ムーンゲイザー

Rita

エピローグ

私はいつのまにか20歳になっていた。

地元の大学に進学し、家から通っている。

ツムギとはその後一度も会うことはなかった。

彼に会いたくてニューヨークに行こうと思い、高校に入ってからアルバイトをしてお金を貯め、英語の勉強も必死に頑張った。

彼とは高校1年生の春頃まで手紙のやりとりをしていたが、ある時からパタッと来なくなった。

何度出しても返事は返って来なかった。

そのまま月日は経ち、私は大学の文学部に進学した。

ツムギへの想いを文章に綴るのが日課になっていて、気づけば小説を書くようになっていた。

文章を書いている時間が唯一、自分に戻れる時間だった。

今は小説家を目指し、日々勉強中だ。

そんなある日、私宛にエアメールが届いた。

ツムギのお母さんからだった。

「お知らせが遅くなり、本当に申し訳ありませんでした。
実はツムギは4年前、酔っ払いの運転した車に跳ねられ、全治3ヶ月の大怪我を負いました。

しばらく入院していましたが、リハビリをしてようやく普通に歩けるまで回復しましたが、脳の一部に損傷を負って記憶の一部がなくなりました。

夕香子さん、事故が起きる前まであなたのことはツムギから聞いていたし、手紙のやりとりをしているのも知っていました。

ツムギはあなたのことを話している時本当に嬉しそうでした。
いつかまた会いたい、と何度も言っていました。

この事故で私も家族も本当にショックを受け、なかなか普通に生活をすることができませんでした。

あなたにお伝えするのもすごく遅くなってしまって本当にごめんなさいね。

今のツムギは日常生活は普通に送れるまでに回復しました。

ただ、昔の記憶がないのです。
私や家族のことも事故の直後は覚えていませんでした。

一緒に暮らすうちにだんだんと記憶が戻ってきたのですが、小さい頃、日本にいた時の記憶が全くないのです。

言いにくいのですが、夕香子さんに出会ったあの夏日本に遊びに行ったことも覚えていないのです。

あなたからの手紙を読んでは苦しそうにしています。
思い出したくても思い出せないからです。

ツムギからの返事がなくて辛い思いをさせてしまってごめんなさい。

彼はあの事故以来、リハビリを続けながらもベッドの上でたくさんの絵を描き続けてきました。

記憶を取り戻そうとしているかのように。

動けるようになってからもずっと絵を描き続けてきました。


そして、彼の作品がある有名なアーティストの目にとまり、ニューヨークで初めての個展を開くことになりました。

チケットを同封しますので、ぜひ見にいらしてください。」

と書かれていた。

最初は頭が真っ白になった。

え?事故?記憶障害?

そんなことが起きていたなんて。

ショックでその場に座り込んだ。

ツムギから手紙が来なくなり、他に好きな人できたのかな、と思い、落ち込んだこともあった。

もしかして事故か何かかも、と嫌な予感がしたこともあった。

まさか本当に事故に遭っていたなんて。

しかも私の記憶が消えてしまっていたなんて。


彼からの手紙が来なくなってからしばらく、私の心はぽっかり穴が空いたみたいだった。

その穴を埋めようと、言い寄って来てくれた男の子と付き合ってみたりしたが、そこまでのめり込めなかった。

私の心にはずっとツムギとの思い出があったから。

そういうことがあり、私の高校生活の前半は少々ビターなものだった。

でも、ツムギに教わった「人生をゲームとして捉える」ということは忘れていなかったので、私なりに前向きになれたし、なんとか今まで乗り越えられてきた。

進路を決める時も自分ときちんと対話をして自分で選択し、一歩ずつ歩いてきたつもりだ。

大学に入ってからも、ツムギとの思い出が消えることはなかったが、サークルやバイトや勉強でそれなりに忙しく楽しく過ごしてきた。

そんななかで、この手紙だ。

もう頭をガツンと殴られたような衝撃だった。




彼のお母さんからの手紙は穴が空くほど何度も何度も読み返した。

ツムギ、本当にいろいろ大変だっただろうな。

よく生きてきたな。

私が辛かった数倍も何百倍も辛かっただろうな、と思うと涙が溢れて、ベッドに突っ伏して大声をあげて泣いた。

そのまま泣き疲れて寝てしまった。

目が醒めると、もう朝だった。

ふと、横を見ると一枚の紙が落ちていた。

あ、個展のチケット、と思ってそれを手に取ってよく見てみた。

そこに載っていたのは圧倒的に存在感のある巨大な満月、そしてそれを見る男の子と女の子の後ろ姿が描かれた絵だった。

それは一瞬で心を惹きつけられる独特の世界観のある絵だった。

ツムギが描いた絵は初めて見た。

下に小さく書いてあるタイトルを見るなり、私は静かに一筋の涙を流した。

私たちだ。この絵は。

この個展に行かないといけない、と私は思い、すぐに支度を始めた。

そうして今、私は飛行機でニューヨークに向かっている。

2人の空白の数年間を埋めるために。

私は個展のチケットを取り出して絵を眺めた。

タイトルはこう記してあった。



-「moon gazer」(ムーンゲイザー) -

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