悪役令嬢のままでいなさい!
☆57 大吟醸 (2)
「調子はどうだ、一守」
青火が親しく声をかけると。
その気配に、畳で丸くなっていた猫が少々怯えてヒゲを震わせた。
居合わせた動物は、狐神の実力を察知しているらしく三角のみみを伏せてしまう。しっぽもからだに巻きつけた。
「私の方は、まずまずといったところだ。そちらも相変わらずのようじゃないか」
「まあ、僕の身は病になりようもないだろう」
人外である青火の返しに、「それは違いないな」と一守は美しく笑う。
飼っている三毛猫を撫ぜるのも止めて、招待主は立ち上がって客人に握手を求めた。
青火は少し嫌そうな顔になったものの、それを受けた。
日本生まれ、日本育ちの狐には、心理的に抵抗のある異国文化である。いくら見た目が金髪碧眼だといってもだ。
その渋面に、一守は愉快そうな顔になった。
仰々しく手を握ってくる彼は、こうした古臭い頭の連中をからかうのが楽しくて仕方がないらしい。
「これは宴会で開けようと持ってきた土産だ。かなりいい酒だぞ」
四足のテーブルに一升瓶を置くと、一守はラベルを見て口笛を吹いた。
「これは、新潟のやつか」
「ああ。地場のいい米で仕込まれている辛口だ、有名どころは飲みつくしただろう?」
「うちでは初めての銘柄だよ、親父が喜びそうな感じだな」
明るい顔をした男たちに、千恵子が言った。
「わたし、お支度を手伝ってきますわ。ごゆっくりなさって下さいな、青火さま」
「お前だって客だろう、千恵子」
目を丸くした五季が突っ込むと。
「……野暮なことはいわないでください」
ツンとした彼女は、長い袖をひるがえして台所へいなくなった。
五季が、勢いよく閉められた襖に唖然としてしまうと、歳の離れた兄がからかった。
「弟よ、今からもう尻に敷かれているな?」
「冗談言うなっ!」
「女ってのは、嫁ぐとなれば覚悟しなくてはならないものもあるのさ。千恵子さんはとっくにその気だぞ」
五季は、その指摘に赤くなった。
「……一守兄さんだって、義姉さんを貰うときには悶着したそうじゃないか!」
子持ちの長男は、弟から矛先を向けられて苦笑いになった。
「あれは、意固地になった妻が悪い。
昭和なのに見合いは嫌だと拒まれ、家柄目当てと蔑まれた男の気持ちにもなってみたまえ。
最終的に顔合わせにこぎつけたら、私が美しすぎて気色悪いとぬかされたのだからな」
「俺には、どうしてそこで結婚しようと思ったのか理解できないんだが」
「肝のすわり方に惚れ込んだからだと言っているだろう、五季。
あれの、気丈なとこが好きだったのだ……」
一守は、懐かしそうに呟く。
過去形なのは、月之宮一守の妻はもう故人となっているからだ――彼が深く愛した女は産後の出血によって他界してしまった。
彼女は、平凡な顔をしていたものの凛とした気風が印象的な女性だった。陰陽師の家同士の縁組で月之宮へ嫁いだのだが、生前は恋愛結婚さながらに夫に可愛がられていたものだ。
「そういえば、お前の一人息子の梢佑は元気か?」
「わんぱくな坊主に育ってるよ、今頃は風呂にでも入れてもらっているのではないかな」
青火が一児の父親へ訊ねると、一守は穏やかに言う。
「この間なんか、俺の部屋にあった船の模型をよこせと大泣きされたのだぞ」
と五季が深く息をつくと。
「仕事から帰ったら、
私の息子のために、不器用な五季が必死になって折り紙でヨットを折ろうとした失敗作がくずかごにあって……あれは久々の傑作だった!」
一守はくっく、と笑いを堪えた。
「捨てたやつを知ってたのか!?」
「梢佑が遊んでいた水色のヨットを作ったのが、別の誰かになったということも聞いた」
「千恵子に決まってるだろ、一兄は意地が悪いっ」
華族の雑談をよそに、数人の女中がネギや白菜の沢山載った大皿を運んでくる。七輪には炭がもう入って準備されていた。
てんやわんやと使用人がご馳走を並べていく中、三男と四男がそっくりの顔で座敷に入ってきた。
「「あ、うっす」」
双子である彼らが、竹刀を担いだままで青火に会釈すると。
そのおざなりな狐への挨拶に、一守が拳骨で弟たちを殴った。
「挨拶はきちんとしろと、厳しく言ったのをもう忘れたのか!貴様らは」
「「――いっ!?」」
折檻を脳天に食らわされ、
涙目になった双子は互いにひそひそ喋る。
「……士官学校に行った一兄や二兄は、軍に染まってると思わないか?」
「……いつか本物の鬼に化けても、不思議じゃないと思うぜ」
軍人教育を受けている長男が、無言で腕まくりをした。
「もう一発欲しいのか」と関節をパキパキ鳴らして、切れ長の目を怖くする。
それを向けられた双子は、慌てて結界を張ろうとした。
座学はサボっても術式行使では優秀な彼らが、盾になる呪文で身を守ろうとしているのを見抜いた長男は容赦なく拳を振りかぶった――手際のいい、軍隊仕込みの拳骨が猶予を与えず愚弟らに直撃する。
狐は腕組みをして、呆れた。
「挨拶は礼儀と処世術だろう。軍の規律は関係ないものだ」
衝撃にピヨピヨ目を回している双子に、一守は鼻をならして、
「このようなむさ苦しい家ではあるが、ゆっくりしていってくれたまえ」と青火へと言ってみせた。
この美形な長男だって、不敵な初代の血が充分に濃いように思えるのだが……。それを指摘するのはよしておくかと、狐は口を慎んだ。
予定になかった宴会であったが、料理人は奮闘してくれたらしい。
旬の刺身や甘鯛の一夜干し、蛸の唐揚げに香り高き三つ葉の添えられた茶碗蒸し、狐神の好物であるいなり寿司、長十郎の梨などなどがずらりと卓に並んでいた。
江戸切子のガラス器に入った、甘いイチジクのゼリーはことに美しく見栄えがしている。
そんな中でも今夜の主役を飾るのは、明治より広まった鍋料理のすき焼きになるようで、脂がのった和牛の薄切り肉が山ほどに運ばれてきた。
この家は五人兄弟という大ぐらいを抱えているものだから、皿の枚数がとんでもなく多いのだ。
「きゃあ、ダメですよ!梢佑くん、これはまだ赤いお肉ですっ」
宴会の最中に、千恵子が悲鳴を上げた。
あどけない四歳児が、大皿にある生の牛肉に手を出そうとしたのに気が付いてしまったのだ。
箸を握った幼子は――長男の子どもである梢佑はキョトンとしている。
「……ああ、お前は止めておきたまえ。これは腹痛の起こらぬケダモノの食い方なのだから、人間は本来真似してはいかんものだ」
酒の入った一守が、真面目な顔をして大事な一人息子をたしなめると。
「兄さん、どの口がそれを言うのだ」
「そうですよ、梢佑くんはお父さんを見ているのです」
彼と狐が、生の牛肉をワサビ醤油につけて旨そうに食べていることを周りから責められた。
悪い手本を前に、幼児は不思議そうに言う。
「……とーさまはいいの?」
「私は、自慢じゃないが胃腸は丈夫な方なのだよ」
にっこり笑った一守は、その点においては野戦に向いた体質をしていると教官から呆れられたことがある。
夏の牛乳で同期たちが食あたりした際に、1人だけ平然としていたからだ。
「じゃあ、ぼくは?」
「それをおチビさんが確かめるのは、まだ早いとも」
四歳の身体で食中毒になったら、脱水症状で死んでもおかしくはない。
梢佑は貰った答えが不服だったらしく、ほっぺを膨らませた。
おやおや、と面白そうな顔になった父親に駄々をこねそうになる。
癇癪の予兆に焦ったのは他の面々だ。
「ほら!千恵子が梢佑のためによそってくれたぞっ」
慌てて五季が、お椀に入ったすき焼きを幼児へと持ってくる。自分の生卵はどっかへ隠してしまったらしい。
「お梨はどうですか?甘くって美味しいですよ」
その婚約者の千恵子は、小ぶりにカットされた果物を持ってくる。
必死になった2人が宥めて、あやして説得にかかっている光景に――。
流石にきまりが悪くなった青火は、女中を呼び止めて自分と一守の小皿を片付けさせた。生肉に浸していた醤油で汚れたものだ。
もう何枚か楽しんだのだから、幼児にこれ以上見せびらかすこともない。
「……次からは見られないとこで食べるとするか」
「うちの神様に肩身の狭い思いをさせてしまって、すまないな」
果汁でべたべたになりながら、梢佑はすねて梨をかじっていた。元気に育っている妻の忘れ形見に、一守はどこか眩しそうだった。
「別に、この家が賑やかなのは嫌いじゃない」
青火がぐい呑みをあおると。
「ははっ、そんなことを言ってると。弟たちが所帯を持ったら騒ぎになるぞ――」
「月之宮の人間とどれだけの付き合いがあると思ってるんだ」
「………………」
一守はポツリと言った。
「……なあ、青火。
私たちの子孫は果たして人間として産まれてこれると思うかい?」
投じられた肯否定のしづらい問いが、今宵の対話のはじまりになった。
青火が親しく声をかけると。
その気配に、畳で丸くなっていた猫が少々怯えてヒゲを震わせた。
居合わせた動物は、狐神の実力を察知しているらしく三角のみみを伏せてしまう。しっぽもからだに巻きつけた。
「私の方は、まずまずといったところだ。そちらも相変わらずのようじゃないか」
「まあ、僕の身は病になりようもないだろう」
人外である青火の返しに、「それは違いないな」と一守は美しく笑う。
飼っている三毛猫を撫ぜるのも止めて、招待主は立ち上がって客人に握手を求めた。
青火は少し嫌そうな顔になったものの、それを受けた。
日本生まれ、日本育ちの狐には、心理的に抵抗のある異国文化である。いくら見た目が金髪碧眼だといってもだ。
その渋面に、一守は愉快そうな顔になった。
仰々しく手を握ってくる彼は、こうした古臭い頭の連中をからかうのが楽しくて仕方がないらしい。
「これは宴会で開けようと持ってきた土産だ。かなりいい酒だぞ」
四足のテーブルに一升瓶を置くと、一守はラベルを見て口笛を吹いた。
「これは、新潟のやつか」
「ああ。地場のいい米で仕込まれている辛口だ、有名どころは飲みつくしただろう?」
「うちでは初めての銘柄だよ、親父が喜びそうな感じだな」
明るい顔をした男たちに、千恵子が言った。
「わたし、お支度を手伝ってきますわ。ごゆっくりなさって下さいな、青火さま」
「お前だって客だろう、千恵子」
目を丸くした五季が突っ込むと。
「……野暮なことはいわないでください」
ツンとした彼女は、長い袖をひるがえして台所へいなくなった。
五季が、勢いよく閉められた襖に唖然としてしまうと、歳の離れた兄がからかった。
「弟よ、今からもう尻に敷かれているな?」
「冗談言うなっ!」
「女ってのは、嫁ぐとなれば覚悟しなくてはならないものもあるのさ。千恵子さんはとっくにその気だぞ」
五季は、その指摘に赤くなった。
「……一守兄さんだって、義姉さんを貰うときには悶着したそうじゃないか!」
子持ちの長男は、弟から矛先を向けられて苦笑いになった。
「あれは、意固地になった妻が悪い。
昭和なのに見合いは嫌だと拒まれ、家柄目当てと蔑まれた男の気持ちにもなってみたまえ。
最終的に顔合わせにこぎつけたら、私が美しすぎて気色悪いとぬかされたのだからな」
「俺には、どうしてそこで結婚しようと思ったのか理解できないんだが」
「肝のすわり方に惚れ込んだからだと言っているだろう、五季。
あれの、気丈なとこが好きだったのだ……」
一守は、懐かしそうに呟く。
過去形なのは、月之宮一守の妻はもう故人となっているからだ――彼が深く愛した女は産後の出血によって他界してしまった。
彼女は、平凡な顔をしていたものの凛とした気風が印象的な女性だった。陰陽師の家同士の縁組で月之宮へ嫁いだのだが、生前は恋愛結婚さながらに夫に可愛がられていたものだ。
「そういえば、お前の一人息子の梢佑は元気か?」
「わんぱくな坊主に育ってるよ、今頃は風呂にでも入れてもらっているのではないかな」
青火が一児の父親へ訊ねると、一守は穏やかに言う。
「この間なんか、俺の部屋にあった船の模型をよこせと大泣きされたのだぞ」
と五季が深く息をつくと。
「仕事から帰ったら、
私の息子のために、不器用な五季が必死になって折り紙でヨットを折ろうとした失敗作がくずかごにあって……あれは久々の傑作だった!」
一守はくっく、と笑いを堪えた。
「捨てたやつを知ってたのか!?」
「梢佑が遊んでいた水色のヨットを作ったのが、別の誰かになったということも聞いた」
「千恵子に決まってるだろ、一兄は意地が悪いっ」
華族の雑談をよそに、数人の女中がネギや白菜の沢山載った大皿を運んでくる。七輪には炭がもう入って準備されていた。
てんやわんやと使用人がご馳走を並べていく中、三男と四男がそっくりの顔で座敷に入ってきた。
「「あ、うっす」」
双子である彼らが、竹刀を担いだままで青火に会釈すると。
そのおざなりな狐への挨拶に、一守が拳骨で弟たちを殴った。
「挨拶はきちんとしろと、厳しく言ったのをもう忘れたのか!貴様らは」
「「――いっ!?」」
折檻を脳天に食らわされ、
涙目になった双子は互いにひそひそ喋る。
「……士官学校に行った一兄や二兄は、軍に染まってると思わないか?」
「……いつか本物の鬼に化けても、不思議じゃないと思うぜ」
軍人教育を受けている長男が、無言で腕まくりをした。
「もう一発欲しいのか」と関節をパキパキ鳴らして、切れ長の目を怖くする。
それを向けられた双子は、慌てて結界を張ろうとした。
座学はサボっても術式行使では優秀な彼らが、盾になる呪文で身を守ろうとしているのを見抜いた長男は容赦なく拳を振りかぶった――手際のいい、軍隊仕込みの拳骨が猶予を与えず愚弟らに直撃する。
狐は腕組みをして、呆れた。
「挨拶は礼儀と処世術だろう。軍の規律は関係ないものだ」
衝撃にピヨピヨ目を回している双子に、一守は鼻をならして、
「このようなむさ苦しい家ではあるが、ゆっくりしていってくれたまえ」と青火へと言ってみせた。
この美形な長男だって、不敵な初代の血が充分に濃いように思えるのだが……。それを指摘するのはよしておくかと、狐は口を慎んだ。
予定になかった宴会であったが、料理人は奮闘してくれたらしい。
旬の刺身や甘鯛の一夜干し、蛸の唐揚げに香り高き三つ葉の添えられた茶碗蒸し、狐神の好物であるいなり寿司、長十郎の梨などなどがずらりと卓に並んでいた。
江戸切子のガラス器に入った、甘いイチジクのゼリーはことに美しく見栄えがしている。
そんな中でも今夜の主役を飾るのは、明治より広まった鍋料理のすき焼きになるようで、脂がのった和牛の薄切り肉が山ほどに運ばれてきた。
この家は五人兄弟という大ぐらいを抱えているものだから、皿の枚数がとんでもなく多いのだ。
「きゃあ、ダメですよ!梢佑くん、これはまだ赤いお肉ですっ」
宴会の最中に、千恵子が悲鳴を上げた。
あどけない四歳児が、大皿にある生の牛肉に手を出そうとしたのに気が付いてしまったのだ。
箸を握った幼子は――長男の子どもである梢佑はキョトンとしている。
「……ああ、お前は止めておきたまえ。これは腹痛の起こらぬケダモノの食い方なのだから、人間は本来真似してはいかんものだ」
酒の入った一守が、真面目な顔をして大事な一人息子をたしなめると。
「兄さん、どの口がそれを言うのだ」
「そうですよ、梢佑くんはお父さんを見ているのです」
彼と狐が、生の牛肉をワサビ醤油につけて旨そうに食べていることを周りから責められた。
悪い手本を前に、幼児は不思議そうに言う。
「……とーさまはいいの?」
「私は、自慢じゃないが胃腸は丈夫な方なのだよ」
にっこり笑った一守は、その点においては野戦に向いた体質をしていると教官から呆れられたことがある。
夏の牛乳で同期たちが食あたりした際に、1人だけ平然としていたからだ。
「じゃあ、ぼくは?」
「それをおチビさんが確かめるのは、まだ早いとも」
四歳の身体で食中毒になったら、脱水症状で死んでもおかしくはない。
梢佑は貰った答えが不服だったらしく、ほっぺを膨らませた。
おやおや、と面白そうな顔になった父親に駄々をこねそうになる。
癇癪の予兆に焦ったのは他の面々だ。
「ほら!千恵子が梢佑のためによそってくれたぞっ」
慌てて五季が、お椀に入ったすき焼きを幼児へと持ってくる。自分の生卵はどっかへ隠してしまったらしい。
「お梨はどうですか?甘くって美味しいですよ」
その婚約者の千恵子は、小ぶりにカットされた果物を持ってくる。
必死になった2人が宥めて、あやして説得にかかっている光景に――。
流石にきまりが悪くなった青火は、女中を呼び止めて自分と一守の小皿を片付けさせた。生肉に浸していた醤油で汚れたものだ。
もう何枚か楽しんだのだから、幼児にこれ以上見せびらかすこともない。
「……次からは見られないとこで食べるとするか」
「うちの神様に肩身の狭い思いをさせてしまって、すまないな」
果汁でべたべたになりながら、梢佑はすねて梨をかじっていた。元気に育っている妻の忘れ形見に、一守はどこか眩しそうだった。
「別に、この家が賑やかなのは嫌いじゃない」
青火がぐい呑みをあおると。
「ははっ、そんなことを言ってると。弟たちが所帯を持ったら騒ぎになるぞ――」
「月之宮の人間とどれだけの付き合いがあると思ってるんだ」
「………………」
一守はポツリと言った。
「……なあ、青火。
私たちの子孫は果たして人間として産まれてこれると思うかい?」
投じられた肯否定のしづらい問いが、今宵の対話のはじまりになった。
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