悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆33 後悔は先にたたず





 希未は、第二資料室の夕霧コレクションから、文庫本をシリーズでレンタルした。几帳面にも、1冊ごとにクリアなブックカバーがかけられているライトノベルを4冊だ。
 こんなに大事そうに保管してある本なのに、揃えた当の本人である夕霧君はむしろ希未が続きを自宅でも読みたがったのを歓迎した。
「……初版本縛りをしてるわけじゃないし、語れるファンが増えるのはオレや従兄弟みたいな人種には嬉しいんだよ」と彼は欠伸をしながら言っていた。


 コレクションの管理人さんによる快諾に、希未は文庫をビニール袋にまとめて濃紺とグレーのスポーツバッグにしまい込んでいる。
……そんな姿を傍観しながら、私はかなりヒドイ感想を抱いてしまった。




 ライトノベルという出版物につきものである、萌えそうなキャラクターのイラスト表紙が希未の手元からチラリとこちらに見えた瞬間に、気分が悪くなったのだ。


 誤解を招かないように説明するならば、そのイラスト自体はステキで魅力的なものだった。躍動感のあるデッサン、綺麗な配色で描かれているのは武器を構えた少年少女。
堂々たる、立ち姿。アヤカシでしかあり得ないようなカラーリングの地毛をしたキャラは前途洋々に不敵な笑みを浮かべている。


 ……けれど、こんなにクオリティの高い作画であったからこそ、
違和感を覚えたのは、武器を持っているのに恐れ知らずな顔つきをしていることだった。
曇りがなく希望に輝いたキャラクターたちは、戦場や狩りに向かっているというよりは、甲子園を目指す青春ドラマが似合いそうだ。
生死の危険があるストーリー設定なのに、剣を携えた爽やかな少年が欠片も自分が死ぬ心配をしていないように見えてしまったことに、私は気分が悪くなったのだ。


 なんてクレイジーな決めポーズだ。
この物語の主役が、世界の中心が自分だとでも思っているというのか……。


 完全に私のメンタルの問題なのだろうけれど、どこか傲慢さすら漂わせるその表紙に不愉快になってしまう。
こんな興ざめで、身も蓋もない思考をこの本を楽しもうとしている希未に喋る気なんてサラサラない。
上っ面だけ――表紙のカバーしか見ていない、嫌味な人間のふざけた発想だと私だって分かってる。
 ――笑えないくらいのマイナス思考なんだって。






「私、月之宮さんの家に行くの初めてだから緊張しちゃう」
 白波さんが、頬を上気させて照れながら言った。クラスメイトの御宅訪問に浮かれる彼女には小さなえくぼができていた。


「そーね。うっかり何か割ったら弁償できないから気を付けなよ」
 希未が、意地悪くぐっさり要らぬ釘をさした。余計な一言をわざと言ったな。


「こ、骨董品とかあるの!?」
「どころか、一見ただの日常品が万単位だったりするから。アンティークカトラリーとか、一点もののペンとか、タオルとか、100均にありそうな白い皿とか。 八重のお父さんって泥棒にばれないところにお金使うのが好きみたいで」
「そんなに分かりにくいの!?」
 おい、100均にありそーな皿だと思ってたのか。


「もしかして、普段月之宮さんが使ってたものも、すっごく高いの?」
 そう、白波さんがおそるおそる訊ねてくる。


「…………えっと」
 返答に窮した私は、曖昧に笑う。
 実情は、何段階かのグレード別に揃えてTPO、国内外で使い分けてるのだけど……それを素直にべろりと喋っていいものかどうか。
肯定も謙遜も、白波さんの純粋無垢な性格がどう反応してくるか予測がつかない。


わりと本気で困り、躊躇してしまったこちらの反応に、
何かを悟ってしまったらしい白波さんが「月之宮さんに粗茶を出しちゃったよ!」と悲壮な声を上げた。


「あ、よーやくそれに気づいたんだ」
 冷やかな眼差しでコメントしたのは、希未だ。
白波さんはパニックに頭を抱えてぷるぷる震えている。


「大丈夫、美味しかったわよ!」
 慌ててガッツポーズで言うと、「月之宮さんがそーやって優しいから、生まれの差を忘れてたんですーっ」と混乱状態な白波さんに叫ばれた。


 うちは、兄妹揃ってインスタントコーヒーに熱湯注ぐようなタイプだからっ
ジャンクフードだって大好きだし、そこまで毎日きらびやかな食生活はしてないわよ、おちついてってば白波さん。


 ぷく、と希未は拗ねてほっぺを膨らませた。
八つ当たりをするようにスポーツバックを振り回している。重力に従ってふりこになったバッグから、空気が抜けた。……わざと白波さんをイジメたわね。


 なんだか既に疲れてきた。
昇降口には、こんな時間だから当たり前だけど他の生徒は誰もいなかった。部活に励む人たちはもう少し後に帰宅するのだろうし、帰宅部はとっくに学校から去っている。
 そんな隙間時間でがら空きになった昇降口の下駄箱で、白い上履きからローファーに履き替える。
私が、靴に入った空気を抜くためにつま先でトントンと床を叩いていると。


「そーいえば、お土産もないです!」と白波さんが途方に暮れたような顔になっていた。


「急に提案しちゃったのは私だし、女子高生相手にそーいうの気にするような家風じゃないわ」
 私はなるべく穏やかに彼女を宥める。
 全部の本音を赤裸々に言って聞かせられるなら、そりゃあ言いたいことは沢山ある。


 『お願いだから、気おくれして逃げないで下さい。
あなたの安全をどう確保したらいいか、これから使用人と内々に話し合うんですから。遠くからでも顔見せしてもらわないとやり難いんです!余ったお寿司を平らげる兄もいないんですよ』


……って、このぽややんとした女の子にまくし立てられたら、随分と爽快な気分になることだろう。
 それができたら苦労しない。
 なるべくひっそりと脱出したい現在、


『実は、吾輩はスーパーマンだったのさ!』
『な、なんだってー!?』


 こんな茶番プロセスが、こそこそ声でチャッカリ済ませられるわけがない。……それができたら私は苦労なんかしていない。
 なんだか、無理やりこしらえた笑顔が引きつってる気がする。


 そんな私に、希未がツインテールを揺らして話しかける。
「ねえ、八重の家の錦鯉に餌あげてってもいい?」
「もう時間も時間だから、難しいかもしれないわ。夕方の餌やりを管理人さんがしてしまった後ではないかしら」
「あー、そっか」


 残念そうな希未。この会話に、白波さんが目をキラキラ光らせた。
「やっぱり大きな庭があるの?」


 去年から友人付き合いのある希未が、宙を仰いで。
「……ではすまない、かな?」
「え!?」
 白波さんが唖然とする、栗村希未はつらつら述べていく。


「戦後にみんな建て直したらしいんだけど、明治の建築様式を踏襲した母屋が一棟に、離れが五棟。使用人や重役の希望者向けに経営しているマンションが二棟に、栗と柿が植わってる家庭菜園でしょ。
後は日本庭園の茶室とアフタヌーンティーができるイングリッシュガーデンがあるって聞いてるよ。確か、あんまり母屋が大きすぎて不便だから、今は離れに暮らしているんだっけ?」


「そうね。母屋の方は商談や内輪のパーティに利用しているわ。美術品なども、そちらに飾ることが多いわね」
 我が家に着いてしまえば隠しようのない事実だ。こんな機会がなければ披露もしないけど。
 私がそう返事をすると、白波さんが唖然としていた。


「なんで今まで、話してくれなかったの……、身分不相応に遊びに行くと返事をしちゃったよお!」
 引き気味になってきた白波さん。その肩をぽん、とたたいて希未が言う。


「月之宮家のお金持ち事情は一周回ってるんだよ。自慢して優越感を覚えるよりも、ひけらかすのが最早メンドクサイんだよ。金目当ての下種がウザイんだよ」
「……私も欲深になるかもしれないのに、なんで話しちゃったの?」
「白波ちゃんに大したことができるとは、思わないし」
「わ、私だって頑張ればっ」
「八重を盗ろうとする泥棒ネコだとは思うけどね。一度夕食に呼ばれたからって調子に乗らないでよ」
「あう……」


 外を歩きながら2人の会話を聞き流す。
普段ならこのやり取りに耳を傾ける余裕もあるのだろうけれど、今の私はスマイルという仮面の裏で色々算段している。


 ――難題は、要注意人物である白波さんの安全確保にどこまで月之宮が介入できるかだ。
 アヤカシや神が本気になったら、SPを配備しても意味がないのでは……という危惧がある。
 警察に連絡して協力要請しても、恐らくは白波さんが行方不明、もとい死亡してしまった後にそれを把握するのが精一杯だ。
 個人の私生活を守るために大勢の警官を動かすのはどう考えても無理だし、何かが起きたら、霊力を持ち合わせていない彼らが殉職してしまうリスクがとても大きい……。いや、確実にそうなるだろう。


 GPSを身に着けてもらうには、白波さん本人にきちんと事態を認識してもらってからじゃないと難しいだろうし。
 彼女には内緒で細工するにしたって、あのガラケーじゃ追跡アプリを勝手に入れさせてもらうわけにもいかない。腕時計やストラップという手もあるけれど、置き忘れられたら24時間監視したってアウトになってしまう。


 ……もし誤魔化すのならどこまで嘘をつくべきか。
 あれだけ天狗が隠したがっていたアヤカシたちの全容を、無神経にも白波さんに暴露してしまっていいのだろうかと、私はこんな非常事態だというのに逡巡してしまっていた。
 こんなバカげた良心など、足を引っ張るだけなのに。






 ――伏せた目を上げて、私はほっと息をついた。
 校門の前に、見慣れた我が家の白い軽自動車がとまっているのが見えたからだ。終業のチャイムが鳴ってから時間は大分過ぎている。
 門のそばは寂しいもので、1人の小柄な女学生がそっと佇んで制服のスカートを風に揺らしているだけだった。
通学鞄の手提げを握りしめ、ハードカバーを抱えているのは三つ編みの少女だ。自信なさげな風情で誰かの迎えを待つようにそこに居るその娘の正体が、クラスメイトの遠野さんだと遠目に分かった。
彼女も今帰るところなのか……、閉館時間までずっと図書館に残っていたんだろうか。
 たわいないことが浮かびながら、少し油断して緊張が解けかけた時だった。
――背後からの怒鳴り声が私たちへとぶつけられたのは。


「――この学校から出るな!」


 聞こえてきたそれは、低い声であったはずなのにとても迫力があった。
突然のことに、息を呑んで。
 ばっと振り返ると、並木道のずっと向こう――私たちの遠く後ろに立っていたのは痩せぎすで不健康そうな男子生徒だ。
ピリピリとした空気を発しており、かなり険しい表情になっている。
 気配もなく突然現れた彼に驚いたのは、私だけじゃない。


「……辻本君?」
 白波さんが戸惑うように呟く。


 疑問形になってしまったのは、
先ほど見かけた辻本君の様子と、現在の彼の様子がイコールで結びつくのに難儀しているのだろう。


 先ほど図書館で穏やかに勉強していた時の温和さは、どこにいってしまったのか、
サッパリ消え失せてしまって――まるで別人かと疑うほどに気配が違う。
あれがジキル博士なら、今は間違いなくハイド氏だ。物騒で、黒いオーラが出ている。
不思議なのは、あれだけ沢山持ち歩いていたはずの参考書や、それを入れていたはずの鞄を今の辻本君は持っていないのだ。
完全に手ぶらの状態でそこにいる不審な彼に、私は眉を潜めて言った。


「……なぜ?」


そう訊ねると、
苛立ちを露わに辻本君は吐き捨てる。


「ずっとこの学校にいろ!その門を越えたら、追いかけられなくなるんだ」
 尊大な口調の彼の様子は、尋常ではない。
なんでだろう、私は呆然と立ちすくんでしまった。普通に考えたら身の危険を感じるシーンなはずなのに……。
不穏なものを察した希未が、私の腕をぎゅっと握りしめた。
荒々しい足どりで遠くから歩み寄ってくる辻本君が、どんどんと近づいてくる――。


「や、山崎さんっ」
 白波さんは後ずさりをして、そう言葉を漏らした。
 彼女は震えながら身をひるがえして校門の向こうへと逃げていった。
いきなり、殆ど交流のない男子生徒に意味不明なことを怒鳴られたのだ。おっかなくなったのだろう。
近場のたくましい男性である、我が家の運転手のとこへ臆病な彼女が咄嗟に駆けだしたのは、無理もない出来事だった。


「……この、馬鹿娘が!」
 顔色を変えた辻本君が、白波さんの後を追いかけようと走りだした。恐ろしく脚が速く、世界記録なんか容易く塗り替えられそうだ。


「僕が何のために傍に居たと思ってるんだ、ふざけるなっ」
 ブレザー服を着た彼とのすれ違い様に耳に入ったのは、こんな悪態。


 ……こんなにがむしゃらに、白波さんを格好つける余裕もなく捕まえようとしている彼は本当に辻本君なのだろうか?
 勉強で頭が一杯な辻本君が、こんなとこに来る意味なんて殆どない。あの猛勉強っぷりを見てしまえば、こんな妙な行動にでるようには思えない。
 そもそも、人間はここまで脚が速くなんかない。


「……あ」
 今の辻本君に扮している人物に心当たりがあった。
化けることでは有名な妖怪が1名、この学園には生徒会長として在籍しているじゃない。


 我に返った私は2人を後から追うために走り出していた。しがみついたままの希未を振り払って、砂利道を踏み切った。
辻本君に化けた彼は、学校の境界を越えようとしている白波さんを止めるために、もう粗っぽく並木道を駆けていた。
普段の気品が損なわれるわけじゃないけれど、あまり貴公子という感じでもない。


 白波さん、そっちに行くんじゃない!


 私は考えるよりも先に、白波さんを校内に引きとめようと足を動かしていた。
 持っていた鞄も友達の希未も、そこらに投げ出して。
校外に足を踏み出してしまったら何が起こるのかは分からないけれど、嫌な予感がする。


 私たちの鬼ごっこに、門の近くにいた遠野さんが驚いた顔でこちらを見る。
 1回も染めたことのない黒髪を持ち、膝小僧が隠れるぐらいの本当に模範的なスカート丈で制服を着用している彼女は、分厚いハードカバーを白い指で握りしめて。
 そんな反応を見せた遠野さんの元にダッシュで白波さんが駆けこんだ。辻本君を指差し、身ぶり手ぶりで恐怖体験を無事に説明している。
――門の外に、ごく普通に立って。




……あれ?白波さん、境界線をちゃんと安全に越えちゃってない?
いつになく、真剣に彼女のことを心配したのけど……。


 怪訝な面持ちの山崎さんが軽自動車のサイドガラスを下げて顔を出す。キーを開けて運転席から出てきた彼と、バッティングしてしまった辻本君(多分正体は化け狐だ)は少々怯んでしまった。


 山崎さんのマッチョな体格に怯えたというよりは、部外者の存在に苛立っているように見える化け狐もまた、あっさりと門の外を踏んでいた。
大分頭にきている感じなのに、どこか垂れた尻尾が見えるよーな気がするのは何故だろう。


 この化け狐さんが、一体何がしたかったのかと困惑しながら。私はなんとも首をひねって、不可解なことをしている彼の事情をちゃんと洗いざらいに喋ってもらおうと校門に向かった。鞄の回収は後回しだ。


 あ、辻本君に化けている狐がこっちに気づいた。焦ったような目をしている。
 私に文句があるのなら、校門をまたいで引き返してくればいいことでしょう。
 大丈夫ですよ、大事な白波さんの身の安全はあなたが確保してるんですから。……どうして最初からストレートにボディーガードに立候補しなかったんです?




「来るなって言ってるだろ、八重!」
「八重って呼ばれる筋合いはないですよ、先輩」
 拍子抜けしてしまった私は、そう苦笑して可愛げのないことを言うと。学校外の敷地を踏もうとローファーの踵を地につけた――。


 ぎゅっと踏んだのは、かたくて確かな地面ではなかった。
頼りないトランポリンみたいな、何かの膜にすくい上げられたようだ。平衡感覚が狂って転倒してしまいそうになる。
三半規管が変調をきたしたのが鼓膜で感じられて、奇妙な浮遊感に全身が包まれた。


「きゃっ」
 門の外にいた白波さんが驚いたような悲鳴を漏らした。
 異変が起こりそうになっている危ない境界線上に、転んでくる白波さんが視界の端で見えた。誰かに、後ろから思いっきりに突き飛ばされたのだ。


 優等生で評判な遠野さんの、シンボルである黒いお下げが舞った。大事に持ってたはずの本が、白波さんを非情にも転ばせた勢いで道路にガツンと落下する。
そんなことには構わず――文学少女・遠野ちほは薄い唇をつり上げて、白波さんともつれあうように境界線上(border)に自らをゆだねて飛び込んでいく。
 吹奏楽部なのに放課後の練習をずっとサボって――私たちが顔を出したときに偶然・・にも影薄く図書館で本を読んでいたクラスメイトの遠野さんは、彼女に観察されていたことに気が付かなかった愚かな私たちを笑った。


 乱視のように視界が歪む。風景がぶれて、その残像で吐きっぽさを催させる。
 辻本君に扮していた狐が目を見開いて、異変に巻き込まれそうになっている私の手首を掴もうとする。
日本人にはありふれた黒い瞳であったけれど、その強い眼差しは青い双眸であったころに見覚えがあった。
 東雲先輩、ごめん。私、けっこう間違えちゃったみたい。


「…………っ」
 歯を食いしばった彼が伸ばした筋張った手が、こちらの手首を握れずに空ぶってしまったのを、最後に。




 ――――開錠(unlock the gate)
 私と白波さんの身体は、クラスメイトの遠野さんによって異世界へと強制的に吹っ飛ばされた。







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