。


「私たちの働きによって、我が一族の進退が決まるということは……」
「そこは意識していますよ。帝国の為に命をかける覚悟で、軍に入ったのですから」
 次男は生真面目に頷く。キリンのビールを飲んだ。




「こんな時勢に、今度の首相は務まるのか」
 青火が眉根を寄せる。
 フランスが敗れたとはいえ、ヨーロッパでの戦争は激しく続いている。
 日本にもきな臭さが漂っている中での内閣成立だ。ここで倒れたらすべて総崩れになるだろう。


「軍のバカどもを黙らせる為の人事さ。陛下への忠義でいえば期待できそうだとは思うがね」
「兄さんは、T氏を支持するおつもりですか」
「私個人としてなら、そうだ」


 長男の意見表明に、次男は「そうですか」と呟いた。月之宮家全体の方針は保留されるということだ。


「極論を申せば、私の夢が叶うのであれば総大将が誰でもいいのだよ」
「……それはまた」
「それなりの脳みそはあった方がいいと思うぞ」
 一守は、ただ微笑んだ。
 青火はしかめっ面に腕組みをする。そうして、静かに青年へと言った。
「……その夢とはなんだ」


「私の子どもが、大手をふって世界で『人間』と名のれる未来が欲しい。
その為に、日本人が一等の人種として当たり前に生きられる未来を勝ちとらねばならん――」


 イエローモンキーでもなく、二等人種でもない。
人間としての土俵に立てる世界が、一守は他でもない息子の為に欲しかった。
 人間を守るためにアヤカシと交わった日之宮と月之宮。その一族の子どもらを、化け物としてむやみに処刑されない世の中が必要であった。


「――その為になら、私は夜叉となってもかまわないよ」
 一守の目は、爛々と光っていた。ぐい呑みを傾けて、酒を一気に飲んでしまった。
 彼は、世界の悪人になることはいとわないのだ。


「なるほど、兄さんも父親だということですか」
 思慮深い次男が、目を細めると……、
「……ようは、それって俺たちが武勲をたてればいいってことじゃないのか?」
と甥っ子をおんぶした五季がツッコんだ。


盗み聞きをしていたのは五男だけじゃなかったらしく、「「相変わらず、長兄はややこしい理屈が好きだよな」」と双子の三・四男が呆れている。




「つまり、あれってことだろ……、みんなの役に立つと思われればいーのだろう?」
 真顔な五季に対し、
「外人の草履ぞうりでも温めますかい?」
「いーや、そこは革靴かスリッパだろ。国際的な視点を持たなくちゃいかんだろ?」
 ぶっはははは!と大笑いしているのは双子だ。


「私は夜叉になってもかまわない、だってさ」
「へいへいへい、とっくに鬼の一守って弟たちからあだ名つけられてんのにな」
「これって兄貴1人で戦う気になってんだよ」
「そりゃ、いつも片手ですませてんだから。人と協力することを忘れてんだろ……」
 ニヤニヤ話している双子に、怒った長男が怒鳴った。


「そんな気軽な話しにされてたまるか!」
「小難しすぎて、俺たちの耳が受け入れられないんだもん」
「辞苑がもっと軽ければ、携帯して一兄のありがたい話に使えるんだけどな」


 双子の憎まれ口に、「これより辞書が小さくなる日なんか永遠に来ないだろ……」と五季がぼやいた。


「貴様ら、混ぜっ返すくらいなら向こうに散れ!」
 長男の一守が、しっしと弟たちを追い払おうとすると、


「嫌だね。月之宮の未来を話すんなら、俺らにも参加の権利があると思うよな?三津」
「だよな、四津。水臭いったらねーや」
 ふんぞり返って、双子は笑った。


「頭のいい兄貴たちだけじゃ、戦力不足にもほどがあるぜ」
「俺たち、未来の嫁さんの乳も拝んでねーんだから。外人に綺麗どころを持ってかれるわけにはいかないだろ?」


 三男のあけっぴろげな物言いに、近くにいた女中の1人がスッ転びそうになった。
そこでございますか、坊ちゃま……っ、と、もごもご口ごもっている。彼女の運んでいたお盆は幸いにも転落を免れたようだ。


「動機は不純ですが、女子供を守りたいということですか」
 弟の照れ隠しを見抜いて、次男は口端をゆるめた。
 一守の目つきが厳しくなる。


 五季が、兄たちに負けてたまるかと勢いよく言った。梢佑を子守りでおぶったままであるが。
「ヒーローってやつになればいいんだろう!? 兄さん!」
「……英雄、か?」
「そう!そのヒーローだ」


 七輪の火加減をみていた千恵子が、その声に顔を上げた。目を大きくした彼女は、婚約者の五季が興奮気味に喋っているのを見た。


「俺だってすぐに大人になるんだ、一守兄さんの夢を叶える手伝いをさせてくれよ。梢佑のために、お国のヒーローになってやるのだ!」
 少年の血気盛んな言葉に、お調子者な双子が拍手喝さいした。次男もくっくと笑いながら参加する。
 ……一守が、末っ子の威勢の良さに折れた。


「それはどうも、頼もしい限りだ」
 長男が呆れて言うと、わっと彼らは盛り上がった。
 もう五季ときたら尊敬する兄の許しに喜びすぎて、なんと婚約者を抱きしめた。 五季が背負っている甥っ子ごとぶつかってきたせいで、呆気にとられた千恵子は団子にされてしまう。
 五季さまのスケベ!と、赤くなった彼女が平手をうった。


 青火は、勇ましい若者たちを一瞥して酒器を口に近づけた。
そうでないと、今の複雑な表情が見られてしまったであろうから。


 世間知らずだからこそ云えたセリフでもあり、だからこそ泥臭さのない理想があった。ガキが背伸びをしただけだと分かっていながらも、その若さが輝いて見えた。
 座り込んだ五男のところに、兄たちが酒を飲ませようと持ってくる。
 恥ずかしさに上気している千恵子には、幼児が不思議そうな顔をしている。
 次男は微笑しながら梨に楊枝をさし、長男はさばけた笑みを浮かべた――。


 秋の風が吹いていく。山々の広葉樹は赤く染まり、美しく散っていった。


 ――爆ぜて!!


 この宴会から2か月後、交渉が決裂した日本は真珠湾へと奇襲攻撃し――悪夢の太平洋戦争へと突入することとなる。





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