悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆46 拾ったモノノケは責任をもって

 

 ――それから。
遠野さんが巫女職を放棄したことによって、社のセカイは呆気なく取り壊されて――瀬川松葉は、『神様』から只の『妖怪』へと再び戻ることになった。


 異世界が壊れる瞬間に立ち会うことは、今回が最初で最後なのだろうけれど。その光景は、意外にも幻想的な崩壊であった。
 ゆらゆらと、水面のようにきらめいて。平面的な空の闇は、割れた鏡のように崩落していき破片は霧となって失せていく。
 少年と少女の創ったセカイが、視界から消えていく――。
 押し寄せた現実に帰るときに、私は胸の中でしずかに思った。
……私たちは、もしかしたら2人の願った夢のセカイで過ごしていたのかもしれない、と。






 ローファーで騒々しき現実世界を踏んだ――。
 私はこちらに戻ってこられたことに安堵して、広い空を見上げた。
その時間はとっくに夕刻を過ぎていて、月が浮かび上がっていた。
闇ではなく藍色の空には、星がまたたいている。


 カワウソの作った神域では、絶対に見られない風景があった。
 学校の外にはちゃんと街並みが存在していて、道路では信号機が点滅し、役目を淡々とこなしていく。
学校の校舎には教職員が残っているのか、幾つかの窓から灯かりが零れている。人々の息づかいを実感した。


 私たちが異世界にテレポートした際に、幸か不幸か……。
1人だけ現実世界に置いてきぼりになってしまった希未は、我が家の軽自動車にあったティッシュボックスを抱えて、パニックで大泣きしていたらしい。頬には薄く塩の結晶がついていた。
 その現場に居合わせた東雲先輩から、どんな説明を山崎さんと一緒に受けたのかは知らないけれど。
社のセカイへ乗り込んだ鬼と狐を見た希未は、自分もどうにか異世界に渡れないかと、校門の境界線で座り込んでいたそうだ。
……ずうっと泣きながら、体育座りの不審者となって。
 同様に山崎さんも、奇跡が起きないかと校門を何度も往復していたらしい。


 私が今回の事件の主犯であるカワウソを自宅に持ち帰ろうとしていることを、阿鼻叫喚になっていた彼らに、なんと説明したらいいものか頭が痛くなった。




「――お嬢様、ペットは選んでください」


 カワウソの起こした悪行三昧を聞いた山崎さんは、すっごく疲れたようにそう言った。
 突如、目の前で雇い主の令嬢が神隠しに遭ってしまったのだ。
山崎さんの気持ちになって考えてみると、頭が白髪になりそうなストレスに晒されていたことが容易に想像できた。


 山崎さんは、私についていたGPSの反応まで消失してしまった段階で血相を変えて、異常事態が起きたことを、海外逃亡中の私の兄へ電話で連絡したらしいのだが!


『……うわ~。私、こっちに来てホント良かったわ』
と悠長に言い放った兄に、頭を抱えたらしい。戦力になる気もなけりゃ、協力する気もまるでない保身っぷりに。
追い詰められた山崎さんは、「お嬢様を助けに行ってください!」と正体をバラした東雲先輩に頭を下げてくれたというのだから、私の運転手にしておくには勿体ないほどの人格者だと心の底から感謝した。




 東雲先輩をはじめ、柳原先生や八手先輩に、山崎さんと一緒に助けてもらったお礼を伝えた。深々と頭を下げた後に、


「……あの、記憶を消す方法とか……ないんですか?」
 とある方向を指差した私は、博識そうな東雲先輩に訊ねた……。なんてったって、先輩は九尾の狐という実力者だ。


 東雲先輩は、チラリと見やった。
「……そんな魔法は、彼女達には残念ながら。この世のどこにもありませんよ」と、肩を竦めた。


 竦んだ遠野さんに、逆上した希未が襲いかかろうとしており、そこを鳥羽君と白波さんが必死に止めている光景だった。
私がボロボロになっているのに、犯人の彼女が無傷だったのが許せなかったらしい。
希未のぶちギレっぷりに、遠野さんの顔色ったらもう!


「それに、あの娘とこの畜生のやったことを、僕は許していませんからね」
 東雲先輩は、冷笑した。


「君も大概、自分がお人好しだと気付いたらいい頃だ」
 不機嫌そうな視線に、私の腕の中で寝たふりをしていたカワウソが、びくっと跳ねた。








 ……朝……か。
 ふわあ、と欠伸をした。白い壁紙の天井が、だんだんハッキリと見えてくる中……まだ、今日は登校日だったことを思い出す。
パジャマの裾を引きずって、はしたなく裸足で階段を下りて。とりあえず、水でも飲もうと階下のダイニングキッチンへ向かった。ねむたい意識に、何やら変わった夢を見たような心地になりながら…………、


「あらあら。まーちゃん、そんなに八重ちゃんのことが大好きなの」
 母の声が聞こえた。くすくす、と微笑ましそうだ。


「そりゃあね。……でも、今更こんなに好きになっちゃったなんて言えないじゃん。もぅ最悪、ボクって一生片想いになるのかな」
 少年の声がする。


「まあ。そんなに大事な気持ち、私に軽く話しちゃって良かったの?まーちゃん」
「んーなんかさあ。ご主人のお母さんくらいじゃないと、話せる相手もいないじゃん。ボク、すっごく切なくって幸せなのに。誰にも自慢できないって悔しくない?」
「そうねえ……八重ちゃんが結婚してしまったら。まーちゃんはどう思うの?」
「ムカつく。このままで、ボクだけのご主人でいてほしいんだけど」
「欲張りさんねえ、あなた」
「うっさいな、牛乳お代わり!」


 何を話してるのか分からないのは、まだ眠いせいだろうか。


 私がリビングに顔を出すと、
胡桃材が使われたダイニングテーブルに着席し、マグカップに入った牛乳にシナモンを振りったくる1人の少年と目があった。
 小柄な美少年は、ミルキーブラウンのくせっ毛に、アーモンドの形の目をしている。
新品の制服に身を包んで小奇麗な恰好をしていた。


「……うわ、八重さま、今の会話聞いちゃった!?」
「………………は?」
 私は、なんで早朝の我が家に謎の美少年が出没しているのかと困惑した。母が苦笑する。


「大丈夫よ、八重ちゃんったら。多分、まだ寝ぼけてるわ。うちの幹部になった、松葉ちゃんでしょう。自分でスカウトしたのに思い出せないの?」
「…………幹部?」
「昨日、八重ちゃんが自分でそう言ったんじゃないの。身寄りのないこの子を、うちで住み込みにするって」
「ああ……」


 言われて、ようやく目の前の少年の正体を思い出した。


 カワウソのアヤカシと式の契約をして、同じ敷地で暮らせるように、空いている離れを一棟くれる手配を慌ててやったんだった。
 そこらに野放しにして悪さをされても困るため、東雲先輩の冷やかな眼差しを見なかったことにして、我が家に連れて帰ったのだ。


 式の契約の知識がある執事長でさえ、まさか私が人型をとれる大妖怪を使役することになるとは想像すらしていなかったらしい。
……硬直して、しばらく石化していたのは普通の反応だろう。
どうにか立ち直った執事長が、嘘八百で父を言いくるめてくれなかったら、カワウソをリリースすることになっていたかもしれない。


 月之宮カルト教団(だと父は誤解している)には、将来の教祖である私と兄の側近として『身よりのない勤勉な若者』を『幹部として迎え入れる有用性』を主張して、瀬川の住み込みの許可と学費と生活費を、執事長は見事に父から勝ち取った。
 神妙な顔でそれを聞いていた父は、「……八重の部屋、鍵をもっといい物に変えるか」と最後には死んだ目をしていた。
私と兄が、月之宮の家業に関する決定権を握っているために、父の親心が発揮できる余地がセキュリティの向上くらいしか、口出しができなかったらしい。




「で、聞いちゃった!?」
「何を?」
 瀬川……いや、もう松葉でいいや。
マグカップをだんっとテーブルに置いて、立ち上がった松葉は、訳の分からないことを私に聞いてきた。口のまわりに牛乳のあとがある。


「……知らないよ、んなこと」
「はあ?」
 私の反応に、松葉は拍子抜けした顔になる。
バツが悪そうな彼は、おもむろに、卓上にあった納豆のパックに箸を突っ込んでかき回し始めた。……糸を引く。
力加減を間違えた箸が、ぶす、とスチロールに穴をあけた。


「ねえ、アンタ。何で一晩で瀕死から回復してんの?」
 私が顔をしかめると。
 執事長が速やかに用意した制服を着ているカワウソは、そっけなく言った。




「……ご主人がこんなに鈍いんじゃあ、ボク、これから苦労するんだろーなぁ……」
 昨日、自分のやった悪行を忘れたように。
うちの居間で、すでに我が物顔で納豆食べてるアヤカシに言われたくはなかった。






 学校に行く軽自動車に、松葉は厚かましくも一緒に乗ろうとした。
交通費を握らせて最寄りの駅から登校するように命令すると、松葉は文句を言いながらも鞄を持って歩いて行った。


 いくら何でも、そこまで待遇を良くするのも……ねえ?
 松葉が1人で生活することになる離れの、洗濯機やIHの使い方を説明していたら、
「八重さまの奴隷って、美味しすぎる……」と松葉が呟いていたので、登校ぐらいは自分で行ってもらおうと思ったのだ。
 ……ということを、山崎さんに学校に向かう道中の車内で伝えたところ。


「お嬢様のペットを入れるケージは、月之宮の豪邸なんですか……」と、山崎さんはたそがれた。


「だって、マンションに入れて何かあったら、大勢に迷惑がかかるじゃない」
「あんなの、犬小屋でも作って放り込めば良かったんですよ」
 温厚な山崎さんにしては手厳しい発言だ。


「――空き家があったから、そこに突っ込んだだけだし……。
だって、ハウスキーパーは雇ってないのよ。設備にジェットバスとか床暖房がついてるのは取り外すわけにいかないんだから仕方ないじゃない。
ご飯はうちで食べさせるけど、危ないから現金を直接渡すつもりはないもの」
 私が、むすっと説明すると、


「坊ちゃまが帰ったら、日本で一番贅沢なカワウソの住処に。なんと仰ることやら」
と山崎さんは、笑った。


「お嬢様、そんなにアレが気に入ったんです?」
「……イジメても庭先がうるさくなるだけだし。
ある程度の物品を支給しておいた方が楽なのよ。必要外の現金さえ渡さなければ、その類のトラブルをこちらで回避できるし。働きに応じて色をつければ、モチベーションが上がるでしょ?」


 ……どこか、カワウソの扱いに問題ある?
山崎さんは、私の言葉を聞いて少々沈黙する。その後にこう言った。


「お嬢様……。あのカワウソに、それをありがたがるような殊勝さがあるとは思えませんが」
「……きっと、イジメなくてもやかましいわね」


「……もしや、お嬢様。本当に犬小屋と同じ感覚で、あの豪邸を扱ってます?」
 山崎さんは呻くように、言った。


「粗末な小屋を。松葉の為だけに、わざわざ大工さんを呼んで建てる方が気力がいるじゃないの。あの空き家の維持費に、毎年幾らかかってると思ってるのよ……」


 無駄に払ってきた管理費を考えれば、カワウソを住まわせた方がむしろ楽になる。
人の住まない家は荒れやすいって聞くし。
隠し事の多い月之宮家なので、やたらめったらな他人を入れるわけにもいかなかったのだ。
そんな合理的っぽい理屈を、応えると。


「……確かに、月之宮の敷地にそのようなモノを建てる方がバカらしいかもしれません。あの見事な景観が台無しになってしまいますしねえ」
 運転手さんの不服そうではあるが、どこか納得したようなセリフに。




 ……私は、くすりと笑った。







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