悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆34 狂いかけのクラウン







 世界を形作る分子が全てバラバラな粒子になって、改めて再構築されたようだった。
 カラフルな光の乱反射に思わずぎゅっと目を閉じると――――、
空中に弾かれ放り出された私は、勢いよく何処かの地面に叩きつけられた。


「――っぅ」
 その衝撃に、息が詰まった。


 無様にも受け身をとるのも忘れていた。素足であった膝がすりむけたのか、痺れが走る。
何が起こったのか、どうして自分が地べたに転がっているのか?といった当惑にしばらく混乱していたのだけど。
私の腕を掴もうとした東雲先輩の焦燥に満ちた眼を思い出し、慌てて起き上って辺りを見回した。


 白波さんはどこにいった!?


 この辺りに、遠野さんから学校の校門めがけて突き飛ばされた白波さんの姿がないか視線を走らせると、彼女もまた斜め後ろの方で転んでいた。私と一緒に、この転移現象テレポートの被害にあってしまったらしい。
 同じように地面に体を横たえた遠野さんの姿も近くに見つけた。


「痛いぃ……」
 ふにゃあっと白波さんは泣きそうな顔で、自分の手のひらを眺めた。乱れた茶色みがかった髪に、際どくめくれたスカートからは滑らかな太ももが覗いている。


 その言葉に。私もピリピリ痛みを感じる自分の膝を触ってみると、指先にぬるっとした赤いものがついた。
 擦過傷からの血。
 それに足もとを見下ろすと、私たちが立っているこの地面はしっかりアスファルトで舗装されていた――平らかで、継ぎはぎも全くないキレイなものだ。
 ……ここは、どこなのか。
 私が痛みをこらえて立ち上がり、状況把握をしようと視界を広げると、そこは相も変らぬ私立慶水高校の正門付近で少し意表を突かれる。


 ……いや。
学校内の風景が同じようでも、見回せば忽然と消えているものがあった。


 私たちを迎えに来てくれた白いボディーの軽自動車が、跡形もなく姿をくらませていた。東雲先輩と山崎さん、希未もいないし気配もない。
彼らの存在自体がこの世界からシャットアウトされてしまったのだろうか。


 呆然としてしまうほどの奇怪なことはそれだけじゃない。
 空も町並みも、空気の動きさえも。学校の外が暗黒空間に変わっていた。
行ったことはないけれど、宇宙ってやつはこんな風に広がっているものなのだろうか……と思わせるくらいの虚無が、そう虚無って一言がひどく似合ってしまう異常な景色だ。
 口元に手をあて、酸素が吸えるか確かめてしまった。すうっと肺に新鮮な空気が入ってきたことに安堵した。
 そんな私の黒髪をぽたぽた降ってきた雨粒が濡らす。
暗黒と化したこの世界の空からも、妙なことに雨は降るし風も吹くようだ。現実世界とシンクロでもしているのか。


 ……そこで私は、消えてしまったものがそれだけではないことに気が付いた。
 とある1点の方向を見て我が目を疑う。
 こんなことってあるのだろうか。
校門の近くにドーンと設置されていたスチール骨格の看板から、そこに表記されていたはずの『大事な熟語』が奪われて行方不明になっていた。


「『私立慶水  』……?」
 ここの空白におさまっていた『高校』の2文字が看板に載っていないのだ。


 私がおかしな看板に驚愕していると、
「……遠野さん、いきなりどうしたの?」と白波さんがよわよわしく声を出した。
 前触れもなく、いきなり自分を突き飛ばして転ばせたクラスメイト女子への問いかけは怒りよりも戸惑いの方が大きい。


「…………こい、て」
 小さく、遠野さんが呟く。


 普段は内気で大人しく、いつも睫毛に伏せられた遠野さんの眼が爛々と燃えるのを初めて私は目の当りにした。
思えば、私たちは彼女の気持ちを一度だって訊ねたことがなかったんだ。
弱気で臆病な遠野さんに何かをやってもらうことばかり要求して、その隠した瞳を覗こうともしなかった。


 彼女の内側に秘められていた感情の正体に、どうして今まで気づこうとしてこなかったのだろう。




「……瀬川君が、あんたたちを連れてこいって言ったんだもの!」
 嫉妬と憎しみがこもった強い眼差しの遠野さんは、叫んだ。
その歪んだ表情に。瀬川松葉というアヤカシの黒さに惹かれてしまうほどの鬱屈を抱えているのだろうことが伝わってくる。


「瀬川君って……?」
 白波さんが呆然としている。
狂気を孕んだ、遠野さんの言葉の不吉さをうっすらと悟りながらも。この期に及んでクラスメイトの豹変を心配すらしているのだ。


 なんて無残なほどのバカ!
 私は舌打ちをして、遠野さんと向かい合う白波さんのところにツカツカ足を向ける。2人の間に強引に身体を割り込ませると睨み据えた。


 遠野さんがちょっと驚いたような顔になるも、不気味に口端を上げた。
 嬉しくて笑ってるんじゃない。きっと、彼女は怒り方を知らない人間なのだと唐突に理解してしまった。
本気で怒鳴りキレたことがなく、そういったことを我慢し続けた娘なんだ。
忍耐強すぎるくらいに己を律してきた者ほど――今のようにタガが外れたときが怖い。


 私は、己の右手をプリーツスカートのポケットに滑り入れた。昼間から忍ばせ携帯していた小刀をいつでも抜けるように。
気休めの武器しかなくとも、残念ながらここで全てを諦められるほど物わかりは良くない。


 ――やっぱり、私は月之宮の陰陽師として死ぬのか。と率直に思ったとしてもだ。


 こんな殺伐とした血生臭い仕事をしている以上、少しは想定もしていたけれど、やっぱりできるなら祖父母みたいにお布団で安らかに終わりを迎えたかった。
ところ判らぬ異世界に来てまで私のお骨を拾ってくれる身内なんていないものね。


 ゴミみたいなゲームに巻き込まれてから、今まで以上にそーいうリスクが跳ねあがったのは理解していた。
いかんと、ぐだぐだで楽しい高校生活(正味、一年三か月)の間ぐらいは私らしく生きていたといえるんだろうか。
ゲームキャラクターという誰かの考えた束縛を壊して、息ができていたろうか。
 冷たく高まっていく恐怖に、死にたくないという本能と一緒にこみ上げてきたのは、遠野さんに欠片も怒ろうとしない白波さんへの失望だった。


  認めまいとしていたけれど、私はこういうバカが嫌いらしい。白波小春のバカさ加減はこの世の人種のうちでも一等に不愉快になる。


 理想論の優しさを無条件に振りまいて、俗世の汚いものに染まらない白い心が疎ましい。
勝手に清濁の汚泥をあわれむ自分を、偽善だとすら思っちゃいないこのヒロインが憎たらしい。
見も知らぬ悪人と分かりあおうとするような、人間不信者に温もりを与えようとするような、詐欺師に騙されても恨まないような、美しき天然ボランティア精神が見てられない。
 大抵の人間はここまで清廉潔白には生きられない。
 優しさを受ければ無心に歓喜して、強欲な周囲に搾取されては戸惑うだけだなんて!そんな不思議ちゃんな妖精は最早人類だと思いたくもない。


 ……だけど、矛盾を承知で私は、白波さんの盾役を退く気にもならなかった。


 なりゆきで渋々味わうことになった彼女のスイートな優しさってやつは、なるほど、鳥羽君の揶揄した通りに麻薬モルヒネじみた効能すらもたらしてくれるらしい。
いやってぐらいに頭も冴えてるし、死の怖さにあってもどーにか立ってられる程度に心の感覚が麻痺している。


 白波さんに背を向けた私と、対峙する遠野さんは三つ編みを揺らして言う。
「……月之宮さん、そんな、ぶりっ子を庇う価値がどこにあるの……?優しさアピールして男子に媚びうって、女子を自分の引立てにしようとする嫌な女だ、よ」


 ごもっとも、とつい共感しそうになってしまった。危ない。
白波さんには意図的にやっていない分傾国の悪女の素質がある。万人には理解できない美徳ってやつね。


 白波さんが目をパチパチさせた。二の句が告げない、というよりこれは状況が呑み込めてない。
いきなり屋外で自分を突き飛ばして罵り始めた遠野さんが理解できないのだろう。
 今の遠野さんを妖怪たちの超常的な事情や背景を知らない一般人の立場で見てみると、うわこれ、ノイローゼか高熱、思春期特有の情緒不安定を拗らせてしまったクラスメイトの錯乱にしか思えないじゃないの。


 私はシリアスの温度差が激しすぎる妖精さんに呻いて、
「えっと……瀬川君が白波さんと私を連れてくるように言ったってことでいいのかしら」と目の前の犯人に訊ねた。


「……うん、そう」遠野さんが頷く。
「で、もしかして鳥羽君もそこに居たりするのかしら」
「……彼なら、頭に血が上ってたけど……片腕脱臼させて、痛めつけたら動かなく、なったよ。気絶から起きる度に騒いですごく迷惑」


 この異世界でカワウソとやりあったのか。
鳥羽君のスマートフォンに電波が届かなかった訳が分かった。
 彼に片思いしていたはずの遠野さんが冷徹にそう知らせたのに、不気味になって。
 ……ち、ふざけんな!
私は怒りを押し殺して小刀の柄をぎゅっと握りしめた。


「ここは、もしかしてパラレルワールド、かしら」
 幾点かを除き、相似した異世界に。
 私は、『私立慶水  』までしか書かれていない看板を指差して遠野さんに訊ねる。
 白波さんがその消失した2文字を見つけて、ポカンと口を開け。消えた軽自動車や町の風景、空のことにようやく気が付いたらしく暗黒な校外に己のほっぺたをつねったり、ぺしぺし叩き始めた。……夢じゃないよ、白波さん。


 私の後ろで繰り広げられるなんだか呑気な光景に脱力しそうになる。
キリッと悲壮感たっぷりに命を賭ける決意をしたというのに、ちょっと白波さんを見捨てたくなってきた。
 ヒロイン担当の白波さんはまだ頭が追い付いておらず。鳥羽君が現在進行形でじわじわといたぶられているのに、ぽやんとしている。彼の数々の尽くしっぷりを考えると早く心配してあげて欲しい。


 遠野さんと一緒に私もグレたくなるから。




「それは……」
 遠野さんが答えようとした時、その言葉を打ち切るように着メロが鳴った。私のものでは、ない。
びくり震えて怯えたような顔になった彼女は、慌てて自分のスマホを取り出すと耳元に当てた。


「……うん。そう、です」
 彼女は、ぼそぼそと小さく喋る。
 この世界でも電波はあるのか、と私はとても驚いた。
外の世界からはここには繋がらなかったというのに、内部では電話が可能だと思わなかった――基地局なんかがありそうな方向は暗黒に呑み込まれているというのに、どういった具合になっているのかと顔をしかめて。
校内でスマホ同士が繋がるだろう相手が限られた人数しかいないことに気が付いたのは直ぐだった。


 今、遠野さんが話している相手は……。
 私がそれに思い至って通話中の彼女を凝視すると、
遠野さんは少し驚いた風に睫毛を上げて、耳から離したスマホを神妙に操作した。
何をしたいのかはすぐに分かった。その小型スピーカーから、電話の相手だろう少年の声がボリュームが最大まで上げられて私たちに語り掛けてきたからだ。




『……ウェルカム。ようこそ先輩、ボクの社へ』


 ひょうきんで、楽しくってたまらない。という感情が伝わってくるボイスだった。







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