悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆17 プールサイドでふざけてはいけません







 キャロル・恵美・ベンジャミン三年生に呼び出されたのは、中間テストが終了した直後だった。クラスメイトは勉強漬けから解放され、カラオケ会などを相談しているのに対し、私たちは本日、彼女の気が済むまで付き合わねばならないらしい。


 正直、私もこの一週間は夜更かしをして問題集や辞書と格闘していたわけでして、正常な思考力を保ち続けられるか自信がない。学内にマイ布団を確保している夕霧君が羨ましい限りだ。私たちB組四人衆の中で平然としているのは鳥羽君と希未の2人だけで、白波さんはキャロル先輩と目元にお揃いのクマをこしらえてフラフラしていた。




「……月之宮八重、ちゃんと水着は持ってきましたこと?」
 待ち合わせた中央廊下。キャロル先輩はおほほ、と高笑いした。気取っているわけではない。多分これは、彼女は徹夜明けでハイになってしまっている。
 前日にわざわざ教室に来て、先輩に勝負に使うのだと指定された持ち物は、水泳用品一式だった。まさか、このテスト明けのコンディションで水中に飛び込めとでもいうのだろうか。


「わりいな、キャロルが迷惑かけて」
 何時ぞやの、八手先輩に絡んでいた三年生の男子生徒が私に同情するように言った。散髪してきたのか、前よりもくせのある黒髪が短くなり。手に持っているのは栄養ドリンクの空瓶だった。
「中立の審判を連れてきましたわ。中学からの腐れ縁ですの」と得意気なキャロル先輩にさらわれ、紹介された彼もまた、眠そうな欠伸をしている。




「那須宗太郎っす。まあ、オレは美少女さんと君にまた会えて嬉しいけど……、いで!?」
 そう、白波さんを横目に見ながら名乗った那須先輩の左耳を、キャロル先輩が捻り上げた。


「那須、あんたは何で連れてこられたか、分かってやがりますの?審判ですわよ!」
「……だったら早く終わらそうぜ、キャロル。吹部の連中が打ち上げに呼んでくれてるとこを、わざわざお前のバカに付き合ってやってんだから」


 キャロル先輩の抗議に、那須先輩が目を擦りながら言った。予定があったのに、こんな奇怪な対決に巻き込まれてしまったのか……不憫な。
 そんな那須先輩の言葉を無視したキャロル先輩は、私たちに言った。


「いいこと!確かに月之宮八重はあたくしよりも知力と財力が優れておりますわ、けれども性格と見た目はキャロル・恵美・ベンジャミンの圧勝なのは自明の理!
あんまり可哀そうですから、今回の勝負はそれ以外。水泳とお料理とカリスマの三本勝負です!」
 そのまさかだった。私は、テスト明けの五月に屋内プールで泳ぐことになるらしい。鳥羽君と希未は、残念なものを見るような眼差しをキャロル先輩に向け、白波さんは手を上げて質問をした。
「あの、カリスマってなんですか!」


 キャロル先輩は笑顔になった。
「どれだけ動物に好かれるかの勝負ですわ」
 嫌な予感しかしない。何故ならこの学校、動物小屋が存在しないからだ。


 那須先輩が、それを聞いて口を開いた。
「オレは役得になるからいーけど、キャロル。水泳にするなら負ける覚悟はしとけよ」
「なんですの、あたくしは中学から水泳部ですわよ!」
 むっとして言い返したキャロル先輩に、那須先輩はため息をついた。鳥羽君は、今度は憐憫の眼差しを彼女に送った。






 二年次の体育である水泳の為に購入した学校指定水着を、まさかこんなことで使うことになろうとは。初めて入るプールの更衣室に気おくれしながらも、棚のバスケットに制服を脱いでいると、部活で使い慣れているらしいキャロル先輩はさっさと着替えて、タオルを持ちプールの方へと出て行った。新品の水着になかなか勝手がつかめず、どうにか着替えを済ませて少し緊張しながらキャロル先輩の通った後を追いかける。
 シャワーはぬるま湯とはいえ、少し冷たかった。


 ようやくプールに出てくると、幾人かの水泳部員が、驚いたようにこちらを見た。そりゃそうよね、完全に私って部外者だもの。


 タイルを踏みしめ、キャロル先輩は小柄な身体に競泳水着を着こなして立っていた。ブロンドヘアーは水泳キャップにまとめられ、ゴーグルも装着している。そんなヤル気満々な彼女と一緒に、那須先輩、希未、白波さん、鳥羽君が制服のままで居心地が悪そうにそこに居た。……どうやって先生に許可を貰ったんだろう。無断じゃないよね?


「――おおっ、月之宮さんの圧倒的勝利だわ」
 那須先輩が私の水着姿を見て、嬉しそうに言った。やけに熱い視線である。


 キャロル先輩は、口端を引きつらせて那須先輩に訊ねた。
「……具体的に、どこと仰りたいんですの」
「そりゃ勿論、胸部そうこ「ふざけんじゃねーですわよ!」」
 那須先輩からの回答の途中で、キャロル先輩がビンタを繰り出した。強烈な一撃を喰らった那須先輩は頬を押さえて「本当のことじゃねーか!」とほざいた。充分セクハラです。あなたがモテない理由も分かりました。


「……鳥羽、分かってんでしょーね」
 希未に睨まれ、「俺は、まだお前に殺されたくねーわ」と鳥羽君はこの問題に対し賢明にもコメントを差し控えた。以前に希未からコンパスを向けられたことを忘れてはいないらしい。白波さんは、「那須先輩サイテーです!」と叫んだ。


 げしげし那須先輩を裸足で蹴飛ばして、それでも気が済まないらしいキャロル先輩は振り返って私に叫んだ。
「月之宮さん!勝負はクロール25メートル往復ですわよ、決してこいつの破廉恥な発言を真に受けんじゃねーですわっ」
「……先輩、むしろ私の分まで那須先輩に制裁をお願いします」


 私がキャロル先輩にお願いすると、那須先輩が「ええ、月之宮ちゃん!?」と声を上げた。


 キャロル先輩はいい笑顔になると、那須先輩に飛び膝蹴りを食らわそうとした。……と、したのだが。
 長年の付き合いだからか、剣道部だったからか。反射的にその攻撃の軌道を那須先輩が見切って避けてしまったが為に、勢い余った彼女の身体が宙を舞った。


 ぐるん、と空ぶったキャロル先輩の技は悲劇的にも足元のバランスを崩すこととなり、私たちの目の前で足をもつれさせた彼女は温水プールに落っこちたのだった。




 ばしゃんっ――、盛大な水しぶきが上がる。


 近くで練習していた水泳部員たちが慌ててこちらにやって来て、彼女の安否を心配した。那須先輩は唖然と嘘だろ?というような表情になっている。


「おい、キャロル!返事しろっ」
 チャラけた発言ばかりしていた那須先輩が焦ったように叫んだ。


 ぶくぶく……と気泡が浮かぶ。そうして、しばらく間をおいた後に、キャロル先輩が水面から顔を出した。よかった、どうやら無事だったらしい。
プールの縁に手をかけ、きょろきょろ辺りを見渡していたが。那須先輩を見つけると怒りがこみ上げたようだ。


「ふざけんなですわよ!那須が避けるからこんな目に――」
 キャロル先輩の罵声に、


「なんでオレが悪いの!?オレの心配なんだと思ってんの?プールサイドで暴れるお前が悪いんじゃねーか!」
と那須先輩が怒鳴り返した。


 白波さんは喧嘩を始めた2人に戸惑い、鳥羽君は希未に、「俺、白波よりアホな奴を初めて見た」と言った。
 私が希未に近づくと、彼女が鳥羽君に、「アホじゃないわ、あれはバカっていうのよ」と辛らつな言葉を返しているのが聞こえた。


 軽率な私の発言が原因であったので先輩方には非常に申し訳ないのだが、キャロル先輩のことを那須先輩が罵りながらも好意を抱いているように聞こえるのは気のせいだろうか。
 最終的に、仲裁をしたのは、私たちの誰でもなかった。騒ぎを聞きつけた体育教師が、カンカンになって乗り込んできたのである。







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